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ものと場所

ゼノン・W・ピリシン著、小口峰樹訳 2012. 『ものと場所――心は世界とどう結びついているか』勁草書房、381+61p.、4536円.

私は卒業論文のテーマから「場所」というものを考え続けている。もう四半世紀になろうとしている。当初は、マス・メディアが特定の場所をどう描いているかということを素朴に考えていたが、日本の地理学におけるその研究の先駆者である内田順文氏の「場所の記号論」的な枠組みを批判しながらも引きずっていた。その批判を博士論文の冒頭に組み込んだが、博士論文の前に1997年に所属大学の英文紀要に書いた論文で、記号論を構造主義的なものからポスト構造主義的なものへの転回を論じた。そこで依拠していたのが、デリダやジジェクのポスト構造

主義的記号論だが、それと平行して当時固有名論で盛り上がっていたクリプキを参照して、記号における固有名の議論を地理的記号における地名の問題へと拡張しようとした。

場所の問題は『Hanako』のような週刊誌や写真、映画、小説、音楽などの素材を使って経験的な研究を重ねる一方で、2004年に『地理科学』に書いた論文では、博士論文の一部を使って場所の隠喩論を展開した。しかし、博士論文では隠喩論の前に、1997年の論文から発展した内容が含まれていた。そこでは哲学者のストローソンの『個体と主語』、サールの『言語行為』などに依拠して、われわれが事物を認識する際、またそれを言語を用いて表現する際に、事物が位置する場所の問題がどうなるのかということを考えていた。

この思考はケーシーの『場所の運命』によってちょっと方向転換し、2014年に『人文地理』に書いた論文へと結実した。それは古代ギリシア哲学にまで「場所的なもの」を探求しようという壮大な見取り図だった。しかし、一方で新刊で本書の翻訳を見かけた際に、博士論文の議論を続けるのに本書が手助けとなると勝手に思い込んでいた。もろもろの手近なものを処理している間に4年が経ってしまったが、Amazonの中古で程よい価格で出ていた本書をようやく読み終えることができた。

しかし、実際購入して手にとってみると、確かに新刊時に書店で手に取った時に、本書でストローソンが検討されているのを確認はしていたが、著者が哲学者ではなく、認知科学の研究者であることを知る。しかし、一方では最近取り組んでいる地名を概念階層の観点から論じようとしていて、その際に認知心理学などの文献を読んでいたので、ちょうど良いとも思った。目次を見ただけでは、私の期待に応えてくれる本かどうかは分からない。

第一章 問題への手引き――知覚と世界を結びつける

第二章 指標づけと個別者の追跡

第三章 選択――表象と事物をつなぐ鍵

第四章 意識内容と非概念的表象

第五章 われわれは空間をどうやって表象するのか――内的制約 vs. 外的制約

結論

私の読後の結論からいうと、私の場所研究の文脈で本書が大きな役割を果たすことはないと思う。著者については既に『認知科学の計算理論』という本が翻訳されているが、心理学実験も行なうような研究者であり、本書は哲学の議論に寄り添おうとするものであるが、認知科学自体がそうであるように、脳科学へも抵抗なく接続する。

本書はタイトルに「場所」を掲げるが、主要な論点は「空間」である。空間については第五章で検討されるが、その前提として第四章までが費やされるのだ。知りたいところを散々先延ばししておきながら、「空間」の概念はやはり地理学者のそれとは異なる。私の大学院時代の指導教官は認知地図研究の第一人者だが、私も遅まきながら地名研究の一環としてその動向を勉強せざるを得ない。その過程で、認知地図研究でも心理学者が机上の空間やマウスにとっての箱庭空間といった一望できるスケールの空間を問題とするのに対し、地理学者は場合によっては実際の身体的移動範囲以上の空間、すなわち地図でしか認識できない空間をも対象とする。そのスケール間の差異の大きさを実感し、研究における認識や態度が根本的に異なるのではと思うようになっている。

そういう意味において、本書はいろんなヒントは与えてくれるが、実際の地理学研究に役立つかというとそうではない。また、空間概念の違いだけではなく、本書はタイトルに掲げている「場所」に対してほとんど言及されないまま終わってしまうのだ。同じくタイトルにある「もの」についても同じ。もちろん、第二章では「個別者」の検討があり、ここでストローソンの議論と関わってくるのだが、私が考えるような、プラトンやアリストテレスの空間的概念が問題としていたものと場所の関係とは明らかに異なっている。結局、本書の読みにくさ、私のような読者における理解のしづらさは、心理学実験がどのようなことを明らかにするためにどのように設計されているのかという常識的なものを持っていないところに起因するのだと思う。

幸い、本書につけられた文献一覧には、翻訳のある主要な文献がいくつかあったので、今後少しずつそうしたものを読むことによって、再度本書を読むことがあったら、少しは理解ができるのではないだろうか。

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