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アンドロイドは電気羊の夢を見るか?

フィリップ・K・ディック著,浅倉久志訳 1977. 『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』早川書房,328p.,円.

 

1982年の映画『ブレード・ランナー』の原作として知られる1968年の作品。日本語訳も1969年に出されている。私が購入したのはハヤカワ文庫版。
原作といえど、かなりストーリーは異なっている。映画のタイトルにもある「ブレード・ランナー」の意味合いは説明されないが、まあ刃の先を渡るような危険な仕事という意味合いなのだろうか。原作ではバウンティ・ハンター、まさしく賞金稼ぎと表現されている。電気羊というのは、人造動物であるが、タイトルになっているように、原作の中心をなす。映画ではこの手のものはほとんど出てこないが、原作では非常に重要である。地球に住む人間の多くが屋上でペットを飼っており、それが生きがいのようだ。映画の主人公と名前は同じでリック・デッカードは原作では夫婦で暮らしている。かれらが飼っていた羊が亡くなってしまい、それを忠実に再現した模造品を所有しているという設定。デッカードはアンドロイドを始末して手に入れた金を頭金に山羊を購入したり、ともかく生きた動物に対する執着は主人公に限らず非常に強い。
映画ではアンドロイドの製造会社として「タイレル」が登場するが、原作では「ローゼン」と名前が違う。ただ、主人公が心惹かれる「レイチェル」は同じ。映画では、火星から地球に来たアンドロイドの目的がタイレル社に行って寿命を延ばすということになっているが、原作ではそういう明確な目的はない。また、アンドロイドの目を作っている職人セバスチャンは、原作ではアンドロイド生産とは全く関係ない人物「イジドア」になっている。ただ、アンドロイドの一人、プリスをかくまうという点は同じである。
映画は映画で「フィルム・ノアール」などと呼ばれるようになる独自の雰囲気を出していて,重要な作品であることは間違いない。ある意味では原作の中心にある生命に関する洞察という根本のテーマについては,映画という映像による表現でできるところに限定し,小説という文字表現がもつ特有なところを大幅にカットすることであの映画が成立しているのかもしれない。ただ,記憶という部分については文字表現よりも,1968年から映画の1982年までの間に社会が獲得した技術革新,あるいは映像技術を利用して微妙に表現しているような気もする。
ともかく,原作の中心は生命,特に動物がもつ従順な生命ということになる。作中人物たちはそれに異様なまでに執着しているのだ。そして同時に宗教。原作には「マーサー教」なるものが登場する。原作と映画で共通するのは,人類が火星に植民地を築き,多くの地球人が移住しているという設定。火星でこの宗教がどうなのかは分からないが,ともかく地球に取り残された孤独な地球人たちはこの宗教にすがらずに生きることができないということになっている。この2つが原作の根底をなしている。

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