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2018年11月

民族と帝国

アンソニー・バグデン著,猪原えり子訳 2006. 『民族と帝国』ランダムハウス講談社,253p.1,900円.

 

吉祥寺の古書店「百年」で購入した一冊。大きなテーマだがコンパクトな一冊。監訳をした立石博高という人物が巻末に解説を書いているが,そのなかに,本書の原著者が著名であるにもかかわらず日本ではあまり紹介されていないとあったため,購入してみることにした。原著はランダムハウスから出版されたわけではないが,かなり一般読者を対象としたもののようで,参考文献は一切示されていない。日本語版出版に際し,「日本語版読者のためのブックガイド」が掲載されている。著者のバグデンの専門はスペイン帝国によるラテンアメリカ植民地支配とのこと。

序章 二つの旅
第一章 世界を最初に征服した者
第二章 ローマ人の帝国
第三章 世界帝国を求めて
第四章 大洋の征服
第五章 キリスト教と帝国の拡大
第六章 イベリア半島世界の衰退
第七章 自由の帝国,交易の帝国
第八章 奴隷制
第九章 最後のフロンティア
第十章 帝国,人種,国民
第十一章 おわりに

ちなみに,原著タイトルは「Peoples and Empires」となっており,エスニックという意味での民族をテーマにしているわけではない。一応,本書はヨーロッパを中心とした帝国を扱うが,時代的には古代からなので,帝国によって支配される人々のことを固定した呼称で呼ぶことができない。むしろ,時代によって,個別の帝国によってその支配下にあった人々の様子(最終的には国民)がどうであったかを論じることも本書の大きなテーマである。
ということで,私は古代の帝国のあり方についてほとんど知識がなく,高校の世界史の教科書レベルを字面で追うくらいのことしかやってこなかったので,本書から学ぶことは多かった。ただ,ここで具体的に何を学んだと書き残すことは,壮大なる時間の流れをコンパクトな一冊にまとめられているために難しい。訳本につけられたブックガイドに従って少しずつ読み重ねることで理解を深めていこう。そして,ネグリ・ハートの『帝国』にたどり着きたい。日本であまり紹介されない研究者の著作は,やはり残念な読後感となってしまうこともあるが,本書に関してはむしろお得感があった。古書店で偶然見つける本書のような本との出会いが小さな幸せである。

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ギュスターヴ・クールベ

ファブリス・マザネス著,Akase, K.2007. 『ギュスターヴ・クールベ』Taschen96p.1,500円.

 

Taschenはドイツの美術系出版社で,本書は外国で出版された著作を日本の出版社で翻訳・出版したものではない。美術系はけっこう出版界での多国籍化が進んでいるように思う。それはそれで印刷の質とかの点ではいいっことかと思うが,書誌情報に関しては日本の慣例とは違っていたりして,困ることもある。
ちなみに,本書の内容は図版的なものです。とはいえ,著者名がきちんと表紙に掲載されていることもあり,本文は決して長くありませんが,しっかりした内容です。

折衷主義
名声,それとも絵画への一途な愛
最初の栄光に至るまで
シリーズの制作
終章:オルナンの巨匠の遺産
年譜

先日紹介した坂崎 坦『クールベ』(岩波新書)と比べて,クールベの印象が大きく変わることはなかったが,やはり異なる情報や捉え方の異なる点もあった。そういう意味でも,やはり1冊の自伝で理解したつもりになってはいけない。クールベが自画像を多く書いた音は坂崎も指摘していたが,本書はその表現内容も含めて説得的な解釈を展開している。また,クールベ自身が被写体となった写真もいくつか掲載されている。また,先人の作品からの影響についても,その図版をカラーで掲載して分かりやすく説明されている。クールベの画法は「写実主義」と評されることが多いが,この言葉自体がかなりあいまいなもので,目の前のモデルを写実的に描きながらも題材は非現実的な場面を描く作品もあるが,クールベはそうではない。一方ではプルードンのような社会運動家との交友から,クールベの作品から社会主義的な思想を読み取る場合もあるが,それに関しては,坂崎も本書も全面的には同意していない。本書の場合はいくつもの要素を併せ持った「折衷主義」と表現している。また,クールベが女性のヌードを多く描いたことは坂崎にもあったが,女性の陰部を中心に描いた「世界の起源」(1866年)という作品があるのは少し驚きだった。

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追悼,大杉 漣

20181021日(日)

立川シネマシティ 『教誨師』
樹木希林に続いて,先日亡くなった大杉 漣の主演作を観る。監督は,西島秀俊が刑務官を演じた『休暇』(2007年)で脚本を務めていたという左向 大。この作品は観た記憶があるが,本作も死刑囚に寄り添う聖職者を描く。登場するのは6人の死刑囚,舞台は拘置所の一室。冒頭で,死刑囚は刑務所ではなく拘置所でその時を待つという事実を知らされる。まあ,それはともかく,俳優冥利に尽きる舞台設定。私は大杉 漣さんに深い思い入れはないが,こうして彼の姿をじっくり観られる作品を最期に残したというのは幸せな俳優人生だと思うし,ファンにとっても彼を失ったことは残念だが,この作品が残されたことの意味は大きいと思う。大阪のおばちゃんを演じる烏丸せつこの演技はすごい。
http://kyoukaishi-movie.com/

 

20181111日(日)

調布シアタス 『体操しようよ』
わが家の朝はNHKラジオで始まる。大抵,子どもたちを起こした後に流れているのが6:30の「ラジオ体操」。ピアノ演奏の幅しげみさんと体操の多胡肇さんの名前も覚えているくらいだが,この2人の名前,クレジットにしっかりと上がっていました。
さて,主人公は草刈正雄。鉛筆メーカーで定年を迎えた男性。退職の飲み会でのスピーチは誰も聞いておらず,若い人々はただの飲み会を楽しんでいる。38年間無遅刻無欠勤,自分で「唯一の特技は,与えられたルールをきちんと守ること」。十数年前に妻を亡くし,木村文乃演じる娘が彼の世話をしている。定年退職を機に,「専業主婦を卒業します。今日からお父さんが専業主婦です。週休0日,月給0円」という手紙を突き付ける。
予告編から,家族関係をコメディタッチで描く作品であることは分かったが,なんとも出演者が素晴らしいのだ。特に体操会のメンバー。会長はきたろう,模範体操をする徳井優,『川の底からこんにちは』で忘れられない稲川実千代,『ヒメアノ~ル』で印象的だった山田真歩など,地味な俳優がいい味を出しています。
ヒロインは和久井映見。こういう作品世界に入ると魅力的です。父娘の物語ということで,ベタなセリフも多いのですが,涙腺が緩みます。ちなみに,木村文乃は『ポテチ』で好きになったものの,意外に出演作を観ていない作品。最近では,玉木 宏との賃貸住宅のCMで見るくらいだが,この頃の髪型がどうにもしっくりこない。この映画を観ている間に多少は見慣れたが,やはり彼女は長い方が似合うのか,いやそうではないと思うが,ちょっと違った髪形を見てみたい。
http://taiso-movie.com/

 

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クールベ

坂崎 坦 1976. 『クールベ』岩波書店,210p.230円.

 

今,国立西洋美術館で「リヒター/クールベ」という展示をやっている。といっても,リヒターの2003年の風景作品と,リヒターが自室にこの作品の隣に展示しているというクールベの風景作品(1873年)とを並べて展示するという小企画。リヒターについて,2013年の論文で私が触れたこともあり,今度研究者仲間でこの展示を観に行く前に,私がレクチャーをすることになった。クールベについてはあまり知らないので,いくつか知識をつけておこうと購入したもの。

第一章 卑俗の礼賛
第二章 「オルナンの埋葬」――「村の娘達」
第三章 「水浴の女達」――「遭遇」
第四章 「画家のアトリエ」――「会議の帰途」
第五章 「鹿のかくれ場」――「荒れる海」
第六章 「おうむと女」――「ねむり」
第七章 精励・探究・反省
第八章 栄光と失意
付録・クールベ覚え書
クールベ年表
あとがき

本書は岩波新書の一冊だが,良くも悪くもかつての新書らしい内容。まず,参考文献の類は全く示されていない。ギュスターヴ・クールベ(1819-1877)は19世紀のフランス画家だが,本書は自伝的な内容を基軸にして,その作家人生の時代ごとに代表的な作品について,その顛末を順に並べるといったもの。非常に因襲的な書き方で,そうした因習的な構成になれている私のような読者には読みやすい。しかし,近年の美術批評や美術史の分野から刺激を受けている身としては,かなり物足りない。
ただ,今回はほとんど知識のない画家について知ることが目的だから,その目的は十分に達せられた。私の気になるところとしては,現代に生きるドイツの画家ゲルハルト・リヒターとの共通点だが,それはいくつかあった。まず,クールベが「等身大」で絵画を描いていたということだ。リヒターの作品のいくつかも等身大で描かれている。また,両者とも葬儀を描いた代表的な作品があること。また,両者とも多くの風景画を描いていること。とりあえずはこんなところだろうか。それにしても,こうした後世に名を残す人物は波乱万丈な人生を歩むものなのだな。あるいは,偉人を常人とは異なるものであるかのように描くのが後世の者に課された使命なのだろうか。

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私はどうして地理学者になったのか

新しい書評が出ました。『人文地理』での初めての掲載です。

成瀬 厚 2018. シルヴァン・アルマン編,荒又美陽・立見淳哉訳:私はどうして地理学者になったのか.人文地理 70: 414-415

 

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シルヴァン・アルマン編,荒又美陽・立見淳哉訳『私はどうして地理学者になったのか』学文社,2017年,vi247頁,2,300円+税,ISBN978-4-7620-2739-0

 

社会のなかで一定以上の評価のある学問分野で著名になった研究者には,自伝について語る機会が与えられる。残念ながら世界的にみても地理学についてはそのような機会が与えられることが少ないのか,インタビューなどの手法により主たる研究者の自伝を記録することが行われてきた。アン・バッティマーによる1983年の『The Practice of Geography』,竹内啓一・正井泰夫による1986年の『地理学を学ぶ』,グールドとピッツによる2002年の『Geographical Voices』,ハバード,キッチン,ヴァレンタインによる2004年の『Key Thinkers on Space and Place』などがその代表例といえる。
本書もそうした系譜に入れることができる内容を有している。上記の例において,そのほとんどの編著者自身が地理学史的関心を有する優れた地理学者であったのに対し,本書はそうではない。訳書につけられた編者紹介には,本書を含む『私はどうして…』シリーズの監修者となっており,「ジャーナリスト」という肩書になっている。歴史学の修士を取得しているが,地理学を専門とするわけではない。出版社のウェブサイトによれば,このシリーズは2007年から2009年にかけて,化学,地理学,哲学,経済学,幾何学,心理学,民族学,ジャーナリズムの8冊が出版されている。そのうち,アルマン自身が編集しているのが,ジャーナリズムと地理学の2冊であり,編者は地理学に対して思い入れがあるのかもしれない。
冒頭の「はじめに」では,12ページにわたって地理学の紹介がなされている。本書がシリーズものの1冊であることを考えれば,当該分野の紹介があるのは当然だが,コンパクトでありながら有り体の記述による地理学紹介ではない。学説的な内容まではあまり踏み込んでいないものの,フンボルトやブラーシュをしっかりとその軸に据えながら,冒頭にラコストを登場させ,ルクリュをその歴史に位置づける。現代についても『地理学者目録』に掲載された2,000人の地理学者を「専門家か実践家」という観点で区分し,学生数についても言及している。
本書に登場する地理学者は12人である。原著ではアルファベット順に並べられているものを,訳書では生年の早い順に変更している(「訳者あとがき」による)。12人の名前と生年は以下のとおりである。ざっと,36年の世代差があることが分かる。

ロジェ・ブリュネ(1931年トゥールーズ生)
ポール・クラヴァル(1932年ムードン生)
アルマン・フレモン(1933年ルアーヴル生)
オギュスタン・ベルク(1942年ラバト生)
イヴェット・ヴェレ(1943年ククロン生)
アントワーヌ・バイイ(1944年ベルフォール生)
ドゥニーズ・ピュマン(1946年モンバール生)
レミー・クナフ(1948年カサブランカ生)
ジャン=ロベール・ピット(1949年パリ生)
ジャック・レヴィ(1952年パリ生)
ジャン=フランソワ・スタザク(1965年ナンシー生)
ヴァレリー・ジュレゾー(1967年パリ生)

目次に続いて,「本書に関連するフランスの地名」と題してフランス地図が付けられているのは訳者の配慮かもしれないが,地理学者の生まれや生い立ちに関する記述を地図と共に読むことは,「科学の地理学」という観点からも興味深い。地図は現在のフランス国境内だけの表現だが,モロッコやアルジェリアなどのフランス旧植民地も忘れてはいけない。
構成としては,各章の扉ページに顔写真と200字程度の要約があり,そのページをめくると年号付きの略歴がある。「教授資格試験(アグレガシオン)」と「博士論文口頭試問」の他,学会の創立や役職,雑誌の創刊などへの関わりが記されている。インタビューの項目に沿って,「(地理学者になる)きっかけ」,「学生時代」,「地理学への貢献」,「影響を受けた人」,「現在の地理学をどうみるか」という順で構成され,最後に主要著作一覧が掲載されている。それに加えて,コラム形式で「影響を受けた芸術・文化作品」についての記述がある。フランス地理学者による独自な概念についても少し長めのコラムが挿入されている。
さて,内容に移ろう。訳者解題で立見が述べているように,本書でインタビュー受けたフランスの地理学者たちの多くが地理学に対して引け目のような感情を表している。日本でもよく聞かれるように,中等教育までに面白い地理の教師に出会った,というエピソードはいくつかあるものの,幼少の頃から積極的に地理学者を目指していたという人は少ない。フランスでも地理学の社会的な地位が決して高くないことが想像される。また,英語圏との関わり合いについて幾人かが言及している。クラヴァルが英語圏地理学にも精通しているのは日本でもよく知られているが,その下の世代でも,計量地理学のフランスへの紹介に貢献したバイイや,ポストモダン地理学に貢献したスタザクは英語圏の地理学に開かれた若い世代であるという。かれらはフランスの地理学が英語圏の地理学に対して概して閉鎖的であることを嘆いている。
本書が科学の地理学として興味深いのは,英語圏との関わり合いもあるが,研究者同士のネットワークである。こうした点については,日本でも杉浦芳夫による学史研究が米国地理学について明らかにしているが,本書では各人が自身のキャリアについて語っており,かれらがどのような人脈を経由して研究者としての時空間的キャリアをたどってきたのかが具体的に記されている。
翻訳された本書で1人に割り当てられたページは20ページに満たないが,地理学者になるまでの紆余曲折や,地理学者としてのキャリアにおける研究関心の変容,新しいアイディアに達するまでの軌跡,そして知識人として文学・芸術作品から何を学び,どう向き合っているかに至るまで,その個性の魅力が伝えられる。
本書がこれまでの自伝的地理学史と異なる魅力を有するのは「現在の地理学をどうみるか」という質問項目である。原著出版当時76歳であったブリュネから,40歳であったジュレゾーまで,もちろん自身のキャリアと「現在」との距離感とは異なるはずだが,その捉え方は人それぞれである。ブリュネは「地理学は死ぬことからは程遠い」(p.29)と楽観視し,クラヴァルは近年の社会科学における空間への強調を挙げ,「地理学者の将来は不確定だ」(p.47)と述べる。フレモンは悲観的な意見も示しながら,「すべきことは膨大にある」(p.68)という。自然地理学と人文地理学の対立,フランスと国外の関係,社会的貢献,学会などの制度的問題についても,将来に向けた方策が語られている。若い世代のスタザクは「地理学の状況は改善した」(p.216)と述べている。
原著であるフランス版の読者は地理学を専攻とする研究者というよりは,それ以外を想定しているように思う。原著が,ある程度科学に関して素養のあるフランスの一般読者に対して分かりやすい記述なのかどうかは評者には判断しようがないが,正直日本語訳が読みやすい訳文になっているとはいえない。しかし,このシリーズがまとめて翻訳されたのではなく,地理学を専攻する研究者によって単独で出版されたということは,日本での読者は地理学研究者を想定しているのは間違いない。そういう意味では,地理学を専攻する読者として,本書を読んだ評者にとってその訳文から抱く違和感はけっしてマイナスではなかった。
日本の読者が本書をしっかりと理解するためには,フランス地理学に関して,フランスの教育制度,国の研究機関や地理学関連学会等に関して,また大学の制度(教員採用の仕組み)についてあらかじめ知っておく必要がある。それらの基礎的な知識は訳者による補足で与えられている。しかし,あまりに詳しい知識を補足することは逆に煩雑で,自伝としてざっくばらんに地理学者が語った言葉を聴く妨げとなるかもしれない。また,リラックスした雰囲気で進められたと想像されるインタビューであるがゆえに,フランスの知識人独特と思われるジョーク交じりの言い回しも含んでいる。そうした箇所に違和を感じながらも読み進める。そうすると,フランスの地理学界の特殊性,そのなかで研究者人生を送り,またかれらの存在によって形成される地理学界がいかに日本のそれと異なるのか,いかに個性的な地理学者によってフランス地理学界が成り立っているのかを知ることができる。
本書のような形で,個別の研究者について,人生というスケールで,その研究関心の移り変わりや多様性という観点から知ることは,その研究者の研究成果の再読を促し,新たな魅力を発見することにつながるだろう。日本においても竹内啓一・正井泰夫編『地理学を学ぶ』に倣って,世代から世代へと地理学の魅力を伝えていくことは必要な作業である。

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日本の女性議員

三浦まり編 2016. 『日本の女性議員――どうすれば増えるのか』朝日新聞出版,366p.1,600円.

 

前にも,岩波現代全書から2015年に出版された『私たちの声を議会へ』を紹介したが,その著者三浦まりさんが編集した本を読んだ。三浦さんはNHKの「マイあさラジオ」の「社会の見方 私の視点」というコーナーによく出演していて知った政治学者。

はじめに(三浦まり)
1章 女性が議員になるということ(三浦まり)
2章 躍進の90年代(新藤久美子)
3章 2000年以降の停滞(三浦まり)
4章 国会議員への道(国広陽子)
5章 女性議員と男性議員は何が違うのか(大山七穂)
6章 地方の女性議員たち(竹安栄子)
7章 女性が政治に参画するために(目黒依子)
おわりに(三浦まり)
女性と政治関係年表(1945年以降)
参考文献
索引

執筆者は政治学だけでなく,法学,社会学,社会心理学などを専門とした人たちで,上記の他にコラムを担当している橋本ヒロ子さんがいる。議員という政治の話だけではなく,女性の政治参加というテーマでもあるので,ジェンダー研究やフェミニズム研究が中心だといってもいいかもしれない。
先進国の中で,日本の女性議員比率がかなり低いというのは日本に住む多くの人たちが感覚的に知っていることだとは思うが,本書はまずそれを数値で丁寧に示している。国会議員では選挙制度が異なると同時に立法における位置づけも異なる参議院と衆議院における女性比率の違い,都道府県議会における比率,市区町村議会における比率,さらに,市区議会なのか町村議会なのか。議員数の少ない議会における女性不在議会数など。もちろん時代によっても。
時代に関しては,大まかだけど分かりやすいストーリーを描いている。日本では戦後すぐに女性に参政権が与えられ,女性が初めて国会議員になった年の女性の数は少なくなかった。しかし,世界においては着実に女性議員比率が増加する時代に,日本は低い水準で推移する。土井たか子社会党首の活躍による1989年のマドンナ・ブームという現象により女性議員はようやく増えたが,またその後停滞してしまう。世界的には1990年代がまさに議会における男女比が問われた時代で,先進国のみならず各国の事情もある中で女性比率が高まって行くが,また日本はその後伸び悩んで今日に至っている。そうした日本の状況を確認した上で,その要因をさまざまな角度から考察している。
本書では,単に議会において女性の数を増やすということではなく,議会で決定される事項に関して女性がいかに関わるかということを重視しており,立法に積極的に参画した女性政治家をクリティカル・アクターと呼び,彼女たちへのインタビューを実施している。本書では,クリティカル・アクターになる条件を,〈コミットメント〉〈ポジション〉〈ネットワーク〉という三つのキーワードで特定している。
本書ではインタビューした現在の女性議員だけでなく,市川房枝など過去の重要な女性政治家の功績についても説明がある。先進国のなかでは日本は男女平等が進んでいないと思うこともあるが,それでも偉大な女性たちが尽力したおかげで現在のこの国がある,と知ることができる。本書には社会学者がそれなりに入っているが,読んでいるとどうしても推測の域を出ないような考察があることが気になってしまう。だが,それをどうしたらきちんと実証できるかと考えると,データ的な難しさも感じてしまう。その辺りがやはり政治というテーマは難しいのだろうか。ともかく,いろいろ学ぶところがある読書でした。

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中世とは何か

 

ル=ゴフ, J.著,池田健二・菅沼 潤 2005. 『中世とは何か』藤原書店,318p.3,300円.

 

大学の講義で,アブー=ルゴド『ヨーロッパ覇権以前』を使っている。この本は16世紀にヨーロッパ覇権による近代世界システムが成立する以前の13世紀に,中東を心臓部とする世界システムができあがっていたという説で知られる。この本では,ヨーロッパ,中東,インド,中国といった順で構成されているので,今のところヨーロッパの説明をしているが,すでに小レポートを出さなければならず,おのずからテーマは中世ヨーロッパとなった。ということで,学生に2冊以上の歴史書を読んでまとめるという課題を出しているため,私もいくつか読もうと思っている。
そんな時,吉祥寺にある私の好きな古書店で見つけたのが本書。フランスの歴史家の本はいくつか読んでいるが,これまでの私の関心は近代だったので,ル=ゴフは読んだことがなかった。ということで,中身を確かめずに購入してしまったが,本書はインタビューものだった。まあ,自伝的な内容も含み,自著に関する話も出てくるので,ル=ゴフ入門のつもりで読むことにした。


Ⅰ 中世史家になる
Ⅱ 長い中世
Ⅲ 商人,銀行家,知識人
Ⅳ ある文明が形をなす
Ⅴ 天と地において
Ⅵ エピローグ

目次を読めば自伝的な内容だと分かりそうなものだが,インタビューといっても,質問者の質問は話のきっかけを作る程度の最低限のものであり,ル=ゴフが自由に語っているという感じ。前半はまさに生い立ちから歴史に興味を持ったきっかけ,そのなかでも中世という時代に対する興味。それを実現するための教育,大学卒業後のいきさつ,研究テーマの変遷などが語られる。『私はどうして地理学者になったか』を読んだ時にも思ったが,フランスにおいて研究者になる道筋は単純ではない。とはいえ,ル=ゴフは1924年生まれなので,そもそも私が思い描けるものとは時代が違うが。
本書の原題は「中世を探し求めて」というそうだが,藤原書店の好みのこの邦題になった。本書には著者なりのこの問いに対する答えについて語られているが,それは通俗的な中世観に常に抗ってきた軌跡ともいえる。とはいえ,私の場合その通俗的な中世観すら持ち合わせていないわけだが。一般的に中性という時代は476年に始まり,1492年に終わるといわれているらしい。1492年というのはコロンブスの大西洋横断の年なので,一般的な理解はよくわかる。476年というのは単純なものではないが,大まかにいってローマ帝国の崩壊を意味するようだ。また,中世は宗教の時代という一般的理解もあるようだが,当時はまさにそれが社会の中心すぎて,わざわざ「宗教」という言葉を使う必要もなかったのだという。考古学という学問は文字の残されていない時代,主に古代を対象とした方法だが,それは中世にも十分に活用されるものだという。
私も有している単純な時代区分では,ヨーロッパにおける中世と近代はルネッサンスという存在によって区分けされるが,アメリカの中世史家ハスキンズが1927年に提示した「12世紀ルネッサンス」(同名の本は日本語訳もされている)がよく知られているように,ルネッサンスと呼べる現象は中世にも幾度か異なる形で存在したという。確かに,高校の世界史の教科書でも,13世紀における貿易の発展に対処するための商業的な改革のことを「商業ルネッサンス」と書いていた気がする。
ル=ゴフは専門書よりも一般書の執筆でも知られるようだ。日本語されたものでも,1977年の『中世の知識人』が岩波新書,クセジュ文庫でも『中世の証人と銀行家たち』(1956年,邦訳なし)などを書いているようだ。初期のテーマは私も興味があるので,時間を見つけて読んでみたい。

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