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オリンピック,メガイベント関連文献(英語編13)

Kennell, J. and MacLeod, N. (2009): A Grey Literature Review of the Cultural Olympiad,Cultural Trends 18 (1): 83-88.
文化オリンピアードについては,ゴールド夫妻の『オリンピック都市』でも1章を割いている。現在のオリンピック大会には文化プログラムの実施が義務付けられている。前大会の終了後,本大会の4年前から実施することになっているため,オリンピックの文化プログラムは常にどこかの国で行われていることになる。2012年ロンドン大会については,太下さんの論文などで詳しく紹介されているが,ロンドン大会の文化プログラムは非常に充実していたらしい。この論文でも前半はロンドン大会の説明だが太下論文よりもより抽象的なことが論じられているように思う。まず,ロンドン大会での文化プログラムはロンドンと英国の文化的な多様性を称賛するものであり,芸術表現と創造産業を創造し,現代のロンドンを世界的な文化的首都として宣伝し,経済的な再生を促進するものである。文化オリンピアードはスポーツに参加しない人を含めて競技大会を盛り上げる地元の意思表示と成り得る。
この論文のタイトルにある「グレイ文献」という意味合いがよく分かりませんが,この論文では文化オリンピアードに関連する50以上のグレイ文献を含むレビューだとあります。それらは5つのテーマがあり,1.文化的発展,2.制度的枠組みの発展,3.社会的便益,4.教育的便益,5.宣伝的便益だそうです。スポーツと芸術を結びつけ,文化的多様性を参照し,文化的参加を増加する,協力体制を強化することで制度的枠組みを発展する,漢江と文化をコーディネイトすることで財政的に持続可能な計画を宣伝することで国際的な結びつきを発展する,まあそんなことのようです。ボランティアはコミュニティの参加に関して重要で,文化オリンピアードは創造産業の訓練機会を増やす。まあ,そんないいことしか書いてありませんね。個人的にはカルチュラル・スタディーズ的な根本的な文化批判が必要だと思っています。

Kassens-Noor, E. (2016). From Ephemeral Planning to Permanent Urbanism: An Urban Planning Theory of Mega-Events. Urban Planning 1: 41-54.
https://www.cogitatiopress.com/urbanplanning/article/view/532/532
この論文は,オリンピック関係の英語論文として初めて読んだもの。すでに,このblogでも簡単に紹介はしていますが,読み終えて大分経ってから印象的に書いたものだったので,改めて読みなおしました。この論文で著者はメガ・イベントのユートピアとディストピア,ヘテロトピアという概念を提示します。ユートピアはまさにイベント所有者や主催者の視点に立ったもので,招致段階から開催までの時期のものです。所有者・主催者側はもちろん,そのイベントが多くの者に正の効果をもたらすと信じて疑わないわけです。著者は都市計画系の研究者ですから,「メガ・イベント・レガシー・ユートピア」という言葉も使い,開催都市にとって魅力的なメガ・イベントがもたらす理想的で長期的な結果と可能性を有するものを描きます。開催前に行われる経済効果分析が科学的なものというよりは希望観測的なものということはなんどか書いていますが,ユートピア的な見方は実際の状況を勘案せず,負のレガシーについても考えません。そういう具体的なことや負の効果を考え始めるとディストピアにならざるを得ません。反オリンピック集団,強制立ち退き,移転,メガ・イベントのための巨大プロジェクトの失敗などがメガ・イベントのディストピアとなり,時期的にはイベント開催後(もちろん,建設時も含みますが)ということになります。著者は2024年大会のボストン招致に携わったらしく,その経験や関係者へのインタビューもこの論文を執筆する動機になったようです。ユートピアとはトマス・モアの作品名(1516年)ですが,それ以前のプラトンの『国家』にまでさかのぼり,産業革命を経た後のル・コルビジェやエベネザー・ハワードなどの都市理論もその系譜に入れています。メガ・イベントの典型的な所有者としてIOCの歴史にも触れ,ワールドカップや万博などをメガ・イベントとしています。政府や都市で積極的に開発の担い手になるような企業にとってはメガ・イベントは非常に魅力的なのですが,実際の計画に際しては,その透明性や公的な説明責任,非暴力的な解決法などを著者は強く求めています。この論文には,メガ・イベント・ユートピアの概念図も提示されています。完全なるメガ・イベントとは,土台に100%公的な支援のある社会があり,3本柱として,全てを得てリスクを負わない経済,アスリートの経験というイメージ,施設や交通,住宅といったインフラストラクチャーが屋根を支えています。IOCは開催都市に補償金を求めながら,損失の一切は負いません(今は少し変わったようですが)。オリンピックはアスリートたちの競技の素晴らしさというイメージを先行させることで「オリンピックの魔法」をかけ,負の側面を覆い隠します。世界中の人々が集まるというイメージは経済に対してもクリエイティブなイノベーションを生み出すような正の側面を強調することになります。施設,アクセス交通といった著者が得意とするインフラについては,施設の立地が一か所集中的なものか,2か所,3か所,4か所と分散的なものかという議論が地理学的には興味深いです。ちなみに,東京は1964年大会も2020年大会も2か所です。メガ・イベント・ヘテロトピアはイベント後の雑種的な都市システムにおけるレガシーの蓄積だとされています。リオを例に,レガシーのヘテロトピア的進化が地元(ロカール)や利害関係者の見方によってさまざまに脅かされているといいます。ヘテロトピアとは,理想的なユートピアと現実的なディストピアとの間,組み合わせ,ということでしょうか。最後に,計画家として,メガ・イベントをどのように計画すればよいのかの指針が示されます。「端的に,メガ・イベントは開かれたものとして統治されなければならない。開かれた政府は,知識の管理や,活動的な参加や,公的な意思決定の道具としてオンラインのサービスを管理しなくてはならない」(p.51)。何度も読み返す価値のある論文です。

Walker, M, Heere, B., Parent, M. M. and Drane, D. (2010): Social Responsibility and the Olympic Games: The Mediating Role of Consumer Attributions,Journal of Business Ethics 95: 659-680.
この論文は企業の社会的責任(CSR)をテーマにしています。この概念を私的企業だけでなく,企業と同様の活動をしている規模の大きいNGONPO団体にも当てはめることができるというもの。事例としては2008年北京大会の運営主体の一つであるIOCを扱っています。2008年の開催までにIOCは歴史的にその責務を変化させており,その経緯が概観されます。国連の決議に従って,環境に配慮したり,持続可能を訴えたりしてくるなかで,IOCCSRを強く意識しなければならない状況にあります。この論文では,いくつかの仮説を立て,それを通常の企業活動の消費者,つまりオリンピックにおいては観戦者にアンケートすることで明らかにしようとします。2008年大会を観戦するために世界から北京を訪れた外国人503人の回答結果の,定量的な分析結果を示しています。ちなみに,国別内訳は米国が37.6%,カナダが8.9%,オーストラリアが4.8%,その他も韓国,メキシコ,英国,ドイツとかなり偏りがあります。それは英語でのアンケートという側面もありそうです。その統計学的な分析はよくわかりませんが,質問項目は26ほどあり,IOCが環境問題に配慮しているか,きちんと組織されているか,IOCを支持したいと思うか,イベントお土産を購入したか,などなどです。それぞれの質問が,CSRに関する類型的な意識や態度,意図や動機に関わっています。結局,この論文もオリンピック研究への寄与というよりはCSR研究への寄与が主なので,結論的に何か得られたかというと,私にはイマイチいでした。一文だけ引用して終わりにしましょう。「IOCは,社会的アウトリーチとの結びつきの背後にある動機の消費者の認識の重要性を強調すべきである」(p.675)。

Roslow,S., Nicholls,J. A. F. and Laskey, H.A. (1992): Hallmark Events and Measures of Reach and Audience Characteristics, Journal of Advertising Research 32 (4): 53-59.
ホールマーク・イベント研究はこれまで観光研究の文脈で行われてきたが、この論文はマーケティング戦略で捉えようとしている。観光という意味では、イベントによって開催都市外からの移動を前提とするが、もちろん開催都市内の参加者もいる。また、この論文は冒頭で広告やメディアについても言及しており、そのイベントがどういう人をターゲットとするかで、スポンサーやイベント参加者に対する対応が異なってくる。著者たちは米国フロリダ州で19841989年までに開催された10のイベントで、参加者にインタビュー調査を行っている。自由参加のオープン・イベントの場合は参加者数は警察の発表や航空写真による算出などで、チケット・ベースのイベントはチケット販売数で管理される。
ビジネス博覧会やグランプリ、カーニバルなどが調査対象には含まれ、規模としては2万人程度から、140万人まで差があり、調査サンプル数も130人から688人までまちまちである。基礎的な属性として年齢、収入、性差などが整理され、ビジネス博覧会の参加者は平均40歳程度で高収入者が多い。グランプリは男性の割合が6割を超え、平均年齢は30歳程度。カーニバルなどのお祭りでは低収入者が多いなど、イベントの特性によって参加者の属性は異なる。また、参加者の居住地についても質問しており、開催のカウンティ、フロリダ州、米国の他の州、外国などの割合が示されてる。3つのイベントに限定して示されている表で面白いのが、ビールの銘柄の割合である。日本でもある程度、スーパードライかキリン・ラガー、一番搾り、黒ラベルなど、なんとなく性格による分類ができそうだが、米国ではバドワイザー、クアーズ、ハイネケン、レーベンブロイ、ミラーの違いは階級差を示すのだろうか。ともかく、純粋な学術調査というよりは、マーケティング戦略に利用するという腹黒さが否めない論文だが、他にはない面白さもある。

Ziakas, V. and Boukas, N. (2014): "Post-Event Leverage and Olympic Legacy: A Strategic Framework for the Development of Sport and Cultural Tourism
in Post-Olympic Athens," Athens Journal of Sports 1 (2): 87-102.
2004
年アテネ大会では、いくつかの施設が大会開催後に利用されなくなったことが知られているが、この論文ではオリンピック開催後のアテネをスポーツと文化観光として利用するための方策を探ることを目的としている。Kassens-Noor2016)ではアテネの施設配置は3箇所立地と分類しているが、この論文では新設施設を多核的に分散させる戦略であったという。オリンピック開催に向けて整備されたものとしては、新国際空港、新地下鉄ネットワークなどがあるという。しかし、オリンピックの組織委員会と観光団体との協同の欠如があったという。この論文では、Chalip2004)が導入したという「投機するleverage」という概念を枠組みとして使っている。この論文は、9人の市職員と観光行政官とのインタビューによる定性的分析である。いずれのインタビュー対象者も、オリンピックがアテネ市にとってスポーツ・文化観光の開発にとって重要なものであると認識している。回答者によれば、アテネは自然資源に富んだスポーツ・文化観光地としての優位性を有しており、文化や良い天候、買い物、海洋スポーツの適切な環境などが備わっている理想的な都市目的地だという。しかしその一方で、市のみならず国全体としての経済危機が大きな問題であることに回答者たちは同意している。オリンピックに関しては、新しく建設された施設が他のレクリエーション利用との関連性を有しないがゆえに耐えられない維持費になっている。そうした施設のスポーツはギリシアでは人気がないようで、回答者たちは文化イベントや会議、などの目的に変更し、文化観光との相乗効果を生むスポーツ観光の開発を強調している。ただ、既に閉鎖してしまっているオリンピック関連施設を再利用する効果的な計画は思い浮かばないという。そのためにも、官民の協同を構築することが、オリンピック・レガシーに投機するのに必要である。最後に、この論文では、2004年大会で新設された各施設について、スポーツ観光として利用する場合と、文化観光として利用する場合との方策を提案している。ただ、この論文ではあくまでも限られた人数のインタビューだけなので、ハード面での計画は抽象的な提言にとどまり、観光の上部構造といっているように、ソフト面というか理念的なものにとどまっています。

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