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欧州周縁の言語マイノリティと東アジア

寺尾智史 2014. 『欧州周縁の言語マイノリティと東アジア――言語多様性の継承は可能か』渓流社,267p.,3200円.

本書は初対面の著者からいただいた。昨年秋に人文地理学会の政治地理研究部会で報告した際,会場に来た本書の著者に声をかけられた(報告後にコメントも受けた)。彼は地理学とは直接関わりがないが,宮崎大学からこの報告のために来たのだという。

著者は社会言語学の分野に入るということだが,地名にも関心があるという。その際に本書ともう1本の論文抜き刷りをいただいたが,その論文は帰りの新幹線で読ませていただいた。本書も私の地名研究には直接関わらないが,明治学院大学で教えている講義に関連すると思い,ようやく読むことができた。

はじめに

第一章 ミランダ語――「むくつけき田舎なまり」から「ポルトガル唯一の少数言語」へ

第二章 アラゴン語――王室のことばから谷底の俚言(パトワ)へ

第三章 少数言語保全と言語多様性保全との相克――アイデンティティ・ポリティクスの末路としての少数言語保全は言語多様性保全につながるか

第四章 言語多様性は継承できるか――東アジアからことばのグローバリズムを照らし返す

第五章 液状化社会における言語多様性継承の可能性――その多層的舞台配置を母語環境から探る

おわりに

本書にも書かれているが,著者は東京外国語大学でポルトガル語を学び,企業に就職しポルトガル勤務になったという。10年ほど働いて,ポルトガルでの経験を活かして大学院に入り直し,研究者になったという。確かにポルトガル語とスペイン語は,それらをほとんど知らない私からみたら似ているが,第一章で扱われるポルトガルの少数言語に続き,第二章ではスペインの一言語であるアラゴン語が扱われる。かと思えば,ラテン・アメリカはボリビアの話も出てくる。確かに,ラテン・アメリカはかつてスペイン・ポルトガルの植民地で現在はそれら宗主国の言語が用いられてはいる。そして,書名にもあるように,徐々に東アジアへと視点を移していって,最後には著者の生まれ故郷の話になっていくのだが,その博学ぶりというか,世界を遍歴して培った経験の豊富さ,そんなものが本書を貫いている。

一応,本書は博士論文を基にしたものということだが,世界中に話が及んで,正直構成的には盛り込みすぎな感じがするが,著書ということではそれもいいのだろう。まあ,既に10年間で発表された40余りの既出論文が基になっているということのようですし。

私のような読者には,本書のなかの話題となっている言語の特徴を説明する言語学的な箇所は理解不能である。また,言語に関する説明は非常に細かいのだが,その少数言語を支える(支えられない)社会的背景の説明は空間スケールが大きくなればなるほど雑になる感じはあるが,本書の主題はあくまでも少数言語なので,その辺を細かく文献に基づいて記述するよりは大胆に描かれた世界の状況というのが本書では有効なのかもしれない。まあただ,社会の液状化に関する議論があるが,そこではジグモント・バウマンぐらい引くべきだと思う。

また,本書は単に少数言語の状況を把握するだけでなく,そうしたものをどのようにしたら保全でき,それによって世界における,あるいは一国における多言語状態を保全するような方策についても議論している。ただ,ここについては私はどうにも判断できません。そもそもそういうものを肌で感じたことはないし,この議論は景観保全の問題と少し似ている気もします。本書を読んでいて,少し前に読んだディクソン『言語の興亡』を思い出した。ディクソンが強調していた言語学者のフィールドワークをまさに著者が実践していると感じたのだ。にもかかわらず,この本も本書で言及されていないのを多少奇妙に思った。

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