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反乱する都市

デヴィッド・ハーヴェイ著,森田成也・大屋定晴・中村好孝・新井大輔訳 2013. 『反乱する都市――資本のアーバナイゼーションと都市の再創造』作品社,320p.2,400円.

 

ハーヴェイは1990年代後半に日本地理学会の招待で来日し,講演したことがある。私も聞いていたが,今来日したらかなり大掛かりになるだろう。彼の著作はそこそこ難解で,翻訳は細々と出ていた。原著1969年の『地理学基礎論』は私も持っていないが,計量地理学の一冊として1979年に抄訳で翻訳され,1973年の『都市と社会的不平等』の翻訳が1980年。1982年の『空間編成の経済理論』が1989年,1985年の『都市の資本論』が1991年に,ここまでは地理学者による翻訳で出版されている。こう整理すると,まだハーヴェイの出版ペースもそれほど早くはないが,日本の地理学も頑張ってきたことがわかる。
地理学者以外の翻訳は1989年の『ポストモダニティの条件』の翻訳が1999年だが,この頃からハーヴェイの著作は地理学に収まらなくなっており,日本の地理学者が翻訳するのが難しい著作も多くなってきたようだ。また,2000年代に入るといろんな研究者が翻訳をしたがり,出版社も版権を競うようになってきたのかもしれない。本書は,森田氏のグループが作品社から出版しているハーヴェイ本の1冊。

序文 都市は誰のものか?――ルフェーヴルの構想
第Ⅰ部 都市への権利――金融危機,都市コモンズ,独占レント
 第1章 都市への権利――資本のアーバナイゼーションへの対抗運動
 第2章 金融危機の震源地としての都市
 第3章 都市コモンズの創出
 第4章 レントの技法――文化資本とコモンズの攻防
第Ⅱ部 反乱する都市――エルアルト,ロンドン,ウォールストリート
 第5章 反資本主義闘争とために都市を取り戻す
 第6章 2011年ロンドン――野蛮な資本主義がストリートを襲う
 第7章 ウォールストリート占拠(OWS)――「ウォールストリートの党」が復習の女神に遭うとき
付録 都市と反乱の現在――デヴィッド・ハーヴェイ,インタヴュー
 来る都市革命――世界各地の都市反乱は新時代の始まりを告げるか?
 「都市への権利」から都市革命へ――『反乱する都市』について

私は現在,オリンピックを含むメガ・イベントに関する研究を,より広い都市研究の文脈で理解しようとしている。以前も紹介したボイコフは反オリンピック運動を研究しているが,この動向をより深く理解するために本書が役立つのではと思い読んだ。目次では本書タイトルの「反乱する都市」が2部制の第2部となっており,期待をさせるが,第6章と第7章はもともとハーヴェイ自身のウェブサイトに掲載された時事ネタであり,短い文章であると同時にやはりアカデミックな色は薄い。訳者の解説によれば,第2章と第5章はもともと発表された時点では一つの論文であったという。第1章も『VOL』という雑誌に翻訳されていた文章で,もともとは『New Left Review』に掲載された短い文章だった。とはいえ,第1章は大幅に加筆されている。読む前の私の期待では,近年世界中で発生しているテロや暴動は,さまざまな形で民衆が自らの権利を求めているものであり,またそれらが都市で発生するということは,何かしらそれらの運動が「都市的なるもの」との関りを持っている,ということが論じられるのではないかというものだ。しかし,実際に読んでみると,まずテロの話はない。意外にも本書にグローバル化の話は欠如している。そして,『空間編成の経済理論(原題:資本の限界)』や『都市の資本論(原題:資本の都市化)』で構築された理論の差異主張という側面が大きいように感じた。
もちろん,本書は序文にあるように,ルフェーヴルの1968年の著書『都市への権利』を受けている。『VOL』に掲載された時のハーヴェイの文章を読んでもあまりすんなりと理解はできなかったが,本書の序文にはいくつか明白な文章が記されている。何度か出てくる表現だが,「「都市への権利」は空虚な指示記号である」(p.18)と著者はいっている。民衆の暴動などを念頭におくと,「都市への権利」とは権力者によってその権利を奪われた者がそれを奪還要求することだと簡単に考えがちだが,権力者にも「都市への権利」はあるのだ。そういう意味では人権や市民権などと同等に考える必要があるのだろう。都市への権利を具体的に想像することは容易いが,全ての種類のそれを列挙することは難しい。
ともかく,そんな文脈で第2章と第3章が続く。第2章はさきほど書いたように,著者の1980年代の主張が繰り返される。基本的にマルクス経済学に依拠しながらも,経済活動における土地の問題を付属的なものではなく,中心的なものだと主張する。都市において(もちろん都市だけではないが),土地は商品として売買され,投機の対象にもなる。とはいえ,土地はモノの商品とは異なり,所有したとしても公共性を有する。それが第3章で「コモンズ」と呼ばれるものであり,それを独占することで公共性を私有化するために資本が用いられる。そして,『ポストモダニティの条件』で文化を論じ始めた著者によって,そうした土地をめぐる経済活動に文化的な次元が付け加えられる。コモンズや独占は経済次元のみではなく,文化資本としての意味が加わる。今,ルフェーヴルの『都市への権利』を読み直しているが,そうしたハーヴェイの1990年代の議論を想起させる記述の断片に出会うことができる。
ともかく,そういった意味でハーヴェイの1980年代の著作を読み直す必要性を痛感させる読書だったが,都市社会運動的なものに関しては期待した理解は得られなかった。まだ読んでいないが,この辺りはカステル『都市とグラスルーツ』だろうか,やはり『都市問題』も読まなくては。そういう意味では,スミス『ジェントリフィケーションと報復都市』の方がその辺りについては理解が深まる。反ジェントリフィケーション運動とそれをさらに抑圧する報復都市という議論。おそらく,ハーヴェイはウォーラーステインの世界システム論に対しては批判的なのだと思うが,「反システム運動」という捉え方との関係も考えてみたい。

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