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2016年3月

日本の経済思想

テッサ・モーリス−鈴木著,藤井隆至訳 1991. 『日本の経済思想――江戸期から現代まで』岩波書店,337p.,3600円.

最近,2冊ほど読んでいるモーリス=鈴木さんの古い本を読んでみました。著書としては初めて日本語に翻訳されたものだと思います。Amazonの中古でかなり安く出回っていました。彼女は1950年生まれで本書の原著は1989年に出ていますので,39歳で本書を書いたと考えると(しかも本書は彼女の3冊目の著書),やはり若い頃からただものではなかったんですね。

ともかく,明治維新前から現代までを射程に入れたスケールの大きな試み。まずは目次から。

まえがき

序章 日本の経済思想と西洋の経済思想

第一章 徳川時代の経済思想

第二章 西洋経済思想の導入――明治維新から第一次大戦まで

第三章 両大戦間期の経済論争

第四章 戦後のマルクス経済学

第五章 経済理論と「経済の奇跡」

第六章 現代日本の経済思想

まあ,経済学は私のなかでも苦手分野ですから,なかなか理解が追いつかないところも多々ありました。しかし,その後の著者の研究からもうかがえるように,本書は日本の経済学を扱ってはいますが,経済学そのものの研究史ではなく,それを支える思想が主眼だと思います。

特に経済というのは(まあ,ある意味では自然科学ですらそうですが),学問が独立して発展するわけではなく,例えば日本であれば,開国以降,日本に資本主義経済が輸入されるのと並行して欧米の経済学が輸入される。資本主義経済は,開国前にある程度独自に発達した日本経済にある程度自然に導入される一方で,新しい近代国家としての明治政府が建国のために意識的に資本主義体制なるものを導入する。また,日本で経済学が定着すれば,その知識を国家が取り込んで経済政策へと適用していく。また他方では,国内で自然に発展していく経済動向に対して,あるいは国の経済政策に対して,ある経済学者たちは異議申し立てを行っていく,という具合に経済学は特定の思想を基礎として,社会と積極的に関わっていくというか,社会の一部として機能していく,そうしたことを考えさせる読書でした。

より具体的には,目次にもありますが,日本独自のマルクス経済学のあり方が思ったよりも強力だったこと,また以前から名前だけ聞いていた国家独占資本主義についても若干の知識を得られたこと,日本の経済成長期においては,日本だけでなく世界的視野の下で分析されていたことなど,学ぶことも多かった読書でした。

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社会の新たな哲学

マヌエル・デランダ著,篠原雅武訳 2015. 『社会の新たな哲学――集合体,潜在性,創発』人文書院,234p.,2800円.

本書はとある地理学者仲間が「読書会でもやりましょう」といって指定してくれたもの。著者について全く知らなかったし,手にとってみると魅力的だが積極的に自分では選ばない本なので,ありがたい。読書会ということで,今後精読する予定なので,ここではごくさらっと済ませましょう。とりあえず目次。

第一章 全体性に背反する集合体

第二章 本質に背反する集合体

第三章 人とネットワーク

第四章 組織と政府

第五章 都市と国家

著者はメキシコ出身の映像作家でもあるという哲学者。すでに,杉田 敦さんの翻訳で『機会たちの戦争』という本が出ているとのこと。なにやら最近実在論が流行っているらしく,メイヤスーという人の『有限性の後で』という本とともに本書も話題になっているという。実在論とはrealismで,観念論idealismと対比されるのでしょうか。哲学的にいえば実在論と観念論ですが,まあ現実主義と理想主義とも翻訳できる。私は観念論寄りなので,どうも実在論というのは苦手。まあ,批判すべき素朴実在論というものと近年の議論はもちろん違うのだが,素朴実在論というのはそれこそ当たり前の考え方。私という人間がいなくても地球はあって,他人は存在し,社会は回っていくというもの。きちんと哲学の教育を受けていない私にとっては実在論や唯物論よりも,私がいなければ世界なんて存在するかどうかも分からないというような観念論の方が刺激的で,また別の視点から世界を,あるいは自分を見ることができた。

本書はもっと斬新な思考で世界をとらえてくれると少し期待したが,意外にドゥルーズなどに依拠した議論が前半を占める。集合体という概念もassemblageという『千のプラトー』からきている概念とのこと。後半も具体的な話はいたって普通で,「新しい社会実在論」(帯の言葉)といわれても何が新しいのかは私には分からなかった。

まあ,読書会ということで,他人と意見を交換するうちに発見することもあるかもしれません。

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ようやく映画日記

先日,学会発表がようやく終わり,1ヶ月以上までの映画日記など書きたいと思います。

2016年2月19日(金)

下高井戸シネマ 『ベトナムの風に吹かれて

いろいろ悩んだ挙げ句,観に行ったのは再映の下高井戸シネマ。松坂慶子主演映画で気には留めていたが観のがしてしまった作品を観に行きました。大森一樹監督ってのもいいですね。

この映画,日本映画には珍しく,現代に生きる日本人が世界のなかでの自分の立ち位置について考えさせるいろんな要素が含まれています。本作はノンフィクションの原作を基に脚色されたもののようです。現在,なぜベトナムに日本語教師が必要なのか。『おしん』のようなテレビドラマや歌謡曲などが日本から輸入されているという事実。主人公はかつて学生運動に参加したという設定になっていて,特に「ベ平連」というベトナム戦争反対の運動をしていた。そして,劇中には第二次世界大戦中に進行した日本軍の兵士と結婚したベトナムの女性が登場する。その日本兵は敗戦後に帰国してしまい,日本ではベトナム人と家族を作ったという事実はなかったものとして日本で新しい家族を作るという歴史的事実。そんなことが非常に自然に映画とし語られています。

まさに,こういう映画は映画製作の経験豊かな大森監督,そして長年銀幕で活躍してきた松坂慶子という俳優にしか撮れない作品ではないでしょうか。

2016年2月26日(金)

新宿K's cinema 『マンガ肉と僕 Kyoto elegy

プロデューサ業などで日本映画界では得意な存在の女優,杉野希妃の監督作品ということで,ストーリーは怪しげだが,期待して観に行った。三浦貴大という俳優もこの手のマイナーとまではいかないが,メジャーとはいえない作品での活躍が最近目立っている。

映画化する小説作品としては非常に魅力的で(原作は読んでませんが),監督の意欲は十分に感じ取れますが,やはりちょっと描き足りないところを感じざるを得ないという感想です。出演者はみな魅力的ではありますが,もう一つ工夫が欲しかった。

2016年3月16日(水)

神保町一ツ橋ホール 『ちはやふる―上の句―

妻が密かに出していた試写会があたりました。私はあまり観たい作品ではありませんでしたが,職場から歩いて5分という近場で平日の夜ということで非常に都合がよいので行くことにしました。

前にも書きましたが,広瀬姉妹では私はお姉さんのアリスファン。でも,嬉しいことにお姉さんもちらっと出ています。この手の青春映画はまあよほどのことがないかぎりは楽しめますね。でも,下の句を観るかどうかは微妙。

なお,本作は私が以前住んでいた東京都府中市が舞台になっています。前半で京王線の東府中駅のシーンがあったり,南武線が出てきたり,合宿中の階段を駆け上るシーンは恐らく以前近所だったお寺の階段かと思われます。そんなところは個人的に楽しめました。

2016年3月17日(木)

渋谷イメージ・フォーラム 『牡蠣工場

想田和弘監督による「観察映画」第6弾とのこと。私は『選挙』と『精神』に次いで3作目。本作のタイトルは『蟹工船』を意識しているのでしょうか?そちらは観ていないし読んでもいませんが,確か社会主義(階級闘争?)を分かりやすく解説するような内容ということで話題になっていたような気がしますが,それに対し,本作は資本主義の現代版ということで,グローバリズムがテーマになっているようです。

同じような設定は,フィクション作品ではありますが,以前ぺ・ドゥナ主演の韓国映画『私の少女』で出てきました。片田舎の漁村で東南アジアからの移民を労働者として雇っているという話。当然フィクションですから,不法滞在を許容する形で雇い主が搾取するというものでしたが,本作の場合はもちろんそんな内容をノンフィクションで描けるわけはありません。

グローバリズムといっても,季節労働者としてやってくるのは中国人。個人的には中国のどこから来ているのかというのが気になりますが。書き忘れましたが,舞台は岡山県の瀬戸内海に面した牛窓という場所。中国人労働者は国際的な派遣会社の斡旋でやってきます。雇い主はかれらのためにレンタルハウスを借り,交通費を出し,と至れり尽くせり(?)。まあ,ともかくそこまで出資しても日本人労働者よりもいいということでしょうか?

まあ,期待したほどではありませんでしたが,基本は観察するだけなので仕方がないといえましょう。2時間半の上映時間でしたが,もう少し短くしてもいいかなと思える作品。

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住宅問題

エンゲルス著,大内兵衛訳 1949. 『住宅問題』岩波書店,155p.,410円.

何気なく買っておいた岩波文庫の一冊。序文に書いてありますが,本書はドイツの『民族国家』という雑誌に掲載された3編の論文を1冊にまとめたもの。なお,民族国家という表現はnation-stateに対して,日本で以前用いていた翻訳表現でありますが,この雑誌のタイトルは「フォルクス・シュタート」ということで,ドイツ語の独自のフォルクスが用いられていて,国民国家とイコールであるかどうかは不明。

エンゲルスは自主的に住宅問題に関する文章をこの雑誌に寄稿したのではなく,匿名で掲載された住宅問題の解決法に関する論文に対する批判論文として1編目の論文が掲載される。2編目はその流れで,今度はブルジョア社会主義の立場による住宅問題解決法を論じた著作に対する批判論文。3編目は1編目の批判論文に応えて,匿名論文の著者が記名によるリプライ論文を掲載したため,それへの再批判をしたもの。

序(1887年第二版へ)

第一編 プルードンの住宅問題解決法

第二編 ブルジョア階級の住宅問題解決法

第三編 プルードン及び住宅問題についての補論

目次にあるように,その匿名論文はフランスの社会学者プルードンの考えに基づいているというのがエンゲルスの判断。プルードンに関しては,彼の著作『貧困の哲学』に対して,マルクスが『哲学の貧困』という著作で徹底的に批判したという背景もあるので,エンゲルスとしてはプルードン派の考えをそのままにしておくことはできないということ。

実は,この『哲学の貧困』は私も読んだことがあります。しかし,当時はほとんど内容を理解できなかった。それ以降私の理解度が上がったとは思えないので,おそらく本書におけるエンゲルスの書きっぷりが分かりやすいのだろう。また,プルードンの思想のなかでも住宅問題に関わるところだけだったというのもある。とはいえ,一部の経済学的な議論は理解できなかったが。

エンゲルスが第一論文で批判する匿名論文は,当時のヨーロッパの主要な大都市で持ち家率が低くなっていることを嘆き,それを資本主義の発達のせいにする。家主と借り主の関係は,資本家と労働者の関係と等しく,家主は借り主を搾取しているという論法だ。それに対し,エンゲルスは両者は同じ関係にはないという。家主と借り主の関係はあくまでも生産者と消費者の関係に近いのであって云々といった具合。

エンゲルス自体は本書はあくまでもミュールベルガー(はじめの論文では匿名だったが,エンゲルスへの反論で実名を明かす)論文に対する批判であり,本書はそれ以上のものではないと書くが,訳者の解説にあるように,本書のないようはマルクスとエンゲルスによる資本主義批判の内容がコンパクトに解説されていて,私のような読者にはとてもありがたい本だった。

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新しい論文リリース(『コミュニケーション科学』2016年)

2015年は論文が出なかった年ですが(ちなみに,1995年も2005年も出ていないので,5のつく年は出ないみたいですね),2016年に入ってとりあえず1本出ました。

成瀬 厚 2016. 表象を忘れない――新聞記事の地理学的研究を通じて考える.コミュニケーション科学 43: 85-106.

2012年に続いて東京経済大学の紀要に掲載させていただきました。この内容は日本地理学会2015年春期学術大会で報告し,『地理科学』に投稿していたものです。何度かやり取りした結果,掲載不可になってしまい,こういう形での発表になりました。

なお,今年は以前に執筆した原稿が論文集として出版されることになりそうです。

再来週3月21日には日本地理学会2016年春期学術大会が早稲田大学で開催され,私も発表する予定です。その際に抜き刷りを用意しますので,読んでみたいという方は声をかけてください。

もちろん,このblogの読者で読んでみたいという方がいれば郵送させていただきますので,メールでお知らせください。

といっても,本誌はウェブ公開もしていますので,しばらくすればPDFでも入手可能です。

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