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2016年5月

風景の現象学

内田芳明 1985. 『風景の現象学――ヨーロッパの旅から』中央公論社,210p.,520円.

これも風景に関する基本文献の1冊。中公新書です。著者の風景論については地理学者の立岡裕士氏が批判論文を書いていて,その論文は随分前のものだが,この著者の名前はしっかりと記憶されていて,この人の風景論は読むに値しないと思っていたが,とりあえず読んでみた。

Ⅰ ギリシア古代文化への旅

Ⅱ パルテノン神殿美の創造

Ⅲ 北ヨーロッパとシチリアの風景

Ⅳ ゴシック建築とアルプスの風景

終章 風景の現象学と歴史の現象学

立岡氏の批判は詳しく覚えていないが,ちょっと読んでみて納得。まあ,本書の冒頭にも書いてあるように,これは旅行記です。まあ,副題にもそれをにおわせてはいますが,でも「風景の現象学」というタイトルは詐欺に近い。

といってもそもそもの現象学の捉え方は1つではないので,この点で著者を責めることはできない。本書は和辻哲郎『風土』からの影響が大きいらしい。なお,著者はマックス・ヴェーバーの研究者だということで,ヴェーバーの『古代ユダヤ教』のような著書に込められた意味を,著者自身の旅によって実感したということのようだ。

旅と行っても,その土地に現在生きる人々との触れ合いを楽しむような旅ではなく,そこに残された遺物が醸し出す風景を観て,在りし日々を妄想するといった旅。ともかく,私には学問的にも感性的にも共感を得られない本でした。

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自宅PCが1台故障し

昨日,新しいPCがようやくやってきました。

だからというわけではありませんが,久し振りの映画日記。

2016年5月1日(日)

銀座シネスイッチ 『さざなみ

シャーロット・ランプリング主演作。何ともいえない雰囲気のもと,日常的な光景が繰り返されるなかで,結婚45周年を迎える夫婦の隠された過去が少しずつ明るみに出されるというストーリー。

しかし,予告編で期待させるような劇的な出来事の変化はなく,ともかく終始シャーロットの表情が見逃せない秀作。粋なラストシーンにも注目。多くを語る必要のない作品です。

2016年5月15(日)

府中TOHOシネマズ 『64前編

瀬々敬久監督の下に結集した日本の俳優人。予告編を観ただけで「そこまで出すか!」と驚くキャストでした。といいながらも,あまり期待はしていなかったのですが,やはりお金がかかっているだけはありますね。といっても,映画はお金をかければいいものができるとは限りませんが,まあこの手の映画は日本人相手のものとしては日本映画が得意とするところなのかもしれません。ともかく,後編も観なくては,と思わせる作品でした。

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ニッポン景観論

アレックス・カー 2014. 『ニッポン景観論』集英社,206p.,1200円.

樋口忠彦『日本の景観』読書日記の際に書いたように,風景・景観に関する基本文献を少しずつ読んでいこうと思っている。Amazonで検索していた際に見つかったのが本書。まあ,よくある感じの日本的なものに魅せられた外国人が,現代日本の風景の乱れを嘆く本。著者は2002年に『犬と鬼』という本を出し,風景・景観に限らず日本の文化が破壊されているのは,日本の官僚政治に原因があり,公共事業としての土木工事の実態を明らかにしているらしい。

本書の内容は,その結果現れる風景に限定し,さまざまな側面からそのあり方をアイロニックに語っている。目次はとても分かりやすい。

序章

第一章 細かな規制と正反対の眺め――電線,鉄塔,携帯基地局

第二章 「町をきれいにしましょう」――看板と広告

第三章 コンクリートの前衛芸術――土木

第四章 人をビックリさせるものを作る力――建築,モニュメント

第五章 ピカピカの「工場思想」――工業モード

第六章 人生は「ふれあい」――スローガン

第七章 古いものは恥ずかしい――町へのプライド

第八章 国土の大掃除――観光テクノロジー

終章 日本人が掌に持っている宝

本書もご多分に漏れず,米国生まれの著者が欧米的な風景のあり方を上位に置き,それに相対するものとして日本の風景を位置づける。しかし,日本文化の本質ないし,潜在力という点では評価は高く,そうした「本来優れた日本文化」が現代では乱されていると主張する。

まあ,この手の主張はありふれているが,日立の看板の話は面白い。日本各地に存在する重要文化財の立て札にはもれなく「HITACHI」のロゴが入っているという。こういうところにも企業文化的な日本のあざましさがあらわれているのだという。

読みながら,かなりうんざりさせられるが,よく考えると読者に考えさせられることは少なくないと思う。このような主張を読み,「外国人のくせに分かったようなことを書くな」という反応は排他的なナショナリズムの反映だといえる。「欧米的価値観と日本の価値観は違う」というような感想も同様の感情の反映だ。どうしたら,そういう感情なしに本書の主張を批判できるだろうか。それはとても難しい。

本書でも土木情事に関する記述は多く,ダムや法面,改修された河川,護岸のテトラポットなど,日本の風景にはコンクリートが大量に使われていることを指摘している。この点については私も風景という観点は抜きにして,国土を覆っている大量のコンクリートがこの先どうなるのか,しかも多くの場合そのなかには鉄筋が入っている。もし,これらを取り除く場合に発生する産業廃棄物をどう処理したらよいのだろうか。言い方が悪いが,放射能に汚染された土や水の処理に近いものがあるかもしれない。

しかし,私は著者のように,コンクリートだけを問題にすべきではないと思う。著者がコンクリートを不要というのなら,私はある程度のアスファルトも不要だと思う。著者は車社会の米国人だからか,車社会がもたらした景観の変容については批判的ではない(北米の地理学者レルフはこの問題を大きく論じていたが)。コンクリート以上に圧倒的な割合で地表面を覆っているアスファルトも不要なものは撤去すべきではないだろうか。

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日本の景観

樋口忠彦 1993. 『日本の景観――ふるさとの原型』筑摩書房,291p.,960円.

本書は1981年に春秋社から出版されたものであり,私の手元にあるのはちくま学芸文庫になったもの。

風景・景観に関する論文は2013年に『地理学評論』に発表した内容で一段落つけたが,同テーマで講義は続けているので,本来読むべき基本文献は読んでおこうかと思う今日この頃。著者は1975年に『景観の構造――ランドスケープとしての日本の空間』(技報堂)を出しているが,そちらはまだ読んでいない。本書は裏表紙にも「景観工学の代表作」とあるが,読んでみるとあまり工学的な印象を受けない。

序章 風景の成長と代償風景の創造

第1章 日本の自然観と風景観

第2章 日本の景観

 1 盆地の景観

 2 谷の景観

 3 山の辺の景観

 4 平地の景観

 5 日本の景観の原型

第3章 生きられる景観

 1 美しい景観と生きられる景観

 2 自然の景観と生きられる景観

 3 都市の自然と生きられる景観

 4 都市の景観と生きられる景観

 5 最後に

まあ,本書の副題が1970年代の本質主義的な雰囲気を醸し出しているが,先日紹介した牧口常三郎の『人生地理学』との類似性を感じざるを得ない。1900年前後の地理学の書物はナショナリスティックな色彩が濃いが,第2章はそれに近いものがある。しかし,第3章では最近翻訳されたアプルトン『風景の経験』をかなり利用していたり,山水画やドイツの風景画家フリードリヒの話にまで及び,風景美の普遍性を追求しようとする。

タイトルには景観が用いられているが本文中では「風景」の使用も多い。その辺のこだわりはないのだろうか。全体的に各論の連続で総論的な議論も意外にない。結局,景観や風景とはなんなのだろうか。

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人生地理学1

牧口常三郎 1971. 『人生地理学1』聖教新聞社,273p.,447円.

著者は創価教育学会(創価学会の前身)の創立者にして会長。そして,本書は明治36(1903)年に発行。日本で初めての地理学の学会は1879年創立の東京地学協会だが,まだ制度的な地理学は確立しておらず,この頃日本人によって書かれた地理学書といえば,明治27(1894)年に『地理学考』の書名で出版された内村鑑三の『地人論』や同じ年に出された志賀重昂の『日本風景論』(その前1889年に『地理学講義』あり)などがある。

一昨年度の講義で『地人論』を扱った際,本書も一緒に買ってちょっと読んでいたが,今回きちんと通読した。「人生」とは「人の生活」のことであり,人生地理学とは人文地理学とほぼ等しい。しかし,志賀や内村の書と同様に,その内容は現在の人文地理学とは異なり,自然地理学的な内容をかなり含んでいる。ということで,本書は5分冊のうちの1冊目だが,目次は以下の通り。

緒論

第一編 人類の生活処としての地

 第一章 日月および星

 第二章 地球

 第三章 島嶼

 第四章 半島および岬角

 第五章 地峡

 第六章 山岳および渓谷

 第七章 平原

19世紀ドイツの地理学者フンボルトの晩年の著作は『コスモス』と名付けられた。それを想起させるようなスケールの大きな目次。しかし,その内容は常に人間との関係が主眼にあり,太陽の光と熱がなければ動物としての人間の生命が維持されないということや,太陽暦にせよ,太陰暦にせよ,人間の生活の規則性を決めているのが天体の動きである。

まあ,そんな感じで,現代の私たちが理科や社会科の時間に習うような,地球の自転や公転,地軸の傾き,地形の成り立ちについて説明され,それらがいかに人間の生活に作用しているのかということを大胆に解釈していく。そう,『地人論』を読んでいても思ったが,かれらのいわんとする土地と人間の関係は,地図スケールで大地を見渡し,それをそのスケールに抽象化された生活様式の特徴とを関連づけるという,ある意味構造主義的な記号論に近い。

地理学という学問が日本にさほど根付いておらず,志賀や内田や牧口は狭い意味での地理学に囚われず,米国の地理学的なものを吸収しながら自由な発想で議論を展開しているといえる。ただし,本書については志賀からの引用が多いのは気になる。ともかく,思ったよりも読み応えのある本でした。機会があれば,2冊目以降も読んでみようと思う。

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