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2017年11月

地に呪われたる者

フランツ・ファノン著、鈴木道彦・浦野衣子訳 1969. 『地に呪われたる者』みすず書房、216p.800円.

 

サイード『オリエンタリズム』を読んだのは修士課程だったが、その衝撃的な読書の後に、本書を読む必要を痛感していた。その後古書でファノンの『黒い皮膚・白い仮面』を入手し、読み始めたが途中で断念してしまい、そのまま本書に手を伸ばすこともなくなってしまった。今受けている依頼原稿のなかで、ポストコロニアリズムについてファノンに言及してほしいという要望があり、今更ながら読んだ次第。

 


1
 暴力
2
 自然発生の偉大と弱点
3
 民族意識の悲運
4
 民族文化について
5
 植民地戦争と精神障害
結論

 

もうすでに現代のポストコロニアリズムに触れてしまっている身としては、1961年に原著出版された本書をどうとらえていいのか、前半を読みながら混乱した。ちなみに、序文をサルトルが書いていて、それから読むことも混乱の一因かもしれない。

第二次世界大戦が終わって多くの植民地は解放された。しかし、執筆当時ファノンが身を置いていたアルジェリアが独立したのは1962年。まさに、ファノン自身がその独立運動に参加していたとのことだから、そういう時代背景をまず知識として得た上で読むべきだったかもしれない。総論としての植民地主義はそれなりに理解しているつもりでいる。今日的には、力のある者が暴力的に力がない者から略奪するという印象だが、当時は社会ダーウィニズムに基づいて、優れた人種・民族が劣った人種・民族に与え、導くという意識があった。同時代的に考えた場合に、植民地支配を当事者たちが悪の行為と意識していたわけではないことに気づく。

しかし、実際の植民地支配がどのようになされたのかということを私はあまり勉強してこなかった。部分的にはアンダーソン『想像の共同体』や土屋健治『カルティニの風景』、英国の株式会社による植民地開発事業に関しては勝山貴之『英国地図製作とシェイクスピア演劇』、日本統治下の台湾を描いた映画『セデック・バレ』などで知ることもあったが、いまだに知らないことの方が多い。そういう意味でも、本書から学ぶことはあった。コロンと原住民、西欧化した民族主義者、民族ブルジョアジー、植民地のルンペン・プロレタリアート、など支配する側と支配される側の両極のさまざまな位置にさまざまな主体が位置する。

それはそうと、精神科医であったファノンによる最も衝撃的な内容がやはり5章である。植民地支配をめぐって精神に異常をきたした人々の記録が多数報告されている。これらは脱植民地化された現代において、遠い過去の事実とはとても思えない。非常に現代的な問題を提起していると同時に、人類があまり過去から学んでいないことも分かる。

丁寧な訳者の解説も含めて、貴重な読書体験でした。

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ジェントリフィケーションと報復都市

ニール・スミス著,原口 剛訳 2014. 『ジェントリフィケーションと報復都市――新たなる都市のフロンティア』ミネルヴァ書房,404+46p.5,800円.

 

5800円という値段から,これまで読まずにいたが,読んでみて得るところは非常に大きかった。ニール・スミスは論文も含めてほとんど翻訳されていない。『現代思想』の1999年12月号の特集「変容する空間」に訳されている「グローバル経済の危機と国際的批判地理学の必要性」はタイトルから分かるが,国際批判地理学会議の基調講演となっている。
正直言って,スミスは1984年の『不均等発展』を読みたいところだし,ジェントリフィケーション自体には興味はなかった。しかし,本書はジェントリフィケーションを広義に捉え,そうして特定の研究分野にとらわれない広範な議論が展開されていて,素晴らしい読書体験だった。訳者もいわゆる狭義のジェントリフィケーションを専門としているわけではないが,長い時間をかけて本書と向き合って,いろんな人の助言を借りてこの訳書を作り上げたことにまずは感謝の意を表したい。

まえがき
イントロダクション
 第1章 「アベニューBの階級闘争――ワイルド・ワイルド・ウエストとしてのロワー・イーストサイド」
 第2章 ジェントリフィケーションはダーティ・ワードか?
第Ⅰ部 ジェントリフィケーションの理論に向けて
 第3章 ローカルな議論――「消費者主権」から地代格差へ
 第4章 グローバルな議論――不均等発展
 第5章 社会的な議論――ヤッピーと住宅をめぐって
第Ⅱ部 グローバルなことはローカルなこと
 第6章 市場・国家・イデオロギー――ソサエティヒル
 第7章 キャッチ=22――ハーレムのジェントリフィケーション?
 第8章 普遍と例外をめぐって――ヨーロッパの三都市
第Ⅲ部 報復都市
 第9章 ジェントリフィケーションのフロンティアを地図化する
 第10章 ジェントリフィケーションから報復都市へ

本書の原題は,訳書の副題になっている「新たなる都市のフロンティア」である。米国の事例がベースとなっているが,米国でフロンティアといえば,西部開拓の前線のことである。全土を開拓しつくしてしまった後,新しい前線=フロンティアが都市の中心部であるというわけだ。そして,著者自身も研究者としてジェントリフィケーションという現象自体を専門にしてきたわけではないが,自身の都市経験がおのずからこのテーマに向かわせたという。

ハーヴェイについでマルクス主義地理学の立場に立つスミスだから,当然資本主義がもたらす格差社会,貧困の問題,ホームレスなどが彼の主要な研究対象だったわけだが,ジェントリフィケーションはまさに都市中心部の貧困者を襲う資本主義の手だといえる。本書の魅力はその多角的な視角であり,多様な手法である。社会思想的な理論は著者の得意とするところだが,それだけではなく実際の統計データに基づくいわゆる経済理論による検証も含まれている。実際の観察に基づく写真が掲載されれば,雑誌や風刺画,映画などの表象分析も含まれる。

本書での発見はいくつかあるが,非常に素朴なところでは,「ジェントリフィケーション」という言葉自体について。日本ではなじみの薄かったこの言葉を私は学術用語かと思っていたが決してそうではなかったということ。タイトル通り,第2章がこの言葉の一般における用法をめぐる議論だが,第2章のタイトル自体は新聞広告の見出し記事だということである。学術後としても行き過ぎた再開発を揶揄する言葉と私はとらえているが,一般社会においても同様で,開発側はこの言葉を消去しようとしたり,浄化しようとしたりする。

3章,第4章では著者の得意とするスケール論と不均等発展論が存分に生かされている。基本的に本書は米国の事例で展開していくのだが,第8章ではヨーロッパの三都市として,アムステルダム,ブダペスト,パリについてそれぞれの事情が報告されている。

本書がジェントリフィケーション研究にとどまらないのは,「報復都市」についての議論である。この概念を理解するのは少し難しい。ジェントリフィケーションが欧米で進展するなか,もちろんその資本の力に抵抗する反ジェントリフィケーション運動はかなり活発であったのだが,いずれにせよ,弱者の声はかき消されてしまう。さらにはそうした弱者に声に対して,資本の力がマジョリティである大衆の意識に訴える形で,ホームレスなどへの報復を訴えるのだという。その意識が報復主義であり,その立場に立ってさらなるジェントリフィケーションを推し進めるのが報復都市だという。

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地政学とは何か(ドッズ)

クラウス・ドッズ著,野田牧人訳 2012. 『地政学とは何か』NTT出版,241p.2,052円.

私はかつて「批判地政学」を中心に地政学に関わる文献を読んでいた。それから20年が経ってしまったが,最近はどうやら日本で地政学ブームということで,とあるところから執筆依頼が舞い込んだ。さすがに20年前で止まっている知識で書くわけにもいかないので,最近出版されたものをいくつか読んでみようと思う。とりあえず,『現代思想』の特集号「いまなぜ地政学か」を読んでみたが,実のところは批判地政学にここ20年の間の進展はさほどないようだ。
進展した分については私も翻訳に参加した,コーリン・フリント『現代地政学』(原書房,2014年)でだいぶカバーできる。最近の地政学ものでは,ここでも紹介したDittimerの『Popular culture, geopolitics & identity』があるが,この両者で取り上げられていたのが,本書の著者ドッズによる映画の地政学研究だ。ということで,これまでドッズの論文は読んだことがなかったのだが,日本語で読めるものがあったので,読むことにした。

1章 地政学的であることは賢い
2章 地政学は知的な毒物か?
3章 地政学的構造
4章 地政学とアイデンティティ

原著は2007年に出版されたもので,訳者は上智大学で国際関係論を学び,ジョンズ・ホプキンス大学に留学した経歴を持つが,翻訳家である。なので,「訳者あとがき」もなく,著者に関する情報は得られない。本書の学術的な位置づけも確認はできない。一般的に「大衆地政学」と訳されている「popular geopolitics」も「一般人の地政学」などとなっており,あくまでも日本での地政学ブームに乗った形での翻訳だといえる(最近はこういうのを「論壇地政学」というらしい)。ただ,訳語で一つ評価できるのは,geopoliticsを「地政学」で統一していることだ。フリント『現代地政学』の監訳者である高木彰彦氏は,学問としての地政学と,そうでないもの(そこには実態としての世界情勢も含まれる)とを区別したいらしく,学を抜いて「地政的」と訳している。高木氏の認識とは立場を多少異にしている,政治地理学者,山崎孝史氏もこの表記には従っているが,私はその表記には反対している。両者は確かに違うのだが,区別はできないと思う。
さて,本書の内容だが,やはり原著もかなり一般読者を意識して書かれていると思われる。本書でも著者が得意とする大衆文化が強調されていて,やはり後半ではハリウッド映画の話などもふんだんに盛り込まれているのだが,「批判地政学」を前面には押し出していない。しかも,批判地政学についてはこれまでの私の理解が一面的すぎたのだが,本書ではフランスの地理学者イヴ・ラコストの研究を指して登場するくらいだ。しかし,このやり方が日本の読者にとってもいいのだろう。
Amazon
でのレビューは3件しかなく,どれもありきたりだが,フリント『現代地政学』のレビューはアカデミズムのたわごとのような厳しい意見が書き込まれている。やはり一般の読者は古典地政学の知識を求めており,そういう期待をした読者に少しでも批判的な意識を気づかせてくれるのではないかとひそかに期待したい。

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旅にとり憑かれたイギリス人

新しい書評が掲載されました。8月に書いたものですが,ここにもあげておきたいと思います。

成瀬 厚 2017. 窪田憲子・木下 卓・久守和子編:旅にとり憑かれたイギリス人――トラヴェルライティングを読む.地理学評論 90: 626-629

 

窪田憲子・木下 卓・久守和子編:旅にとり憑かれたイギリス人――トラヴェルライティングを読む.ミネルヴァ書房,2016年,3265p.3,500円.

旅行記は地理学者にとってもなじみのある存在であろう.とはいえ,旅行記の地理学的研究が十分になされているわけではない.英語圏では,文化地理学で表象研究が多くなされていた時期に,ポストコロニアリズムの観点が導入された論集が発表されている(Duncan and Gregory 1999).本書は英文学研究でトラヴェルライティングという言葉を用いた動向を受け,日本人研究者が具体的な素材を使って編んだ論文集である.
編者の一人による序章「冒険・蒐集・帝国――英国トラヴェルライティングの諸相」(窪田憲子)は,その研究史をたどっている.travel writingは旅行記を示す言葉の一つであったが,唯一の表現ではなかった.文学研究で1980年代から特定のジャンルに対してこの語が好んで用いられるようになったことにはイギリスの歴史的背景が大きく関係するという.大航海時代には多くの航海記が残されたが,イギリス小説が登場する際,デフォーの『ロビンソン・クルーソー』やスウィフトの『ガリヴァー旅行記』といった,旅をモチーフにした作品が大きな役割を果たす.19世紀には多くの女性が旅行者となり,その記録を出版した.大英帝国という世界中を覆う大きな傘の下で書かれるテクストをその時代背景で読み解くのがトラヴェルライティング研究ということになるが,その古典としてPrat2008)の『帝国のまなざし』(初版は1992年)は地理学や人類学においても引かれることが多い.
本書は3部に分かれており,第
部「拡張/反転する世界」には,以下の5章が含まれており,植民地支配の状況を批判的にとらえる論考から成っている.
1章「あれは幻の南方大陸か?
――ジェイムズ・クック航海日誌」(大田信良)はクックによる3度にわたる太平洋航海の第二回(1772-1773年)に焦点を当てている.クックの航海について評者が思い浮かぶのは多木浩二による一連の研究である.第二回航海を論じた多木(2001)は,同行した画家ホッジスによる画期的な風景画表現を強調している.この章はそれを暗に批判するかのように,「個別の歴史性をになう物質的条件の吟味を基盤とする文化研究によってこそ,解釈されるべきである」(p.39)と論じ,大半を歴史的背景の記述に費やしている.航海日誌の分析が十分になされていないことには不満が残るが,植民地支配を,イギリスとフランス,オランダとの関係をそれぞれの世界戦略という空間的・政治的次元と,貿易や金融という経済的次元とで捉える視点は多木には欠けていたものだといえる.
2章「プラントハンターの旅行記
――ロバート・フォーチュン,紅茶の苗を求めて中国へ行く」(青木 剛)を読むには橘セツによる研究を読んでおくと理解が深まる(例えば,Tachibana 2014).イギリスによる異国への博物学的な関心は,クックの航海に同行した博物学者たちからあったわけだが,1830年代の庭園ブームのなか,海外からの実用的・装飾的植物の導入がすすめられ,世界中から植物を持ち帰る担い手をプラントハンターと呼んでいた.フォーチュンは1842年にロンドン園芸協会の温室部門主任に抜擢された人物で,実用的植物のチャノキを求めてアヘン戦争後の中国を旅する.中国の良質なチャノキは,イギリスの紅茶文化を支えるインドでの茶の栽培を拡大する役割を果たした.彼の旅行記は専門的な知識を伝えるだけでなく,19世紀になっても多くのイギリス人にとっては〈未知の地〉にとどまっていた中国について一般読者に知らしめるものでもあった.
3章「インド大反乱を見たメンサーヒブたち
――ルース・クープランドの滞在記」(大平栄子)はインド大反乱を経験した女性による滞在記を扱っている.「メンサーヒブ」とは「社会的地位のある白人女性をインドで呼ぶ時の呼称」(p.67)とされる.クープランドはイギリス軍の従軍牧師の妻として18561858年までインドに滞在し,滞在記を残している.反乱の中で,彼女の夫はセポイたちに射殺されるが,彼女は反乱者たちから逃れながらインド内を移動する.イギリス人と反乱者は命を狙われる者と狙う者という関係ではあるが,彼女がインド人全般に向けたのは偏見に満ちたコロニアル的視点であった.
4章「異郷に故郷を重ねて
――スコットランドと旅のレトリック」(松井優子)は,スコットランド人による多くのテクストを取り上げている.それらは18世紀半ばから19世紀後半まで,旅行先は全世界に及ぶが,「スコットランド人の旅行癖とともにあったトラヴェルライティングは複雑にして多様だった」(p.112)という結論が漠然と印象に残るだけで,雑駁なものである.
5章「インドへの愛憎と帝国主義批判
――VS・ナイポールのトラヴェルライティング」(木下 卓)は,トリニダード出身のナイポールの旅行記を取り上げる.インドからの移民三世としてトリニダードで育ったナイポールは大学進学でイギリスにわたり,その後もそこで作家活動をする.1961年にトリニダード政府から奨学金を受け,西インド諸島と南米北岸諸国を回る.1962年にはインドに1年間滞在するが,「旅でナイポールが発見したものは,西洋とインドに引き裂かれた自己だった」(p.129).1988年にはインドを再訪する.それは自分探しではなく,「変貌しつつある多様性に富んだインドの姿を発見した」(p.130).さらにイスラム圏への旅を重ね,彼はポストコロニアルの作家として,イスラム教とキリスト教が有する帝国主義的要素を批判する.
第Ⅱ部は「自然の〈発見〉」と題され,アルプス山脈,極地,アフリカ奥地の旅が取り上げられる.第6章「絶壁に立つ
――アルプス越えと〈崇高〉の誕生」(久守和子)は17世紀後半のグランドツアーを論じている.「山と呼べる山がない」(p.146)イギリスの風景といえばなだらかな起伏の地形を基礎とするピクチャレスクなものである.アルプスを越えてロランなどが描いたイタリアへと至るグランドツアーの目的は,イタリア風景画の蒐集も含んでいたが,お付きの者の籠に担がれてではあるが,アルプスの断崖絶壁を目の当たりにして〈崇高〉概念を美学に取り入れた.
7章「極地をめざす旅
――『フランケンシュタイン』から辿る探検者たちの栄光と挫折」(武井博美)では,シェリーによる『フランケンシュタイン』(1818年)をトラヴェルライティングとして解釈する.当時の極地探検の資料を提示し,この小説もその極地言説の一部であることを論証しているが,作品の全体的な解釈のなかでの位置付けについては明確に示されていない.
8章「ナイルの水源を求めて
――リヴィングストン博士の奥地探検を中心に」(岡倉登志)は19世紀後半のアフリカ内陸部探検を取り上げる.アフリカ協会を母体として1830年に創設された王立地理学協会がアフリカ探検において重要な役割を果たす.「18735月にチタンボ村で息をひきとるまでアフリカの地で社会生活をおくり続けた」(p.202)リヴィングストンを中心にイギリス人の探検記が検討される.アフリカをめぐる植民地政策についての言及もあるが,ナイル川水源特定という科学的探究を議論の中心としている.
第Ⅲ部「異文化との遭遇」は第Ⅰ部や第Ⅱ部のように明確な主題を有しないが,女性旅行家を多く扱っているのが特徴である.
9章「泣きわめく中世の女巡礼者
――マージェリー・ケンプ,聖地への旅」(伊達恵理)は1934年に写本が発見された,イギリス人の中世女性の自伝が紹介されている.14世紀後半,20歳で結婚し「40歳になるまでに14人の子どもをもうけた」(p.218)というケンプは「英語で書かれた最古の自伝」(p.217)を残し,その半分を旅先の出来事が占めている.彼女は突然信仰に捉えられ,神のお告げで聖地巡礼を始める.エルサレムへの巡礼は巡礼団での旅となるが,周囲への配慮のなさから「疎ましい以上に,迷惑な存在」(p.223)であり,一人置き去りにもされてしまう.彼女は,信仰に関しても幻視や号泣の発作により,悪魔憑きと非難されるような特異な中世女性巡礼者であった.
10章「『マホメットの楽園』を旅して
――メアリ・モンタギュとトルコの女性たち」(志渡岡理恵)では,トルコ大使の妻が残した滞在記が取り上げられる.特筆するべきことは,彼女が偏見のない視線でトルコ社会を眺めていたことである.彼女の功績は,トルコでは民間で行われていた天然痘種痘をイギリスで普及させたことである.「当時イギリスでは,ローマ帝国を滅ぼした強力なオスマン帝国の脅威に対する不安もあって,トルコは『野蛮な国』と貶されていた」(p.255).本章では,モンタギュの滞在記の分析を通じ,彼女のトルコ社会との関わり合い方,トルコ人へのまなざしがその功績にいかに結びついたかが論じられる.
11章「アルフレッド・イーストと明治日本の出会い
――ある風景画家の旅日記から」(中川僚子)は,1889(明治22)年に日本に半年間滞在した風景画家の日記を取り上げている.この年は「アーネスト・フェノロサ,岡倉天心を理論的指導者として東京美術学校が開設された年である」(p.272)という.イーストは日本美術史においても重要な人物であり,イギリスでも帰国後に開かれた日本の風景画展覧会で画家として飛躍したという.日本への旅は日本に関心を持つ芸術家でない2人に同行する消極的なものであったが,箱根や日光での日本人との出会いは彼にとっての貴重な経験だったという.
12章「ヴィクトリアンの日本見たまま
――イザベラ・バード『日本奥地紀行』を読む」(窪田憲子)は,金坂清則氏による翻訳で知られる『日本奥地紀行』が取り上げられる.外国人に移動制限があった1878(明治11)年に,イギリス公使からの調査依頼という形をとって,バードは自由に移動できるパスポートを有していた.本章では,衝撃の異文化体験と題し,彼女が否定的に捉えた出来事を中心に紹介される.彼女の旅は個人的な興味や物見遊山の旅ではなく,「旅を自分に与えられた試練・天職(vocation)として受け止め,好き嫌いを超越して旅して回る」(p.317)ものだったという.
本書で取り上げられるテクストは航海記,旅行記,滞在記,雑誌・小説,探検記,巡礼記など多岐にわたる.それらは1819世紀のイギリスという時代と場所に限定されたものだが,大英帝国の植民地政策によって太平洋,中国,インド,極地,アフリカ内陸部,トルコ,日本と世界中を結びつけている.トラヴェルライティング研究は英文学研究の空間論的転回とも呼べるものかもしれないが,地理学研究はほとんど参照されず,ポストコロニアル批評をベースとした独自の展開だともいえよう.
執筆者の多くは英文学の研究者であるが,門外漢の読者にも嬉しいのは,取り上げられるテクストの日本語訳が出版されているものが多いことである(12578912章).評者は時折英米文学の研究論文を読むことがあるが,テクストからの引用が原文のみであったり,また微妙な英語表現が論旨の中心をなしていたりすると理解に及ばないことがある.本書は,その辺りのストレスを感じず読むことができるのも特徴の一つだといえる.

文 献

多木浩二 2001. 『船とともに――科学と芸術クック第二の航海』新書館.
Duncan, J. and Gregory, D. eds. 1999. Writes of passage: Reading travel writing. London and New York: Routledge.
Prat, M. L. 2008. Imperial eyes: Travel writing and transculturation second edition. New York and London: Routledge.
Tachibana, S. 2014. The
capture of exotic natures: cross-cultural knowledge and Japanese gardening in early 20th century Britain. Japanese Journal of Human Geography 66: 492-506.

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