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2019年4月

オリンピック,メガイベント関連文献(英語編8)

Khakee, A. (2007): “From Olympic Village to Middle-class Waterfront Housing Project: Ethics in Stockholm’s Development Planning,” Planning, Practice & Research 22 (2): 235-251.
先に書くと,この論文はオリンピック研究とはいえない。タイトルにオリンピックとはあるが,間接的にしか関わっていない。ストックホルムは1912年に一度オリンピックの開催都市となっている。まあ,その頃の大会は規模が小さいのでレガシーなんてものはないのだろうけど,この論文には一切その記載はない。ストックホルムは2004年夏季大会の招致運動をしていたが,アテネに決まった。論文タイトルから理解されることは,招致段階に計画されたオリンピック村が,招致失敗に伴って中流階級のウォーターフロント住宅に変更されたということ。しかし,その具体的な経緯が検討されるのではなく,設計事務所や建設会社に属する5人に計画理念に関するインタビューをしている。オリンピック村として計画されていた敷地限定というよりは,その南ハンマビー地区に関する議論となっている。オリンピック村の計画時点では「世界で一番持続可能な街」という修辞を用いていたが,「都心と臨海を一緒に感じられる街」へと変更された。もちろん,IOC向けの美句と住宅市場の消費者向けの美句とは異なる。この論文では,そこの部分は確認されただけで,もっと抽象的な計画理念の検討が中心。人間,社会,民主主義,生態学的な倫理について,5人の計画者の回答を検討する。環境に対する配慮に関しては強く意識されているものの,社会的弱者の居住権やマイノリティに関する権利などの意識はまだ低いようです。なお,この論文では結局この地区がどのように整備されたかについての情報はありませんが,ウェブで調べると,日本語でも結構出てきますね。

 

Waitt, G. (1999): “Playing Games with Sydney: Marketing Sydney for the 2000 Olympics”, Urban Studies 36 (7): 1055-1077.
1999年という早い時期に発表された地理学者によるオリンピック研究。1990年代には「場所を売る」というテーマ(その後は場所のブランド化)でいくつか論集が出てたりして,ハーヴェイの場所論や都市の企業家主義政策などの議論に乗った論文。前半はちょっと古臭い議論が続き,都市間競争におけるシドニーという,シドニーという都市内の差異に言及しない,地理学的でない印象を受ける。この論文は実際にオリンピック大会が開催される前に発表されていることもあり,競技施設の配置などの詳細を検討するものではない。しかし,その招致活動で発信されたシドニーのイメージや大会コンセプトの検討は詳細で,地理学者らしい分析になっている。この大会で招致委員会は多文化主義政策をとっていたオーストラリアを売りにして,多様性を前面に押し出し,また豊かな自然というオーストラリア全体のイメージを活かしたグリーンな,環境に配慮した大会をアピールしている。しかし,実際は難民の受け入れも行っているオーストラリアであり,先住民や移民の問題は大都市シドニーにおいては深刻である。特に,2つの地区を取り上げ,ベトナム系移民の集住地区につけられた負のイメージなどを解説する。また,環境の問題についてもシドニー近郊の大気汚染や海洋汚染の実態について報告される。

 

Nauright, J. (2004): “Global Games: Culture, Political Economy and Sport in the Globalised World of the 21st Century,” Third World Quarterly 25 (7): 1325-1336.
先日紹介した雑誌Third World Quarterlyからもう一本。グローバル化の文脈でオリンピックを考えた時,2004年大会に立候補したヨハネスブルクの例があるが,今後第三世界での開催があり得るかどうか,招致運動の状況などを知ることができるかと思ったが,かなり一般的な議論だった。「スポーツ-メディア-観光複合体」(p.1326)という興味深い概念はあった。著者は南アフリカの研究をしているようで,ヨハネスブルクがアパルトヘイト後の南アフリカ共和国における観光および経済発展の助力として大規模なスポーツ・イベントを利用としたという説明はある。後半はスポーツのプロリーグの組織と機能が1980年代から1990年代にかけて変容し,メディア産業など別業種の参入により,グローバルな電脳空間上で展開するようになった,という議論になってしまった。

 

Ferguson, K., Hall, P., Holden, M. and Perl, A. (2011): “Introduction – Special Issue on the Urban Legacies of the Winter Olympics,” Urban Geography 32 (6): 761-766.
Urban Geographyによるオリンピック冬季大会の特集号巻頭言。2010年バンクーバー大会を前にして,「招致,計画,そして現実」という調査ワークショップを2009年7月に立ち上げたという。都市計画者や,過去の開催都市の委員長2人,バンクーバー芸術共同体のメンバー,地元のジャーナリストから成るものだった。2009年10月には「グローバル競技大会とローカルなレガシー」というタイトルのシンポジウムを開催し,カルガリー大会の開催当時の市長も呼んで,本号に収録された研究発表がなされたとのこと。この特集号は,冬季大会に関すると題していますが,そんなに限定はされてないようです。だいぶ前に紹介した,Andranovich and Burbank (2011)も収録論文ですし(1984年ロサンゼルス大会と2002年ソルトレイクシティ大会に関するもの)。そして一方ではIOCが本格的に「レガシー」概念を出してきたのが2010年からということで,それも大きなテーマとなっています。

 

Retchie, J. R. B. (1984): “Assessing the Impact of Hallmark Events: Conceptual and Research Issues,” Journal of Travel Research 23 (1): 2-11.
地理学者の友人が勤める大学にこの雑誌の所蔵があり,複写してもらってようやく入手。オリンピック研究は英語圏ではメガイベント研究の文脈でなされることが多い。メガイベント研究は以前,ホールマークイベント研究と呼ばれていたが,その代表的な理論的論文。1984年時点でかなりうまく整理されています。掲載雑誌がTourismではなくTravelだというのも時代を感じさせます。しかも,この著者リッチィはその1974年にも同じ雑誌に共著でホールマークイベントをタイトルに掲げる論文を書いています。
この論文の冒頭でホールマークイベントを以下のように定義しています。「期間限定の一度きり,あるいは繰り返し開催される大きなイベントであり,主として短期あるいは長期滞在の観光目的地を意識やアピール,収益性を高めるべく発展してきた。このようなイベントは,興味を創り出し,注意を惹くのに十分な固有性や優位性,時代的な重要性における成功に依っている。」(p.2)そして,イベントを以下の7つに分類します。1.世界博覧会,2.カーニバルや祭典,3.主要なスポーツイベント,4.文化・宗教イベント,5.歴史的な事件,6.商業的・農業的イベント,7.政治的要人の集まるイベント。しかも,それぞれに順位を与えています。次に,イベントが社会に与えるインパクトも6つに分類し,本文で詳しく解説されます。1.経済的,2.観光・商業的,3.物理的,4.社会文化的,5.心理的,6.政治的。これらは優先順位というより,これまでの研究で優先されてきた順番という感じでしょうか。そして,それぞれに対してそのインパクトを測定するにはどんなデータがあり,そのデータによってどんな指標が測定され,またデータ解釈時の問題などがそれぞれのインパクト分類において表にされています。タイトル通り,概念を分類するだけでなく,調査指針も示されており,さすが引用されることの多い文献です。

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映画がなかなか観られません...

201933日(日)

府中TOHOシネマズ 『映画ドラえもん のび太の月面探査記』
今回は脚本が辻村深月ということで,少し楽しみにしていた。とはいえ,彼女の作品を読んだことはないし,映像化されたものを観たこともない。とはいえ,前回の川村元気氏の脚本はイマイチだったので,小説家による脚本というのを期待した。しかし,観終わった感は同じような感じでしたね。やたらと展開が速く,スペクタクル満載で,細かく考えると腑に落ちないハッピーエンド。ドラえもんの映画が原作者の手を離れてどのくらいたったかは分からないが(ちなみに,藤子・F・不二雄こと,藤本 弘さんは1996年に亡くなっているとのこと),多くの人の手によって作られるこの種の映画を路線変更するのは難しのだろうか。個人的には2時間(子ども向けアニメは2時間未満のものが多いが)に詰め込むようなものではなく,普段112分程度のものを膨らませていくという発想の転換をしてほしい。
https://doraeiga.com/2019/

 

201947日(日)

恵比寿ガーデンシネマ 『たちあがる女』
ある日,映画に行こうと思って,最近の私のお気に入りである吉祥寺アップリンクのスケジュールを確認している時に発見した作品。残念ながら,その日は予定変更で行けなかったが,この日は逆に予定変更で午前中が自由になったので,午後の予定に合わせて恵比寿で鑑賞。アイスランド映画です。グローバル化の波のなかで事業拡大をもくろむ製鉄会社を,政府も外国資本の投資受け入れという形で推進している。しかし,その企業の活動は豊かなアイスランドの自然を破壊すると危機を感じた一人の中年女性が立ち上がり,営業妨害のテロ活動を一人でひっそりと行っている。政府はある組織による抵抗勢力と認識し,監視の目を光らせる。
最終的には女性は逮捕され,活動は中断されるが,別の次元でのハッピーエンドを迎える。この映画の面白いところは,彼女の活動を支持する人がほとんどいないことだ。唯一,彼女をかくまう一人の男性が登場するが,それは決して彼女の行為自体を支持しているわけではない。かといって,彼女は孤立するわけでもない(もともと孤高の存在)ところも面白い。とはいえ,私が期待していたような面白さではなかった気もする。
http://www.transformer.co.jp/m/tachiagaru/

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オリンピック,メガイベント関連文献(英語編7)

Gratton, C. and Preuss, H. (2008): “Maximizing Olympic Impacts by Building Up Legacies”, The International Journal of the History of Sports 25 (14): 1922-1938.
以前から名前をよく見るPreuss氏の論文をようやく入手。レガシーキューブというのは先日紹介した川辺謙一『オリンピックと東京改造』で登場したのを初めて見たが,出典は示されていなかった。すると,この論文に全く同じ図版で登場します。こちらにも直接の出典は示されていないが,Cashmanという人の2000年シドニー大会に関する2005年の著作についての説明の中に出てくるので,こちらがオリジナルだろうか。あるいはもっと一般的に知られている図式だろうか。ともかく,「レガシー」なるものを計画的/偶発的,ポジティブ/ネガティブ,有形/無形という3次元で捉えようとするもの。この論文ではイベント前後の時期を5つに分け,「イベント構造」なるものを6つの項目で整理します。時期:1.着想と実行可能性,2.招致過程,3.建設とイベントの組織化,4.イベント開催,5.イベント・レガシー。項目:1.インフラストラクチュア,2.知識・技術開発・教育,3.イメージ,4.感情,5.ネットワーク,6.文化。この論文での事例研究はオリンピックではなく,2002年にマンチェスターで開催されたコモンウェルス大会です。都市開発の規模としてはオリンピックとそう大差はないが,グローバルな規模での報道などの発信としては比べ物にならない。最後の文章が興味深いので引用しましょう。「開催国政府はオリンピック大会を開催した場合の真のレガシー効果を真の意味での科学的に評価することを歓迎しない政治的立場がある。」(p.1933)

 

Olds, K. (1998): “Urban Mega-Events, Evictions and Housing Rights: The Canadian Case”, Current Issues in Tourism 1 (1): 2-46.
ようやく入手した論文。この雑誌のこの年次のものを所蔵する大学は2つしかなく,そのうち1大学には地理学者が在籍していたので,はじめましてのメールで依頼をしたところ,快諾してくれて入手。ありがたいです。著者のOldsはカナダの地理学者Leyとの共著で万国博覧会の論文があり,大学院時代に読んでいた。そんな彼がオリンピック関連の論文も書いていることを知ったのはCOHREの報告書を通じてであったが,その報告書が2007年であることを考えると,1998年の段階でこのテーマで書かれたこの論文はかなり先駆的だといえる。
本論文はオリンピックだけでなく,カナダで開催されたメガイベント,1986年のバンクーバー万博,1988年のカルガリー冬季オリンピック大会,そして1996年の夏季オリンピック大会はトロントが招致活動をしていて,これら3つのイベントを考察対象としている。
バンクーバーは2010年に冬季オリンピック大会が開催され,ボイコフの研究でも反オリンピック活動が盛んだった大会で知られる。1986年の万博における貧困層の立ち退きが激しかったということがこの論文で分かり,2010年につながっていくのだと理解できる。カナダも連邦国家だが,居住権に関する法律は州によって異なるようだ。バンクーバーの位置するブリティッシュコロンビア州と,カルガリーのあるアルバータ州とでは,アルバータ州の方が借主に厳しい。日本では賃貸住宅を想像するが,カナダではホテル住まいの人の話が多い。日本でいう日雇い労働者たちが住まう簡易宿泊所のようなものだろうか。でも,カルガリーの話では比較的高級なホテルの話も出てくる。ともかく,ダウンタウンではホテルに常住している人たちが多いのだろうか。メガイベントの決定によって家賃が一時的に上げられたり,観光客のためにリノベーションするという理由で追い出したりということがなされたようだ。会場近くにある大学ではイベント開催に協力していて,その一環として学生住居を選手や観光客のために一時的に利用するなどということもあったようだ。ともかく,バンクーバー万博とカルガリーオリンピックで立ち退きにあった人は多かった。そのこともあり,トロントでオリンピック招致活動が始まってからは反対運動が激しくなり,結果的に招致は失敗に終わったという話。しかし,2010年には再びバンクーバーでオリンピックが開催されてしまい,この頃の教訓は活かされなかったのだろうか。

 

Armenakyan, A., O’Reilly, N., Heslop, L., Nadeau, J. and Lu, I. R. R. (2016): “It’s All About My Team: Mega–Sport Events and Consumer Attitudes in a Time Series Approach,” Journal of Sport Management 30: 597-614.

この論文は2010年バンクーバー大会を事例に,カナダ人543人,アメリカ人247人にアンケートを取った調査。それぞれのナショナル・チームにどんな期待をするかということを,開催2か月前,開催初日,閉会式直後,終了2か月後の4時点で測定したもの。オリンピック研究では,住民や開催国民の意識調査はなされているが,アスリートとの関連についてはなされていないということと,これまでは開催前後の2時点の実施が多かったが,それを4時点にしたというのが新しいところ。しかし,全般的にこの研究はオリンピックがどうかというところよりも,イベントの経過によって意識がどう変わるかということを心理学的統計学的に明らかにすることに重点が置かれていて,統計学的な操作にあてられた説明が多い。結果としては,文化・社会的な類似性を有する2国民であっても,統計学的に有意な差がある。冬季大会はアメリカよりもカナダが強いが,メダルへの期待はアメリカ国民の方が圧倒的に強い。また,時系列的には大会が進行するにつれて期待度は高まっていき,終了後は下がるという傾向がある。

 

Edelson, N. (2011): “Inclusivity as an Olympic Event at the 2010 Vancouver Winter Games”, Urban Geography 32 (6): 804-822.
Urban Geography誌はこの号でオリンピック冬季大会の特集を組んでいる。そのなかでも,読むのはまだ1本目だが,この論文の著者は計画コンサルタント業者のようだが,学術文献だけでなく非常に多くの資料に精通していて素晴らしい論文。私も土木コンサルタント会社で働いているが,日本の企業にも見習ってほしい。そして,バンクーバーについてはこれまでもいくつか論文を読んできたが,この論文で2010年冬季大会の見方も随分変わった。こんな要約では語りつくせない非常に充実した論文である。Oldsの論文で確認したように,バンクーバーは1986年に万博を開催し,その時は多くの立ち退きがあった。その後,1988年のカルガリー冬季大会,1996年のトロント大会への招致失敗と経験を積んできた経緯もあり,メガ・イベント開催に関わる居住権の問題や社会的弱者の権利などに市民が敏感になっている。オリンピックのようなイベントはカナダ連邦政府,ブリティッシュコロンビア州,バンクーバー市という3つのレベルの政府の関りがある。そして居住関係やインフラについてもそれぞれの関わり方がある。それを踏まえて,オリンピック招致活動が始まる前後にバンクーバーに登場したさまざまな団体が概観される。それぞれの団体はいくつかの調査を行ったりしてさまざまな報告書が公表されている。そうした団体は市民団体だけではなく,各政府が関わるものもあり,また直接オリンピックへの関与を謳った団体もある。各団体はオリンピックに向けてさまざまな活動を行ってきた結果,招致委員会が提出した立候補ファイルでは,高度なインクルーシヴに関わる目標が提示され,それが開催決定につながった一つの要因でもある。しかし,最終的な開催計画はやはりかなり透明性の悪い状態で決定したとのこと。とはいえ,各種団体はそこで落胆せずに活動を続ける。この論文で非常に印象的だった記述は,警察や軍隊を監視する団体だ。メガ・イベントの際によく行われるのがホームレスなどの一時的な排除だ。警察権力を用いて強制的に行われる。そういうことがないように,市民団体は警察を監視する。政府はホームレスの一時保護施設を作ったりし,ともかく社会的弱者への暴力だけは認めないという市民一丸となった闘いは功を制したようです。とはいえ,開催都市全体としての変容はやむを得ず,結果的にホームレスの数は1.5倍に増えたとのこと。またインフラに関しても,市民生活に要求される東西の連絡鉄道よりも,空港から市街への南北アクセスが優先されて整備されるなど,オリンピックの弊害は無ではなかった。

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現代オリンピックの発展と危機1940-2020

 

石坂友司 2018. 『現代オリンピックの発展と危機1940-2020――二度目の東京が目指すもの』人文書院,272p.2,500円.

 

日本でその研究歴のすべてをオリンピックにささげてきた人はそれほど多くない。1976年の著者はスポーツ研究が盛んで,オリンピック研究者も多い筑波大学の出身で,その研究歴の多くをオリンピックにささげてきた研究者だといえるかもしれない。オリンピックを総括できる本をこれまで,ゴールドブラット『オリンピック全史』,ボイコフ『オリンピック秘史』と外国のものを紹介してきたが,本書は日本の研究者が書いたという意味でもその特徴がある。とはいえ,3冊の著者いずれもが,都市への効果ということをテーマの一つとして持っているという点で,読むべき一冊。

はじめに
第一章 オリンピックの誕生と伝統の創造
第二章 日本におけるオリンピックの受容
第三章 オリンピックと政治――ボイコットの時代
第四章 オリンピックとアマチュアリズム
第五章 オリンピックと商業主義
第六章 オリンピックは本当に黒字を生むか
第七章 オリンピックと象徴的権力
第八章 オリンピックレガシーの登場
第九章 2020年東京オリンピックの行方
おわりに

本書にはフランスの社会学者ブルデューの名前がよく出てくる。第七章のタイトルに「象徴的権力」が用いられているが,ブルデュー理論が根底の一つにあるようです。また,私が唯一持っているブルデュー本『メディア批判』のなかに,「オリンピック――分析のためのプログラム」という補論があることを知る。読み直そう。
本書が『オリンピック全史』や『オリンピック秘史』と異なるのは,「近代スポーツの発展は近代オリンピックと密接な関係を築いている」(p.26)という言葉に示されているように,近代スポーツ史という広い文脈でとらえているところにある。この視点は1981年の『反オリンピック宣言』にもあったものだが,本書ではそれが学術的な議論を受けているので,議論がさらに深堀されている。特にアマチュアリズムなどについての議論は深いし,政治や商業主義についても,どちらが正しい的な主張ではなく,データも示しながら,これまでこうした出来事があり,こうした議論がなされてきたということを示しつつ,議論が展開する。
6章では財政的な検討もいくつかの大会の事例で詳細になされており,第7章ではレガシーの話に移行する。ここでは,都市開発についても英語文献にかなり言及する形で議論されている。こうして,改めて本書の内容を振り返ると大して目新しいことは書いていないような気もしてくるが,『オリンピック全史』や『オリンピック秘史』が英語圏の文献に依拠することで一部は似たような記述になっていたのに対し,本書は関連する日本語文献に依拠しているため,かなり違った記述になっているという印象は強かった。特に私がまだ読んでいなかった多木浩二『スポーツを考える』など,スポーツ論やスポーツ研究の日本における層の厚さを感じさせる一冊だった。

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オリンピック秘史

ボイコフ, J.著,中島由華訳 2018. 『オリンピック秘史――120年の覇権と利権』早川書房,333p.2,200円.

にも紹介しましたが,元サッカー選手であるスポーツ社会学者,ボイコフの単著が翻訳されました。とはいえ,ボイコフにはオリンピック関係の著書が他にもあり,タイトルを見るだけでは学問的に面白そうなものは本書以外にもあります。本書の原題は「Power Games: A Political History of the Olympics」です。早川書房から出ているということで,少し一般向けの色合いが強いものと想像されます。本書の文献表にはゴールドブラット『オリンピック全史』はないし,逆に『オリンピック全史』の方にもボイコフのいくつかの論文しか言及がないということは恐らく,同じ2016年に出版されたこの2つの著書は同時並行的に執筆されたものと思われる。翻訳に関しても同様で,1896年のローマ大会以降を扱っている点でも,特に19-20世紀にかけての記述は似ているところが多い。とはいえ,彼が他の著書のタイトルにも使用している「祝賀資本主義」については,第5章でもタイトルに用いているため,後半を期待して読んでみましょう。なお,早川書房からの出版ということで,原注が省略され(本文中の番号は残されています),ウェブでPDFをアップロードするという手段をとっています(なお,そのPDF40ページにわたります)。

はしがき
序章「オリンピック作戦」
1章 クーベルタンとオリンピック復活
2章 オリンピックにかわる競技大会の歴史
3章 冷戦時代のオリンピック
4章 オリンピックの商業化
5章 祝賀資本主義の時代
6章 2016年リオデジャネイロ夏季オリンピックの大問題
日本語版増補

前半はかなりゴールドブラット『オリンピック全史』と似たような記述が目立つ。おそらく、過去にさかのぼればさかのぼるほど、残された資料が少なくからだろうか。どちらの著者も過去の史料を自ら分析する歴史家ではないので、限られたオリンピック史家の仕事に依っているからだろう。とはいえ、強調の仕方はボイコフ独特なものは感じることができる。例えば、1904年のセントルイス大会は、この時代の他の大会と同様、万国博覧会との同時開催、よくいわれる表現では「万博の添え物」として捉えられる。しかし、ボイコフはここでオリンピック大会というよりは万博の一つのイベントとして開催された「人類の日」イベントについてページを割いている。当時の万博では、植民地主義的な意識が支配的で、植民地から現地人とその家屋とを会場に移設し、そこに見世物として住まわせていたというのが有名。一方、このイベントは、人種別の運動能力(今でも「身体能力」という表現で当時の人種観は息づいている)を測定するものだった。
また、4年に一度各地を巡回して開催するというクーベルタンの企図を無視して開催された1906年のアテネ大会の説明も比較的多い。正式にはこの大会を認めるか認めないかは意見が食い違うようだが、著者はそういう意味でもこの大会の意義を強調したいのかもしれない。そして、アスリートの扱いにも焦点を合わせているのは、著者自身がかつてオリンピック代表にも選ばれたサッカー選手だからかもしれないが、アスリートが必ずしもオリンピック競技大会の中心にあるわけではない。かなり早い段階から、というか初期の上流階級の親善大会から国別対抗の競争へと変わっていった段階で、アスリートは運営側のさまざまな意図に翻弄される存在であった。
2章は「オリンピックにかわる競技大会の歴史」というタイトルだが、もちろん「かわる」は「代わる」であり、代替的なスポーツイベントが論じられる。これはゴールドブラットも詳しく論じていたように、女子オリンピックや労働者オリンピックに関して説明があるが、章の後半に1932年ロサンゼルス大会、1936年ベルリン大会、戦後初めての1948年ロンドン大会が含まれているのは面白い。第3章からは、一般的に知られていることはあまり書かれない。もちろん、冷戦やアパルトヘイト、民族問題などがオリンピック大会のボイコットを生んできたことはよく知られているが、それがかなり詳細に描かれる。1963年にスカルノ大統領時代のインドネシアで開催された新興国競技大会(GANEFO)についても詳しい説明がある。
1976
年のモントリオール大会が巨額の負債を抱え込み、1984年ロサンゼルス大会で公的資金を投入しない大会が成功したことで商業化が進展していくことはよく知られるが、第4章以降では、まさにメガ・イベント化したオリンピックを相手に格闘する開催都市の様子が詳しく記述されている。1976年冬季大会(この頃は冬季大会は夏季大会と同じ年に開催されています)は米国コロラド州デンバーでの開催が予定されていたが、1972年に住民投票を行い、6割が反対票を投じ、撤回した。その後も、実はけっこう住民投票をやって、招致をとりやめた事例は多いがあまり知られていない。そして、多くのNOCは住民投票をすると反対が多くなる可能性は大きいことを知っていて、あえてやらないことは多いという。
ボイコフはナオミ・クラインの『ショック・ドクトリン』で提示された「惨事便乗型資本主義」という概念と対になる概念として「祝賀資本主義」という概念を提示する。さらにこれら二つに共通する特徴をアガンベンの「例外主義」で補強して,近年のオリンピックを解釈している。ボイコフは祝賀資本主義をタイトルに掲げる著書も書いているが,本書でも第5章でこの概念がかなり丁寧に解説されている。彼は日本スポーツとジェンダー学会から招待を受けて,シンポジウムにビデオメッセージを寄せたことがあり,その報告が翻訳されて学会誌に掲載されているが,本書の記述とかなり重なるものがあった。どうやら,同じような話をいろんなところで書ける人らしい。まあ,ともかくそうでなければ,まだ翻訳されていないその本を読まなければならなかったが,本書で詳しく説明されているので,ありがたい。祝賀資本主義とは,災害時の参事便乗型資本主義と対になり,特別な事情の際に,どこからともなくお金が出てくるというような事態。ここで注目すべきは,新自由主義という近年の多い流れにオリンピックも位置付けることができるが,民間資本の活用に大きな重点を置く新自由主義と異なり,オリンピックは非政府組織のIOCが主体となり,国や都市政府が登場して巨額をつぎ込む。これがある意味新自由主義とは相いれないながらも,現代の特徴である。新自由主義はグローバル化を促進するが,一方で近年の政治的風潮は保守主義的な,国民国家単位のナショナリズムをかりたてるものでもある。オリンピックというものもコスモポリタン的な理念を持ちながらもナショナリズムを基礎とするもので,新自由主義ですべてを説明することはできず,そこにこの祝賀資本主義という説明原理が必要となる。
5章以降,2008年北京大会以降の記述は,情報もたっぷりあることもあって,非常に手厳しい。とはいえ,冒頭にも書いてある通り,著者はオリンピックを頭ごなしに否定する学者ではない。元スポーツ選手であり,アスリートとしてこの祭典に参加する喜びを知っている。そんな著者だからこその,「改革への提言」が丁寧に記載されている。冒頭の一節のみ引用して終わりにしよう。「開催都市はこれまでずっとオリンピックのために働いてきた。そろそろオリンピックの方が開催都市のために働いてもいいころだ。」(p.291

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オリンピック,メガイベント関連文献(英語編6)

Andravovich, G., Burbank, M. J. and Heying, C. H. (2001): Olympic Cities: Lessons Learned from Mega-events
Politics,
Journal of Urban Affairs 23 (2): 113-131.
アンドラノヴィッチとバーバンクの共著論文は前にも紹介しましたが,彼らは北米の事例でオリンピック研究をかなり手掛けているようです。この論文も2001年という比較的早い時期の都市を文脈にした批判的研究です。この論文でも,1984年ロサンゼルス大会,1996年アトランタ大会,2002年ソルトレイクシティ大会と米国のオリンピックにこだわったているのは,米国ではオリンピック開催に公的資金を投入せず,基本的には民間活力で準備,運営をするということになっているから。まあ,ある意味新自由主義的な企業家主義的都市政策と理解できます。もちろん,招致から開催まで10年ほどかかりますので,この論文で対象としているのは,1970年代から2000年代まで,オリンピックに関わるところでいうとグローバル化や都市政策の変遷などの時代の変容があるなかで,それぞれの時代に開催されているので,それだけでも違いがあります。また,そもそもの都市の違い,夏季と冬季の違いがありますが,この論文では違いを確認しながらもそこに米国における共通点を見出していきます。米国といえど完全に民間活力ではなく,特にソルトレイクシティでは市や州などもかかわっているようです。アトランタでは,オリンピック関連の再開発に対して地域住民による反対運動がけっこうあったようです。ソルトレイクシティでは贈賄問題がありましたし,環境団体による地域住民との反対運動もあったようです。民間活力といえども,市民参加がほとんどないというところは共通しているようですね。

Lenskyj, H. J. (2015): Sport Mega-events and Leisure Studies, Leisure Studies 34: 501-507.
このレンスキーという研究者はかなり批判的なオリンピック研究者のようですが,なかなか論文を手に入れることができません。この論文も非常に短いもので,オリジナルの研究というよりは,レジャー研究の分野での状況報告です。著者はカナダのトロント大学で教育学の研究所に所属しているようですが,社会学がベースにあるようです。1980年代から研究をしているようですが,社会学のレジャー研究ではスポーツというテーマが周縁に追いやられ,そこで女性の問題をとりあげるなどもってのほかだという雰囲気があったとのこと。そもそもオリンピック研究は大学と提携した独特の研究発表の場や,IOCが絡んだものなどがあり,批判的な研究を受け入れる土台がなかなかできなかったということも指摘しています。そんななかで,彼女が2012年に編集したパルグレイブという出版社から出した『オリンピック研究のハンドブック』は批判的なエッセイのみを収録したものであるとのこと。「レジャー研究の調査は,スポーツ・メガ・イベントを批判し,レジャー・サービスを提供するにあたって社会正義という課題に政策立案者の注意を向けることによって,この不均衡に立ち向かうことができる」(p.506)と締めくくっています。

Short, J. R. (2008): Globalization, Cities and the Summer Olympic, City 12 (3): 322-340.
かなり以前から活躍している英国の政治地理学者によるオリンピック論文。以前から読みたかったがようやく入手できた。やはり読んでよかったと思える1本。まだ,こういう論文が何本かあるんだよな。何とか入手する手段を考えなくては。
さて,シンプルなタイトルで,テーマは明白ですが,内容は多岐にわたります。よく語られていることも多いですが,著者なりの特徴のある記述もいくつかあります。まずはオリンピックのテレビ放映権が回を追うごとに倍増しているということはよく知られていますが,IOCに支払われる全体の放映権における米国の割合が徐々に減少しているということ。最近はネット配信やオンデマンドなどで多様化するなか,競技中継にもお国柄が出ているそうです。その国が好きな競技や報道の仕方があり,多様化しているとのこと。また,「大会の都市化」という表現を使って,開催都市の再開発やイメージ作りなどが論じられます。大会に関わる費用対効果分析については随分ページを割いていて,その意味のなさが指摘されています。それから,オリンピックの開催都市になることがかなりのステイタスになるようで,他のイベントを引き寄せ,結局は集まるところに資本は集中し,そうでないところにはどう頑張ってもなかなか集まらないというまさに近年進行するグローバル化の不均衡拡大をオリンピックが助長しているとのこと。

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オリンピックと東京改造

川辺謙一 2018. 『オリンピックと東京改造――交通インフラから読み解く』光文社,244p.800円.

東京オリンピックに伴う交通インフラの整備に関する知識をつけようと読んだ,光文社新書の一冊。著者は私と同い年の交通ライターとのこと。オリンピックにはそもそも関心はないが,東京の交通が1964年大会と大きく関連すると語られることが多いのに違和感を抱き,調べ始めたとのこと。まあ,交通に関する具体的な事実を学問的に突き詰めるとなると,それがいつ誰がどのような経緯で決定したのかということのチマチマした話になってしまうが,あまり丁寧に根拠を示さず,すっきりとまとめられています。

序章 プレイバック1964
1章 巨大都市を生んだ都市改造史
2章 五輪とレガシー
3章 1940年大会・幻の五輪
4章 1964年大会・初の五輪
5章 2020年大会・再起の五輪
6章 これからの東京と交通

本書には,ある都市計画家の議論を借りて,東京という都市を人体にたとえ骨格や循環期間が未発達なまま肥大化したと語られている。1か所では,名古屋や大阪と比べ,とまで書かれている。しかも,その根拠は計画されている道路の完成率のようなものだ。では,その何十年前に計画された道路が整備されていれば,東京に交通問題はないのだろうか。まず,著者の都市の捉え方に疑問を抱く。
結論としては,1964年大会はたまたま戦後の大規模なインフラ整備計画と時期が重なり,大会開催に向けてお金が出たり,若干の計画変更があったり,工事を急いだりしたことがあったが,オリンピックのために交通が整備されたわけではない。また,そういう事情や,時代背景の違いなどからも,2020年大会に1964年大会と同様の期待をするのは間違っているということになります。まあ,基本的な事実や,コラムで示された過去のオリンピックの負の遺産,つまり今は放置され朽ち果てていく競技会場の写真が掲載されているのはありがたかった(ネットで調べればすぐに出てくるらしいが)。

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