都市はなぜ魂を失ったか
シャロン・ズーキン著,内田奈芳美・真野洋介訳 2013. 『都市はなぜ魂を失ったか――ジェイコブズ後のニューヨーク論』講談社,382p.,3,800円.
シャロン・ズーキンは地理学者による2つほどの文章の翻訳があるものの,これまで日本語では読めなかった。しかし,1982年の『Loft Living』という本はとても有名で,読んでいない私でもそのタイトルの意味は何となく知っている。前回,藤塚吉浩『ジェントリフィケーション』を紹介したが,『Loft Living』ジェントリフィケーション研究の先駆的なものとしても位置付けられる。欧米先進国における都市の中心部,かつては活気のあった地区が産業の集積により住環境が悪化し,居住者は郊外に移動する。企業自体も工場を郊外に移転したり,多国籍化したり,いわゆる都心地区は空洞化し,荒廃する。ドーナツ化現象などと呼ばれたこともあったし,荒廃した都心地区をインナーシティと呼んだりもした。住環境が悪くなったところに,下層労働者や移民たちが住みつきスラム化する。しかし,郊外の成熟後,都心回帰という現象が起こる。その一部は公的権力によりスラムクリアランスされ,再開発されるが,全てではない。細かいところでは公的な権力ではなく,私的な資本により立ち退き,荒廃した建築物の再利用(今でいうリノベーション)によって,大きな資本でなくても,もともと居住目的で作られたわけではない倉庫などに貧しいアーティストたちが住みついて制作活動を行うというのが,いわゆるロフト・リビング。そのアーティスティックな雰囲気に引き寄せられ,センスのいい富裕層たちが生活を始める。そうした貧しくて荒廃した地区が高級化していく状態がジェントリフィケーションと理解される。
とはいえ,本書はタイトルからしても,1980年代の研究の延長線上にあるとは限らないので,ジェントリフィケーション研究を期待して読み始めたわけではない。邦題は以下の目次からも分かるように,序章のタイトルを流用しており,原題は『Naked City』という映画のタイトルを流用したものらしい。その映画についても言及されているが正直言って,その映画のタイトルのいわんとするところも,本書がそれを流用している意味も読後もよくわからない。
まえがき
序章 都市はなぜ魂を失ったか
Part1 アンコモン・スペース
1 ブルックリンはどのようにして「クールな」場所になったか
2 ハーレムはなぜ「ゲットー」を脱したのか
3 イーストビレッジで「地元」に住む
Part2 コモン・スペース
4 ユニオンスクエアと公共空間のパラドックス
5 2つのグローバル化の物語:レッドフックのププサとIKEA
6 ビルボードとガーデン:由来をめぐる闘い
終章 目的地文化とオーセンティシティの危機。
本書現代の副題は『オーセンティックな都市的場所の死と生』というもので,ジェイコブズの1961年の著書『アメリカ大都市の死と生』をもじっている。邦訳副題にあるように,ジェイコブズのニューヨーク論を再考するのが序章の内容である。ここは非常に難しい。一般的にジェイコブズは再開発運動に反対し,その時そこにある人々の暮らしを擁護したものとされる。公的立場から再開発を推し進めたモーゼスという都市計画家と対比されるわけだが,ズーキンは両者の共通性も指摘する。ジェイコブズの思想や運動については高く評価するものの,当時としての,そして個人としてのその限界を詳細に論じている。しかし,その議論からじゃあどうしたらよいの,どういう考えが正しいの,とよくわからなくなってしまう。とはいえ,1章以降の議論は非常に具体的で読みやすい。Part1はいわゆるニューヨークという都市の中の「街」について論じられ,Part2は公共空間をテーマに,草の根運動的にそこで活動している住民と,それに規制をかけようとする公的権力とのせめぎあいが論じられる。
序章に「新たな最先端の地域の魅力は,新しく生まれたメディアの力によって広がっていきました。」(p.30)と書かれていて,インターネット誕生以前の「独立系の週刊新聞」を含め,『New
York Times』などの印刷メディアがPart1では分析に十分活用されている。東京で同じようなものがあるかと考えるが『東京人』のような雑誌がそれに対応するのだろうか。ある意味では私が初期の論文で行ったようなメディア研究の手法が近かったりするのかと思ったりした。とはいえ,私が取り上げたような雑誌や『東京人』などはあくまでも文化の次元で街を描写するだけだが,ニューヨークの新聞は経営のことや地元での評判などについても描写しているのだろうか。ともかく,どこのどういうお店がどういうお店に代わったなどという細かい情報の積み重ねで街の系譜が語られる。最近でいえばムニョス『俗都市化』などで都市が大雑把に語られることに私は不満を抱いていたが,一方では個人で知り得る細かい情報からどのように大きな都市の話につなげていくかというところで途方に暮れてしまっていたが,ズーキンの語り口はごく自然に街路スケールからグローバル都市のスケールへとシームレスに論じている。しかし,一方では一軒の店の存在が街の動向を左右するような語り口に関しては多少疑問を抱いたりしてしまわないこともない。Part1を読んでいると,私の代官山論文から,あの街のあの歴史は実はジェントリフィケーションの一端を示しているのではないかと思ってしまったりもする。おそらく,あの街はかつてから高級住宅地化していたとは思うが,その街の中心にあった同潤会アパートの存在とその存続,取り壊しから代官山アドレス建設に関しては,今調べても面白いかもと思った。
Part2はやはり私ではなかなかできない話ではあるが,非常に興味深い事例を詳細に展開している。4章は新自由主義の流れの中で公共空間である広場が私的団体の管理に移行されるという問題。5章はレッドフックという,近年IKEAがオープンして雰囲気が変わるが,それ以前は公共交通の便が悪く,古びた野球場でローカルなサッカーリーグが開催されるだけの広い土地が紹介される。そこでは,サッカー目当ての人たちが細々と集まることを利用し,1970年代から移民たちが自分たちのソウルフードを屋台で販売していたとのこと。それが近年blog等で取り上げられることで人気になる。そうなると公的機関が規制をかけるようになり,それに対して複数の屋台を取りまとめ交渉を行うアクターが出てきて,長い交渉期間を経てなんとか成功するものの,結果としてはその場は大きく変容してしまった,とのこと。6章については,ビルボードの話はなんでもかんでも広告媒体(ビルの壁面からそれこそ近年のラッピングタクシーまで)にしてしまうということをこれまた新自由主義的政策と関連付けているが,時期的な問題でちょっと荒っぽい議論。6章でそれより面白いのはコミュニティガーデンの話。私の住む東京都日野市にも市民農園が多いが,なぜその土地が市民農園になったのかという由来は知らない。ニューヨークでは,打ち捨てられた公的な土地を,下層階級の人びとや移民たちが勝手にきれいにし,耕し,農園として占拠するという経緯があったとのこと。農園としてふさわしい土地でもなんでもなく,公的機関としても未利用で荒廃する状態よりは奇麗なガーデン(必ずしも農業生産物とは限らず,それこそ花壇のようなガーデンもあるようだ)であった方がよい。しかし,管理を市民たちに任せっぱなしというわけにもいかない。ということで,こちらも草の根運動と公的機関のせめぎあいという話。
本書はなかなか読み進めるのが大変だ。もちろん,個々の話は心躍るような展開なのだが,細かい話をじっくり聞くというような辛抱が必要な読書だった。しかし,得るところは大きい。そして,ある意味で東京でもまねのできる研究スタイルだと思う。
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