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オリンピック,メガイベント関連文献(英語編5)

Kassens-Noor, E.m Gaffney, C., Messina, J. and Phillips, E. (2016): Olympic Transport Legacies: Rio de Janeiros Bus Rapid Transit System, Journal of Planning Education and Research 38: 13-24.
前にも単著論文を読んだことがある,都市計画系のオリンピック研究者Kassens-Noorが,ブラジル出身の地理学者Gaffneyと一緒に2016年リオ大会に関する論文を書いています。リオデジャネイロでは,オリンピックの開催において,4箇所に競技施設を分散する計画でした。当然それらを結ぶ交通計画が必要となるわけですが,リオではバス・ラピッド・トランジット(BRT)が採用されました。リオは3度目の招致で,2016年開催が決定したわけですが,これまでの招致計画で問題だったのが公共交通計画であったようです。グローバル・サウス(最近はグローバル化のなかの南北格差を含めこう呼ぶようです)での新しい公共交通にBRTはよく使われるようです。日本ではあまり見かけませんが,連結式のバスを路面電車のように運行するようですね。日本は路面電車の車両を換えてLRTが使われています。さて,第三世界ではおおむね好評のBRTですが,オリンピックに向けて,IOCの要望に応えながら整備されたリオではどうなのか,かなり批判的に検討されます。実際に整備において,貧困層の立ち退きがあった事例や,環境破壊なども指摘されています。大会開催時はオリンピック・ファミリー(選手や関係者,メディアなど)は既存の道路を用い,住民は過去に培われてきた公共交通は危険で不便だという信念から利用を避ける傾向にあり,利用しているのは外国人観光客だけという実態が示されます。自家用車からBRTへのモーダル・シフトはわずか2.4%と,期待されていた公共交通の分担率が12%から大会後には40%になるという想定にはほとんど達していません。公共交通も近年期待されているオリンピック大会開催のレガシーとなるべくものですから,リオ大会の場合はイマイチだったということでしょうか。

Chalkley, B. and Essex, S. (1999): Urban Development through Hosting International Events: A History of the Olympic, Planning Perspectives 14: 369-394.
この2人のオリンピック論文は2編ほど読んだ。その2編はEssexが第一著者となっているもので,1998年のものが夏季大会,2004年のものが冬季大会を概観するものだ。しかし,この論文を読んでみると,1998年のものとセットになっているような気もする。2人の著者は地理学者であり,論文には世界地図に開催都市が示されたものや,開催都市の施設配置の地図などが掲載されている。この論文も夏季大会について,1896年第1回アテネ大会から1996年アトランタ大会まで触れているが,都市の地図を掲載しているのは,1932年ロサンゼルス大会,1936年ベルリン大会,1976年モントリオール大会,1996年アトランタ大会である。一方,1998年の論文にも同じような地図があり,1972年ミュンヘン大会,1992年バルセロナ大会,2000年シドニー大会の地図が掲載されている。各大会について,2人で分担して調査・研究をしているのだろうか。
この論文では,オリンピック大会の開催が都市に与える影響という観点から,1896-1996年までの大会を4つのフェーズに区分しています。1896-1904年の第1フェーズは規模が小さく,新しい施設の建設など都市への影響は小さかったとされています。1900年パリ大会からは万国博覧会の一部として開催されていたことはよく知られています。第2フェーズの1908-1932年はオリンピックのための主要施設が新設されるようになりました。1908年ロンドン大会は万博との同時開催でしたが,オリンピックのためのスタジアムが建設されています。このように,この時期にはスタジアム建設に伴って,開会式などが祭典化します。1932年ロサンゼルス大会では,仮設施設の建設資材が大会後に売却されるなどもあったようですね。第3フェーズの1936-1956年は1936年ベルリン大会は特別ですが,その後もオリンピック村やオリンピック公園など,複数の施設が集積して開発されるようになりました。第4フェーズの1960-1996年は,競技施設だけでなく,施設が分散することもあり,公共交通機関なども含め,都市構造そのものにオリンピックが契機となるようになりました。1964年東京大会はその規模がかなり大きくなったことで有名です。それもあり,開催都市において住民によるさまざまな運動が生じてきた時期でもあります。1976年モントリオール大会はそうした開発により大きな負債が負の遺産として残されたことがよく知られています。ちなみに,この論文はホールマーク・イベント研究としての位置付けがなされています。

Reiche, D. (2017): Why Developing Countries are Just Spectators in the Gold War: The Case of Lebanon at the Olympic Games, Third World Quarterly 38: 996-1011.
オリンピック関連の文献を読み始めてから気になっていた雑誌『季刊第三世界』のオリンピック関連文献をようやく入手し,その1本を読んだ。ちなみに,第三世界とスポーツということについては,日本でも若干議論があり,石岡丈昇(2004):第三世界スポーツ論の問題構制―認識論的検討とフィールドワークの「構え」―『スポーツ社会学研究』12: 49-60.は読んでみたが,この雑誌は登場しない。まあ,ともかくオリンピックを典型として近代スポーツはさまざまなものとともにヨーロッパから植民地にもたらされたものであり,コロニアル研究の題材には適している。さて,この論文では何がテーマなのだろうか。以前紹介したもののなかでも,南アフリカ共和国がオリンピック招致運動をしたというものがあったが,招致することだけがオリンピック研究ではない。この論文ではレバノンを事例に,途上国とオリンピックの関りを論じている。レバノンはフランスから1943年に独立した国だが,1948年ロンドン大会以降,オリンピックには続けて選手を送り出している。しかし,その数は64年間で夏季・冬季併せて212人,多い大会で20人程度,少ない大会では1名の参加である。しかも,20程度を送り出していた年は,国内での内戦があった時期で,逆にオリンピックがそうした国際政治へのアピールに利用されたりするということを意味している。
なお,この論文は大会参加者や国内のオリンピック組織の要人へのインタビューを含んでいる。レバノンも1950年代から1980年までに4つのメダルを獲得しているが,近年では全くである。そもそも途上国ではこうした国際的なレベルに通用するスポーツ選手を育成するプログラムを持っていない。そもそも,国内で行われているスポーツが,国際大会の規格に適した形で行われていない。こうした国がオリンピックに選手を送るのにはIOCからのお金の流れがあるそうだ。実際にはオリンピック・ソリダリティ(OS)による支援で,2016年リオ大会でレバノンに支払われた額は13.2万米ドルだとのこと。その他に,こうした国ではディアスポラという手段があり,難民などで離散した,レバノン国籍を有する選手をレバノン代表として出場させている。近年では,米国の大学でスポーツを学んだ選手が出場しているとのこと。ただ,そうした特別枠は競技が限られている。また競技によっては国際連盟の力が大きかったり,ともかく途上国の選手がメダルを争うようなことは不可能ではないがとても難しいということがわかる。

Hiller, H. H. and Wanner, R. A. (2011): Public Opinion in Host Olympic Cities: The Case of the 2010 Vancouver Winter Games, Sociology 45: 883-899.
ヒラーはメガ・イベント,オリンピックを専門とする社会学者。ありがたいことに,自分の論文を自分のウェブサイトでほとんどPDFアップロードしてくれている。この論文を含むいくつかのものはオリンピック開催都市の居住者にアンケート調査をした結果報告です。この論文は2010年のバンクーバー冬季大会のもの。これまでも都市住民への意識調査をしたものはいくつかありましたが,学術的なものは少なく,しかも比較可能な形でなされていないという。この調査はかなり形式的な定量的社会調査です。大会開会の直前から閉会3日後まで6時点,1時点500サンプルで合計約3,000の回答を得ています。調査を依頼したオンラインを利用した調査会社はバンクーバー大都市圏内に8,000地点,10万人のパネラーを有しており,そこから年齢や性差などの社会的指標のバランスがセンサスと合うように抽出しているようです。結果的には時期を追うごとに,オリンピック大会に対する肯定的な意見が増えるというもので,それは特に同時期に行われた投票行動と,実際にオリンピック関連イベントへの参加の有無が大きく影響したとのこと。まあ,こういう調査をするとどうしても批判的な結果にはならないということでしょうか。バンクーバーはボイコフの研究などでも反オリンピック運動が盛んな大会,都市でしたが,多くの住民にとっては肯定的に受け止められたということのようです。

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