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記憶が語りはじめる

冨山一郎編 2006. 『記憶が語りはじめる』東京大学出版会,263p.,2500円.

以前から欲しくてAmazonの「ほしい物リスト」に入れていた本。たまたま古書店で見つけて購入。早速読みました。米山リサさんの翻訳はなるべく読んでおきたいと思っているし、本書には『天皇のページェント』の著者,タカシ・フジタニ氏も書いているし、きちんと読んでみたいと思っていたハルトゥーニアンも寄稿している。

本書は目次にも書いたように、ひろたまさきとキャロル・グラックによる編集による3巻本「歴史の描き方」シリーズの第三巻。単なる論文集ではなく、日米共同研究会の成果だという。第一巻『ナショナル・ヒストリーを学び捨てる』、第二巻『戦後という地政学』も本書を読み終えると俄然魅力的にみえる。

刊行に当たって(ひろたままさき,キャロル・グラック)

第三巻 小序 歴史が語りはじめる(冨山一郎)

Ⅰ 記憶とイメージ

 1 「証言」の時代の歴史学(成田龍一)

 2 植民地支配後期”朝鮮”映画における国民,血,自決/民族自決――今井正監督作品の分析(タカシ・フジタニ著,宜野座菜央見訳)

 3 間=文化的イマジナリーにおけるオリエンタリズム――D・クロネンバーグとW・ギブスンにおける蝶々伝説(ブレット ド・バリー著,村田泰子訳)

 4 構成的な両義性――日本近代史におけるモダニズムとファシズムの存続性(ハリー・ハルトゥーニアン著,樹本 健訳)

Ⅱ 記憶という主体

 5 二つの廃墟を越えて――広島,世界貿易センター,日本軍「慰安所」をめぐる記憶のポリティクス(米山リサ著,小澤洋子/小田島勝浩訳)

 6 虚構の記憶と真正性――「ヴィルコミルスキー事件」『少年H』,そして『母の遺したもの』についての一試論(岩崎 稔)

 7 言葉の在処と記憶における病の問題(冨山一郎)

座談会[岩崎 稔・冨山一郎・米山リサ]

久し振りに興奮をおぼえる読書だった。ハルトゥーニアンの章だけは私には難しくて消化不良だが、それ以外はどの章も素晴らしく、理想的な論文集である。

1章の著者、成田龍一氏も『「故郷」という物語』などで知っている歴史家。本書のテーマである「記憶」が歴史学周辺の近年の動向でも話題のトピックで、特に敗戦後の日本において、戦争についての言説が、時代とともに「体験」、「証言」、「記憶」と移行しているということを丁寧に分かりやすく解説している。本章の最後に検討されている家永三郎の『太平洋戦争』も読まねばならないと思った。

タカシ・フジタニは最近映画の研究を手がけているらしい。2章はタイトルどおり、日本が朝鮮半島を植民地化していた時代に、日本人映画監督が朝鮮を舞台に朝鮮人俳優を使って作製した映画作品を分析する。その事実だけでも勉強になる。また本章の副題に用いられている「自決/民族自決」だが、self-diterminationの訳語として本書では何度か登場する。私はこの言葉をナショナリズムを原動力とした独立運動に関わる言葉としてしか理解していなかったが、ここでは「集団自殺」のことを指している。このこともはっとさせられるものだった。

3章は副題に「蝶々伝説」とあるように、日本を含む東洋を舞台とした映画と文学作品における蝶のイメージをオリエンタリズムの関連から分析するもの。前半のオリエンタリズムをめぐる議論は込み入っていて難しい。後半で検討されるギブスンの『あいどる』という作品は日本を舞台にした1996年の作品。『ニューロマンサー』でも確か千葉がでてきたと記憶しているが、こんな新しい小説を書いていて日本語訳もされているとは知らなかった。

4章は上述したように私には難しかったが、本章で検討されている戸坂潤がカントの空間論を出発点として物質性の回復をめざしていたということは地理学に関わる問題で、一つのテーマになると考えた。

5章で米山リサはこれまで自ら研究してきた広島の問題と、『暴力・戦争・リドレス』でも取り上げられた日本軍「慰安所」の問題を、2001年の同時多発テロの標的となった世界貿易センターと関連付けて論じている。相変わらず魅力的な文章。

6章は集団自決を中心とする文章で、私の表象論文でもホロコーストの表象不可能性に関する議論を少しだけ紹介したが、まだまだ知らないことが多いと驚かせられる。

7章は編者として、各章における各論をまとめながら、総論について論じている。冨山一郎はあまりにも有名な研究者だが、これまできちんと文章を読む機械がなかったことを恥じる。

巻末に収録された座談会も非常に読んでいて面白い。こういう議論ができるような場に参加できるような研究者になりたいと思う。

さて、本書の魅力は翻訳論文が4編にもなるにもかかわらず、どの章も素晴らしい翻訳であるということも大きい。訳者の肩書きは書かれていないが、たまに英語の翻訳などをする私であるが、自分の翻訳文があまりにも稚拙に思えてしまう、美文によって翻訳されている。

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