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ニッポン景観論

アレックス・カー 2014. 『ニッポン景観論』集英社,206p.,1200円.

樋口忠彦『日本の景観』読書日記の際に書いたように,風景・景観に関する基本文献を少しずつ読んでいこうと思っている。Amazonで検索していた際に見つかったのが本書。まあ,よくある感じの日本的なものに魅せられた外国人が,現代日本の風景の乱れを嘆く本。著者は2002年に『犬と鬼』という本を出し,風景・景観に限らず日本の文化が破壊されているのは,日本の官僚政治に原因があり,公共事業としての土木工事の実態を明らかにしているらしい。

本書の内容は,その結果現れる風景に限定し,さまざまな側面からそのあり方をアイロニックに語っている。目次はとても分かりやすい。

序章

第一章 細かな規制と正反対の眺め――電線,鉄塔,携帯基地局

第二章 「町をきれいにしましょう」――看板と広告

第三章 コンクリートの前衛芸術――土木

第四章 人をビックリさせるものを作る力――建築,モニュメント

第五章 ピカピカの「工場思想」――工業モード

第六章 人生は「ふれあい」――スローガン

第七章 古いものは恥ずかしい――町へのプライド

第八章 国土の大掃除――観光テクノロジー

終章 日本人が掌に持っている宝

本書もご多分に漏れず,米国生まれの著者が欧米的な風景のあり方を上位に置き,それに相対するものとして日本の風景を位置づける。しかし,日本文化の本質ないし,潜在力という点では評価は高く,そうした「本来優れた日本文化」が現代では乱されていると主張する。

まあ,この手の主張はありふれているが,日立の看板の話は面白い。日本各地に存在する重要文化財の立て札にはもれなく「HITACHI」のロゴが入っているという。こういうところにも企業文化的な日本のあざましさがあらわれているのだという。

読みながら,かなりうんざりさせられるが,よく考えると読者に考えさせられることは少なくないと思う。このような主張を読み,「外国人のくせに分かったようなことを書くな」という反応は排他的なナショナリズムの反映だといえる。「欧米的価値観と日本の価値観は違う」というような感想も同様の感情の反映だ。どうしたら,そういう感情なしに本書の主張を批判できるだろうか。それはとても難しい。

本書でも土木情事に関する記述は多く,ダムや法面,改修された河川,護岸のテトラポットなど,日本の風景にはコンクリートが大量に使われていることを指摘している。この点については私も風景という観点は抜きにして,国土を覆っている大量のコンクリートがこの先どうなるのか,しかも多くの場合そのなかには鉄筋が入っている。もし,これらを取り除く場合に発生する産業廃棄物をどう処理したらよいのだろうか。言い方が悪いが,放射能に汚染された土や水の処理に近いものがあるかもしれない。

しかし,私は著者のように,コンクリートだけを問題にすべきではないと思う。著者がコンクリートを不要というのなら,私はある程度のアスファルトも不要だと思う。著者は車社会の米国人だからか,車社会がもたらした景観の変容については批判的ではない(北米の地理学者レルフはこの問題を大きく論じていたが)。コンクリート以上に圧倒的な割合で地表面を覆っているアスファルトも不要なものは撤去すべきではないだろうか。

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