« オリンピック,メガイベント関連文献(英語編6) | トップページ | 現代オリンピックの発展と危機1940-2020 »

オリンピック秘史

ボイコフ, J.著,中島由華訳 2018. 『オリンピック秘史――120年の覇権と利権』早川書房,333p.2,200円.

にも紹介しましたが,元サッカー選手であるスポーツ社会学者,ボイコフの単著が翻訳されました。とはいえ,ボイコフにはオリンピック関係の著書が他にもあり,タイトルを見るだけでは学問的に面白そうなものは本書以外にもあります。本書の原題は「Power Games: A Political History of the Olympics」です。早川書房から出ているということで,少し一般向けの色合いが強いものと想像されます。本書の文献表にはゴールドブラット『オリンピック全史』はないし,逆に『オリンピック全史』の方にもボイコフのいくつかの論文しか言及がないということは恐らく,同じ2016年に出版されたこの2つの著書は同時並行的に執筆されたものと思われる。翻訳に関しても同様で,1896年のローマ大会以降を扱っている点でも,特に19-20世紀にかけての記述は似ているところが多い。とはいえ,彼が他の著書のタイトルにも使用している「祝賀資本主義」については,第5章でもタイトルに用いているため,後半を期待して読んでみましょう。なお,早川書房からの出版ということで,原注が省略され(本文中の番号は残されています),ウェブでPDFをアップロードするという手段をとっています(なお,そのPDF40ページにわたります)。

はしがき
序章「オリンピック作戦」
1章 クーベルタンとオリンピック復活
2章 オリンピックにかわる競技大会の歴史
3章 冷戦時代のオリンピック
4章 オリンピックの商業化
5章 祝賀資本主義の時代
6章 2016年リオデジャネイロ夏季オリンピックの大問題
日本語版増補

前半はかなりゴールドブラット『オリンピック全史』と似たような記述が目立つ。おそらく、過去にさかのぼればさかのぼるほど、残された資料が少なくからだろうか。どちらの著者も過去の史料を自ら分析する歴史家ではないので、限られたオリンピック史家の仕事に依っているからだろう。とはいえ、強調の仕方はボイコフ独特なものは感じることができる。例えば、1904年のセントルイス大会は、この時代の他の大会と同様、万国博覧会との同時開催、よくいわれる表現では「万博の添え物」として捉えられる。しかし、ボイコフはここでオリンピック大会というよりは万博の一つのイベントとして開催された「人類の日」イベントについてページを割いている。当時の万博では、植民地主義的な意識が支配的で、植民地から現地人とその家屋とを会場に移設し、そこに見世物として住まわせていたというのが有名。一方、このイベントは、人種別の運動能力(今でも「身体能力」という表現で当時の人種観は息づいている)を測定するものだった。
また、4年に一度各地を巡回して開催するというクーベルタンの企図を無視して開催された1906年のアテネ大会の説明も比較的多い。正式にはこの大会を認めるか認めないかは意見が食い違うようだが、著者はそういう意味でもこの大会の意義を強調したいのかもしれない。そして、アスリートの扱いにも焦点を合わせているのは、著者自身がかつてオリンピック代表にも選ばれたサッカー選手だからかもしれないが、アスリートが必ずしもオリンピック競技大会の中心にあるわけではない。かなり早い段階から、というか初期の上流階級の親善大会から国別対抗の競争へと変わっていった段階で、アスリートは運営側のさまざまな意図に翻弄される存在であった。
2章は「オリンピックにかわる競技大会の歴史」というタイトルだが、もちろん「かわる」は「代わる」であり、代替的なスポーツイベントが論じられる。これはゴールドブラットも詳しく論じていたように、女子オリンピックや労働者オリンピックに関して説明があるが、章の後半に1932年ロサンゼルス大会、1936年ベルリン大会、戦後初めての1948年ロンドン大会が含まれているのは面白い。第3章からは、一般的に知られていることはあまり書かれない。もちろん、冷戦やアパルトヘイト、民族問題などがオリンピック大会のボイコットを生んできたことはよく知られているが、それがかなり詳細に描かれる。1963年にスカルノ大統領時代のインドネシアで開催された新興国競技大会(GANEFO)についても詳しい説明がある。
1976
年のモントリオール大会が巨額の負債を抱え込み、1984年ロサンゼルス大会で公的資金を投入しない大会が成功したことで商業化が進展していくことはよく知られるが、第4章以降では、まさにメガ・イベント化したオリンピックを相手に格闘する開催都市の様子が詳しく記述されている。1976年冬季大会(この頃は冬季大会は夏季大会と同じ年に開催されています)は米国コロラド州デンバーでの開催が予定されていたが、1972年に住民投票を行い、6割が反対票を投じ、撤回した。その後も、実はけっこう住民投票をやって、招致をとりやめた事例は多いがあまり知られていない。そして、多くのNOCは住民投票をすると反対が多くなる可能性は大きいことを知っていて、あえてやらないことは多いという。
ボイコフはナオミ・クラインの『ショック・ドクトリン』で提示された「惨事便乗型資本主義」という概念と対になる概念として「祝賀資本主義」という概念を提示する。さらにこれら二つに共通する特徴をアガンベンの「例外主義」で補強して,近年のオリンピックを解釈している。ボイコフは祝賀資本主義をタイトルに掲げる著書も書いているが,本書でも第5章でこの概念がかなり丁寧に解説されている。彼は日本スポーツとジェンダー学会から招待を受けて,シンポジウムにビデオメッセージを寄せたことがあり,その報告が翻訳されて学会誌に掲載されているが,本書の記述とかなり重なるものがあった。どうやら,同じような話をいろんなところで書ける人らしい。まあ,ともかくそうでなければ,まだ翻訳されていないその本を読まなければならなかったが,本書で詳しく説明されているので,ありがたい。祝賀資本主義とは,災害時の参事便乗型資本主義と対になり,特別な事情の際に,どこからともなくお金が出てくるというような事態。ここで注目すべきは,新自由主義という近年の多い流れにオリンピックも位置付けることができるが,民間資本の活用に大きな重点を置く新自由主義と異なり,オリンピックは非政府組織のIOCが主体となり,国や都市政府が登場して巨額をつぎ込む。これがある意味新自由主義とは相いれないながらも,現代の特徴である。新自由主義はグローバル化を促進するが,一方で近年の政治的風潮は保守主義的な,国民国家単位のナショナリズムをかりたてるものでもある。オリンピックというものもコスモポリタン的な理念を持ちながらもナショナリズムを基礎とするもので,新自由主義ですべてを説明することはできず,そこにこの祝賀資本主義という説明原理が必要となる。
5章以降,2008年北京大会以降の記述は,情報もたっぷりあることもあって,非常に手厳しい。とはいえ,冒頭にも書いてある通り,著者はオリンピックを頭ごなしに否定する学者ではない。元スポーツ選手であり,アスリートとしてこの祭典に参加する喜びを知っている。そんな著者だからこその,「改革への提言」が丁寧に記載されている。冒頭の一節のみ引用して終わりにしよう。「開催都市はこれまでずっとオリンピックのために働いてきた。そろそろオリンピックの方が開催都市のために働いてもいいころだ。」(p.291

|

« オリンピック,メガイベント関連文献(英語編6) | トップページ | 現代オリンピックの発展と危機1940-2020 »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« オリンピック,メガイベント関連文献(英語編6) | トップページ | 現代オリンピックの発展と危機1940-2020 »