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私はどうして地理学者になったのか

新しい書評が出ました。『人文地理』での初めての掲載です。

成瀬 厚 2018. シルヴァン・アルマン編,荒又美陽・立見淳哉訳:私はどうして地理学者になったのか.人文地理 70: 414-415

 

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シルヴァン・アルマン編,荒又美陽・立見淳哉訳『私はどうして地理学者になったのか』学文社,2017年,vi247頁,2,300円+税,ISBN978-4-7620-2739-0

 

社会のなかで一定以上の評価のある学問分野で著名になった研究者には,自伝について語る機会が与えられる。残念ながら世界的にみても地理学についてはそのような機会が与えられることが少ないのか,インタビューなどの手法により主たる研究者の自伝を記録することが行われてきた。アン・バッティマーによる1983年の『The Practice of Geography』,竹内啓一・正井泰夫による1986年の『地理学を学ぶ』,グールドとピッツによる2002年の『Geographical Voices』,ハバード,キッチン,ヴァレンタインによる2004年の『Key Thinkers on Space and Place』などがその代表例といえる。
本書もそうした系譜に入れることができる内容を有している。上記の例において,そのほとんどの編著者自身が地理学史的関心を有する優れた地理学者であったのに対し,本書はそうではない。訳書につけられた編者紹介には,本書を含む『私はどうして…』シリーズの監修者となっており,「ジャーナリスト」という肩書になっている。歴史学の修士を取得しているが,地理学を専門とするわけではない。出版社のウェブサイトによれば,このシリーズは2007年から2009年にかけて,化学,地理学,哲学,経済学,幾何学,心理学,民族学,ジャーナリズムの8冊が出版されている。そのうち,アルマン自身が編集しているのが,ジャーナリズムと地理学の2冊であり,編者は地理学に対して思い入れがあるのかもしれない。
冒頭の「はじめに」では,12ページにわたって地理学の紹介がなされている。本書がシリーズものの1冊であることを考えれば,当該分野の紹介があるのは当然だが,コンパクトでありながら有り体の記述による地理学紹介ではない。学説的な内容まではあまり踏み込んでいないものの,フンボルトやブラーシュをしっかりとその軸に据えながら,冒頭にラコストを登場させ,ルクリュをその歴史に位置づける。現代についても『地理学者目録』に掲載された2,000人の地理学者を「専門家か実践家」という観点で区分し,学生数についても言及している。
本書に登場する地理学者は12人である。原著ではアルファベット順に並べられているものを,訳書では生年の早い順に変更している(「訳者あとがき」による)。12人の名前と生年は以下のとおりである。ざっと,36年の世代差があることが分かる。

ロジェ・ブリュネ(1931年トゥールーズ生)
ポール・クラヴァル(1932年ムードン生)
アルマン・フレモン(1933年ルアーヴル生)
オギュスタン・ベルク(1942年ラバト生)
イヴェット・ヴェレ(1943年ククロン生)
アントワーヌ・バイイ(1944年ベルフォール生)
ドゥニーズ・ピュマン(1946年モンバール生)
レミー・クナフ(1948年カサブランカ生)
ジャン=ロベール・ピット(1949年パリ生)
ジャック・レヴィ(1952年パリ生)
ジャン=フランソワ・スタザク(1965年ナンシー生)
ヴァレリー・ジュレゾー(1967年パリ生)

目次に続いて,「本書に関連するフランスの地名」と題してフランス地図が付けられているのは訳者の配慮かもしれないが,地理学者の生まれや生い立ちに関する記述を地図と共に読むことは,「科学の地理学」という観点からも興味深い。地図は現在のフランス国境内だけの表現だが,モロッコやアルジェリアなどのフランス旧植民地も忘れてはいけない。
構成としては,各章の扉ページに顔写真と200字程度の要約があり,そのページをめくると年号付きの略歴がある。「教授資格試験(アグレガシオン)」と「博士論文口頭試問」の他,学会の創立や役職,雑誌の創刊などへの関わりが記されている。インタビューの項目に沿って,「(地理学者になる)きっかけ」,「学生時代」,「地理学への貢献」,「影響を受けた人」,「現在の地理学をどうみるか」という順で構成され,最後に主要著作一覧が掲載されている。それに加えて,コラム形式で「影響を受けた芸術・文化作品」についての記述がある。フランス地理学者による独自な概念についても少し長めのコラムが挿入されている。
さて,内容に移ろう。訳者解題で立見が述べているように,本書でインタビュー受けたフランスの地理学者たちの多くが地理学に対して引け目のような感情を表している。日本でもよく聞かれるように,中等教育までに面白い地理の教師に出会った,というエピソードはいくつかあるものの,幼少の頃から積極的に地理学者を目指していたという人は少ない。フランスでも地理学の社会的な地位が決して高くないことが想像される。また,英語圏との関わり合いについて幾人かが言及している。クラヴァルが英語圏地理学にも精通しているのは日本でもよく知られているが,その下の世代でも,計量地理学のフランスへの紹介に貢献したバイイや,ポストモダン地理学に貢献したスタザクは英語圏の地理学に開かれた若い世代であるという。かれらはフランスの地理学が英語圏の地理学に対して概して閉鎖的であることを嘆いている。
本書が科学の地理学として興味深いのは,英語圏との関わり合いもあるが,研究者同士のネットワークである。こうした点については,日本でも杉浦芳夫による学史研究が米国地理学について明らかにしているが,本書では各人が自身のキャリアについて語っており,かれらがどのような人脈を経由して研究者としての時空間的キャリアをたどってきたのかが具体的に記されている。
翻訳された本書で1人に割り当てられたページは20ページに満たないが,地理学者になるまでの紆余曲折や,地理学者としてのキャリアにおける研究関心の変容,新しいアイディアに達するまでの軌跡,そして知識人として文学・芸術作品から何を学び,どう向き合っているかに至るまで,その個性の魅力が伝えられる。
本書がこれまでの自伝的地理学史と異なる魅力を有するのは「現在の地理学をどうみるか」という質問項目である。原著出版当時76歳であったブリュネから,40歳であったジュレゾーまで,もちろん自身のキャリアと「現在」との距離感とは異なるはずだが,その捉え方は人それぞれである。ブリュネは「地理学は死ぬことからは程遠い」(p.29)と楽観視し,クラヴァルは近年の社会科学における空間への強調を挙げ,「地理学者の将来は不確定だ」(p.47)と述べる。フレモンは悲観的な意見も示しながら,「すべきことは膨大にある」(p.68)という。自然地理学と人文地理学の対立,フランスと国外の関係,社会的貢献,学会などの制度的問題についても,将来に向けた方策が語られている。若い世代のスタザクは「地理学の状況は改善した」(p.216)と述べている。
原著であるフランス版の読者は地理学を専攻とする研究者というよりは,それ以外を想定しているように思う。原著が,ある程度科学に関して素養のあるフランスの一般読者に対して分かりやすい記述なのかどうかは評者には判断しようがないが,正直日本語訳が読みやすい訳文になっているとはいえない。しかし,このシリーズがまとめて翻訳されたのではなく,地理学を専攻する研究者によって単独で出版されたということは,日本での読者は地理学研究者を想定しているのは間違いない。そういう意味では,地理学を専攻する読者として,本書を読んだ評者にとってその訳文から抱く違和感はけっしてマイナスではなかった。
日本の読者が本書をしっかりと理解するためには,フランス地理学に関して,フランスの教育制度,国の研究機関や地理学関連学会等に関して,また大学の制度(教員採用の仕組み)についてあらかじめ知っておく必要がある。それらの基礎的な知識は訳者による補足で与えられている。しかし,あまりに詳しい知識を補足することは逆に煩雑で,自伝としてざっくばらんに地理学者が語った言葉を聴く妨げとなるかもしれない。また,リラックスした雰囲気で進められたと想像されるインタビューであるがゆえに,フランスの知識人独特と思われるジョーク交じりの言い回しも含んでいる。そうした箇所に違和を感じながらも読み進める。そうすると,フランスの地理学界の特殊性,そのなかで研究者人生を送り,またかれらの存在によって形成される地理学界がいかに日本のそれと異なるのか,いかに個性的な地理学者によってフランス地理学界が成り立っているのかを知ることができる。
本書のような形で,個別の研究者について,人生というスケールで,その研究関心の移り変わりや多様性という観点から知ることは,その研究者の研究成果の再読を促し,新たな魅力を発見することにつながるだろう。日本においても竹内啓一・正井泰夫編『地理学を学ぶ』に倣って,世代から世代へと地理学の魅力を伝えていくことは必要な作業である。

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