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空間に遊ぶ

新しい書評が掲載されました。当分は『地理学評論』に毎号私の書評が掲載される予定です。

成瀬 厚 2018. 田山忠行編:空間に遊ぶ――人文科学の空間論.地理学評論 91: 114-115

田山忠行編:空間に遊ぶ――人文科学の空間論.北海道大学出版会,2016年,261p.2,400円.

北海道大学大学院文学研究科・文学部では,毎年公開講座を開催しているという.そして,その講座を「北大文学研究科ライブラリ」として出版しており,本書はその13冊目となる.本書は地理学にとってはお馴染みの「空間」というテーマについて,北海道大学所属の哲学,美学,東洋史,博物館学,仏文学,言語学,地理学,心理学の研究者9人による講座が収録されている.評者が成瀬(2013)でお世話になったゲルハルト・リヒター研究者の浅沼敬子さんが含まれていることもあり,本書を手に取ったが,多くの章から学ぶことが多かったので,ここにその内容を紹介したいと思う.
「空間に遊ぶ」というタイトルについては,「この『遊ぶ』には,元々,『考えてみる』という意味が込められていました」(p.iv)と説明しており,特段本書を貫く空間の捉え方を示しているわけではない.多様な立場から空間について考える,というほどの意味合いだと思われる.マラン(1995)の副題「空間の遊戯」にあるような,ポスト構造主義的記号論が思想のベースにあるわけではない.さて,各章の内容をみていこう.
第一章「仏教は空間をどう考えていたのか」(林寺正俊)は,インド哲学の立場から,仏教における空間的な概念を解説している.成瀬(2014)では,私たちが身につけている西洋近代科学的な空間概念を問い直すために,近代以前の空間・場所的な概念を検討したが,同じような考察は,本章のような非西洋哲学からも行えると分かる.公開講座ということもあり,批判的思考を促すというよりは,聴衆に身近な西洋近代的空間概念に引き寄せながら,それとは異なる空間概念へと理解を促している.仏典で「世間」や「世界」と漢訳される語が,サンスクリット語で「ローカ(loka)」といい,英語のlocalと語源を共通するという.インド・ヨーロッパ語族がなんたるかを理解していない評者にとっては,この一節を読んで少し納得した.
第二章「たちあがる『空間』――現代アートの一段面」(浅沼敬子)は現代芸術の一般的な形式である「インスタレーション」について解説している.まず,そもそも絵画が空間をどのように表現してきたのかという歴史をたどる.絵画がその描写対象である視覚空間を枠で切り取ることによって,芸術作品が描かれたコンテクストから切り離されるようになり,近年ではそれが再び埋め込まれるという流れを手際よく整理している.代表的なインスタレーション作品がいくつか提示されていることも門外漢には嬉しい解説である.
第三章「古文書から見る過去の都市空間――モロッコの古都フェスとその郊外」(佐藤健太郎)は歴史地理学研究と非常に近い,地道な調査結果の報告である.地理学でモロッコの研究というと荒又(2012)くらいしか思いつかないが,本章は植民地化されるまでの状況の復元が目的である.東京駒込の東洋図書館に所蔵されている,西暦1619世紀の8点の皮紙文書は,不動産関連証書である.著者はそれらを携えてフェスを訪れ,文書に書かれた地点を特定する.文書のみによって地点を特定するだけでは研究にはならない.現地での聞き取りを含む,関連する情報を収集することで地点の特定が可能になるが,それらによって,当時の町の様子が少しずつ明らかになり,またなぜそのような不動産取引がなされたのかということからも都市全体の構造の一端が明らかにされる.
第四章「『文化を展示する』とは何か」(佐々木亨)は,福田(1997)などの研究によって地理学には多少なじみのある博物館研究の成果である.マオリやアイヌ,ハワイなどを事例に,具体的な展示の詳細を例示して論がすすめられていて,非常にわかりやすい.
第五章「『無限の空間の永遠の沈黙』を前にして――パスカルからカミュへ」(竹内修一)は評者には読み応えのある一章であった.カミュの『異邦人』(1942年)を,「パスカルに対するカミュの応答であり,反論である」(p.139)という観点から解釈する.17世紀の科学者であるパスカルは敬虔なキリスト教徒であり,『パンセ』に残された「この無限の空間の永遠の沈黙が私を恐怖させる」という一節について,詳細な文献学的考察が行われる.ここで用いられている「空間」の語は,近代科学者として得た客観的な均質空間であると同時に,キリスト教的な神と私が関わる主観的なものでもある.カミュは『パンセ』を熟読していながら,一方でパスカルとは正反対の人間の生きざまを主人公に体現させたという.
第六章「ことばと空間――日本語から考える」(加藤重広)は指示詞の解説から,日本語が持つ空間観を明らかにしている.私たちが「コソアドことば」として知っているものを,英語と比較し,歴史的な成立経緯について説明する.私たちはコソアの使い分けを距離に応じて行っている場合が多いが,それは必ずしも距離だけに準拠するわけではない.本章は普段何気なく使っている言葉を見直す機会を提供してくれるが,読書案内で提示されている著者の著書からもう少し専門的な内容についても提示してほしかった.
第七章「空間と情報の地理学」(橋本雄一)は地理空間情報の解説から,津波災害を想定した場合のその活用法が示される.さらには,避難所の分布とその近隣の人口,避難所までの経路などの情報から避難計画に役立てる調査結果が報告されている.本書の副題に「人文科学」とあるという意味においては工学系に近い本章は少し異質だともいえる.
第八章「空間の認知と色彩」(川端康弘)は心理学や認知科学の知見から空間認知の問題を解説したものである.周知のとおり,地理学においても認知地図研究は進んでおり,前半の教科書的な解説はおなじみのものである.しかし,本章はタイトルにあるように後半は色彩に焦点を当てているところが新鮮である.
第九章「大きさと奥行きの知覚――錯覚が示す視覚の仕組み」(田山忠行)も視覚による知覚の問題を扱っている.二次元の視覚映像から私たちがいかに三次元空間を知覚するかということを,錯覚を中心に,大きさと奥行きという観点から解説している.錯覚にもさまざまな種類があり,運動視差という変化する視覚情報からも,私たちは三次元空間を知覚する.
本書は公開講座の内容を活字化したものであり,ですます調で統一されている.また,学術書につきまとう文献参照の煩雑さを回避しようと,文献については,各章の最後に「読書案内」としてまとめられている.ただし,すべての章でそれは統一されていない.多くの章は未だ探究中の最先端の学説というよりは,これまでにオーソライズされた学説の解説にページが割かれており,研究者には多少の物足りなさを感じる.一方で,第三章や第五章は評者にとっても非常に魅力的なものであった.
とはいえ,本書から学ぶことは多い.各章がバラバラな感じはせず,一定のレベルでまとめられている.こうした公開講座が毎年度企画され,実施され,また継続的に出版されていることに敬意を表し,機会があれば過去のものにも目を通したいと思う.

文 献

荒又美陽 2012. カサブランカ――フランス保護領時代の遺産をめぐって.都市地理学 7: 90-95
成瀬 厚 2013. 遠近法主義に抗う現代風景芸術
――芸術を対象とする景観研究.地理学評論 86: 413-435
成瀬 厚 2014. 場所に関する哲学論議
――コーラとトポス概念を中心に.人文地理 66: 231-250
福田珠己 1997. 地域を展示する
――地理学における地域博物館の展開.人文地理 49: 442-464
マラン, L.著,梶野吉郎訳 1995. 『ユートピア的なもの
――空間の遊戯』法政大学出版局.Marin, L. 1973. Utopiques: Jeux dspaces. Paris: Miunuit.

成瀬 厚(東京経済大学非常勤講師)

 

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