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大衆文化、地政学、同一性

Jason Dittimer 2010. Popular culture, geopolitics & identity. Roman & Littlefield, 179p.

やばい、やばい。本格的に日本の出版界に「地政学」の波が押し寄せている。私も関わった地理学者の地政学入門書が翻訳されたが(フリント『現代地政学』)、ランドパワーやシーパワーといった古典的地政学の枠組みで現代のグローバル世界を理解しよう、理解させようという動きが強さを増している。

10年前くらいは米国で地政学を学んできたという奥山真司の存在が危ないと思っていたが、今ではそんな個人はどうでもいいというような勢いを見せている。一方で、佐藤 優という個人は地政学に限られない現代世界のご意見番的な個人も出てきて、日本では弱小の学問である地理学がいくら真っ当な意見をいっても聞き入れられないだろう。まあ、それは日本だけでの話でもなさそうな気がする。

それはともかく、オートゥーホールの『批判地政学』が出たのが1996年、それ以前からジョアンナ・シャープは「大衆地政学」を主張していて、私も1994年の論文ではそれに着目していたので、本書も10年前に出ていたら私もすかさず書評を書かねばならなかっただろう。まあ、本書のことを知った時、やはり書評を書こうと読みがら書き進めてはいたのだが、途中で読むのも断念してしまって、既に6年が経過してしまった次第。

まえがき

序章:大衆文化――プロパガンダと娯楽の間

1 地政学:歴史、言説、調停

2 大衆文化:理論、方法、間テクスト性

3 場所と大英帝国の表象

4 第二次世界大戦後の米国における国民の語り

5 情動、体現、戦闘ヴィデオ・ゲーム

6 行動的観衆と福音的地政学

7 覇権、サバルタン・スタディーズ、ニュー・メディア

8 結語:アイデンティティ、主観性、そして先へ

冒頭からなかなか面白い。「初版への前書き」とあり、注釈に「私は生来楽観的な人間である」とある。こういうのは普通、2版が出た後に、初版の前書きのタイトルが変更されるものである。著者は自信を持ったこの著書が、評判になり版を重ねるということを予想しているということだ。実際、その後6年経ったがどうなったのだろう。この前書き自体も、自分がなぜこのような研究をするようになったのかという経緯が率直に書かれていて面白い。

とはいえ、中身は目次からもある程度わかるように、いたって教科書的な内容である。1章では地政学の歴史が概観され、2章では大衆文化と題し、カルチュラル・スタディーズで学ぶような事柄が一通り説明されている。フランクフルト学派、グラムシ、フーコー、ド・セルトー、精神分析、内容分析や民族誌まで幅広いです。

3章からは各論という感じで、これまた人文地理学で話題のテーマに沿って、地政学のテーマとなりえる事例を交えて論じていくというスタイル。1990年代に流行った「BOX」もあります(本文中に組み込まれたキーワードの解説文)。3章は少し古い1990年代に人文地理学を席巻した「表象」概念。最近著書が翻訳された英国の地理学者クラウス・ドッズの地政学研究を参照することで、『007』の分析や、風刺画の分析が紹介されます。この風刺画家はスティーヴ・ベルといいますが、以前もジリアン・ローズがオープン・ユニバーシティの地理学の教科書でベルの風刺画を取り上げたことがありました。英国では有名なんですかね。ベルの風刺の対象はフォークランド紛争。フォークランド紛争についてはほとんど知識がなく、理解できなかった。知るべきことはとても多い。

4章のテーマは「語り」ということですが、まあ「表象」概念の延長ですね。こちらでは英国に続いて米国が事例で、自らが手がけてきたアメリカン・コミックとして、『キャプテン・アメリカ』を取り上げています。

5章になると、少し新しいテーマとして「情動」が登場します。個人的には大衆地政学は表象概念で論じるにはふさわしいが、その後、表象概念への批判から展開していくことになる人文地理学のテーマで議論をするのは難しいと感じている。なので、本書のこの展開に期待する一方で、本当に上手くいくのかという疑問もある。確かに、情動というテーマと、5章の事例である「ヴィデオ・ゲーム」とは相性がいいように思う。近年の戦争とヴィデオ・ゲームの関係というのは大衆レベルでも議論されている問題だが、本書ではそういったジャーナリズム的観点はなるべく避けようとしているように感じた。しかし、この事例が情動というものに深く探求しているかというとちょっと疑問。

6章では、カルチュラル・スタディーズのメディア研究以降の主たる流れとしてのオーディエンス研究とその方法論としての民族誌が登場する。事例はイスラエル・パレスチナの地図が2枚ほど掲載されおり、中東問題である。とわかったように書いているが、今となってはどんなことが議論されていたのかもきちんと思い出せない。確か、中東関係はグローバル・メディア企業の報道に操作されているという見解が一昔前にはあったが、SNSの発展した今日では、現地の一般人のblogがメディア報道とは異なった事実を発信し、注目されるということが書かれていたと思う。そうした話のどこが「福音的地政学」と呼ぶべきものなのか、まで理解していない。

7章ではサバルタン・スタディーズが登場する。主にスピヴァックによって有名になったサバルタン・スタディーズであり、そもそもがポスト植民地的な意味合いにおいて地理学にも親和性が高いと思うが、その本格的な地理学研究は読んだことがない。本書ではメキシコの地図や、映画『イラク 狼の谷』のポスターなどが掲載されているが、やはり本章も私の中では上手く咀嚼できていない。

本書のように、新しいうちに読み始める英語の本は、まずは翻訳できるかどうか、翻訳に値するかどうかという判断をする。それとは別に、書評を書けるかどうかを判断するわけだが、本書は翻訳しようとは思わなかった。まあ、私の力がそれに達していないという判断も含めてだが。で、書評くらいは書きたいと思いながらも、日常に追われて結局読むのをやめてしまったわけだ。まあ、いつも通りではあるが、自分の怠惰を感じさせられる読書でした。

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