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俗都市化

フランセスク・ムニョス著,竹中克行・笹野益生訳 2013. 『俗都市化――ありふれた景観 グローバルな場所』昭和堂,258p.4,000円.

 

本書は,スペインの地理学者による都市論である。それをスペイン研究を専門とする日本の地理学者が翻訳した。しかし,私は本書の翻訳・出版については知らず,『地理学評論』に掲載された荒又美陽さんによる書評(2014年,874号)でその存在を知った。その後,著者はオリンピック関係の英語論文も書いていることを知り,その都市理論がどんなものかを把握するために読むことにした。

序 空間的フォーマットとそれを支えるダイナミズム(サスキア・サッセン)
日本語版はしがき
俗都市化とは
第1章 解体途上にある1000の地域
第2章 多重化都市,テリトリアンの都市
第3章 俗都市化
第4章 俗都市化の四つの道程
 交換される都市――ロンドン
 ロゴ都市――ベルリン
 引き裂かれる都市――ブエノスアイレス
 ブランド都市――バルセロナ
第5章 「俗景観」,俗都市化の景観
終章 「俗都市化」に抗う
訳者あとがき

目次にあるように,サッセンが序文を書いている。「差異のマネジメントから出発して,結果的に共通の景観を生み出すにいたるダイナミズムである。私自身は,このプロセスを扱った英語文献を目にしたことがない。」(p.ii)と絶賛している。まあ,著名な著者による序文が広告文のようなものだから,絶賛するのが当たり前だが,それなりの期待を込めて読み始めた。
本書における経験的事例の提示や,個々の詳細の論理があって本書が成立していて,そのやり方は説得的なものだと思うが,行きつくところは少し残念だった。過去でいえばレルフの『場所の現象学』,日本でいえば松原隆一郎の語り口とよく似ている。かつての個別の都市の論理で生じた郊外化を代表とする都市化ではなく,近年の世界的ネットワークによるグローバル化に伴う都市化は「平俗banal」なものを拡散しているという結論である。
もちろん,1970年代のレルフをはじめ,ボードリヤールやドゥボールの議論に基づく点は日本における1980年代の都市(記号)論をほうふつとさせるが,その後の都市論としてのハーヴェイやソジャ,カステルの都市論,スミスのジェントリフィケーション論,オジェの「非・場所」論などの新しいところも参照されていて,過去の議論が今日においてもある意味別の文脈で成立することを確認できる。本書では引用されていないが,ディズニー化の議論などにも共通するのだろうか。
最後に,本書における経験的分析について書いておきたい。本書はあらゆる都市について断片的に語るのではなく,ロンドン,ベルリン,バルセロナ,ブエノスアイレスという4つの都市に集中して論じている。そういった意味においては雑多な印象は受けないのだが,やはりどこか違和感を抱くのだ。まあ,研究者視点の都市論なんてこんなものだといえばそれまでなのだが,ここでいう「経験的」分析とは,どういう経験なのだろうか。私は40年以上東京都市圏で生活し,東京都民になってからも20年近い。とはいえ,東京西郊に居住し,現在は都心部に通勤しているが,年数は長くない。私は都市居住者である一方で,本書のいうところの「テリトリアン」だ。この言葉を私はバルトの「都市使用者」から借りて使っているが,消費者,あるいは旅行者として都市を利用する者のことをいう。自身の研究でいえば,代官山や下北沢という東京内部の「街」についてはある程度語ることができるが,それも特定の目的で「利用」している側面のみであり,またある特定の「時期」だけである。現在居住している日野市や過去に居住していた調布市や府中市という「町」についてもある程度語ることができるが,それも限定的だ。特に,日野市では持ち家を得て,子どもたちを地元の教育機関に通わせるという一般的なライフステージを得ることで,永住するような覚悟が私に芽生えた。そのおかげで,初めて一般的な地域への関わりの意思を持ったわけだが,それでもこの行政区画について知らないことが多すぎる。どこまで関われば,その土地について知っていると自信を持っていうことができるのだろうか。そういうことを考えさせられる読書であった。
最後にテリトリアンについても書いておこう。私は全般的な意識として,居住しているという属性が,その土地に対する関わり方の最優先であるという考え方に疑問を抱いている。下北沢の再開発反対運動にあったように,そうした運動は住民運動でなければならない理由はない。別の場所に居住していながら働いているでもなく,遊びに来ているだけという場所との関わり方がある。通常,そういう関わり合い方は一時的であり,二次的であるとみなされる。でも,場合によっては住んでいるといったって,寝に帰るだけで,活動時間の大半を別の場所で過ごすという生活も多いはずだ。そういう意味でも,本書がテリトリアンという存在に着目するのは素晴らしい。しかし,本書の語り口はやはりそういう人の関わり合いは一時的で二次的で,そういう消費者・旅行者のために都市が造られるというのはおかしい,だからこそ都市景観が似通ったものになるのだ,という論調のように思える。やはり大衆を一括りにして軽視する1980年代の消費文化論と似てなくもない。

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