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2019年1月

現代スポーツ評論35

『現代スポーツ評論』第35号、20161121日発行

特集:近代オリンピックにおける文化と芸術

 

清水 諭:オリンピックにおける身体と教育(8-15)
オリンピックを通じたスポーツ教育のあり方の解説。「オリンピックの価値教育(OVEP)」の紹介

桝本直文・藤浪康史・友添秀則・清水 諭:座談会:オリンピックにおける文化と芸術を考える(16-32)
桝本氏は首都大学東京に在籍する研究者。いくつか論文は読んだが,けっこう以前からオリンピック研究を手掛けていて,オリンピック映画に関する書籍もあるらしい。藤浪氏は電通の人で,1998年長野冬季大会の開会式の演出をした人物。開会式や文化プログラムに関する議論で,なかなか有用な座談会。

吉本光宏:文化から東京2020を考える――ロンドン2012・リオ2016の実績を参考に(33-45)
著者はニッセイ基礎研究所の人だが,電通の『AD STUDIES』という雑誌で吉見俊哉と座談会をしていたりする。2012ロンドン大会の文化プログラムについて,そのやり方について解説している。

和田浩一:筋肉と精神の「偉大な結婚」――近代オリンピックにおけるスポーツと芸術の場合(46-58)
著者は近代オリンピックの父といわれるクーベルタンに関する研究をしているようだ。タイトルはクーベルタンの言葉で,この論文もクーベルタンの自伝的な内容も含んでいる。

五十殿利治:「巨大な祭典」――オリンピック開会式と芸術(59-67)
著者は筑波大学の教授で,特にオリンピック研究を専門にしているわけではないようだが,オリンピック研究者につくば関係者は多い。この論文はオリンピック開会式について,特に1936ベルリン大会を中心に論じている。

吉田 寛:オリンピックにおける芸術競技(68-76)
著者は『美学』にもオリンピックの芸術競技についての論文を書いており,既読。本論文は既出論文では書けなかった,スポーツと芸術の緊張関係などを論じている。やはり美術畑の人ということで,注目すべき研究者。

川畑直道:幻のオリンピック,ポスター再考(77-85)
著者はグラフィック・デザイナーということだが,この論文では返上・中止された1940東京大会でのポスター製作をめぐる顛末を報告している。

江口みなみ:芸術体験としてのオリンピック映画――『東京オリンピック』(1965年)を中心に(86-94)
著者は当時早稲田大学の大学院生とのこと。1964東京大会のオリンピック映画,市川 崑監督の『東京オリンピック』に関する包括的な議論。

岡 邦行:カメラで語るオリンピック(95-102)
この雑誌に掲載されている過去のオリンピック写真のクレジットで知った「フォート・キシモト」。その代表である岸本 健さんへのインタビュー。これは知らなかったことで驚くべき内容です。フォート・キシモトは1964東京大会から独立した写真家集団としてオリンピックから小学校の運動会までのスポーツ写真を手掛けているという。報道とは違った視点で撮影された膨大な写真は,早くからIOCに作品を提供し,世界的に信頼されているという。多少は写真の研究をしている身として,心躍る文章でした。一つの研究テーマにもできますね。

白井宏昌:集中か分散か?――オリンピック開催による都市空間再編に関する論考(105-118)
既読論文。大学教員で建築家の著者ですが,実際に2012ロンドン大会の施設配置計画にも携わっているとのこと。日本では珍しくしっかりとした都市研究に基礎をおくオリンピック研究者。

河村裕美(聞き手:清水 諭):インタビュー:ローザンヌでの体験,そして東京2020へ(119-127)
文部省勤務から,コロンビア大学への留学経験を経て,東京オリンピック組織委員会の国際担当部長を務める人物へのインタビュー。IOCにも派遣され,2016リオ大会の準備に携わったとのこと。なかなか貴重な話を聞きだしていて,いいインタビュー。

荒牧亜衣:オリンピックにおける文化イベント(128-133)
この著者はオリンピックのいろんな分野での解説論文を書いている。特にこれといって目新しいことは書いていないが,コンパクトにまとめる能力にたけているのだろうか。

高橋良輔:オリンピックのメダル獲得競争におけるアジアの立ち位置(134-143)
オリンピック大会のメダル獲得数に関して,数量的に把握するという,この論文のような試みはありそうでない。けっこう貴重な研究。

田原和宏:リオデジャネイロ五輪にて――2020年東京五輪の追加種目採用とその背景(144-150)
タイトル通りの文章。オリンピックと一括りにできず,国同士の対立だけでなく,それぞれの国との関係も含めた競技同士の駆け引きがあるんですね。

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多角的視点で学ぶオリンピック・パラリンピック

相原正道 2017. 『多角的視点で学ぶオリンピック・パラリンピック』晃洋書房,199p.2500円.

 

私の非常勤先である東京経済大学は、オリンピック関係の図書をけっこう集めていて、少しずつ活用している。買うまではないけど、読んでおきたいなと思った一冊。
著者は筑波大学の大学院まで出ているらしいが、ヤクルトスワローズに関わったりしながら、東京オリンピック・パラリンピック招致委員会でも活動した経歴を持ち、現在は大阪経済大学の準教授とのこと。目次は明らかに1セメスター15回授業の教科書で使うような味気ないものだが、はしがきでは「タブー視されている感さえある内容も本書では大いに盛り込まれています。」(p.ii)という意気込みがみられ、第1章では、保護主義の傾向を示しつつある世界情勢(反グローバル)において、オリンピック・パラリンピックがグローバル化を促進するみたいな、主張そのものは納得しないが、これまでのオリンピック論ではなかったような意見なので、少し期待しながら読み進めた。

はしがき
巻頭対談 スポーツと観光による都市魅力戦略推進(溝畑 宏×相原正道)
1章 オリンピック・パラリンピックと反グローバル
2章 オリンピック・パラリンピックとガバナンス
3章 オリンピック・パラリンピックとインテグリティ
4章 オリンピック・パラリンピックと政治
5章 オリンピック・パラリンピックとセキュリティ
6章 オリンピック・パラリンピックと経営
7章 オリンピック・パラリンピックと地方経済
8章 オリンピック・パラリンピックと大阪
9章 オリンピック・パラリンピックと文化・教育
10章 オリンピックと映画
11章 パラリンピックと法整備
12章 オリンピック・パラリンピックと環境
13章 オリンピック・パラリンピックと招致
14章 オリンピック・パラリンピックと日本

いきなり巻頭の対談が意味不明。2020年東京大会を念頭においた本のはずなのに、大阪観光局理事長なる人物との対談が掲載されている。現在大阪の大学に勤務する著者は、この人物が委員長を務める「大阪都市魅力戦略推進会議」に参加しているとのこと。この会議では「文化・観光・スポーツ・国際化」の4つをテーマとして掲げているということで、スポーツによる都市プロモーションといったテーマの対談となっている。この対談の意味は第7章以降で理解できるようになる。
ずばり、ここが著者の得意分野である。それ以外の章は、やはりお勉強の域を超えていない。私もそれなりにオリンピック関連文献を読んでいるので、どこかで読んだことがあるような話に終始している。しかも、本書は学術書というよりは、学部生向けの教科書なので、文献に関して丁寧に示されていない。そして、時折オリンピック・パラリンピックとは関係ない話に脱線して盛り上がってしまうのだ。例えば第2章は日本のバスケットボールに関する話に終始する。第3章はスポーツギャンブルの話、第4章はネルソン・マンデラの話など。おそらく「お勉強の域」では90分の授業にはならないのだろう。自分の詳しい話を挿入して膨らましている感がある。
それが、第7章になると英国で著者が行った調査の話が登場する。オリジナルのデータを持っている話は強い。著者の言い分としては、2012年ロンドン大会から学び、2020年東京大会では、1964大会のように東京一極集中を促進するのではなく、逆に地方の活性化を促進するような仕組みを作るべきだという。この主張は非常に説得力がある。そこから、第8章の大阪の話に移行する。しかし、当然2020年東京大会の際に大阪をどうこうするという話ではなく、関西では2021年に「ワールドマスターズゲームズ」が開催されるのだという。この大会について私は知らなかったが、これは非常に興味深い。1985年以降4年に1度開催されているが、2021年の大阪大会はアジアで初開催だという。30歳以上であれば誰でも参加できるスポーツ大会で、開催都市はこの大会のために新たな施設を建設してはならないという。まさに、オリンピックのさまざまな弊害を逆手に取ったイベントだといえる。
11章については,私自身がまだまだパラリンピックについて勉強していないので,得るところは多かった。まあ,そういう意味では,オリンピック研究初心者には一通りのテーマについて触れられる本なのかもしれない。ただし,第13章については,著者自身が今回の東京大会の招致に関わったという経験をもっと活かしてくれたら良かったと思うが,逆に実際に関わってしまうと守秘義務とかが生じてしまうのだろうか。ともかく,借りて読んでよかった本。

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オリンピック,メガイベント関連文献(英語編3)

Gold, J. R. and Gold, M. M. (2008): Olympic Cities: Regeneration, City Rebranding and Changing Urban Agendas. Geography Compass 2 (1): 300-318.
http://www.umsl.edu/~naumannj/professional%20geography%20articles/Olympic%20Cities%20-%20Regeneration%2C%20City%20Rebranding%20and%20Changing%20Urban%20Agendas.pdf
同タイトルの編著書を持つゴールド夫妻ですが,2007年の初版を書いた後に,2012ロンドン大会についても書きたくなったのでしょうか,こんな論文があります(なお,編著書の方は2011年に第2版が,2016年に第3版が出されています)。とはいえ,副題にあるブランド化などテーマを絞って詳しく議論されているかと思いきや,全般的な話が中心で,最後に若干ロンドン大会を4年後に控えた状況などが報告されています。

 

Boykoff, J. (2011): Space Matters: The 2010 Winter Olympics and Its Discontents. Human Geography 4 (2): 48-60.
https://core.ac.uk/download/pdf/48845602.pdf
ボイコフは『反東京オリンピック宣言』にも『New Left Review』に2011年に掲載された「反オリンピック」という論文が訳出され,今年は彼の著書『オリンピック秘史』が出版され,日本でも注目されてきた,元プロサッカー選手という異色の社会学者。なお,本誌は「新たなラディカル雑誌」と銘打った『Antipode』を意識したように2008年に創刊されたようです(この論文を知るまで知らなかった)。ともかく,おそらく地理学者の要望に応えて寄稿したものだと思われますが,同じ年に発表された「反オリンピック」と同様に2010年にバンクーバー冬季大会の反オリンピック運動を取り上げ,特にこの論文では空間論を展開します。具体的にその運動の空間的な展開を分析するわけではなく,ルフェーヴルの空間の生産論やニール・スミスのスケール論などを参照して抽象的な空間論が展開されます。とはいえ,バンクーバーに関しては,先住民から奪った土地でオリンピックを行うことを反五輪運動家が告発し,空間的正義を主張します。各国を回る聖火リレーについても言及され,また反五輪活動家たちは国境を越えて,ソルトレイクシティからバンクーバーに集まるといいます。まあ,思っていた以上にボイコフの文章は洗練されていて読み応えがあります。

 

Kolotouchkina,O. (2018): Engaging Citizens in Sports Mega-events: The Participatory Strategic Approach of Tokyo 2020 Olympics. Communication & Society 31 (3): 45-58.
英語圏でも2020東京大会の研究が出てきました。ただ、掲載されている雑誌からも、都市研究ではないことは分かる。アブストラクトをざっと読むと、東京大会で行われている、マスコットを児童による投票で決めたということ、金メダルを携帯電話などの小型家電のリサイクルから作るということ、そして無償による大会ボランティアという試みをポジティブに評価するもので、あまり期待はせずに読み始めた。
しかし、前半のレビューではメガイベントの負の側面についてもきちんと目配せされている。その上で、この論文のアプローチは市民参加という観点であり、近年のグローバル化した都市における市民のあり方、また市民参加のあり方のオルタナティブを模索する目的であることが分かる。そうしたことについては、草の根からの市民運動が思い浮かぶが、それだけではなく、ある意味政治・経済権力主導のメガイベントをうまく利用して新しい市民参加のあり方を考えるというのは確かに重要だと思う。
もちろん、東京大会はまだ開催されていないので、この論文は開催以前の調査になる。文献調査にソーシャル・メディアのモニタリング、2017年に行われたオリンピックでの広告をめぐる国際会議などでの資料収集、東京オリンピック委員会や電通、ウェーバー・シャンドウィック(米国の広告代理店)の人物などに聞き取りを行っている。これはまだ入手出来ていないが、2016年にはKassens-Noorによる東京大会の論文が出ているようで、それによれば、東京大会では空間情報システムや次世代ロボット、インテリジェント交通システム、高精密度テレビ、長期進化技術、先進ビデオ解析など、技術的な挑戦が試みられるという。また、ジェンダーバランスやバリアフリーも謳っているらしい。
上で書いた、東京大会での市民参加の試みは大体知っている内容だが、改めてメダルの材料をリサイクルから得るという試みの進捗を調べたら、すでに銅メダルは100%、金が54.5%、銀が43.9%集まっているといいます。なかなかバカにできませんね。ちなみに、大会ボランティアについても、予定人数を超える応募があったという報道がありましたが、リオ大会では有償だったそうです。

 

Finlay, C. (2014): Beyond the Blue Fence: Inequalities and spatial Segregation in the Development of the London 2012 Olympic Media Event. Interactions: Studies in Communication & Culture 5: 199-214.
2012
年ロンドン大会が,ロンドンでも外国人労働者や貧困層の集住するイーストロンドンの再開発でメインスタジアムなどが建設されたという話は有名である。建設中は,内部が見えないように青いフェンスを立てるのは普通の措置だと思うが,このフェンスをめぐる抵抗運動を論じたのが本論文。ルフェーヴルの空間生産論を論拠としています。2つの事例が示されていて,1つ目の事例は政治的なものです。オリンピック関連の再開発地区であるイーストロンドンには該当する5つのバラ(Borough:イギリスの行政単位)がありますが,その区議会(?)議員に関する話で詳しくは忘れてしまいましたが,オリンピック準備中にかれらが作った名刺の分析をしています。こういう時に,かれらはどういう肩書で自らをアイデンティファイするのか。なお,その議員は再開発に伴う立ち退きの当事者だったそうです。
2
つ目の事例がその青いフェンスへの落書きです。落書きによる政治的抵抗についてはよく語られることですが,今回の場合はすぐに消されてしまうとのこと。しかし,ソーシャルネットワークの時代,すぐに消されてしまっても,それを撮影し,ネットで世界に拡散することで,その抵抗運動は新しい意味を獲得したという議論です。そこから新しい抵抗運動の形が作られ,ネットを介した不特定多数の運動主体が現れるという,結果的にロンドン大会に修正を迫るような大きな効果は見られなかったが,今後こうした抵抗運動の力はどんどん増していくという。ボイコフとは異なる形での反オリンピック運動の報告でした。

 

Munoz, F. (2006): Olympic Urbanism and Olympic Villages: Planning Strategies in Olympic Host Cities, London 1908 to London 2012. The Sociological Review 52 (s2), 175-183.
翻訳もされた『俗都市化』の著者である,スペインの地理学者ムニョスによるオリンピック研究論文。思いの外さっと読めました。難しい話は少なく,もっぱら選手村の歴史的事実と建築類型に関する議論です。選手村という観点からのオリンピック史というのはありそうでないですね。1932年のロサンゼルス大会では,テイラー主義,フォード主義の影響下で大量生産の住宅であったという。1936年のベルリン大会では合理主義の「快適さ,単純さ,清潔さ」が優先された。戦後の1960年代になると機能主義からラディカリズムへと移行する。高層のプレハブ住宅が登場します。1964年東京大会はメタボリズム建築家によるものだとされます。1970年代に入ると,オリンピック公園が都市のレジャー施設と化していく。1980年代にはポストモダンの影響下で,都市計画全体の文化的象徴として建築が用いられる。

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現代スポーツ評論30

『現代スポーツ評論』第30号、2014520日発行

特集:東京オリンピックがやってくる

 

友添秀則:東京オリンピックにどう向き合うか(8-17
『現代スポーツ評論』19号の記事で,1964年東京大会時の石原慎太郎の言葉を紹介する文章について書いた。この論文でもそのことに触れていて,まさに2016年,2020年と東京がオリンピック夏季大会に立候補するのに尽力した石原氏のナショナリスティックな主張を1964年当時と比較している。著者は2020年東京大会に否定的ではないが,1964年の延長線上で2020年を考えてしまうことに危機感を抱いている。なお,この号の本誌の編集長は友添氏になっている。

山本 浩(NHK→法政大学教授)・勝田 隆(日本スポーツ振興センター)・友添秀則・清水 諭:座談会:東京オリンピック2020とスポーツ界の変容(18-37
オリンピックの開催都市となるには,各国のオリンピック委員会(日本の場合JOC:日本オリンピック委員会)のみならず,さまざまな団体が関わっている。山本氏は日本陸上期競技連盟などスポーツ関係の団体理事を歴任していたりして,この座談会からはそういうさまざまな団体の関わりを知ることができる。そういう様々な人の利害関係で成り立っているために,面倒なんだな。

宮本勝浩(関西大学教授):東京オリンピックと経済効果――東京五輪は景気好転をもたらすか(38-51
2012
年ロンドン大会,2008年北京大会の経済波及効果の公表値をまず評価し,2020東京大会について公表されている数値を一つ一つ確認している。まず,東京との試算だが,単なる総額だけでなく,想定されている機関やその中身,項目など詳細な検討である。同様に,みずほ総研,森記念財団,大和総研など。後半では経済波及効果とは何かについて分かりやすく説明している。著者の立場は2020東京大会の経済波及効果について否定的ではないが,重要な基礎的研究。

來田享子(中京大学教授):東京オリンピックが世界に発信できること――内向きと外向きのスローガンを重ね合わせるために(52-68
この論文は以前読んだことがあったが,今回再読した。ここまでいろんなオリンピック研究を読んでから再読すると目新しいことは書いていないが,2020年東京大会の「震災復興のための」という内向きのスローガンといまなぜ東京でという問いを真面目に考えようとする文章。

佐伯年詩雄(日本ウェルネス大学):現代オリンピック考――モンスターイベントに群がるビジネスと政治(69-79
この論文も再読。はじめに何も知らずに読んだ時は,歯に衣着せぬ語り方に感銘を受けたが,再読で印象が変わった。同じような主張は多く,そのなかでもきちんと根拠を示しながら論じているものも少なくないが,この著者は大学教員でありながら,この文章では全く何も参照されていない。書かれていることは「そうなんだろうな」と思うけど,説得力はない。

小川 宏(福島大学教授):「復興五輪」はスローガンなのか――東日本大震災と福島原発(80-87)
阿部首相によるIOC総会でのプレゼンテーション,「アンダーコントロール」発言はよく知られ,否定的に言及することは多いが,東京大会における福島原発と震災復興のみに焦点を合わせた論文。朝日新聞やのアンケート結果なども示しながらの正当な議論。

佐野慎輔(産経新聞社取締役):オリンピックは日本に何をもたらしたか(88-97)
タイトルが過去形なので,1964年の話。現在,ヤクルト球団の取締役や日本オリンピックアカデミー理事なども歴任している人物なので,日本のスポーツ界全般に残すレガシーなるものを期待しているようだ。「2020年大会は今後のスポーツの在り方とともに,社会装置としてのオリンピックの存在を示す格好の機会となるはずだ。」(97)と締めくくっている。

南後由和(社会学者):東京オリンピック2020に向けたスケッチ――都市とスポーツ(98-109)
こちらも再読。やはり若林幹夫の文章を読んでしまうと,表面的な印象が否めない。ただ,面白いのは1964年の国立競技場と代々木競技場の機能的・象徴的役割についての議論。

松瀬 学:ブエノスアイレス顛末記――ワタシが触れた国際政治とオリンピック招致(110-119)
この雑誌の10号にも執筆しているスポーツ・ジャーナリスト。ブエノスアイレスというのは、2013年のIOC総会の開催都市で、そこで2020年の夏季大会が東京に決まった。著者はその取材をしたということで、その現場の報告。

稲垣康介(朝日新聞社):IOCという組織(120-130)
IOCという組織についての説明。会長の変遷と組織の変化。

中森康弘(日本オリンピック委員会)(聞き手:清水 諭):インタビュー:東京オリンピック招致から見える日本スポーツの課題(131-143)
IOCのメンバーと家族ぐるみの付き合いをするという話。一応、日本のスポーツ界の将来についても考えている人ではあるが、オリンピックというイベントの開催都市決定過程がいかに民主的でないことかがよく分かる。まあ、非営利団体による開催だから民主的である必要はないのだが、世界に与える影響の巨大なイベントである以上、ある一定の国際的な公正性は必要ではないかと思ってしまう。

滝口隆司(毎日新聞社):ソチ五輪・パラリンピックをどう報じたか(144-149)
前半はメディアが注目する競技の話。後半はパラリンピックまで政治利用されたという嘆き?

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年末年始で観た映画3本

20181228日(金)

立川シネマシティ 『こんな夜更けにバナナかよ
公開初日の初回で鑑賞。大泉 洋は個人的にそんなに好きな俳優ではない。しかし,予告編が非常に面白く,また高畑充希ちゃんが非常に魅力的に映っていて,さらに『パコダテ人』の前田 哲監督ということで,2018年最後の作品として観ることにした。タイトルには実話とあるが,1959年生まれの主人公が34歳の時点ということで,1993年の頃の札幌を描いている。私は大学を卒業する年だが,三浦春馬演じるのは北海道大学医学生ということで,ボランティアの皆さんはほぼ私と同棲代ということになる。主要3役の演技もさることながら,ともかく配役が素晴らしい。ボランティアのまとめ役で出演している萩原聖人,仕事をしながらボランティアをしている宇野祥平,看護師の韓 英恵などいちいち登場するたびに嬉しくなってしまう。ともかく,ロケやセットなども含め,完璧な作品世界が造られていて,鑑賞者はすっぽりとそこにはまって感情移入できる作品。

 

201912日(水)

吉祥寺アップリンク 『ハード・コア
原作があるとはいえ,久しぶりにぶっ飛んだ山下敦弘ワールド全開。エロあり,貧しさあり,暴力多少あり。荒川良々は昔はこんな役どころばかりだった。久しぶりに彼のこういう姿を見たが,まさに20年間風貌が全く変わっていない。こちらも予告編で期待が膨らみ,期待に十二分に応えてくれる作品だった。こじんまりとまとまりよく仕上がっておらず,無駄に上映時間が長いのも山下作品らしい。

 

201919日(水)

2日に初めて行った吉祥寺アップリンクだが,また来てしまった。吉祥寺は25年前くらいから遊びに来ている街だが,世代によってその使い方は違ってきた。10年前くらいはスターパインズカフェやストリングスといったライヴ施設の利用が主だったが,子どもが生まれてからは,下北沢などに比べて乳幼児を連れてきても便利な街として,家を建てたころは家具屋が多いということで利用してきたが,2014年にバウスシアターが閉館してからは,よみた屋や100年という古書店を訪れるくらいしか来なくなっていた。そんな吉祥寺のパルコの地下にアップリンクが開館した。なにやらクラウドファンディングで資金集めをしたらしい。『ハード・コア』のように,新作だが他の劇場ではすでに上映終了しているものや,数年前の作品などの上映をしているようだ。そういう旧作は1300円とのこと。なかなか新作をチェックして観ることのできない現在の状況では,とてもありがたい映画館ができた。

吉祥寺アップリンク 『心と体と
2017
年のベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞したというハンガリー映画。全く知らない作品でしたが,素晴らしい映画。非の打ちどころがありません。舞台は食肉工場。その工場主が主人公の一人ですが,片手が不自由な一人暮らしの初老の男性。そこに新しい品質検査官が赴任します。この若い女性は冷静で完璧に仕事をこなしながらも周りに溶け込もうとしない。こういうわけあり女性が映画の主人公になることは多いですが,社会的に訳ありなわけではないことが分かってきます。大人になっても子どもの頃から通っていたカウンセリングの先生に相談に行きます。記憶力が抜群に良い,おそらく発達障害と思われるこの女性は,他人とうまくコミュニケーションがとれない。特にスキンシップは極端に難しい。工場主はそんな謎めいた女性に興味を持ち,他の従業員は彼女を避けがちなのに対し,積極的にアプローチする。そんな時,工場内のある事件をきっかけに,この2人が同じ夢を見ていることがわかり,急速に近づきます。その恋愛のさまは青春時代の初恋のよう。
社会的には低層ともいえる食肉工場を丁寧に描写し,身体障がいや精神障がいというある種負のテーマを扱いながら,それを恋愛というテーマでコメディタッチで正に変えていく映画。
『こんな夜更けにバナナかよ』は日本映画としてそれを達成しましたが,本作はヨーロッパらしいやり方で達成しています。

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現代スポーツ評論19

『現代スポーツ評論』第19号、20081120日発行

特集:スポーツの東京

 

清水 諭:スポーツの東京:記憶とマッピング、そして土地の歴史(8-13
1960
年生まれで東京の十条あたりで育った著者の記憶を、東京のスポーツ環境に照らし合わせる貴重な作業。

町村敬志・原田宗彦・友添秀則・清水 諭:座談会:2016年以降の東京とスポーツ空間(14-29
東京が2016年大会に立候補している段階で、過去の東京とオリンピックの関係、今後東京が開催都市になった場合のことなどが論じられる。

若林幹夫:都市・東京とスポーツの空間――スポーツの社会的地形と力学(1)(30-43
若林幹夫らしい、都市とスポーツに関する思考実験。東京という舞台に散在するさまざまなスポーツ施設とそれに関わり合う多様な人間主体のマッピング。

山本拓司:幻のオリンピックと外苑拡張計画――明治神宮外苑の文化史(44-57
東大大学院生による精緻な研究の部分報告。国立競技場を中心とする都心部の広大なスポーツ空間の成立を政治的観点からたどる。

坪内祐三:駒沢そして渋谷(58-63
1958
年で世田谷区赤堤で育ったという著者に1964年東京大会の駒沢公園付近のことを書くことを期待したものだが,実際には著者にとって1964年の駒沢は身近でなかったという。しかしながら,なぜ直線距離的に近くありながら身近でなかったかという観点から当時の様々な状況が語られる。

中房敏朗(体育学):東京オリンピックの地政学――オリンピック関連施設の立地はどのように決まったのか(92-101
仰々しいタイトルだが,副題が内容そのもの。山本論文とも重複する内容で,1964年大会の施設立地の事情を概観したもの。

森田浩之(NHK記者):ミスチルと聖火リレー(114-118
2008
年北京大会の日本のテーマソングがミスチルの「GIFT」という曲で,著者はその歌詞に違和感を抱いたというところから始まる。メダルの色にこだわらない,ような歌詞の内容だが,開催国中国は必死に金メダルに執着していた大会で,日本はそれを冷ややかに眺めていたという解釈。

桝本直文:2008年第29回北京オリンピック大会観戦記(119-125
これもタイトルそのままだが,テレビで北京大会を観戦していなかった私には非常に貴重な観戦記(とはいえ,競技の話はない)である。セキュリティのために兵士と警官がいたるところに配置されているという。文化プログラムについても報告がある。

玉木正之(ライター):北京オリンピックで「見た」もの(126-132
「オリンピックはテレビで見る。」という文章で始まる。メディア論ではないが,テレビを通してオリンピックが何を語るのかということを再現している。

山本敦久:聖火リレーの政治学:多様なイシューが表明される空間(142-145
山本氏は北京大会の聖火リレーの長野の現場を観に行っている。北京大会の直前に中国政府がチベットへの弾圧を行ったということで,ギリシアから世界各地をめぐるという聖火リレーの計画において,各国が中国政府に対する抗議を行った。その日本における様子が語られる。

真田 久(『ポケット版オリンピック事典』共編者、オリンピック招致委員):作家たちの東京オリンピック(1964)(173-181
1964
年大会を経験した当時の日本人作家の文章をたどりながら,さまざまな意見を紹介している。そのなかでも,石原慎太郎の態度が理想的だとしているところが何とも面白い。今の石原氏に自分の文章を読み返してもらいたいものだ。

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現代スポーツ評論10

『現代スポーツ評論』第10号、2004530日発行
特集:オリンピックの記憶と幻想

 

中村敏雄:ポストモダンのその後――本誌の5年間から(8-19
1987
年創刊『スポーツ批評』
7号まで確認できるが、発行中止。1985年創刊『体育・スポーツ評論』1990年以降の続刊なし。『新体育』や『学校体育』などの月刊誌の廃刊。「わが国の体育・スポーツ界は、硬派で辛口の評論や批評を歓迎せず、また支援や連帯の意思表明としての定期購読をするということもなく、しかもこのような体質からの脱皮を志向することもないということがわかってくる。」(p.9
⇒本誌に込められた強い意志を感じさせられる文章。

松瀬 学(ノンフィクション作家『汚れた金メダル』文藝春秋):メディアのオリンピック――肥大化する商業五輪。IOC、テレビパワー、広告代理店の功罪とは(20-33
よく聞く話ではあるが、日本における電通の話などが書かれている。

阿部 潔:グローバル化とナショナリティ――「越境」と「セキュリティの帝国」の狭間で(34-47
阿部氏は2001年に長野冬季大会に関する論文を発表しているが、2016年に本格的に「東京オリンピック研究序説」と銘打ってオリンピック研究を進めている。本論文はその初期の頃のもので、『彷徨えるナショナリズム――オリエンタリズム/ジャパン/グローバリゼーション』を発表するのが2001年だから、グローバル化時代のナショナリズムという観点からオリンピックを本質論的に論じている。

谷口源太郎(ジャーナリスト、『堤義明とオリンピック』三一書房、『日の丸とオリンピック』文藝春秋):なぜ五輪代表選考が揉めるのか(48-57
タイトル通りの具体的な話の羅列だが、けっこうオリンピックの本質に迫る視点を与えてくれる。

坪内祐三(評論家):少年時代に出会ったオリンピックに関する幾つかの思い出(58-62
1958
年生まれの著者による1964年の東京大会から1972年のミュンヘン大会までをタイトル通り、少年時代の記憶を呼び起こしたもの。貴重な記録です。

江沢正雄(長野五輪反対運動家):やっぱりオリンピックなんかいらない!(63-68
『君はオリンピックを見たか』(1998年)で長野オリンピック批判を論じた江沢氏によるその後の話。納得させられることばかり。

須田泰明(『37億人のテレビンピック』著者):体験的オリンピック論 走馬灯の五輪取材32年(69-73
IT革命による、スポーツ情報のグローバル化という潮流に乗って、今の近代五輪を「巨大興業のテレビンピック」と見る限り、そのみらいは悲観したものではない。」(p.73)という主張は意味が分からない。

三浦信孝(フランス社会論)・中村敏雄・友添秀則:座談会:文化・言語・スポーツ――グローバリゼーションとクレオリゼーションの間で(74-89
国民国家、植民地主義、グローバル化における言語の問題を研究している三浦氏に、スポーツという観点で話を聞く座談会。なかなか三浦氏のスポーツに関する造詣も深く興味深い座談会。

石井昌幸(早稲田大学講師):カルカッタ、裸足の進撃(90-103
サッカーの話題だが、イギリスの植民地支配下のインドで、現地のベンガル人チームが1911年のサッカー大会でイギリス人チームを破って優勝したという話。

成田真由美(パラ水泳選手):アテネへ(104-109
パラリンピックに複数出場しているアスリートの生の声。

吉田理子(ボート選手):ボートから学んだこと(110-114
期せずしてオリンピック出場を果たしたボート選手の語り。

結城和香子(読売新聞記者):アテネから(115-118
これから開催されようとしている2004年アテネ大会の直前レポート。

清水 諭:「ナショナルなこと」と「個人的なこと」をどう考えるか――2002FIFAワールドカップ韓国・日本をめぐる著作から(154-163
黄編著『W杯サッカーの熱狂と遺産
――2002年日韓ワールドカップを巡って』(2003)を中心としたブックレビュー。阿部氏の議論と同様に、スポーツ界を中心にナショナリズムを問い直す時代に来ているという認識。

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現代スポーツ評論7

『現代スポーツ評論』第7号,20021120日発行
特集:メガ・イベントの思惑

 

中村敏雄:「大きいことはいいことか」(8-13
サッカーのワールドカップ2002年大会が韓国・日本の共同開催で行われた後に出版されており、それをめぐって、スポーツ・メガ・イベントを問い直す目的の特集号

沢木耕太郎・清水 諭:対談:アスリートとメガ・イベント(14-29
沢木耕太郎にはいくつかスポーツ評論があるという。『オリンピア』(1996年、集英社)ではレニ・リーフェンシュタールに着目しているとのこと。彼のスポーツ評論は素人的立場で人間そのものに迫るものだという。

桝本直文:浮遊する「オリンピズム」(30-43
人によって異なる「オリンピズム」の定義。いくつもの主義批判。勝利至上主義(アスリート)、ヒーロー主義、金儲け主義(IOCIF)、見世物主義(テレビ界)、面白主義・感動主義(視聴者)、政治主義(米国)、ユーロセントリズムとポストコロニアリズム

小笠原博毅:ポストW杯的サッカー文化環境論(44-59
サッカーの地政学:個人やチームの特性を地理的条件に矮小化する想像力

海老塚 修:ビジネス・ツールとしてのメガ・イベント(60-71
電通IR室次長による文章。ワールドカップ放映権料の増加を指摘しているが、ネガティブにではなく、いかにスポーツから価値を創出するかという金儲け主義から。

中村祐司:ナショナリズムとメガ・イベント――2002W杯における商業セクターの戦略と社会現象に注目して(72-85
英語圏のサッカー研究の紹介。

宮田秀明:テクノロジーと人間――アメリカズカップを中心に(86-93
自らが関わった船の設計開発

杉山 茂・中村敏雄・友添秀則・鴨門義夫:座談会:スポーツ・イベントとメディア(94-109
NHKスポーツ報道センター長(杉山)を招いての、スポーツ・イベントに対するメディアの関わりのあるべき姿を論じる。

増田明美:シカゴの街から――女子マラソンの記録はどこまで伸びるのか(110-113

田中東子:女性たちの密やかな反抗――スポーツ・オーディエンス・表象の政治(148-157
スポーツ・オーディエンスにおける女性の問題。ミーハー、表象、実際のオーディエンスの目に見えぬ差異。

田中研之輔:都市広場の身体文化――スケートボーダーの生活誌から(158-169
土浦駅前に集うスケートボーダーの民族誌。身体的痛みによるスケートボーダーとしてのアイデンティティ構築。

高橋豪仁:メディア、コマーシャリズム、マーケット――須田泰明『37億人のテレビンピック』を中心にして(170-177
新聞記者によるテレビ中心主義の観点からのオリンピック諭に対する批判。オリンピックの本来あるべき姿は変容するし、テレビの存在と切り離せない。

金 恵子:2002FIFAワールドカップ韓国・日本――「IT産業」「ギルコリ(街頭)応援」「東アジアの地域関係」(178-186
2002
年ワールドカップにおける韓国の状況。象徴的な場所となったガンムファン、メガ・イベントに乗じて韓国イメージの向上をもくろむIT産業

清水 諭:2002FIFAワールドカップ韓国・日本――「フーリガン」「ベッカムのイングランド」「日本人」(187-193
サッカーにおける人種とナショナリズム。メディア表象の分析。

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ファイブ リング サーカス

トムリンソン, A.・ファネル, G.編著,阿里浩平訳 1984. 『ファイブ リング サーカス――オリンピックの脱構築』柘植書房,221p.1,500円.Tomlinson, A. and Whannel, G. eds. 1984. Five Ring Circus: Money, Power and Politics at the Olympic Games. London: Pluto Press.

 

これまで紹介した日本語文献でも,オリンピック批判の基本文献と位置付けられていますが,英語文献でもそこそこ言及されています。大学図書館で実物を手にし,ジュディス・ウィリアムスン『広告の記号論』と同じ柘植書房の「カルチャー・クリティーク・ブックス」の1冊だと知り,がぜん期待が高まります。

メインクリティーク・世界政治劇場としてのオリンピック(筑紫哲也,7-21)
クリティーク1・コマーシャリズム(リック・グルノー,22-47)
クリティーク2・テレビショー(ギャリー・ファネル,48-75)
クリティーク3・政治対立(デビッド・トリースマン,76-101)
クリティーク4・アパルトヘイト(サム・ラムザミー,102-115)
クリティーク5・フェミニズム(ジェニファー・ハーグリーブス,116-145)
クリティーク6・神話学(ブルース・キッド,146-171)
クリティーク7・貴族主義(アラン・トムリンソン,172-187)
クリティーク8・オルタナティブ(ジェームズ・リオダン,188-197)
サブクリティーク・広告としてのオリンピック(佐野山寛太,198-220)
あとがき(阿里浩平,221)
年表

大学の図書館で借りた本なので,著者の情報なども転載しておきましょう。
筑紫哲也:『朝日ジャーナル』編集長
リック・グルノー:ブリティッシュ・コロンビア大学社会学,スキープレイヤー
ギャリー・ファネル:メディア論の評論家
デビッド・トリースマン:ロンドンのサウスバンク高等専門学校研究員,サッカー選手
サム・ラムザミー:南アフリカ非人種オリンピック委員会(SANROC)の委員,水泳コーチ
ジェニファー・ハーグリーブス:ロンドンのローハンプトン研究所の体育教育専門家,競泳選手
ブルース・キッド:トロント大学,体育史。陸上選手
アラン・トムリンソン:ブリットン高等専門学校,社会学。訳書で『スポーツの世界地図』(丸善,2012

ジェームズ・リオダン:ブラッドフォード大学,ロシア語。サッカー選手。
佐野山寛太:代理店出身の商品計画,広告計画の評論家
阿里浩平:カルチャー・クリティーク編集会議

私の出身大学である東京都立大学(現:首都大学東京)にも体育関係の教員がいたが,地理学科と同じ理学部に属しているものの,研究室はキャンパスの一番奥になっていて,扱いが微妙だったのを覚えている。おそらく,大学の中でも学問分野としてきちんと位置付けが難しく,一方では体育会を擁する大学では体育部の科学的な管理のための研究者が必要で,あるいは指導者としてかつての選手を教員として採用するというのがあるのだと想像している。いずれにせよ,医学に近い健康科学から,実践者・指導者が中心で,それに評論分野やスポーツ社会学などの研究者が加わるのだろうか。本書の執筆者も元選手が多く,それでいて社会学者でもあるというのが日本とは違うと思うが,さまざまな属性を持っている。そういう意味でも,本書は私が想定する学術的なものとは少し異なっている。まずもって,参考文献はほとんど示されていない。そして,客観的・中立的な意見というよりは,実際のオリンピックに関与しようという強い意志を感じる。
それはともかくとして,オリンピックをめぐる否定的な意見の項目は本書の目次でかなり出そろっているともいえる。まずは日本語版のみの収録である,筑紫哲也の文章。今回の2020東京大会に対しても久米 宏がオリンピック批判を続けているが,私にとっては『ぴったしカンカン』や『ザ・ベストテン』の司会者である久米だが,ご存知のように近年は長らくニュース番組のキャスターをしていた。その彼にとって筑紫哲也の存在は大きいのかもしれない。それはそれとして,この筑紫の文章は短いながらオリンピック批判のさまざまな側面が凝縮している。
本書はロサンゼルス大会の開催年である1984年に出版されたが,商業主義が急速に進んだこのロサンゼルス大会に関する記述も少なくない。特にクリティーク1はまさにロサンゼルスの状況が直に伝えられている。クリティーク2はいまでは日本でもよく議論されている内容。競技日程が米国放映のゴールデンタイムに合わせられているというのは大衆レベルでもよく語られるが,狭義のルールさえもがテレビ写りを基準に変更されてきたという。クリティーク3の題材も今ではよく使われる。古代のオリンピックでは大会が休戦理由とされたというエピソードから,スポーツが政治を超えるという神話が作られたが,そもそも古代の時代からスポーツと政治は密接な関係にあり,それらを切り離そうと装うのが近代以降だということ。クリティーク4で論じられる話は,私は『反東京オリンピック宣言』などで知ったが,けっこう有名な話だったらしい。国家主導のオリンピック参加に対抗する反オリンピック運動というのも古くからおこなわれていた。クリティーク5についても同様。人種,民族,性差という問題はまさにそれをめぐる公民権運動と並行して,オリンピックの舞台でもかつてから問題とされていたようです。クリティーク6はオリンピズムをめぐる本質論で,アマチュアリズムと商業主義などこれまでの論題が再整理されています。クリティーク7も今ではよく聞く話ですが,近代五輪の創始者であるクーベルタンの発想そのものが,彼の祖国であるフランスの国力を高めるため,より具体的には兵士を規律・訓練するための教育の一般としてのスポーツという考えから出発しているとのこと。クリティーク8については,あまり多くは議論されていないように思いますが,どこかで読んだ記憶もあります。女子オリンピックの開催と並行して(先んじて)労働者オリンピックなるものが,時代によっては本大会を凌ぐ規模で行われていたという事実。まあ,ともかくオリンピックをめぐる批判的な議論は本書で出そろっていますが,地理学的なテーマという意味では,この時点ではほとんどなされていないということを確認できる本でもあります。

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ラルースヴィジュアル版地図で見る国際関係

ラコスト, Y.著,大塚宏子訳 2017. 『新版 ラルースヴィジュアル版地図で見る国際関係』原書房,385p.5,500円.

 

イヴ・ラコストはフランスの地理学者。翻訳ではクセジュ文庫の『低開発諸国』があるが,なんと日本語出版も1962年。フランスに限らず超有名な地理学者だが,残念ながら以前紹介した,アルマン『私はどうして地理学者になったのか』にはインタビューが収録されていない。本書は地理学書も手掛ける原書房から2011年に出版されていたもので,以前から知っていたが,その値段から手を出せずにいた。今回,新版が出て,前回『地図で見る日本ハンドブック』を紹介する際にも書いたように,講義内容の変更を考えていて,本書を活用しようと思った次第。思った以上にボリュームがあり,読むのに時間がかかりました。

第1部 過去から現代までの地政学
第2部 アメリカ合衆国:困難をかかえる超大国
 アメリカ合衆国:世界システムの中心たる超大国
 あいつぐ紛争に直面する国
 21世紀の夜明け:新たな地政学的困難
 アメリカの「マニフェスト・デスティニー」:超大国でいつづけられるのか?
第3部 大国の地政学
 EUとNATO
 フランス:西ヨーロッパの十字路
 ドイツ:ヨーロッパの中央で
 イギリス:金融グローバリゼーションの選択
 イタリア:成立間もないヨーロッパの国
 スペイン:民族運動の危険
 ラテンアメリカ:不可能な統一の夢
 ブラジル:新「大国」への潜在力
 ロシア:重い遺産,いかなる未来の為か
 日本:驚異的な成長も現在は停滞中
 中国:いずれは世界一の経済大国か?
 インドネシア:もっとも人口の多いイスラム教国
 インド:多様性の中の統一
第4部 世界の緊迫地域
 アフリカ:新たな黄金郷?
 地中海:世界の大緊迫地帯
 バルカン半島:人々の情熱,諸帝国の利害
 旧ソ連周辺:かつてのライバル,新たな課題
 アフガニスタン:グレート・ゲームと部族の論理
 イラク,イランとペルシア湾:密接に結びついた緊迫地域
 イスラエルとパレスチナ:未だ打開策のない最重要課題

本書の原著タイトルは「地政学」。地政学については,英語圏でも批判地政学という名の下で1980年代後半から新しい動向があったが,「新しい地政学」というと,フランスにおける1970年代のラコストらによる議論を指す場合もあるらしい。「地政学」を冠する著書は日本でも今非常に多いが,本書は2011年の時点ではまだ「地政学」を冠することが日本の出版事情的にイマイチだったのか,一応表紙には「現代の地政学」とありますし,本文では地政学の語は頻出します。ただ,この概念を丁寧に議論するということはしていません。第1部で地政学の簡単な歴史がたどられ,時折,具体的な話から抽象的な議論に展開したりします。
いずれにせよ,本書は最近日本でも出版が続く地政学所の目的と大きく異なるものではなく,やはり世界で起こっている様々な問題は地図を見ながら,歴史を学ばないと理解できないという基本的な立場に立つものであるといえる。それでも,そこは世界的な地理学者が執筆したものですから,一つ一つの記述に含蓄が深く,読み応えがあります。読み応えがありすぎて,ちょっと一冊を通読すると頭がパンクしそうですが。特にアフリカに関することは私の知識がなさすぎて,完全に消化不良。ひょっとすると著者自身もまだ完全に咀嚼していないのか,あるいはうまく説明できていないのではと思ってしまいます。
ともかく,原著は2012年の版のようですが,この時点で世界の情勢について書かれたものであるという前提で,何度も読み返すことが必要なのかもしれません。私たちは難しい時代に生きていますね。なんとか,シンプルな世の中にならないものか。

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