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ネオアパルトヘイト都市の空間統治

宮内洋平 2016. 『ネオアパルトヘイトの空間統治――南アフリカの民間都市再開発と移民社会』明石書店,437p.6,800円.

とある研究集会で本書の著者と会った。飲み会の席で近くになり,彼の研究を全く知らないまま,いろんな話をさせてもらった。私自身は南アフリカについて大した知識もないが,オリンピック関係の論文を読む中で,ケープタウンが2004年夏季大会に立候補していたこと,2010年にサッカー・ワールドカップを開催したことなどを知っていたので,そんな話をさせてもらっていた。自宅に帰って調べると,本書がすでに3年前に出版されていて,しかも人文地理学会で賞を受賞していたことを知り,何も知らずに話をしていたことを恥じた。その場では,今度彼を報告者とした研究会の企画の話が進んでいたこともあり,本書を読んでその研究会に臨むことにした。

序章 自由の迷走
1章 南アフリカと新自由主義
2章 例外空間と構造的不正義
3章 アパルトヘイトとフォーディズム
4章 インナーシティの空間編成史
5章 ヨハネスブルグのクリエイティブ産業
6章 「光の都市」の誕生
7章 「闇の都市」に生きる移民
8章 「光の都市」のネオアパルトヘイト
9章 「光の都市」の社会工学
10章 「光の都市」の葛藤
終章 正義への責任のために

とても読み応えのある一冊でした。博士論文が基になっているということもあり,前半では理論的な議論が続く。第1章では南アフリカの現状を英文文献で概観し,「新自由主義時代の生権力論」と題し,フーコーの「生権力論」を,ハーヴェイやバウマン,ポランニーやアパデュライなどの議論を通じて現代的文脈で再解釈する。第2章はヨハネスブルグにおけるゲーテッド・コミュニティの現状を紹介しながら公共空間論へと展開し,アイリス・マリオン・ヤングの「構造的不正義」という本書の一つのキーワードにたどり着く。
3章では,南アフリカではアパルトヘイトが廃止された後も移民労働に頼っている現状が語られる。もともとヨハネスブルグは金鉱が発見されたことで多くの移民が集中してできた都市だという。アパルトヘイトが正式に成立したのは戦後の1948年だが,1994年に撤廃されるまで黒人にはろくな教育も与えられていなかったため,その時点で成人していた黒人たちは労働者としての最低限の技術も身につけていない人が多いという。民主化以降,南アフリカは経済成長をしていくが,その際に必要な労働力として黒人はあまり役に立たず,周辺諸国からの移民が必要な労働力を提供しているのが現状だという。アパルトヘイトが撤廃されても,資本主義の自由経済を優先する新自由主義的政策の下では,白人中心の企業経営に低賃金労働者の黒人という図式のもとで,アパルトヘイトと同様の状況が継続する。それをネオアパルトヘイトと呼ぶらしい。
4章ではヨハネスブルグのインナーシティの状況が歴史的にたどられる。ヨハネスブルグは金鉱でにぎわった都市なので,それなりの資本蓄積で,早くから高層ビルなどが立ち並んでいた。世界的な都市化→郊外化の流れに従って,白人の富裕層は都心を離れ,新都心と呼ばれる「サントス」という地区に移動し,企業の本社なども移動する。残された都心のビルは放置され,先ほど述べた近隣からの外国人労働者によるスクウォッティング,またはマフィアのような組織による乗っ取りが行われ,劣悪な環境で貧困層が所狭しと住まうという。黒人はもともと黒人地区として隔離されていた「タウンシップ」に隔離政策が終わった後も相変わらず住み,またかつて炭鉱などで働く単身黒人男性のために建てられた「ホステル」なる集合住宅に住み続けるという。民主化以降,政府はそうした黒人向けに大量の社会住宅を建設しているようだが,量的には足りていないという。そんなインナーシティを,政府は「都市改良地区」と定め,民間資本を利用して再開発を行っている。第5章ではそんな再開発で,リチャード・フロリダのいうクリエイティブ産業が一つの役割を果たしていることが紹介される。アート・フェスティバルが開催され,アーティストたちが住みつき,賑わいを見せ,他のイベントが模様され,複数の地区でクリエイティブ産業が立ち上がっていく。
6章では,そんな地区がいくつか紹介される。ニュータウン,ブラームフォンテイン,そして著者が集中的に調査したマボネンである。これまでにはほとんどなかったミニシアター系の映画館や小劇場,ギャラリー,ナイトクラブ,バーやカフェが立ち並ぶ。こうした地区に投資する起業家たちは,放置されたビルを買い取り,リノベーションし,オフィスを構え,さらなる起業家のためのシェアオフィスを作ったりする。まあ,いわゆるジェントリフィケーションですね。そのマボネンという地区は,リーブマンというユダヤ系の青年実業家がPT社という会社を立ち上げ,この地区をほぼ1社(子会社を含む)で再開発を進める。各地で再開発が進むとはいえ,ヨハネスブルグは相変わらず危険な都市であることは変わらないので,この地区は監視カメラや警備員を配置し,オフィスや住宅は入館警備を徹底する。そうすることで,この地区で働き,また遊びに訪れる者たちの安全を確保している。
7章では,そんなジェントリファイされたマボネン地区のすぐ近隣では,古い移民である南アジア人やアフリカ人が経営するさまざまな店舗が紹介される。それなりの技術を持って移民労働者としてやってくる外国人とかつてアパルトヘイトに苦しめられた南アフリカ人との間には不和がある。どこでも同じような状況だが,最下層の人たちは移民によって自分たちの職が奪われたという妬みがあるのだ。インナーシティではそんな下層民たちが独自に行うインフォーマル経済の様子が報告される。八百屋や床屋,パン屋や食堂など。南アフリカ共和国国土内に含まれるレソトという王国からやってくる移民の多くが廃品回収の担い手となっている。その廃品回収業者もインフォーマルとフォーマルとに分かれているとのこと。マージンを引かれて移民たちにどれほどのお金が渡るのだろうか。先述したホステルの様子も報告される。
8章ではマボネンを再開発しているリーブマンのPT社をめぐって,メディアなどに寄せられる批判とリーブマンの主張などが検討される。この辺りが日本とは異なり,健全な気がします。例えば,日本では森ビルという会社が,六本木や虎ノ門の再開発を次々と手掛けたが,かれらのやり方に対する表立った批判はあまり目にしていないと思う。多くの人はそのやり方に不満を抱いていると思うが,公の場でその是非を問うことはまずしない。そもそも,こうしたクリエイティブ産業地区に集うのは,人種を超えて高学歴の富裕層であるとのこと(ただし,他の改良地区ではこうした人種のミックスはほとんどないとのこと)でそうした議論が可能になるのだろう。その議論では「ジェントリフィケーション」という日本では学術研究者と一部のメディアしか使わないような言葉が日常的に使われる。そして,それはもちろん否定的な意味において。第9章では同じマボネンの話で,実際にかれらの再開発がこのかつては無秩序状態だったヨハネスブルグに何をもたらしたのか,ということが再検証される。少なくとも一部の人にとって,この地区は安全で健全な企業活動,文化活動ができる場所に「改良」された。しかし,それが故に今度はこの地区とその近隣地区との格差が明確になる。そして,第10章で論じられるように,整然とした一画に生まれ変わったマボネンだが,ある意味それはグローバル都市の仲間入りであり,アフリカの都市であるという土着性を失うことでもある。同時にその地区で活動するアーティストはそのことで自らのアイデンティティに対して疑念を抱くことにもなり,アフリカへの回帰,ないし再発明ということも起こってくる。ズーキンやスミスのジェントリフィケーション論をようやく私は学ぶようになったが,ひそかに抱いていた疑念があった。それはジェントリフィケーションを批判する研究者は,そこで排除の対象になるスラムや貧困者をどうしたいのかということが分からなかった。ホームレスとして生きるのも人権のうちなのか,衛生という思想は近代に生まれたものだが,不衛生という状態も存在する価値があるのか。経済発展が不要だという議論には賛成するのだが,生死の境を生きる最底辺の人々の生活はどうなのか。まあ,そういう論者は単なる開発の問題だけでなく,社会的な不平等を訴えているから,社会全体の問題が解決すれば貧困層の人々が減るのだろうかともかく,色々考えさせてくれる読書でした。

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