« 2018年6月 | トップページ | 2018年8月 »

2018年7月

領土・権威・諸権利

サスキア・サッセン著,伊藤 茂訳 2011. 『領土・権威・諸権利――グローバリゼーション・スタディーズの現在』明石書店,524p.5,800円.

 

最近,リスケーリングという言葉が一部で流行っている。サッセンの研究はようやく最近になって読み始めているが,本書はそうしたリスケーリング論で取り上げられることも多いので読むことにした。スケールの大きい本で大著であり,その途中に先日紹介した英文の報告書を読んだり,レポートの採点などもあり,読了するのに時間がかかってしまった。

1章 はじめに
1部 ナショナルなものの集合
 第2章 ナショナルなものの構成の際の領土・権威・諸権利
 第3章 帝国地理を基礎としたナショナルなポリティカルエコノミーの集合
2部 ナショナルなものの脱集合
 第4章 転回点――新たな組織化論理に向けて
 第5章 脱ナショナル化する国家のアジェンダと民営化される規範形成
 第6章 政治的メンバーシップをめぐる基本的テーマ――ナショナルな国家との今日の変化する関係
3部 グローバルなデジタル時代の集合
 第7章 デジタルネットワーク,国家の権威,政治
 第8章 混成的な時間-空間秩序の集合――理論化のための諸要素
 第9章 結論

サッセンの本にはいつも驚かされる。正直,『グローバル・シティ』を読んだ時には彼女のすごさをそれほど感じなかったのだが,冊数を重ねるごとにその関心の広さに感嘆してしまう。本書は,副題にあるようにグローバリゼーション研究における根本的な欠陥を指摘することを出発点としている。それは,グローバルとナショナルを対比させることの誤りである。
それを正すために,本書では歴史の再検討を含んでいる。参考文献にはアブー=ルゴドの『ヨーロッパ覇権以前』も含まれるが,都市研究も手掛けるアブー=ルゴドとサッセンは世界都市に関するシンポジウムでも顔を合わせており,親しいのかもしれない。そして,この本から影響を受けているのかもしれない。
第2章では,国民国家成立以前の中世における領土を考察するために,11-12世紀におけるフランスのカペー朝を検討している。私も地名研究で,日本の国内領土の政治的区分が,現在の一筆書き境界とその連続的空間へと移行する歴史的過程を詳細に知りたいと思っているのだが,サッセンの本章の目的はそれに近いのかもしれない。本書の一つのテーマが領土であり,他のテーマ権威と諸権利を主権にかかわるものだと解釈すれば,連続的領土を基礎とした主権国家を自明なものとしない手続きとして捉えることもできる。
続く第3章は「帝国地理」と題して,イギリスが議論される。この帝国は隣国のオランダやフランスと競合し,国内としてはスコットランドを併合する。もちろん,その競合はグローバルに展開する植民地をめぐってだ。本書前半ではウォーラーステインがかなり登場する。第3章の最後にはその植民地から登場したアメリカ合衆国の存在が議論される。
領土,権威,諸権利の三つ巴をTARと略し
議論は,能力(capabilities),転回点(tipping points),組織化論理(organizing logics)という三つ巴の観点から論じられる。転回点と題された第4章ではブレトンウッズ体制について議論されているが,残念ながら私の知識が足りず,追い付けない。ただし,これはサッセンのいうグローバリゼーションの大きな原動力である金融分野の基本であり,本書のその後の理解にも大きく影響する。第4章の終わりにつけられた付表がまた興味深い。私的にはこの「組織化論理」という観点が重要だと感じた。ナショナルなものを超えたグローバルなもの。それは国際組織であり,国際法である。国内においては,国家がつかさどっていた公的なものが私的なものに移行される。または私的なものを公的なものが取り締まる。付表で示されているのは,アメリカ合衆国における機密情報に関する事実だ。
ちなみに本書でよく使われる「集合」という言葉はassemblagesの訳で,原著では副題にも使用されている。第5章では法と経済の国内とグローバル,公的と私的の関係が議論される。第6章のタイトルでは「政治的メンバーシップ」とあるが,シティズンシップに関する議論が展開される。
第3部ではデジタル時代の話ということで,コンピュータネットワークの技術と国家との関係が論じられるが,よくあるグローバリゼーション論とやはり一線を画した興味深い議論になっている。そうした技術の肯定派でもなく一方的な批判派でもなく,サッセンの立場は複雑で捉えがたいが,そこにさらに金融に関する話が展開されるので,理解が追い付かないというのが正直なところ。しかし,まさにそのことがグローバル市場という私たちの身近でないところで規模で起こっている現象の本質だといえるのであろうか。冒頭にリスケーリングの話をしたが,この辺りでスケールに関する議論も展開されている。第9章ではありがたいことに,この大著のまとめがなされているが,まとめを読めば理解できるというわけでもない。ともかく,一読で理解できるような本ではないので,また機会を見つけ読み返すことにしよう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

Fair Play for Housing Right

Center on Housing Right and Eviction (COHRE) ed. 2007. Fair Play for Housing Right: Mega-Events, Olympic Games and Housing Rights. Geneva: COHRE.

 

本書はオリンピック関係の文献でよく引かれるもので,COHREという国際NGO団体が出版し,ウェブサイトを通して無料で配布されている。「居住権と立ち退きに関するセンター」という名前からも分かるように,人権の一つとしての居住権に関する世界的な調査・研究を行っている機関である。
オリンピックや万博などの世界的なメガイベントの開催に伴って,開催都市において大規模な開発が行われ,その土地の居住者は立ち退きを強いられるというのはよく知られている。その実態を継続的に調査し,報告している。本書は1988年のソウル大会から,出版当時予定されていた2008
年北京大会,計画されていた2012年のロンドン大会までの夏季大会の事例研究に基づいて,それを総括する内容である。
本書の企画出版はジュネーヴ国際学術ネットワークなる団体から支援を受け,国連とも関係し,ジュネーヴの建築大学やトロント大学,ニューヨーク法科大学,ウィスコンシン州メディソン大学などが参加しているとのこと。

略語一覧
謝辞
序文
概要
I
はじめに
 1.方法論
 2.国際オリンピック委員会との関連
II
メガイベントと居住の権利
 1.メガイベントとその居住へのインパクト
 2.メガイベント誘致と計画における最善の実践
 3.メガイベントに適用可能な人権法の枠組み
 4.メガイベントと居住権に関する結論
III
オリンピック運動の事例
 1.オリンピック運動の原則と住宅関連への関与
 2.人権標準との適合
 3.人権からのアプローチ
 4.開催都市の選挙過程および居住へのオリンピック大会のインパクト:原則は現実と一致しているか?
 5.オリンピック大会が与える現地居住への負のインパクトに対する責任説明
 6.オリンピック運動の過程に対して考慮すべき居住権を含む結論と勧告
IV
 オリンピック大会と居住権の研究
 1.オリンピック大会の演出:居住権に関連する共通の特徴
 2.オリンピック開催都市の20年の経験
  2.1 ソウル(1988年)
  2.2 バルセロナ(1992年)
  2.3 アトランタ(1996年)
  2.4 シドニー(2000年)
  2.5 アテネ(2004年)
  2.6 北京(2008年)
  2.7 ロンドン(2012年)
 3.オリンピック誘致と準備における居住の最善の実践
 4.根拠の要約:オリンピック大会とその居住権享有へのインパクト
V
結論と勧告:居住権を保護し訴えるための「オリンピック」の機会と「メガ」可能性
 1.結論
 2.勧告
VI
 メガイベントおよび居住権の保護と訴えに関する複数利害関係者の手引き
 1.概観
 2. メガイベントおよび居住権の保護と訴えに関する複数利害関係者の手引き
オリンピック大会および他のメガイベントの居住へのインパクトに関する概略表
文献表
 メガイベントと居住に関する資料
 法的文書および条約・協定
付属書I:用語集
付属書II:居住権に関する法的資料

細かい内容はともかく,IIを読むだけでも得ることは多い。IIではオリンピックに限らず,世界中の多くのメガイベント開催に伴って,多くの人が家を追われ,立ち退きを強いられている事実が報告される。その対象となる人の多くが低所得者であり,エスニック・マイノリティであり,ホームレスである。実際にイベントに必要な施設の建設用地だけではなく,そのイベントによって国際的な観光客インバウンドを見込んでいるため,その周辺の美化も含め,そうした低所得者層が目障りとして追い出されるのだ。オリンピックの他,万博やワールドカップといった文化的イベント,スポーツイベントだけでなく,本書でよく登場するのはIMF/国際銀行の会議である。それらは政治的イベントと分類されている。そして,本書の特徴は単なる学術調査の報告だけでなく,ではそういう居住権の侵害をなくすためにはどうしたらよいかの指針や手引きを示すことにもある。
IIIでは,本書でいうところの居住権(Housing Rights)が丁寧に説明される。まずは,人権の内容における居住の問題が整理される。また一方で,オリンピック大会の原則のなかで居住に関する扱いを確認する。そして,そのオリンピック運動の原則が居住権を遵守しているかが確認されるが,もちろん近年のオリンピックでも(2020年東京大会を含め)立ち退きの事例はなくなっていないので,居住権は最優先事項とはされていない。
IVでは,1988年のソウル大会から,まだ準備期間であった2012年ロンドン大会まで,夏季オリンピックの事例が紹介される。COHREでは,これら7大会分の報告は別途出版されていて,ここではそれらに基づいて概要をまとめている。細かい内容までは忘れてしまったが,2020年の東京大会と比較的に通った状況なのはバルセロナ大会のようだ。ロンドンを始めとする多くの都市では,都心部のインナーシティのような地区の再開発をオリンピックという景気を利用して推進するということだが,バルセロナ,そして東京は湾岸地域の開発が中心となっている。アテネではロマ族のような少数民族,そして移動生活を基礎とする民族が立ち退きの対象となる。またホームレスは犯罪化とされる。これまで黙認していたホームレスを取り締まり,居住していた場所から排除するということだ。また,「美化」ということもあり,オリンピックはテレビ中継による放映により,その街が全世界的にまなざしの対象となるため,ホスト都市はそれに恥じないような風景を作り出す。その風景の汚点となるべき存在を取り除くというのが美化であり,それには古びた低所得者向け住居や路上生活者が排除の対象となる。
本書は実情の報告だけでなく,それに向けてどう対処したらよいのかのガイドラインを示すことがむしろ中心である。正直言って,これだけの調査に基づいて,具体的な方策を示しているのだから,これを利用しない理由が分からない。日本オリンピック委員会(JOC)はこの報告書の存在を知らないのであろうか。国際オリンピック委員会(IOC)は当然知っていて意図的に無視しているのだろうが,この団体COHREは何もIOCを批判したり,アンチ五輪を掲げているわけではない。基本的な人権を守るにはどうしたらよいのかを真摯に考え,提言しているにすぎない。こうした正統な声がなぜ政策に反映されないのか,不思議で仕方がない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

48歳になりました。

2018714(土)

新宿武蔵野館 『ルームロンダリング
3
連休のうち,2日は妻が出勤で子どもたちの面倒をみなくてはいけないので,1日は一人で行動させてもらった。最近は映画の情報にも疎いので,1本観ていいとなると,何を観るかから情報を集めるのが大変だ。とりあえず,この日はTOHOシネマズデーなので,日比谷シャンテなどを当たってみたが,イマイチだったので,今度はシネマカリテ。こちらは何やら映画祭をやっているとのことで,そのつながりで武蔵野館。オダギリジョーも出ている面白そうな作品がありました。この日初日を迎えていた『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』も魅力的だったが,舞台挨拶付きだったのでパス。
主演の池田エライザは全く知らなかったが,ともかくこの女優の魅力にやられた映画。主人公の女の子がほとんど笑わない,こういうのがいいんですよね。まあ,わきを固めるオダギリジョー,田口トモロヲ,渋川清彦などはいつも通りの配役で物足りないといえば物足りないが,主人公の母親役でつみきみほが出演していたのが嬉しい。西川美和監督の長編処女作『蛇イチゴ』ももう15年前ですから,つみきみほさんも歳を取るはずだ。
脚本もなかなかいいですね。
とはいえ,一つ気になったこと。作品中に登場する2台の携帯電話がいずれも折り畳み式であるところ。撮影がだいぶ前なのか,演出上スマートフォンを避けたのか,いずれにせよ気になる。

2018716(月,祝)

府中TOHOシネマズ 『劇場版ポケットモンスター みんなの物語
今頃だが,7歳の息子がポケモンをよく観ている。テレビのないわが家ではHuluの動画でアニメを魅せているのだが,最新の「サン&ムーン」の過去の動画がすべて観終わってしまった今,初期のアニメを見始めている。長男が観れば,当然3歳の長女も観るわけで,長男が映画を観たいといえば,長女もついてくる。ということで,初めて自分の席で観させることになりました。
ところで,前にも書いた気がしますが,特定のマンガ=アニメ作品の膨張というのはいつからみられる現象なのでしょうか?以前は藤子不二雄の「ドラえもん」と,作者と作品とは切り離せないものでしたが,もちろんこのドラえもんにせよ,作者が死んでからも作品が生き続ける。そして,近年(に限らずかも)作者が存命中から作品が拡張しすぎ,作者名はあまり知らないような状況が多くみられるような気もする。このポケモンに関してもどうなのか?
ともかく,毎シーズンのように公開される映画に関しては,脚本や監督は原作者の手を離れているようだ。本作も「マサラタウンのさとしとピカチュー」という組み合わせだけは絶対的中心だが,他は作品の設定だけのような気もする。しかも,さとしが主人公ですらない。
映画版の声優にはやはりいろいろゲストが参加している。私的に嬉しかったのは野沢雅子さんの声が聴けたこと。まさにわれわれ世代の俳優さんですからね。それから,濱田岳君も重要な役どころで出演していた。物語的には彼が主人公のようなものか。しかし,最後はヒーロー的な扱いになったが,元はといえば彼に落ち度があったわけで,またロケット団の行為も許せるものではないが,それがうやむやにされてしまっているというのは,子どもに対する教育上いいのかということを思ったりもする。まあ,ともかく近年の社会通念的に多様性を賛美するという意味での「みんなの物語」なのだろう。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

石の叫びに耳を澄ます

板垣雄三 1992. 石の叫びに耳を澄ます――中東和平の探索』平凡社,443p.3200円.

 

サイード『パレスチナ問題』の日本語訳につけられた一枚の地図は本書から取られたものだった。いわずとしれた日本におけるパレスチナ研究の第一人者は長らく東京経済大学にいたということもあり,直接の関わり合いは全くないものの,そこで非常勤をする身としてきちんと読んでおきたかった1冊。

遭遇のおどろき
概念化
構造をとらえる
移りゆく視点
 Ⅰ パレスチナ民族主義の出現 1967年:6日戦争~
 Ⅱ 挑戦を受ける国際政治 1970年:黒い9月~
 Ⅲ 国際政治主体として自己主張するPLO 1973年:10月戦争~
 Ⅳ アラブの殺し合い,PLO封殺の照準 1975年:レバノン内戦開始~
 Ⅴ 重包囲下のパレスチナ人 1978年:キャンプデービッド合意とイラン革命~
 Ⅵ PLOに退路はあるか 1982年:レバノン戦争,そしてイ・イ戦争の転機~
 Ⅶ 奈落の底に活路を求める 1985年:アンマン合意,キャンプ絶滅戦争~
 Ⅷ 中東和平への前進 1988年:パレスチナ独立宣言=PLOのイスラエル認知~
 Ⅸ ラクダは針の穴を通り抜けられるか 1991年:湾岸戦争,そして中東和平国際会議~

前半は比較的新しく書かれたものだが,「移りゆく視点」は1967年からほぼ書かれた順に並べられ,出版年の1992年に発表された文章までが収められている。サイードの『オリエンタリズム』を早くに出版した平凡社から出されている。
本書を読んで,日本でも早くからパレスチナ問題については著者によって訴えられておりながら,その正当な主張は日本社会のなかでまともには受け入れられていなかったようで,著者のもどかしさを感じられる。サイードの『イスラム報道』などで知るほど,日本における中東報道,イスラム報道は基礎があるわけではないため,欧米の状況とは異なり,まさに日本では他人事としてまともに扱われなかったというのが正直なところだろうか。
ともかく,著者の視点は非常に鋭く,自身がパレスチナ人であるサイードともひけを取らないように私には感じる。確かに,本書はまとめて執筆されたものではなく,一つ一つの事柄を一から丁寧に説明しておらず,私のような著者は知識不足で消化不良の個所もあるし,また複数の媒体に発表された文章が収録されていることもあり,重複している箇所もある。しかし,なによりも学術書でないことが著者の感情というか,憤りを強く感じさせる文章となっていて,刺激的な読書であった。単著としての学術書は少ないようだが,学術論文でも探して,継続的に読んでいきたいと思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

地図の進化論

若林芳樹 2018. 『地図の進化論――地理空間情報と人間の未来』創元社,239p.1800円.

 

著者は私の大学院時代の指導教官。日本の地理学における認知地図研究の第一人者。地理学にとどまらない地図学という領域があるが,認知地図研究が地図学に位置づくかどうかは分からないが,いずれにせよ広義の地図に関わるということもあり,最近国際地図学会という組織での活動もされているとのこと。認知地図研究については,1999年に『認知地図の空間分析』という著書でまとめたこともあり,その後は地図全般に関心を広げ(もちろん,以前から共同研究という形も含め多方面の研究成果があります),その成果を一般書としてまとめたのが本書。

序章 いまどこ・いまここ・ここはどこ
第1部 地図の今昔
 第1章 地図の起源を訪ねて
 第2章 地図の万華鏡
 第3章 地図の読み書き
第2部 地図を通して知る世界
 第4章 「地図が読めない女」の真相
 第5章 頭のなかにも地図がある
 第6章 空間的思考と地図
第3部 地理空間情報と人間
 第7章 デジタル化が変えた地図作り
 第8章 それでも世界の中心は私
 第9章 デジタル地図の未来予想図
 終章 進化する地図と人間の未来

指導教官としての付き合いは6年に及びましたが,今から思うとそんなにお互い深く知りあうような関係ではなかった気がします。そんなながらも,自分の研究にはとても厳しく,多方面で知識と関心は有しながらも,それを安易には公言しない,という印象はとても強いです。ということもあり,私の専門的研究についても,多少の議論はしても高圧的な指導はありませんでした。
そんな彼が一般書を書くということがどういうことになるのか,興味を抱きながら読み始めた次第。タイトルからして,彼らしくない雰囲気があるのですが,こうして目次を書き出しても,思い切ったタイトルをつけているような気もします。副題のある地理空間情報とは,GIS(地理情報システム)を含めたものですが,地理学が期待を込めて進めている新しい技術に対してはかつてから批判があり,批判GISなど呼ばれているが,もちろん著者はその動向にも詳しい。また,それも含めて広く批判地図学という動向もあるわけだが,本書ではそういう批判的な意見には全く触れていない。本書が一般書である以上,積極的に地図の新しい技術を社会の中で活用していくというスタンスに貫かれている。
とはいえ,第4章のタイトルにもある通り,一時期話題になった『話を聞かない男,地図の読めない女』というような書籍に対して,著者の学術的見地から,確かにそういう側面はあるがそれだけではなく,事態はもっと複雑であるということを主張する。私が個人的に気になったのはこの大胆なタイトルだが,「進化論」という表現に対しては特に細かい議論はなかった。私の息子は,最近デュエルマスターズというカードゲームや,今更ながらポケットモンスターにはまっているのだが,そうした子ども向けマンガ(アニメ,ゲーム)では「進化」というワードがよく使用されている。本来の生物学的進化とは突然変異も大きなきっかけの一つだが,数世代かけて達成されるもので,基本的には個々の進化が人間によって同時代的に観察されたわけではない。しかし,そうした作品では,個体が進化を遂げるのだ。それは本来昆虫などによくある「変態」だと思うのだが,まあそういう意味合いで使われている。本書のタイトルもそういう一般的な理解に依存しており,また副題にある「人間の未来」という意味合いについても,ポスト・ヒューマン論のようなものを受けているわけではない。著者は地図というものが人間の生活に欠かせないものであり,その形態が変化することは,人間の生活の一側面が大きく変わり,またその技術進歩が人々の地図への依存度をより高め,それが故に地図を扱う地理学の活躍する可能性が未来に向けて広がっている,そんな楽観的な方向性を見出すことができる。

| | コメント (1) | トラックバック (0)

« 2018年6月 | トップページ | 2018年8月 »