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新しい書評が掲載されました。

雑誌『現代思想』の地政学特集号ですが,こうして雑誌の書評が掲載されるのは珍しいかもしれません。まあ,以前に写真集や小説の書評も掲載していただいていますが。

成瀬 厚 2018. 栗原一樹編:いまなぜ地政学か――新しい世界地図の描き方.地理学評論 91: 162-164

 

栗原一樹編:いまなぜ地政学か――新しい世界地図の描き方(現代思想9月号第45巻第18号).青土社,2017年,246p.1,400円.

 

地理学者の多くが抱いていたと思われる疑問をタイトルにした特集が『現代思想』によって組まれた.大衆レベルにまで浸透している地政学の流行をわたしたちはどう理解したらよいのだろうか.そして,地理学徒として,今日地政学にどう立ち向かえばいいのだろうか.地理学者からも,山﨑孝史,北川眞也,柴田陽一が寄稿している本特集号から学ぶことは多い.
山﨑孝史「地政学の相貌についての覚書」は,特集ページ冒頭の対談記事に続いて掲載された.イントロダクションの役割を果たすとはいえ,ラッツェルから始まる通り一遍の教科書的解説は必要だったのだろうか.評者は近年大量に出版されている地政学関連書籍をきちんと読んでいないが,書店で手に取りパラパラとめくるだけで,そうした書籍が古典地政学の概観をしていることは知っている.中盤で検討されている京都学派の哲学者,西田幾多郎の地政学的思考については興味深いが,小牧実繁に代表される日本地政学と西田らの京都学派の関係について知りたかった.最後に「復古的,宿命論的,あるいは扇動的に『地政学』を標榜する言説には眉を顰めざるをえない」(p.38)とは書くが,説得的な批判にはなっているとは考えられなかった.
土佐弘之「地政学的言説のバックラッシュ――『閉じた世界』における不安と欲望の表出」はより明確に,反地政学を主張している.ここでは,批判地政学も丁寧に解説され,その後の展開についても「物質性の見直し,いわゆる新しい唯物論の必要性が唱えられるなど方法論をめぐる批判的な議論は,その難易度をさらに高めていく」(p.66)ととらえられている.アカデミックな反地政学の勢力が,今日高まっている古典地政学の勢力には対抗する力を有しない,という主張は悲しいながら納得してしまう.
下斗米伸夫「プーチン政治と地政学」は古典地政学への内省はなく,ロシア革命からソビエト連邦を経,現在のロシアまで,その存在を地政学的に解説したものである.
中山智香子「ジオポリティクスが媒介したヘゲモニーの推移――『アメリカの世紀』のあらわれ」は大衆地政学を意識しつつ,米国の雑誌『ライフ』に1942年に掲載された「ジオポリティクス」という小論を検討している.それは当時の米国地政学的言説に組み込まれたものでありながらも検討に値するものだという.この小論は,ランドパワーやシーパワーというこれまでの地政学の枠組みがこの時代の米国には馴染まず,空軍力という「空から見下ろす視点」(p.82)が米国を中心とした地政学に組み込まれる.
峯 陽一「『南』の地政学――アジア主義からアフラシアの交歓に向かって」は,「オルターナティブな地政学フレームを提示する思考実験」(p.89)と称し,「帝国に分割される側だった『南』の諸民族(『第三世界』に置き換えてもいい)の歴史的再興にかかわる地政学を考えてみる」(p.88)ことを目的としている.国連の人口予測のデータから,2100年までにはアジアの人口増加も停滞へと転じ,アフリカはさらなる増加を続けるという状況を確認する.すなわち,少し先の将来を見据えると,アジアとアフリカを合わせた「アフラシア」が重要となり,英語に代わるそこでの多言語コミュニケーションが「言語地政学」として考えられるべきだという.
羽根次郎「『一帯一路』構想の地政学的意義の検討」は,タイトル通り古典地政学の枠組みで近年の中国の外交政策を分析する.
末近浩太「シリア紛争の(批判的)地政学――『未完の物語』としての『シリア分割』」は近年シリア情勢について次々と発言している著者によるもので,地政学の観点を交え,わかりやすくシリア紛争を解説している.その観点とは,「シリア紛争の何をどこまで地政学で説明できて,なにがこぼれ落ちてしまうのか」(p.110)というものである.地政学は基本的に支配者側の論理だが,シリアでは「人びとによる多種多様な『地政学コード』の生成の営みがあった」(p.116)という.ここにもオルターナティブな地政学の試みがある.
中野剛志「地政経済学の射程――グローバリゼーションの終焉以降を読み解く」は『富国と強兵――地政経済学序説』(東洋経済新報社,2016年)の著者へのインタビューである.著者によれば,日本における地政学のブームは,グローバリゼーションの終焉に伴い,「おそらくアメリカに守ってもらえなくなるという事態に近づいたからで,焦って思い出した」(p.121)のだという.地政経済学とは,その著書のタイトル通り,富国という経済問題と強兵という政治問題がかつて国家間関係において強く結びついており,今日のグローバル世界でもそうであるという主張である.この著作は土佐による「経済問題をナショナリズムや地政学の枠組みに填め込もうとする地経学的な言説」(p.60)としての批判対象なのだろうか.
川久保文紀「ボーダースタディーズの生成と展開――批判地政学との接点」で,著者はボーダースタディーズを「地理学や地政学の影響を受けながら欧米で誕生を見た学際的領域」(p.126)と説明する.境界に関する研究の近年における特徴は,それを社会的構築物として捉えるということと,国民アイデンティティとの相互関係を分析することだという.
粥川準二「先端医療,生命論理,メディカルツーリズム」は最も地政学とは無縁に思える章である.ただし,医療をめぐっても各国の状況,技術や人間の移動を無視できないのは間違いない.
纐纈 厚「大陸国家日本への展望と地政学的知見の限界性――『生存圏』・『自足自給』論を中心に」は,明治期から敗戦までの時期の日本の政治軍事指導者層に地政学的見地が存在したという観点から歴史をたどる.隣国侵略は地政学に沿ったものだが,アジア太平洋戦争へと突入する時点で地政学の限界性を超え,そのことが日本の敗北を早めたという.
柴田陽一「日本における訳語『地政学』の定着過程に関する試論」は著書『帝国日本と地政学』(清文堂出版,2016年)で残された課題に取り組んでいる.それが,日本におけるGeopolitikの導入時期に用いられた訳語の整理である.丹念な文献学的検討であり,纐纈の推測を裏付ける資料ともなろう.
平田 周「なぜ空間の生産がいまだに問題なのか」は,ルフェーヴルの『空間の生産』の再読である.著者はこの本を「1976年から1978年にかけて4巻本で出版された『国家について』」(p.172)と併せて読み,そこからスケール問題を引き出している.近年のグローバル化による複合的なマルチスケールの再配置を考える際,それ以前のルフェーヴルによる議論から学ぶことは多いという.
北川眞也「地図学的理性を超える地球の潜勢力――地政学を根源的に問題化するために」は一番難解な文章である.そして,単なる学術論文ではなく,自らの執筆が反地政学な運動として,後半で意識的にルクリュを含むアナーキストの文章に言及する.著者は,支配者側の地政学的意識として地図学的理性の語を用い,それからとらえきれない存在としてテロリストの存在を論じる.
古屋 哲「主権の海と移り住む島の人びと」は日本の離島で著者が聴き取った住民の話が紹介される.その島は鹿児島県の下甑島であり,2016年に成立した「有人国境離島法」の対象地域として指定された.1953年に制定された離島振興法の国民的経済発展という目的とは異なり,「海の地政学」とも呼ぶべきものへ移行しているという.この島では江戸時代から異国船を見張る遠見番所が置かれ,明治期には陸軍省が灯台を設置する.第二次世界大戦期には軍事施設が建設され,それは米軍によって破壊されるが,戦後は米兵が駐屯し,その後自衛隊へと移管される.一方で,住民の出稼ぎによる流出,戦後の引き揚げ,中国人密航と,その地理的位置の故に歴史を左右され続けている.
猪瀬浩平「水満ちる人造湖の辺から――相模ダム開発の経験と戦後啓蒙」では,冒頭から飯塚浩二の地政学批判が論じられる.タイトル通り,舞台は相模ダムが開発された相模川上流域の与瀬なのだが,飯塚は戦時中そこに疎開していた.それは東京大学経済学部の大塚久雄の世話をするためだったといい,多くの知識人もこの地域に疎開していたという.一方で,相模ダムの工事が進み,「強制連行された朝鮮人・中国人が多数動員された」(p.214)という.その場での短い期間の経験が大塚の学説に作用し,飯塚は朝鮮半島から満州を旅した.
原山浩介「ハワイ立州の周辺にみるポリティクス」は1955年に立州したハワイをめぐって,日本語新聞『布哇タイムス』の記事をいくつか取り上げながら論じている.ハワイの立州にあたっては,共産主義問題,「人口の三分の一超を占めたハワイの日本人・日系人の立場」(p.222)および米兵として参加した日系人の存在,などが絡み合う中,「先住民を置き去りにしたまま」(p.235)議論されたという.
中田秀樹「移民の生きる毎日は『開拓』か『侵略』か――在ブラジル日本人が『二分制限法』にみた『恐日病』の世界と日本帝国の近代」は「進出(タイトルでは開拓)」と「侵略」の概念の違いを問い直す.日本政府は戦前から世界遠方に移民を送り込んだ.一方で,隣国に対しては軍事的侵略を目指して,軍人以外にも開拓移民がいた.これらは全く意味の違う移民なのか,本人たちの意識や受け入れ側の意識も含め,何が違うのかを,かつてブラジルに渡った日本人,そして近年ン来日する日系ブラジル人などの事例を交えて論じている.
市嶋典子「内戦,国家,日本語――シリアの日本語学習者の語りから」は,ラマという30代前半の女性の語りで構成されている.1970年代後半以降の日本の経済力拡大に伴って,外国での日本語学習者が増加する.その後,さまざまな組織が,各時代の要請に応じた日本語普及事業を展開し,シリアに住むラマも日本語学習者であった.しかし,2011年以降のシリア内戦により,日本人教師は国外退避となる.ラマは難民とならず,国内に留まるが,「日本語を武力に対抗する武器として,自分を守るツールとして意味づけている」(p.244)だという.
最後に,特集冒頭の伊勢崎賢治と西谷 修による討議「『非戦』のための地政学」に触れておこう.話題としては,「大国の地政学的ゲームの狭間で翻弄される『民族自決』の問題」(p.34)や中国経済によるアフリカの支配(p.37),テロとの戦争,戦争の「民営化」(p.47)やロボット化,など多岐にわたる.2人は現代世界をどうにかしたいという共通認識を持ち,ようやく最後にタイトルにある「非戦(平和ではなく)」へと収斂する.しかし,地政学そのものを批判する意図はなく,むしろ地政学的思考は必要なものだとみなしているように思われる.「地政学」という言葉は数か所で使用されるが,その内実は確たるものではなく,かれらの議論はこの語がなくても成立する.
以上みてきたように,事例としては日本に関わるものが多いが,ロシア,アメリカ,アフラシア,中国,シリア,ハワイなどの話題が提供され,この特集号を通読すると世界情勢についての一定の知識を得ることができる.地政学に対する態度は多様である.古典地政学の観点から現代世界情勢を解読する者,オートゥーホールの20年前の著作に寄りながら批判地政学を解説する者,オルターナティブな地政学を模索する者,こうした複数の立場が混在するのは,雑誌という媒体としては好ましいといえる.
地政学が地理学より知名度を増そうとしている昨今,社会的には地理学者にもそうした知識や発言を要求される場面が訪れよう.

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