現代スポーツ評論35
『現代スポーツ評論』第35号、2016年11月21日発行
特集:近代オリンピックにおける文化と芸術
清水 諭:オリンピックにおける身体と教育(8-15)
オリンピックを通じたスポーツ教育のあり方の解説。「オリンピックの価値教育(OVEP)」の紹介
桝本直文・藤浪康史・友添秀則・清水 諭:座談会:オリンピックにおける文化と芸術を考える(16-32)
桝本氏は首都大学東京に在籍する研究者。いくつか論文は読んだが,けっこう以前からオリンピック研究を手掛けていて,オリンピック映画に関する書籍もあるらしい。藤浪氏は電通の人で,1998年長野冬季大会の開会式の演出をした人物。開会式や文化プログラムに関する議論で,なかなか有用な座談会。
吉本光宏:文化から東京2020を考える――ロンドン2012・リオ2016の実績を参考に(33-45)
著者はニッセイ基礎研究所の人だが,電通の『AD STUDIES』という雑誌で吉見俊哉と座談会をしていたりする。2012ロンドン大会の文化プログラムについて,そのやり方について解説している。
和田浩一:筋肉と精神の「偉大な結婚」――近代オリンピックにおけるスポーツと芸術の場合(46-58)
著者は近代オリンピックの父といわれるクーベルタンに関する研究をしているようだ。タイトルはクーベルタンの言葉で,この論文もクーベルタンの自伝的な内容も含んでいる。
五十殿利治:「巨大な祭典」――オリンピック開会式と芸術(59-67)
著者は筑波大学の教授で,特にオリンピック研究を専門にしているわけではないようだが,オリンピック研究者につくば関係者は多い。この論文はオリンピック開会式について,特に1936ベルリン大会を中心に論じている。
吉田 寛:オリンピックにおける芸術競技(68-76)
著者は『美学』にもオリンピックの芸術競技についての論文を書いており,既読。本論文は既出論文では書けなかった,スポーツと芸術の緊張関係などを論じている。やはり美術畑の人ということで,注目すべき研究者。
川畑直道:幻のオリンピック,ポスター再考(77-85)
著者はグラフィック・デザイナーということだが,この論文では返上・中止された1940東京大会でのポスター製作をめぐる顛末を報告している。
江口みなみ:芸術体験としてのオリンピック映画――『東京オリンピック』(1965年)を中心に(86-94)
著者は当時早稲田大学の大学院生とのこと。1964東京大会のオリンピック映画,市川 崑監督の『東京オリンピック』に関する包括的な議論。
岡 邦行:カメラで語るオリンピック(95-102)
この雑誌に掲載されている過去のオリンピック写真のクレジットで知った「フォート・キシモト」。その代表である岸本 健さんへのインタビュー。これは知らなかったことで驚くべき内容です。フォート・キシモトは1964東京大会から独立した写真家集団としてオリンピックから小学校の運動会までのスポーツ写真を手掛けているという。報道とは違った視点で撮影された膨大な写真は,早くからIOCに作品を提供し,世界的に信頼されているという。多少は写真の研究をしている身として,心躍る文章でした。一つの研究テーマにもできますね。
白井宏昌:集中か分散か?――オリンピック開催による都市空間再編に関する論考(105-118)
既読論文。大学教員で建築家の著者ですが,実際に2012ロンドン大会の施設配置計画にも携わっているとのこと。日本では珍しくしっかりとした都市研究に基礎をおくオリンピック研究者。
河村裕美(聞き手:清水 諭):インタビュー:ローザンヌでの体験,そして東京2020へ(119-127)
文部省勤務から,コロンビア大学への留学経験を経て,東京オリンピック組織委員会の国際担当部長を務める人物へのインタビュー。IOCにも派遣され,2016リオ大会の準備に携わったとのこと。なかなか貴重な話を聞きだしていて,いいインタビュー。
荒牧亜衣:オリンピックにおける文化イベント(128-133)
この著者はオリンピックのいろんな分野での解説論文を書いている。特にこれといって目新しいことは書いていないが,コンパクトにまとめる能力にたけているのだろうか。
高橋良輔:オリンピックのメダル獲得競争におけるアジアの立ち位置(134-143)
オリンピック大会のメダル獲得数に関して,数量的に把握するという,この論文のような試みはありそうでない。けっこう貴重な研究。
田原和宏:リオデジャネイロ五輪にて――2020年東京五輪の追加種目採用とその背景(144-150)
タイトル通りの文章。オリンピックと一括りにできず,国同士の対立だけでなく,それぞれの国との関係も含めた競技同士の駆け引きがあるんですね。
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