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2016年2月

意味の限界

ストローソン, P. F.著,熊谷直男・鈴木恒夫・横田栄一訳 1987. 『意味の限界――『純粋理性批判』論考』勁草書房,367p.,4000円.

著者ストローソンは本書の訳者解説によれば「戦後英国哲学界を代表する一人」とされる。私が彼の名前を知ったのは,古書店でたまたま見つけて購入して読んだ『個体と主語』(みすず書房,1978)が思いもがけず面白くて,博士論文のなかの場所論で大いに活用させてもらった。

『個体と主語』の原著は1959年で,本書の原著は1966年,翻訳も1987年には出ていますが,『個体と主語』の読後すぐに見つけたわけではなく,その後発見して購入。しかし,本書はカントの『純粋理性批判』に関する論考ということで,『純粋理性批判』を読んでからにしようと置いておいた。結局『純粋理性批判』は未だ読んでいないが,最近未読の蔵書もなくなってきたこともあり,とりあえず読むことにした。

序文

Ⅰ 概説

Ⅱ 経験の形而上学

第一章 空間と時間

第二章 客観性と統一

第三章 持続性と因果性

Ⅲ 超越的形而上学

第一章 仮象の論理学

第二章 霊魂

第三章 宇宙

第四章 神

Ⅳ 超越論的観念論の形而上学

Ⅴ カントの幾何学論

こうして改めて目次を振り返ってみても,魅力的な内容が本書には含まれているのだが,読後にきちんと頭に残っているものはない。久し振りに活字の字面をただ追うような読書になってしまった。

カントが『純粋理性批判』のなかで空間論を展開していることは有名で,地理学者のなかでも翻訳されたメイ『カントと地理学』がそれを丁寧に解説している。なお,カントの講義録で『自然地理学』があるのも,地理学者がカントを研究する一因。『カントと地理学』は実際にカントの著作を読んでいなくてもそれなりに理解できる内容だったが,本書は読んでいないとほとんど歯が立たない代物。本書の表題「意味の限界The bounds of sense」の意味もほとんど読み取れなかった。

まあ,それでも本気で『純粋理性批判』に取り組もうと思わせる読書でした。

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中世音楽の精神史

金澤正剛 1998. 『中世音楽の精神史――グレゴリオ聖歌からルネサンス音楽へ』講談社,270p.,1700円.

本書は近所の公立図書館でリサイクル本として出されていたもの。一応,少しは音楽研究なるものをかじっている身として,西洋音楽の歴史も知っておきたいと思っている。本書は講談社メチエの1冊であり,この位軽い本だったらもらってもいいかなと思った次第。通勤電車の一往復半で読むことができた。

プロローグ――グレゴリオ聖歌と中世の教会音楽

第一章 中世の音楽教育

第二章 ポエティウスの音楽論と中世知識人たち

第三章 オルガヌムの歴史

第四章 ノートルダム楽派のポリフォニー

第五章 アルス・アンティカの歴史的位置

第六章 アルス・ノヴァとトレチェント

エピローグ――ルネサンス音楽への道

クラシック音楽とは,その名称が古さを強調しているものの,成立は近代期である。本書の著者の専門がルネサンス音楽で,本書はそれをよりよく理解するために,その前史を辿るものだという。しかも,表題にあるように,音楽史そのものではなく,精神史がテーマ。ということで,クラシック音楽ですらほとんど知らない私にとってはある意味未知の領域。

第一章は音楽教育について論じられ,当時の教会の社会的役割と当時の知識階級における音楽の位置,ヨーロッパで誕生してくる大学の話など,視野は広い。第四章,第五章でもその展開の中心となったパリについても若干都市の構造についても言及している。

やはり中世という時代は音楽にあっても,歴史的記録の問題がある。つまり,音楽作品を記録に残すということが徐々に成立していくという時代であり,その手段である「楽譜」というものが試行錯誤で出来上がっていくという過程を説明することに本書は多くを費やしている。そして,その結果として音楽の形態も変化していく。また,それを担う人物たちの関係,最後の方にはフランスとイタリアの関係などについても言及されている。

まあ,理解できないところは少なくありませんが,こういう読書を重ねて少しずつ理解が深まっていければと思います。

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メタ地図学

アスラニカシュヴィリ著,金窪敏知訳 1998. 『メタ地図学――基本的課題』暁印書館,181p.,4600円.

久し振りに吉祥寺に行った際,古書店のよみた屋で入手した。ここはよく行く古書店だが,久し振りに行ったらかなりレイアウトが変更されていて,地理学関係の本がかなり増えていた。迷った挙げ句購入した一冊。

景観研究の第一人者だった英国の地理学者コスグローヴが晩年に関心を徐々に地図に傾けていったように,私も最近地図についてもっとよく考えなくてはと思う次第。本書はロシアの研究者で,本書は1974年に出版されたものだが,こうして日本語で読めることをまず感謝しなくてはならない。

私にとってロシアの地理学は未知なる世界だが,なぜか地名に関する論文のいくつ家は翻訳されていて,これがなかなか面白い。ということで,本書を手にとった時もそんな期待を込めて購入した次第。また,下に示した目次は簡単なものだが,詳細目次では「地図学的抽象化」に関する議論に多くのページを割いていて,そこも興味を持った点。ともかく読んでみましょう。

1. 序論

2. 地図の言語

3. 地図学的方法

本書はソヴィエト連邦時代に書かれたものではありますが,「弁証法的唯物論」を基本的認識として掲げるところにまず驚く。もちろん,近年の欧米でもマルクス主義の影響は大きいが,論理的にマルクス思想を採用するという雰囲気ではなく,本書の書きぶりは基本的前提としてマルクス・レーニン主義があるという感じ。レーニンも時折引用されます。

一方で,本書では記号論にも多くを依拠しています。ロシアといえば文学研究のロトマンもいますから,記号論が取り上げられても不思議ではない。しかし,ロラン・バルトのような図式的な記号論ではなく,本書では記号論の創始者をチャールズ・S・パースとしています。

また,本書は弁証法的唯物論に固執しているからといって,ソ連の政治イデオロギーに捕らえられているわけではない。冒頭では当時の米国の計量地理学の業績に言及しています。また,本書の出版年はたまたまルフェーヴル『空間の生産』のフランス語原著出版年と同じですが,本書にも「空間の表象」という言葉がよく出てきて驚きます。まあ,地図が表象であるという捉え方は日本の地理学でも現代思想の影響がある以前から使われていたので,不思議ではないのですが。

本書のこだわりは3章のタイトルにもありますが,地図学的方法論と地図学的方法の区別,そして後者への強調にあります。つまり,地図学的方法論とは地図を描く方法に関する議論であり,それは以前からなされていたわけですが,後者はより広い意味で社会における地図の役割,あるいは地図を通して世界をどのように捉えるのか,そんなところに射程があるのだと思います。だからこそ,本書の表題がメタ地図学となっているのでしょう。そして,本書が地図学という一分野のみで完結する内容ではなく,地理学にも大きく関わるものであります。

ただ,本書はかなり抽象的な次元で議論が展開していて非常に分かりにくいです。個人的には抽象化の話のなかに縮尺に関する言及もあったりして,学ぶことはありました。ちなみに,訳者によれば,「メタ地図学」という発想は米国の地理学者バンジの『理論地理学』が1章を費やして論じているものであるといいます。この本は翻訳も出ていますので,早速購入しました。また,後日紹介したいと思います。

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美学イデオロギー

ポール・ド・マン著,上野成利訳 2005. 『美学イデオロギー』平凡社,398p.,4800円.

イデオロギーといえば,通常は言葉の問題だが,もちろん絵画芸術など言葉以外のもので達成されるというのは,ミッチェル『イコノロジー』(勁草書房,1992)で学んだが,イーグルトンの大著『美のイデオロギー』(紀伊国屋書店,1996)でかなり網羅的にその研究史を知ることになった。その後本書が出て,非常に興味を惹かれたが,その値段の高さに手を出せずにいたが,最近本書が平凡社ライブラリーに入ることになり,旧版が中古で比較的安く出回ることになり購入した次第。

編者序論――指示作用のアレゴリー(アンジェイ・ウォーミンスキー)

メタファーの認識論

パスカルの説得のアレゴリー

カントにおける現象性と物質性

ヘーゲルの『美学』における記号と象徴

ヘーゲルの崇高論

カントの唯物論

カントとシラー

アイロニーの概念

レイモンド・ゴイスに答える

本書は著者の遺稿集ということのようですね。生前に『美学,レトリック,イデオロギー』というタイトルの出版計画があったようだが,本書はそこに収められるはずだった既出論文を含め,ウォーミンスキーという人物の編集によって出版された。

ポール・ド・マンの文章は『理論への抵抗』しか読んでいませんが,最近主著の『読むことのアレゴリー』も岩波書店から翻訳が出ているようですね。

私も遅ればせながら2010年の論文で崇高論などを展開したが,やはり本書も読むべきだったと後悔。しかし,本書を読んだらそれこそカントまで遡らなければならなかったかもしれない。カントは短い『美と崇高との感情性に関する観察』を読んでいたが,本書によればカントの美学においてはこの本ではなく,第三批判と呼ばれる『判断力批判』を読むべきだという。

本書はそのカントの『判断力批判』とヘーゲルの『美学』の検討に多くのページが割かれている。本書を読みながら,そういった歴史的古典を読む重要さを痛感する読書。本書は1977年から1983年に書けて執筆された文章だということだが,最近地理学で話題の「物質性」という言葉もよく出てくるし,1990年代後半のバトラーの議論で話題の行為遂行性(パフォーマティヴィティ)も出てくるし,なかなか刺激的な読書でした。思想家の本は合う合わないがあると思いますが,ド・マンの文章は私に相性がいいかもしれません。他の本も読んでみよう。

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mapping the subject

Steve Pile and Nigel Thrift eds. 1995. Mapping the subject: Gegraphies of cultural transformation. London: Routlege, 414p., £15.99.

購入したのは出版当時。もう20年が経ってしまいました。当時,英語圏の地理学は「文化論的転回」などといって,カルチュラル・スタディーズの影響下で随分越境的な学問へと変容していました。なので,本書はスリフトが一部翻訳されているくらいで,日本では地理学以外にあまり知られていない編者による地理学専門論文集。

しかし,当時私はまだAmazonもほとんど利用していなかったので,この手の本を一般の書店で購入していました。神保町の北沢書店と桜木町のランドマークプラザに入っている有隣堂,そして多分当時オープンしたての新宿高島屋の紀伊国屋書店を中心に購入していました。こういう書店にもけっこうこの手の本が置いてあったんですよね。特に本書は装丁が美しくかなり高価だったと思いますが,論文で引用されていたので知るのではなく,現物で知るという嬉しさから迷わず購入した。

ただ,結局当時の英語の能力などもあり,なかなか読むには至らず,なんだかんだで20年が経ってしまった。

実際に読み始めても時間がかかり,1年以上かかってようやく読み終えた。内容の詳細はもうあまり覚えていない。

1 序章(パイル, S.・スリフト, N.)

2 主体を地図化する(パイル, S.・スリフト, N.)

第1部 主体の構築

3 個人を知る:『侍女たち』と近代的主体をめぐるミシェル・フーコーとノルベルト・エリアス(オグボーン, M.)

4 地図と極地:18および19世紀のフィクションにおける子どもの主体性の表現をめぐる覚書(スティードマン, C.)

5 「よい生活の技法」:景観と市民生活1918-39(マットレス, D.)

6 家族と家庭の日常:子ども時代の境界を構築する(シブレイ, D.)

第2部 セクシュアリティと主体性

7 性別化された自己:パフォーマンスの戦略と抵抗の場(ベル, D.・ヴァレンタイン, G.)

8 試される女性:私的なさらし台?(クリーム, J.)

9 男性,異性愛,感情的生活(シードラー, V. J.)

第3部 アイデンティティの限界

10 「狂気の」アイデンティティを地図化する(パー, H.・ファイロ, C.)

11 組織のない身体:スキゾアナリシスと脱構築(ドエル, M.)

12 ハイパー・リアリティにおける主体の探求(ロダウェイ, P.)

13 移住する主体とステレオタイプ:ポストモダン世界における個人の文脈(ラポート, N.)

第4部 主体の政治学

14 時間,空間,他者性(フロシュ, S.)

15 意識することない変化に対する主体:心理学,ポストモダニティ,大衆(ウォーカーダイン, V.)

16 フェミニズムの女性主体のための空間を作る:ホルツァー,クルーガー,シャーマンの空間的転覆(ローズ, G.)

17 民族企業家と街路の反逆者:インナー・シティの内側を見る(キース, M.)

18 結論:空間化と主体(パイル, S.・スリフト, N.)

とりあえず,覚えている限り,章毎に紹介していこう。序章については紹介するほど覚えていないので省略する。

3 個人を知る(オグボーン,地理学者)

オグボーンは私の大学院の後輩が英国に留学した時に教わっていたという。日本ではあまり知られていないが,『モダニティの歴史地理』(古今書院)に一部翻訳がある。主に英国の近代期が研究領域だが,日本でも近代研究をする地理学者が少なくないので,もっと参照されるべきだと思う。さて,本章はあまりにも有名なベラスケスの『侍女たち』に関わるもの。この作品はフーコーが『言葉と物』の冒頭で表象を議論する際の題材として用いている。本章はそのフーコーの議論をノルベルト・エリアスの議論と対比させようというもの。

4 地図と極地(スティードマン,社会史)

タイトルはpolar regionsとなっているので,極地のことだと思うが,実際にはゲーテの『ウェルヘルム・マイスター』やアンデルセンの『白雪姫』,ブロンテの『ジェーン・エア』などの作品で子どもがどのように描かれているのかを論じている。

5 「よい生活の技法」(マットレス,地理学者)

この時期のマットレスの中心研究テーマである,近代期英国における風景,規律=訓練,市民生活を扱ったもの。1998年に『風景と英国人らしさ』という本になっています。日本においても明治期に志賀重昂という人物が自称地理学者を名乗り,登山文化を輸入し,日本の山岳風景をナショナリスティックに吹聴するということがありましたが,英国においても地図を持って登山やハイキングに出かけ,自国の誇る風景を眺める美的感覚と,それを可能にする強靭な身体を鍛え上げるということがナショナリズムへと結びつく。

6 家族と家庭の日常(シブレイ,地理学者)

シブレイには『都市社会のアウトサイダー』という翻訳書があるが,地理学者だけでなく,近年の『排除の景観』は社会学者などにも参照されている。本章は本書のなかで珍しく日本の地理学で引用されているのを発見した。大西宏治による「子どもの地理学」(人文地理52,2000)という論文だ。子どもは家庭のなかで家族とともに成長するなかで自己の境界を確立するという。

第2部 セクシュアリティと主体性

7 性別化された自己(ベル・ヴァレンタイン,地理学者)

ヴァレンタインは『子どもの遊び・自立と公共空間』という著書が2009年に翻訳されています。この章では当時のフェミニズムの議論が展開されているようです。後半にはエイズ活動家の話など。

8 試される女性(クリーム,地理学者)

この章はけっこう覚えています。ただ,内容的に精確に理解できた自身はありませんが,ともかく避妊薬としてのピルの開発にまつわる話です。避妊という価値観や,どれをどちらの性が担うのか,その性的権力関係。プエルト・リコの女性を使ったある種の人体実験的な開発過程。商品化されたピルをどのように普及させていくのか,など。

9 男性,異性愛,感情的生活(シードラー,社会学)

この章の著者は1994年に『非合理的な男性たち:男性らしさと社会理論』を出し,それ以外にもカントと男性性に関する本を出していて,その紹介的な章でした。フェミニズムは場合によっては戦略的に男性的なものを一枚岩的に描きますが,そうではないという主張でしょうか。

10 「狂気の」アイデンティティを地図化する(パー・ファイロ,地理学)

狂気の地理学研究といえばファイロですが,本章ではノッティンガムの事例が論じられています。どの社会にも狂人とみなされる人はいたわけですが,近代期に科学的言説によってその境界が引かれ,狂人は施設に収容され,隔離される。現代になると人権の問題などでかれらは解放されるが,社会のなかでは差別意識は残る。そんな話でしょうか。

11 組織のない身体(ドエル,地理学者)

スキゾって単語は浅田 彰の著書でくらいしか知りませんでしたが,ドゥルーズ・ガタリ『アンチ・オイディプス』で提唱されたものだったようですね。本章はそんな現代思想の話を真面目に紹介している雰囲気がいいですね。ポスト人間的な議論でしょうか。

12 ハイパー・リアリティにおける主体の探求(ロダウェイ,地理学)

こちらも今となっては懐かしい感じの論調で,ボードリヤールとハイパー・リアリティに関する議論。

13 移住する主体とステレオタイプ(ラポート,社会人類学)

移民がテーマとなっているということですが,かなり意味不明な章。斜字体が数ページにわたっていたりして,どう読んでいいのかも分からない。

14 時間,空間,他者性(フロシュ,心理学)

本章は著者による1994年の著書『性的差異:男らしさと精神分析』の第6章の再録だとのこと。この時期,編者のパイルは地理学で精神分析的研究を進めていくということで,時間と空間についても論じているこの著者に声をかけたのでしょうか。

15 意識することない変化に対する主体(ウォーカーダイン,コミュニケーション心理学)

こちらも心理学者による執筆ですが,カルチュラル・スタディーズの影響も受けているようで,有名な映画作品などへの言及もあります。

16 フェミニズムの女性主体のための空間を作る(ローズ,地理学)

本書のなかで私が一番読みたかった章。パラパラめくるだけでもシンディ・シャーマンの作品が掲載されていたりして。ローズは『フェミニズムと地理学』が翻訳されていて,2004年には来日もして,本人にも会いました。どの文章を読んでも刺激的な英国の地理学者です。ローズは家族写真の研究などもありますが,芸術分野にも精通しているんですよね。もう一度しっかりと読み直したい章。

17 民族企業家と街路の反逆者(キース,社会学)

著者は社会学者ですが,パイルとの共編もしたりしている。本章はとても興味深い内容が含まれているとは思うのだが,そこをきちんと読み取れなかった。ロンドンが事例で移住してきた民族集団に対して行政が支援をして企業家としてエスニック・ビジネスを,というような内容を期待していたのだが,そうなのか,そうでもないのか。

18 結論:空間化と主体(パイル, S.・スリフト, N.)

序章については省略したが,結論は最後に読んだということで,少し書いておきましょう。結論といいながら,本書の内容をまとめるわけではなく,中盤ではこの頃スリフトが取り組んでいたロンドン・シティの金融に関する話が展開されます。

こう,ざーっと振り返ってみると,かなり雑多な論文集ですね。しかし,この頃の地理学は勢いがあって,「それのどこか地理学なんだ」というような後ろ向きの批判をはねのけるほど新しいテーマを次々と見出しては論文集として出版していたような気がします。

私も今,論文集への執筆をしていますが,そこに寄稿された多くの論文は既出論文の概要版だったりと,新しいものに積極的に取り組んでいく姿勢というものをほとんど感じられずに幻滅したりします。

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アイヌ民族と日本人

菊池勇夫 1994. 『アイヌ民族と日本人――東アジアのなかの蝦夷地』朝日新聞社,297p.,1400円.

アイヌ関係の研究書はかなりの数が出版されている。少しずつ読んでいくつもりではいるが,私のような片手間の興味で全てを読み切れるわけではない。本書はまた神保町で購入したもの。神保町では「古本まつり」が行われるが,私の勤める会社が神保町に移転してから初めての「古本まつり」で,せっかくなので覗いてみるかということで,15分くらいで路上に出ている書棚だけという制限のなか,選んだ一冊。あまり期待はしていなかったが,とてもいい本だった。

序章 東アジアの視野のなかで

第一章 近世蝦夷地の歴史的前提

第二章 アイヌ民族と幕藩制国家

第三章 蝦夷地の開発とアイヌ社会

第四章 東アジア物流のなかの蝦夷地

第五章 蝦夷地と華夷意識

第六章 近代化のなかの国家と民族

終章 「北門鎖鑰」史観をのりこえる

アイヌ研究をとことん追求するつもりはないのだが,ともかく目次を見て「場所請負制」にそれなりに紙幅を割いている本は読みたいと思っている。本書も第三章の1節が「場所請負制の展開」と題されていたので,購入した次第。しかし,なかなか広い視野を持ったアイヌ研究。

まず,第四章の主題でもありますが,本書における東アジアの視野というのは主に物流という観点からになっている。場所請負制とはそもそもが労働集約的漁業であるから,そこで大量に収穫され,場合によっては加工された商品のいきつく先が重要である。それは私がこれまで読んだ本でも示唆されていたが,本書はその流通をきちんと跡づけています。まあ,地理学者としては地図化されたものがないのを不満に思ってしまいますが。

また,東アジアの視野というのは先日読んだテッサ・モーリス=スズキにもありましたが,彼女の場合はロシア側が中心。本書はそれに加え,本州の東北地方についても言及しています。そして,それが民族の捉え方の本書における独特なところ。「アイヌ民族」を所与として捉えるのではなく,さまざまなアイヌ民族の特徴とされていることについても疑いの目をもって,相対的に「アイヌ」を捉えようとしている。有名なシャクシャインの蜂起についてもしっかりとした知識をつけることができたと思います。

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年明け映画3本

2016年1月20日(水)

吉祥寺オデオン 『杉原千畝

この映画、日本人の監督ではないんですね。といっても、日本在住で母親が日系人だとのこと。米国映画の日本版リメイク『サイドウェイズ』の監督でした。小日向文世が主演でしたね。なかなかいい映画でした。

こちらは実在する人物ということで、なかなかスケールの大きいお話。そして、第二次世界大戦時のナチス・ドイツによるユダヤ人迫害が中心テーマではありますが、満州に進行する日本の対ロシア(ソ連)意識、そして主人公がヨーロッパに移ってからは、ドイツと同盟を結びながらもやはりソ連の動向をにらむといった、日本の対外政策が非常に分かりやすく描かれています。

その一方で、小日向さんや塚本高史、濱田 岳、板尾創路などのキャストがちょっとユーモラスで楽しめます。CGの部分はまあしょうがないが、全体的にいい映画でした。

2016126日(火)

立川シネマシティ 『人生の約束

立川で映画を観たら都合がよいという条件のなかでなんとなく選ばれた作品。そういえば、竹野内豊の作品は『ニシノユキヒコの恋と冒険』を観たのもこの映画館だったな。

本作は富山県の新湊曳山まつりという実在するまつりを舞台にしている。富山出身の主人公は大学で上京し、地元の仲間と立ち上げた会社が成功してみたいな感じで、相変わらずの東京と地方の関係が描かれる。まあ、有体の設定だといえるが、ストーリーにはいくつか疑問がある。悪くはないが、ちょっと長さを感じてしまう。中学生役で出演していた高橋ひかるという女優さんが魅力的でしたが、国民的美少女コンテストでグランプリを受賞したとのこと。さすがですね。でも、名前にインパクトがないのは今後どうなるのか。

201623日(水)

新宿テアトル 『俳優 亀岡拓次

面白そうではあるが、あまり観る気はなかった作品。でも、監督が横浜聡子ということで、水曜日はテアトル新宿が1100円ということもあり、観ることにした。

まあ、面白いけどね。2時間ってのは長いかな。でも、このだらだら感が横浜監督の真骨頂か?あまり出演時間は長くないけどヒロイン役の麻生久美子の存在感はさすが。そういえば、横浜監督の『ウルトラミラクルラブストーリー』のヒロインも麻生さんでしたね。今回も野嵜好美さんが出演していますが、だんだん垢抜けていきますね。彼女のアクの強い演技は再び観られるのだろうか。

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神を殺した男

丹治 愛 1994. 『神を殺した男――ダーウィン革命と世紀末』講談社,285p.,1500円.

この著者の名前は知っていた。1997年に『ドラキュラの世紀末』という本を出した時に知っていたのだ。当時,私はけっこう英文学の人たちの文献を読んでいた。高山 宏や富山太佳夫は有名どころだが,その系譜に谷地田浩正という人がいる。彼は1990年代前半に『現代思想』,『ユリイカ』,『imago』という青土社の雑誌に次々と論文を発表していた。特にブラム・ストーカーの『ドラキュラ』をめぐる議論は魅力的だった。そんななか,丹治さんの本が発表され,私は手にとって(結局購入していないが)参考文献をパラパラめくったが,谷地田さんの名もなければ,高山 宏門下(そんなものがあるかどうかは不明だが)の名前もあまりなく,幻滅した記憶がある。

本書はそれ以前に出された本だが,これも会社が終わって神保町で購入したもの。ここにはきちんと富山太佳夫『ダーウィンの世紀末』に言及がありました。著者は東大出身のようで,やはり研究自体はしっかりしています。現代思想寄り,出版社寄りの高山門下とは少し距離を置いているのかもしれません。

第一章 神の殺害――個別創造説・思弁的進化論・ダーウィニズム

第二章 人類の黄昏――ユートピアニズム・マルクス主義・ダーウィニズム

第三章 コリンズ殺人事件――自然主義・決定論・ダーウィニズム

第四章 大英帝国の栄光と暗黒大陸――帝国主義・人種差別主義・ダーウィニズム

エピローグ

目次からは分かりませんが,本書でとりあげる作品の分析で,私は2つのものがとても印象的でした。1つ目が第二章で取り上げられるH・G・ウェルズの『タイムマシン』(1895年)で,2つ目が第四章で取り上げられるジョウゼフ・コンラッドの『闇の奥』(1899年)です。『タイムマシン』は未読で,『闇の奥』はサイードの研究もあるので,原作も読んでいたが,原作自体がよく理解できなかった。しかし,本署の解説は,『タイムマシン』も『闇の奥』もダーウィニズムという切り口が非常に説得的だった。

ダーウィニズムそのものに関しても,ラマルクとかウォレスとかの生物学者との関係や,マルクスとの関係など丹念に論じられていて,学ぶことが多かった一冊。各章毎に図版の解説もいくつかあって面白い。

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言語の興亡

ディクソン, R. M. W.著,大角 翠訳 2001. 『言語の興亡』岩波書店,221p.,780円.

通勤で持参した本を読み終えてしまい,帰りがけに買った岩波新書の一冊。こういう時に神保町は便利だ。ほんの10分ほどあれば,重い本か軽い本か,どの分野がいいかなど選び放題。

本書を手にとったのは理由がある。明治学院大学の講義でパレスチナ問題について学び直したが,その過程で「反セム主義」という言葉を知った。これ端的に反ユダヤ人主義なわけだが,ユダヤ人の母語であるヘブライ語は,インド=ヨーロッパ語族ではなく,セム語族という系譜になることが当時の言語学で明らかになり,それがユダヤ人をヨーロッパとは異なるものの根拠として用いられたという話。

現代言語学はそうした民族の話や地理の話とは無縁な気がするが,現代言語学の古典ソシュールの『一般言語学講義』でも第Ⅳ編が「言語地理学」にあてられている。19世紀初頭のドイツの言語学者ヴェルヘルム・フォン・フンボルトも地理学者である弟のアレクサンダーが南米旅行で記録してきた現地の言葉に関する資料を自らの研究に活かしたなんて話もあるくらいで,19世紀の言語学の中心は世界における言語の多様性をいかに説明するのかという比較研究を中心としていたらしい。

はじめに

第Ⅰ章 序説

第Ⅱ章 ことばの伝播と言語圏

第Ⅲ章 系統樹モデルはどこまで有効か

第Ⅳ章 言語はどのように変化するか

第Ⅴ章 断続平衡モデルとは何か

第Ⅵ章 再び祖語について

第Ⅶ章 近代西欧文明と言語

第Ⅷ章 今,言語学は何を優先すべきか

第Ⅸ章 まとめと展望

補論 比較方法の発見手順では見誤ってしまうもの

言語同士を比較し,似ている似ていないでグループ化し,進化論の影響下ではそれを生物の系統分類と同じように類型化するというところまでは知っていたが,やはり言語学でも系統分類が万能ではないらしいというのが,本書の主張。生物分類に関しても昨年何冊かの本を読んだが,やはり生物種についても言語についても,観察できるのはせいぜい数十年である一方で,それらが変化を遂げていくにはその10倍とか1000倍とかの時間がかかるのだ。

結局は進化という現象を信じても,それが具体的にどう変化したのかを資料に基づいて根拠づけるのは簡単ではない。言語学においてそうした系統樹のモデルを確立した一つの事例が有名なインド=ヨーロッパ語族であり,著者によれば,その成果に異論はないという。インド=ヨーロッパ語族はそのモデルでよく説明できるものだが,世界中の言語がそのモデルで説明できるかというとそうではないという。

著者によれば,言語の変化には,変化をあまりせずに長い間経つという「平衡期」と,短い時間に変化していく「中断期」があるという。そこで提案されるのが断続平衡モデルというものだが,やはりこの辺になると説明が複雑で分かりにくい。

それに加え,著者はヨーロッパによる植民地支配の問題なども議論しており,かなり視野が広い。最終的に著者の主張は言語学における民族誌的研究の必要性だ。現在次々と失われていく言語を記録するために,言語学の博士論文は,そうした言語集団をフィールドワークし,その言語体系を記録していくようなことをすべきだと主張する。

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geographies of writing

Nedra Reynolds 2004. Geographies of writing: inhabiting places and encountering difference. Southern Illinois University Press: Carbondale, 207p.

私の修士論文は写真家,田沼武能に関するものだったが,1997年の『人文地理』でその中核なる論文を発表してから,2001年の『地理学評論』,2010年の『人文地理』と続いている。2010年のものからは,修士論文のエッセンスを活かして加筆して論文しているわけだが,同様に今後2本ほど論文化してから書籍化できればと思っている。

その一つのネタを根拠づける文献を探しているうちに出会ったのが本書。Amazonで目次が見られて,非常に興味を持った。実際の内容は,私が期待していたものとは少し違ったが,ともかく日本ではあまりなされていない言語学の一分野の研究者がこれほどまでに地理学の文献を読み込んでいるということに驚いた本だった。

目次は地理学者にとって非常に興味深いものだが,内容は目次から地理学者が期待するような議論が深く展開されているわけではない。

序章

1 隠喩と物質性の間

2 景観の解読と街路歩行:地理学と視覚

3 地図と日常:いつもの歩く道と競合する場所

4 街路調査:地理的に差異を見る

5 住まうことから学ぶこと:空間と言説に居住する

私にとっての英文書読書の常だが,この本もいつから読み出したのだろうか,最初の方はそれなりに集中して読む時間もあったが,後半は毎日の歯磨きの時間に2ページずつ読み進むと行った次第で,半年以上かかってしまったので,前半は記憶が定かでありません。

そもそも,著者の専門とする分野がなんなのかがいまいち分からない。rhetoricというのは古い学問ですから,修辞学で問題ありませんが,書名にもあるwritingはデリダの『エクリチュールと差異』が英訳で「writing and difference」として知られていから,writing=エクリチュールと思ってしまうが,どうやらそれほど深い哲学的含意があるわけではないようだ。もう一つ,本書のなかでよく出てくるのがcomposition。日本語では作曲を意味することが多いが,少なくとも著者の専門は言語学の一分野であり,また高等教育に関することも出てくるので,どうやらwritingとあわせて,作文というような意味合いの分野であるらしい。

日本の大学における言語学教育については何も知らないが,少なくとも「作文」というとせいぜい中学生までのものであるような印象で,高校では小論文のようなものにあたるのだろうか。しかし,考えてみれば自国語で高度な文章,例えば学術論文や小説のようなものを書く訓練が大学でなされても不思議ではない。

まあ,それはともかく,本書には物質性,歩行,景観,視覚,場所,地図,言説など私の研究のキーワードとなるような言葉が満ちあふれている。著者のネドラ・レイノルズは米国のロード・アイランド大学に当時務めていたということだが,いわゆる在外研究ということだと思うが,英国のリーズ大学にいたということだ。リーズ大学は地理学教室もあり,私の博士論文の英文を見てもらったのは,そこの研究者だった。で,著者はなんとその地理学教室にお世話になり,学生の演習を通じて,そのフィールドワーク的演習から,かれらがどのようにその場所との関わりを自らの知識,感情,態度に組み込んでいくのかという調査を行っている。その結果は3章以降で展開される。

1章における「物質性」とは要するにこういうことだ。文章を書くという行為は極めて精神的なものだが,その精神状態というのは個人のなかで,精神的な活動によってのみ形成されるわけではない。すなわち,日常的にわたしたちは地理空間を移動してそうした物質的な経験が精神を形成する。まあ,簡単にいえば,地理学者のような人間は訓練を受けたフィールドワークを行って,学術的な文章を書くわけだが,地理学者以外であっても,程度は違えどフィールドワーク的なことを行い,文章を書く糧にしているということだ。そうなると,言語学の一分野にいる著者にとっては「地理」そのものがほぼ「物質性」に等しいことになる。この辺が面白い。

本書の中で著者は一貫して地理学のことを「文化地理学」として言及し,ハーヴェイやソジャもちょっと出てくるが,やはり英国が中心で1990年代以降に活躍している若い世代も多く引用されている。また,それ以上に「フェミニスト地理学」としてローズやマクドウェル,プラット,ハンソン,ヴァレンタインなどが登場するのが面白い。

内容については意外に地理学と同等の議論を展開している箇所が多く,それが修辞学研究のような言語学にどう活かされているか,ということになるとそれほど記述は多くない。「場所感覚」に関する議論は数カ所であるが,それがどう文章化あるいは言語化されるか,という私が知りたいところについては多く語られなかった。最後の方で出てくるパワーポイントの批判は面白かったけど。

前半はけっこう面白くて傍線も引いているので,今後の論文で言及できたらと思います。

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