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反オリンピック宣言

影山 健・岡崎 勝・水田 洋編 1981. 『反オリンピック宣言――その神話と犯罪性をつく』風媒社,261p.1,100円.

 

オリンピックとは,その研究が多岐にわたるが,研究成果についても,読めば読むほど次々出てくる。今,日本でオリンピックを議論するとなると,目下2020年東京大会が念頭に置かれるわけで,その前の1998年の長野冬季大会,1972年札幌冬季大会,1964年東京夏季大会と時代ごとに日本はオリンピックを経験しているわけで,それらに関しても研究は蓄積されている。ということで,2020年東京大会について書かれた『反東京オリンピック宣言』を読む前に,是非本書に目を通してみたかった次第。幸い,私が非常勤で勤務している東京経済大学の図書館に所蔵があった。しかも,けっこうオリンピック関係の書籍を所蔵しているのだ。過去の研究にどこまで手を伸ばすのか,悩ましいところである。
本書は現物を手にとって初めて知ったことだが,1988年の夏季大会の招致運動をしていた名古屋大会をめぐる運動が基になっているものである。この大会は結局ソウルに決まったが,IOCで正式に決まるのが19819月であることが本書に記載されているが,本書の発行は19811010日である。この日はかつて体育の日だったが,確か1964年東京大会の開会式を記念して休日になった気がする。

まえがき
プロローグ(岡崎 勝)
Ⅰ オリンピックの診断書
 1 オリンピック教の誕生(山本芳幹)
 2 アマチュアの亡霊(岡崎 勝)
 3 多国籍企業――オリンピック産業株式会社(土井俊介)
 4 「平和の押しうり狂典」オリンピック(土井俊介)
Ⅱ オリンピックと市民のスポーツ――その対立点と展望
 1 呪われた近代スポーツ(山本芳幹)
 2 市民スポーツとの距離――オリンピックの欺瞞性(影山 健)
 3 オリンピックの犯罪性――自由なスポーツの抑圧(影山 健)
Ⅲ オリンピックと子供たち
 1 管理主義教育と子供たち(岡崎 勝)
 2 オリンピック教育と子供たち(岡崎 勝)
Ⅳ オリンピック招致と市民生活の破壊
 1 名古屋オリンピックの社会的な背景と意味(水田 洋)
 2 オリンピックをめぐる名古屋市の財政・都市問題(山田 明)
〔資料〕
 IOCオリンピック憲章の問題点(野場とも子)
 最近の選手強化政策について(加藤昌己)
 反名古屋オリンピック市民運動年表(反オリンピック研究会議)
 反名古屋オリンピック市民連合加盟団体リスト
あとがき

著者にはスポーツ社会学を専攻している研究者が名を連ねるが,編者の一人,岡崎氏は小学校教員とのこと。多くの著者が市民運動のメンバーになっている。そういう意味では,近年の『オリンピック・スタディーズ』(2004年)や『反東京オリンピック宣言』(2016年)がかなり学術的色彩が強いのに対して,長野オリンピックを中心に執筆された『君はオリンピックを見たか』(1998年)と似ていて,著者たちの熱い思いが伝わってくる。
当時のスポーツ社会学の状況はよくわからないが,やはり時代的な影響も色濃く反映されているような気がする。本書のなかにも,ボードリヤールやイリイチなどの思想書に言及された個所もあり,また当時翻訳されていた『スポーツの社会学』(大修館)なる本も紹介されている。当時は日本でも記号論や構造主義がもてはやされる一方で,それに対する主流派の反発などがあったのだろうか。ともかく,カルチュラル・スタディーズの導入はまだで,冷静な分析というよりは,社会批判が先に立っている雰囲気がある。とはいえ,それは1960年代後半のプロテスト的な意味ではなく。
などと書きながらも,本書の主張は素直に納得させられるものばかりで,市民の目線の反対運動に研究者が助言をしている本である。上に挙げた『オリンピック・スタディーズ』や『反東京オリンピック宣言』は確かに,研究者である私のような読者が読むと,その学術的な水準に納得するのだが,市民の声を代弁するかというと,ある意味難解すぎて,じゃあオリンピックに反対した先にどんな代替案を提示すればいいのか分からなくなる。もちろん,オリンピックを中止にすればそれでいいのだが。
例えば,本書にはオリンピックを開催するのであればこうしてほしい,という要望がいくつかあり,印象的である(本書にはそうした素朴な主張の重複も多い)。オリンピックに対応した大規模な競技施設をいくつか作るのであれば,同じ予算を使って,小規模な施設を多数作った方が市民スポーツの活性化に役立つ,というのがその一つだ。
単に市民目線というだけでなく,そもそもオリンピック憲章が掲げるアマチュア精神とはそもそもなんなのかを,単なる理念ではなく,具体的な市民とスポーツとの関りで考える。しかも,そこでいうスポーツが近代スポーツであり,オリンピックのようなトップ・アスリートの競技を見ること,模倣することが,子どもたち,市民たちの楽しみのためのスポーツをより近代的なもの,すなわち規律・訓練され,共通のルールの下で競い合うものへと矮小化されていくという。さらに,それが教育の場へと組み込まれることによって助長される。この教育論はかなり強引なところもあるが,大枠は正しいともいえる。
最期に名古屋市のオリンピック招致計画の検討が,財政学を専門とする著者によって非常に詳細に検討される。細かすぎて私のような読者には詳しく読む気にはなれないが,こういう見当は必要である。いずれにせよ,読後に驚くのは,日本でもこうしてしっかりとオリンピックに反対する意見が出されているのに,今回の2020東京大会において何一つ教訓を得ていないということだ。招致活動に数億円が投じられ,結果が出せなくても,次に活かすのであれば無駄ではない。とはいえ,長野に活かされたのは不正な金の使い方だったのだが,招致を成功させるという活かし方だけが教訓ではないはずだ。

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