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2019年8月

オリンピック,メガイベント関連文献(英語編17)

Roessner, L. A. (2014): "Sixteen Days of Glory: A Citical-Cultural Analysis of Bud Greenspan's Official Olympic Documentaries," Communication, Culture & Critique 7: 338-355.
この論文でも、オリンピック映画を取り上げた学術研究といえば、レニ・リーフェンシュタールによる1936年ベルリン大会の記録映画と、1964年東京大会の市川崑監督作品に関するものがほとんどだという。日本における研究も同様だが、米国のグリーンスパン(1926-2010)なる人物が多くのオリンピック・ドキュメンタリー映画を制作していたことは私も知らなかった。2008年の北京大会が最後になるが、それまでの40年間に43本の作品を制作しているという。その中には1998年長野大会も含まれ、夏季大会のみならず、冬季大会も制作していたとのこと。この論文は、カルチュラル・スタディーズ的な文脈で、批判的な立場から、グリーンスパン作品を分析している。グリーンスパンは1948年のロンドン大会で、ラジオ報道者としてニューヨークのWMGMという放送局のために取材したのが初めてだという。若干21歳の青年はその後10年にわたって、スポーツ記者としてホッケー、バスケ、テニス、陸上競技などをWMGMのために取材したという。そんななか、1948年と1952年の大会において、重量挙げで金メダルを獲得したジョン・デイヴィスを取り上げた15分間のドキュメンタリー作品『世界最強の男』が1952年に制作された。この作品が売却され、オリンピック関連のドキュメンタリーがお金になることが分かった彼は、その後も作品を制作し、1967年にカッピー・プロダクションという会社を設立し、1936年ベルリン大会の陸上での金メダリスト、ジェシー・オーエンスに関する作品は22時間にも及ぶもので、エミー賞を受賞している。1984年ロサンゼルス大会で、公式の大会ドキュメンタリー映画を制作することとなり、この論文のタイトルはその映画のタイトルで、1994年リレハンメル大会にも同じタイトルが用いられた。とにかく、グリーンスパンはIOCのお墨付きで、公式オリンピック映画を制作し続けることとなり、クーベルタンのオリンピック理念を、現代アメリカ流に変換させたものとして表現していく。オリンピックのテレビ放映に関する論文でも、アメリカ的な番組は選手の個人誌に焦点を当てて、ドラマ化するのが常套手段だというものがあったが、まさにそれはグリーンスパンの発明品なのかもしれない。例えば、私も知っている米国の助成陸上選手ジョイナーは貧しい地区で育っていて、まさにアメリカン・ドリームの体現者だった。スポーツによる人間精神の称賛と国境を越えた普遍性という、「競技大会のバラ色のビジョン」(p.349)が彼の作品では描かれる。それは、「人種差別主義や性差別主義、権力の不均等な配分、社会的病理など、オリンピックによって生じるスポーツの好ましくない側面を無視し、覆い隠している」(p.349)。

 

Hiller, H. H. (1990): "The Urban Transformation of a Landmark Event: The 1988 Calgary Winter Olympics," Urban Affairs Quarterly 26 (1): 118-137.
ヒラーは早くからメガ・イベント(メガ・イベントという語が一般化する前、ホールマーク・イベントと呼ばれている頃から)研究を続けている研究者で、メガ・イベントでも特にオリンピックに集中して研究をしてきている。この論文は初期のころのものだが、所属がカルガリー大学になっていて、ちょうど1988年冬季大会を経験している。オリンピックの社会学的研究を押し進める著者だが、とかく社会学的な観点からだと批判的な立場を取りがちで、著者自身も2010年大会への南アフリカのケープタウン招致活動を取り上げた論文では批判的な論調である。しかし、この論文はそうではない側面をうまく引き出している。とはいえ、一般的な意味でのオリンピック称賛の立場ではなく、あくまでも学術的な立場であるのがさすが。冒頭で、オリンピックのようなメガ・イベントは本来エリート主義的なもので、経済的ブースター(後援者)によって経済発展の道具として用いられることを認識している。一方で、住民はこの時期でもデンバーが住民投票で、冬季大会の招致活動をやめさせたという事実があったり、エリート主導のメガ・イベント招致に対する抵抗運動がある。かつて、万国博覧会も大衆動員の手段として用いられたこともあり、商業的に成功したオリンピックとして知られる1984年ロサンゼルス大会に続く、1998年カルガリー大会も同じような側面を持っていると指摘する。「定義からして、オリンピックはエリート主義のスポーツ・イベントであり、巨額の公的資金が、出場選手の支援や施設建設に用いられ、それらはエリート・スポーツの訓練や競技に用いられる」(p.122)という。限られた高額の観戦席のチケットは、一部の住民にしか行き渡らない。しかし、カルガリーでは多くの住民が大会開催を支持していたという。住民の意識によって、このエリート主義的なイベントは都市祝祭に変容するという。カルガリーという都市の歴史において、大会開催が決まった1981年は経済成長のピークだった。エネルギー産業の発展によって1961年から1981年までに人口は倍増したが、1970年代中ごろから住宅価格などが落ち込むようになり、1981年に住宅市場の崩壊や収入の下落、失業の増加、転出の増加などが始まる。
招致・開催側は都市イメージや人口の回復を目論んでいたわけだが、その一方で市民たちはこのイベントを歓待したという。まずは、子どもたちが教育プログラムを通じてこのイベントに参加した。ショッピング・モールに展示をしたり外国からの選手や観客に手紙を書いたりした。カナダ国内での聖火リレーはメディアで毎日報道され、参加者も増えた。この大会の重要なレガシーはオリンピック・プラザの建設が新市庁舎に近接して建設業者にショッピングモールの建設地としても魅力を与え、結果的には新しい舞台芸術センターなど多様なエンタテイメントの場となった。カルガリーには夏の年間行事として「カルガリー・スタンピード」と呼ばれるロデオのイベントがあるが、これをオリンピック開催時に数箇所で行ったという。恒例の無料の朝食がふるまわれる。オリンピック・プラザに近い広場では空を色とりどりのバルーンが覆ったという。また、大会期間中に、クリスマスの屋外照明を出し、訪問者を歓迎したという。もちろん、文化イベントであるオリンピック芸術フェスティバルも開催された。この大会では、ジャマイカのボブスレーチームが話題になったが、金メダルを取るようなエリート選手だけでなく、こうした民衆のヒーロー的な話題があったのも大きい。選手と都市住民との社会的な距離を取り除き、同じ市民として相互に注目しあうような関係が築かれたのではないかという。街中では、外国からの観客に対して地元住民が自分の家に招待してお茶をしたり、ホテルが満室で宿泊先がない旅行者、あるいは選手の家族に民家を提供したりという草の根の参加が観察されたという。最後の方でジェイコブズにも言及しながら、こうしたランドマーク・イベントは街路や舗道、広場といった場所で、祝祭的な活動が人々の正の感情を呼び起こし、都市生活を活性化させる可能性を秘めている、と締めくくっている。この論文は、それを実証的にきちんと示したわけではないが、とかく批判的な立場で論じがちなメガ・イベントに対して、偶然から生じる市民参加について論じることも重要だと教えてくれる。

 

Silk, M. (2011): "Toward a Sociological Analysis of London 2012," Sociology 45 (5): 733-748.
かなり漠然としたタイトルで、1990年代ならまだしも、ちょっと懐疑的に読み始めた。著者自身は2012年ロンドン・オリンピックをはじめ、2012年ソルトレイクシティ大会、2008年北京大会、1998年のクアラルンプールのコモンウェルス大会などを手掛けているようだが、この論文はいまいち論点がはっきりしない。カルチュラル・スタディーズの影響下にもあるようで、ホールやギルロイ、ジェイムスンやジェソップ、バウマン、フェザーストーン、ハーヴェイやズーキンなども引用されている。一応、論点を3点ほどに絞っていて、1つ目がドゥボールの議論によりながら、オリンピックが新自由主義的な資本主義の論理の下でのスポーツのスペクタクルであると論じる。2つ目はジェソップの「グローバル都市化Glurbanization」の概念を用いて、メガ・イベントを契機とした、ポスト産業都市の生き残りをかけた、公民連携(PPP)による開発を論じる。3つ目は「過去の商品化」というタイトルで、2008年北京大会の閉会式での8分間のロンドン・プレゼンを論じている。改めてこの論文の発表時期を見ると、また2012年大会の前なので、本番の開会式は分析しようがない。2012年大会の開会式については日本でも優れた研究があり、この論文での分析はあくまでも限定的な印象を受ける。ただ、開会式にみられるナショナリズムとコスモポリタニズム、そして国民の多様性の称賛という話は、日本でも阿部 潔が論じているし、さまざまな大会で同じようなことが主張されている。ということで、ちょっとオリジナリティにかける論文だった。

 

Shin, H. B. and Li, B. (2013): "Whose games? The Cost of Being "Olympic Citizens" in Beijing," Environment & Urbanization 25 (2): 559-576.
2009年の単著論文に続いて、同じ2008年北京オリンピック大会を扱ったShinさんの共著論文。2009年の論文では、北京の状況についての説明が多かったが、この論文は論点を絞っている。2009年の論文では「都市的農村urban village」と表現されていたが、この論文では、公的な用語としても定着したのか、「都市のなかの村villages-in-the-cityVICs)」と表現される。中国語では「城中村Chengzhongcun」というらしい(Wikipediaではurban villageになっている)。ウェブで調べると写真が出てきますね。衝撃的です。
http://www.mascontext.com/issues/19-trace-fall-13/the-chengzhongcun-urban-traces-of-the-village/
政府の調査によると、2000年代にVICsは北京に332存在しており、このうち231を「環境改良」という事業の下に取り潰すことを決め、2008年オリンピック大会までに171の取り壊しを計画していたという。この論文では、北京市の海淀区Haidian3箇所のVICでインタビュー調査を行っている。調査は200812月から20091月にかけて行われている。2009年の論文でも説明したが、北京では農村部から都市部への人口流入が激しく、都市が拡張し、かつて農村だった場所の土地所有者が、都市化される過程で、その土地に賃貸住宅を建て、農村からの移住者を住まわせるということが行われ、それがVICと呼ばれる。農村からの移住者は都市市民とはみなされず、公的なサービスを十分に受けられず、公共住宅には入居できないために、こうしたインフォーマルな賃貸住宅に住まざるを得ない。一方で、貸主はこの賃貸収入が所得の重要な部分を占めるといった次第。インタビューは移住者と貸主の両方について行われ、移住者が28人、以前からの居住者(≒貸主)が20人の合計48人である。北京は環状線が発達していて、インタビューの対象となった地区は、第三環状線の外側、第四環状線の外側、第五環状線の外側からそれぞれ1箇所選択されている。北京の都心4区(第三環状線内)と外縁部4区についての人口データ(移住者の割合や人口密度)などが示されている。北京大会の住民の支持率は2000年時点で94.6%を占めていたという。移住者はオリンピック開催に反対していたわけではない。この辺りが日本とは明らかに事情が違う。ある意味インフォーマルに移住してきたものは、住居を追われることになっても仕方がないと回答している。また、VICの取り壊しはオリンピックに始まったものではなく、いつ取り壊しが来ても仕方がないと思っていて、また政府のやることは自分たちとは関係ないというか、自分たちの意見で政治や行政が変わるとは考えていない。取り壊しを当然だと考えているのは移住者だけではない。貸主であるかつてからの北京居住者も取り壊しは仕方がないと考えている。しかし、実際に取り壊しの計画はあまり進んでおらず、取り壊しが行われない限りはインフォーマルな住宅建設、賃貸経営をやめないという。実際、2009年の論文にも書かれていたが、農村からの移住者たちは、オリンピックに関しても建設作業員として関わるような労働者であり、それだけでなく、北京の経済成長にとって欠かせない存在でありながら、排除の対象にもなっている。この論文でも、ルフェーヴル以降流行りの概念である「都市への権利right to the city」(p.573)が出てくるが、欧米で議論されるような意味とはだいぶ異なる。そういう意味でも、このShinさんの研究は非常に重要であるといえる。

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現代スポーツの社会学

コークリー, J.・ドネリー, P.著,石岡丈昇・伊藤恵造・大沼義彦・甲斐健人・鈴木文明・長津詩織・橋本政晴・前田和司・松村和則・村田周祐・吉田 毅・鷲谷洋輔訳(2013):『増補 現代スポーツの社会学―課題と共生への道のり―』南窓社,318p.3,600円.

 

日本スポーツ社会学会の学会誌『スポーツ社会学研究』にも何度か寄稿しているドネリーによるスポーツ社会学の入門書が翻訳されていたので読むことにした。とはいえ、本書はもともとアメリカの社会学者コークリーによる単著で1978年に出版されたものがあり、それは『反オリンピック宣言』(1981年)の編者である、影山 健らによって『現代のスポーツ:その神話と現実』として1982年に翻訳されていたらしい。それをカナダの社会学者ドネリーとの共著として2004年に本書が出版され、この翻訳は2009年に出版されたその第2版である。また、この訳書は抄訳であり、訳出された11章のほかに、「過去を研究する」、「スポーツと子ども」、「高校と大学におけるスポーツ」、「将来のスポーツ」という章も含まれていたという。翻訳は2011年に出されたが、その後、そこには訳出されていなかった第11章「スポーツにおける暴力」を新たに訳出して、増補版として2013年に出版されている。

1章 スポーツの社会学――それは何か?何を学ぶのか?
2章 社会理論を使う――社会の中のスポーツを理解するために
3章 スポーツと社会化――誰がプレーし、彼らに何が起こっているのか?
4章 スポーツにおける「逸脱」――抑制することはできるのか?
5章 ジェンダーとスポーツ――公正にはイデオロギー変化が必要か?
6章 人種と民族――それはスポーツにおいて重要なのか?
7章 社会階層――スポーツにおいて金銭と権力は重要か?
8章 スポーツと経済――商業スポーツの特徴とは何か?
9章 スポーツとメディア――お互いの存在抜きに生き残ることはできるのか?
10章 スポーツと政治――政府とグローバル・プロセスは、スポーツにいかなる影響を与えるのか?
11章 スポーツにおける暴力――それは私たちの生活を脅かすのか?

訳書もそうだが、本書は大学でスポーツ社会学を学ぶ学生のための教科書として書かれたものである。第1章で問題提起がなされ、第2章ではどんな社会理論に基づいてスポーツを考えるのか、その道筋が示される。第2章の節タイトルを示すことで、ここで紹介されている理論を列記しておこう。「機能主義論:スポーツは現状を維持する」、「コンフリクト論:スポーツは金持ちの道具」、「批判理論:スポーツは文化や社会関係が生み出され変化する場である」、「フェミニズム理論:スポーツはジェンダーを反映した活動である」、「相互作用論:どのように人々はスポーツを経験するのか?」、と5つの理論が示されており、それぞれの理論に対して、スポーツ研究との関連、日常生活での使用、弱点が提示される。本書は特に批判理論とフェミニズム理論に依拠するという。とはいえ、コンフリクト論、すなわちマルクス主義的な観点から、第7章、第8章、第10章などは論じられる。相互作用論についても、第3章、第4章などはそれに関わっているといえる。著者はいずれも男性だが、訳者の解説においても本書がかなりジェンダー理論を重視していることは分かる。というのも、近代スポーツが全般的に男性中心的なものとして発展してきたことが大きく、第11章の暴力の問題も、単なる社会の中で暴力が禁じられているという意味だけでなく、スポーツが男らしさの表現であるがゆえに、身体的なものに限定されない暴力が許容されるという論点が強調される。
本書は批判理論に依拠することから、社会構築主義的な立場も表明している。何をスポーツとみなすか、スポーツにおいて人種や民族がいかに定義されるのか、またスポーツのオーセンティシティがあるとすると、それは経済や政治との関りによっていかに低められるのか、ということは絶対的に決められることではなく、社会的な相互作用のなかで決められるということを繰り返し強調している。本書はある程度明確な理論的立場を表明していながらも、教科書の体裁をとっていることで、多少堅苦しくて読みにくい部分も少なくない。また、おそらく原著としては、巻末に「将来のスポーツ」という章を置くことで、展望を示すようなまとめになっていると思うが、訳書ではそれが訳出されていないので、尻切れトンボの印象は否めない。
オリンピックに関しては、第10章の2節「スポーツとグローバルな政治過程」でかなり中心的に論じられる。その前に、政治=政府とスポーツがどう関わりあうのか、という点をかなり説得的に論じている。「グローバルな移動労働者としての選手」という項もあり、本文にはイチローの名前も出てきたりする。近年では、日本でも大阪なおみや八村塁など、「日本人初」と騒がれながら同時に見た目が日本人とは思えないというジレンマ(メディアではそういう言い方はタブーとされているのだろうが)があり、またマラソンでオリンピックに出場するためにカンボジア国籍を取得した猫ひろしなど、そろそろ国籍でスポーツを論じることの無意味さを日本人も感じてきたのではないだろうか。

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オリンピック,メガイベント関連文献(日本語編2)

金子史弥(2018):2012 年ロンドンオリンピック・パラリンピックの<スポーツ的レガシー>とは?──評価報告書の検討を中心に.広島経済大学研究論集 41 (3): 3-21
2014
年の論文に引き続き、2012年ロンドン大会を事例とした「スポーツ・レガシー」の検討。2014年の論文以降、関係機関によってレガシーに関する評価報告書が20132016年にかけて刊行されたということで、それらを検討している。英国がロンドン大会以降にスポーツに対して払った助成金などをデータで示し、2012年以降も一定の水準で推移していることが示される。英国の夏季オリンピック大会におけるメダルの獲得数に関しても、2016年リオデジャネイロ大会でも合計数はロンドン大会よりも多い。一方、市民のスポーツ参加率は2012年以降減少しているという。後半はレガシー評価報告書の検討だが、いくつかの機関によって報告書が出されているため、それぞれの立場によって主張が異なっている。総じていえば、それらは「スポーツ参加の実態や人びとの行動様式に対して具体的にどのような長期的変化(=<レガシー>)をもたらしたのかについてはほとんど論じていない」(p.17)と結論する。これを受けて2020年東京大会だが、著者は「日本のスポーツ政策研究者の真価が問われている」(p.18)と述べるが、英国ですらこうなのだから、いくら研究者が頑張ったって日本で実りあるスポーツ政策が生まれるとは到底思えない。

 

佐伯年詩雄(2015):2020東京オリンピック競技会――レガシー戦略の虚像と実像.スポーツ社会学研究 23 (2): 25-44
しっかり読み直すと,2014年の『現代スポーツ評論』の文章はオリンピック総論をしているのに対し,こちらは2020年東京大会の各論でした。まず,2016年大会の招致から,石原都知事の力が大きかったわけですが,まず著者はそれが長年にわたってと財政を苦しめてきた東京湾岸の臨海開発事業をどうにかしようという動機があると指摘する。石原は東京マラソンの計画・実施して成功させた実績もある。なお,この論文はやはり学術論文への参照はなく,事実関係もほぼ報道記事やWikipediaなどによる。2016年大会への招致は,都市改造を正直に打ち出していたために失敗し,2020年大会ではそれを「復興五輪」に置き換えた。ともかく,石原の人脈を使った「オールジャパン」で勝ち取った開催は,まさに「アベノミクス」にも乗っかったもの。この論文で面白いのは,広島と長崎の招致活動を論じているところ。これが成功すれば,まさにグローバルな招致活動として,上からのというよりは下からの動機によって,また複数都市での開催という初めての試みでもある。そういう貴重な招致活動は結局,国内でその首都が,国策も絡んだ招致活動につぶされる,というのがまさに今日の日本の政治状況を反映しているといわざるをえません。

 

小澤考人(2016):「虚構の時代」のオリンピック再考.現代思想 44 (1): 268-278
著者は東海大学で教鞭をとる観光学系の研究者で,2012年ロンドン大会を中心にオリンピック研究を手掛けている。『現代思想』のこの号は「見田宗介=真木悠介」の特集号。見田宗介は著名な社会学者だが,私は真木悠介名義の『時間の比較社会学』しか読んだことがない。ただ,この本はとても素晴らしかった。なぜ,別名義で書いているのかなど基本的な知識はないが,ともかく前の世代の優れた社会学者であることは間違いない。この論文を読むと,どうやら見田の有名なテーゼで,戦後から現在までの日本社会を,理想の時代⇒夢の時代⇒虚構の時代のようにとらえているようだ。1964年の東京大会は夢の時代のものであり,2020年大会は虚構の時代のものである,という前提を批判するというのがこの論文の趣旨のようだ。まあ,虚構のという表現は当時はやりのポストモダンと類似したもので,今日の状況をポストモダン論で論じる学術研究者はもういないように,1990年代に提示された「虚構の時代」というモチーフをまともに議論する人はいないかもしれない。ともかく,この論文の著者は現代日本は虚構どころか「現実的」なモードが顕在化しているという。例として,ディズニーランドでも今日では夢の世界,あるいは現実味のない虚構の世界ではなく,キャストのサービスの現実を客も話題にするなど,現実的なのだという。まあ,ともかく1964年という夢の時代にオリンピックにさまざまなものを託したのに対し,2020年は託す夢もなく,オリンピックに悲観的な論調が学術研究者の間で蔓延している状況を小澤氏はなんとか打破したいと考えているようだ。彼にとってオリンピックは「「現実(戦略)的」な視点から望ましい社会のあり方を構築していく貴重な機会として活用することが需要になる。」(p.276)という。もちろん,その根拠となるのが2012年ロンドン大会である。もちろん,この大会を成功とみなす研究者も多いが,負の側面も多く指摘されているのも確かだ。

 

來田享子(2014):東京オリンピックが世界に発信できること――内向きと外向きのスローガンを重ね合わせるために.現代スポーツ評論 30: 52-68
この論文の著者はかなり以前からオリンピック研究を手掛けていて,特にオリンピック大会の女性の参加に関する地道な歴史的研究がある。『現代スポーツ評論』の特集号「東京オリンピックがやってくる」に彼女が寄せたのはオリンピック総論であり,佐伯氏のネガティブな論調ではなく,ポジティブに捉えようとしたものである。東京が招致に成功した3度のオリンピック大会時の世界向けのスローガンを検討する。返上した上に中止になった1940年大会は,関東大震災からの復興を謳っていた。当然,1964年大会では戦後の復興であった。いずれも,今日のような都市間競争の中での招致運動とは異なるので,どちらかというと世界に向けたスローガンではなく,国内に向けられた内向きなものであった。そして,2016年大会は招致に失敗し,それを教訓に2020年大会では東日本大震災からの復興五輪を謳い,招致に成功する。つまり,東京大会は3回とも「復興」をスローガンとしており,特に2020年大会は「選手たちは常に,観る者としての日本人を勇気づける存在であ」(p.57)るという。次に議論は,オリンピック運動と開発分野との関りへと移り,IOC1992年から国際労働機関(ILO)とかかわりを持っているという。ILO史料の研究論文に依拠して,ILOとクーベルタンとの関りを示し,「両者に共通する意図は,大衆/労働者の教育と労働者の余暇ないしレクリエーション,そして現在でいうところのスポーツ・フォー・オールという3点に集約される」(p.61)という。次に話はオリンピックと国際機関との連携に移り,以前にも別の論文で紹介した,オリンピック・ソリダリティ(OS)の説明があり,UNOSDP(国連平和と開発のためのスポーツ事務局)を紹介している。最後に,オリンピック運動と被災地復興支援との関連をみることで,東京オリンピックのスローガンがあながち的外れなものではないことを示す。独立した復興支援のNGOが,IOCを含むさまざまな組織から支援を受け,スポーツを中心とした復興支援活動をしているというのだ。ただ,課題としては,この十分に可能性を持った2020年東京大会のスローガンである「復興」を,国内向けのものだけで終わらせるのではなく,グローバル社会に向けた外向けのものに実質的にしていくことができるかどうかにかかっている。この論文は既に5年前に書かれたものだが,今日の状況が著者の目にどう映っているのか,知りたいところである。

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オリンピック,メガイベント関連文献(英語編16)

Coaffee, J. (2015): "The Uneven Geographies of the Olympic Carceral: From Exceptionalism to Normalization," The Geographical Journal 181 (3): 199-211.
ゴールド夫妻『オリンピック都市』でもセキュリティに関する章を担当しているCoaffeeの単著論文。近年増加している都市の軍事化や監視化という学術的な議論をベースにして、オリンピックのセキュリティ計画を考察する。具体的には2012年ロンドン大会の大会後レガシーについて論じているが、2014年ソチ大会や2016年リオデジャネイロ大会にも応用しようとしている。フーコー『監獄の誕生』の「監禁群島carceral archipelago」といった概念を援用している。かつては監獄など特殊な場合に行われていたものが、わたしたちの日常生活に入り込み、例外的なものが常態化する。アガンベンの「例外主義」がここでも登場するが、9.11以降、戦争という例外的な状態が「テロへの戦争」といういつ起こるか分からない危機への備えということで常態化する。
オリンピック大会でセキュリティが強化されたのは9.11以降の2004年アテネ大会であり、2000年シドニー大会の5倍の費用が費やされた。特別に訓練を受けた警官が70,000人、兵士が35,000人、13,000台の監視カメラ、航空機迎撃ミサイル、NATOの大量殺傷兵器、AWACSの監視航空機、警察ヘリコプターなどなど。それ以前には、1972年ンミュンヘン大会のテロもあり、それ以降も警備は強化されていた。ロンドンでは、2012年大会の開催が決まった翌日に鉄道ネットワークを標的とした同時多発テロが起こり、当初の大会セキュリティ予算225百万ポンドが4倍の10億ポンドへと引き上げられた。グローバル・シティにおけるセキュリティはただでさえ、世界に対する名声となるが、メガ・イベント時にはそれに加えて強化される。大会の準備に向けてさまざまな団体がセキュリティに関わり、3か月前の20125月には「Operation Olympic Guardian」という訓練が始まり、またロンドン上空に「無飛行地帯」も確立されたようだ。「コミュニケーションと論争」というタイトルで、報道なども検討している。メディアも過剰なセキュリティに反応しており、一方ではそうしたことによって多くの人(市民やテロリスト)がその警備について知ることになる。しかし、他方ではオリンピック反対運動家たちの批判点も生み出している。
結果的にはロンドン大会は深刻なテロリズムの恐怖なしに過ぎ去った。ただ、過剰なセキュリティ計画は大会後のレガシーとしてイースト・ロンドンの景観に物質的に刻み込まれることとなった。セキュリティは既に都市再生プログラムにおけるインフラストラクチャーになっており、それが長期にわたるコミュニティの安全を宣伝することになる。そういう意味でもオリンピックのセキュリティ整備はレガシーとなる。例えば、選手村は現在民間住宅になっているが、設計段階からセキュリティが組み込まれており、このモデルは将来的な住宅設計に応用される。また、その技術や知識はロンドンを中心としたネットワークに蓄積され、今後のメガ・イベント開催都市への青写真となる。実際にグラスゴーで行われたコモンウェルス競技大会の準備に活用されたようである。2014年ソチ冬季大会は、ロンドン大会とはまた違った民族関係のテロの脅威が高まっていて、ロンドン以上のセキュリティ体制が引かれた。そのおかげで6,000人の選手と14万人の観客を守る「歴史上最も安全なオリンピックになる」(『ボストン・ヘラルド』)と評された。しかし過度な警備は、さまざまな活動家のデモをも制限してしまい、そのことが開催国のイメージを下落させる。ロシアはオリンピック・アリーナから12km以内に「プロテスト地区」を設定し、また女性パンク団体の活動家2人を監獄から解放したり、北極油田開発に反対するグリーンピースの活動を許したりしたそうだ。しかし、ソチ大会の数か月前、201312月にロシア南部の都市ヴォルゴグラードで2件の自爆テロが起きる。このことで、米国がロシア政府にセキュリティ関係で財政支援を申し出、ロンドン大会での経験を英国もロシアに支援する。開催直前の20141月に警備地帯が内陸に40km黒海沿いに100km拡張され、橋やトンネル、病院やホテルなど6,000の施設が警備内に含まれた。2016年リオデジャネイロ大会についても検討されている。リオでは国際テロよりも、長期にわたる国内犯罪の方が優先事項だった。リオでも、オリンピック開催が決まった数日後の20091017日に麻薬ギャング同士の抗争で、警察ヘリやバスの襲撃があった。結果的にはリオでは、そうした対策はファベーラに向かう。
冒頭の議論は、監視化に向かう現代社会を批判的に論じているが、オリンピックに関する説明は、軍備化や過剰な監視には批判的だが、どうにもセキュリティの大切さに同意しているように読めてしまう。結論ももう一度はじめの議論には立ち戻っているのだが、結局著者は社会がどうあるべきかと考えているのかはよく分からない。セキュリティ・監視・警備というのは結局、保険や災害と同様に、事件が起こらなければいいわけで、起こらなかったことは警備を厳重にしたからなのか、ただ起こらなかったのかは誰にもわからず、警備の効果は明確には分からない。

 

Borgers, J., Vanreusel, B. and Scheerder, J. (2013): "The Diffusion of World Sports Events between 1891 and 2010: A Study on Globalisation," European Journal for Sport and Society 10 (2): 101-119.
ベルギーの体育学者による世界中へのスポーツ・イベント拡散に関する研究。国際的なスポーツ・イベントについて27の団体が1891年から2010年までに開催した850のイベントを対象としている。グローバル化に寄与したスポーツを、職業スポーツと民衆スポーツに分け、後者に関してはフィットネス産業などを挙げているが、この論文では前者を扱うとしている。この論文では、世界スポーツ・イベント(WSEs)という用語を、「世界中から選手が参加できる職業的あるいは職業化されたエリート・スポーツの競技大会」(p.102)と定義して使用している。そして、それらは国際スポーツ団体(ISBs)によって組織されている。世界スポーツ・イベントのグローバルな拡散は、政府組織や多国籍企業と結びついた国際スポーツ団体の権力の増大と拡張に影響されている。スポーツのグローバル化は単なる均質化ではなく、相互依存的な経済・政治・社会・文化的要因の相互作用の結果である。世界スポーツ・イベントの検討を通して、この論文では2つの問いを考察している。11891年から2010年までどんな拡散パターンがみられるか、2)各時代でどんな変化がみられるか。
イベントの選定に際し、特殊な施設での競技、海や山、冬季などを除外している。団体としてはIOCに認可されている国際スポーツ団体、最大でも年に1度の開催、継続して開催、開催都市との結びつき、異なる場所での開催、世界中からの選手の参加、というのが条件である。最後の条件から、アジア大会などの地域大会は含まれない。情報源は各スポーツ団体のウェブサイトと、なんとWikipediaである。まず、マクロな地理的区分として、国連が採用している6区分を使用している。1.アフリカ、2.アジア、3.ヨーロッパ、4.中南米、5.北米、6.オセアニア。選定された27の国際スポーツ団体の70%はヨーロッパで設立されたものである。1891年に開催されたスポーツ・イベントはなんと、ウェイトリフティングである。一番新しいのはトライアスロンで、大会としては1989年に行われている。マクロ分析は20年区分で表にされているが、世界地図で示されているのは40年区分。ヨーロッパ→北米→中南米→アフリカ→アジア→オセアニアという順で拡散している。開催比はヨーロッパが徐々に低下し(9454%)、北米は1971-1990がピーク(23%)、中南米は1951-1970がピーク(12%)、アジア(920%)とオセアニア(17%)は増加している。イベント数自体は、1891-1910年で39だったのが、1951-1970年に1531991-2010年に301にまで増加している。その結果、1891-1930年を「萌芽期」、1931-1970年を「出現段階」、1971-2010年を「拡張段階」としている。同様の集計はイベント数だけでなく、開催都市数でも表にされている。1950年まではヨーロッパの限られた都市のみでの開催だったが、1951-1970年に新たな都市が増え、その後も増加している。
この後細かい分析があると思いきや、分析はここまで。ディスカッションでは、近年の目覚ましいアジア化の過程や、戦時紹介したイスラーム諸国でのオリンピック開催可能性研究などを挙げて、石油経済国での開催などを論じている。そして、最近では国家やイデオロギーよりも市場や消費に関連して、イベントがグローバルに拡散するという。また、イベントのグローバル化は脱領域化を志向している。越境選手の登場と同様に、越境する世界スポーツイベントという概念を導入している(日本の研究者の論文に依拠して。千葉直樹『グローバルスポーツ論――「越境スポーツ選手」の社会学』はその論文著者の著作)。それとともに、イベントの意思決定権が徐々に組織的なものから企業的なものへと移行する。近年、招致都市の住民が反対運動を起こすというのも、社会・経済的な理由だという。それは、経済効果や計画・意思決定の不透明性への不信感であり、ローカルとグローバルの権力闘争だという。

 

Gaffney, C. (2010): “Mega-events and Socio-spatial Dynamics in Reo de Janeiro, 1991-2016,” Journal of Latin American Geography 9(1): 7-29.
この論文も、オリンピック関連論文を集め始めた当初に読んだもの。その頃は、単純にネット検索でPDFで入手できる論文を探していたが、はじめのころに入手できたのが、今まで読んだことのない南米の地理学雑誌であり、ブラジルの地理学者による論文ということで、驚いた次第。当初は様子見で、傍線も引かずに読んでいたので、中身をすっかり忘れてしまったが、この論文は後に読むオリンピック論文の中でもよく言及され、またGaffney自身のほかの論文も読んだり、また彼自身がスイスでオリンピック研究をしている地理学者Müllerと同じ大学に異動したりして、やはり重要なことを再認識して読み直すことにした。
Gaffney
2008年にリオデジャネイロとブエノスアイレスにおけるスタジアムに関する著書を書いていることもあり、前半はサッカー・スタジアムに関する議論が中心になっている。そして、リオデジャネイロは2014年にFIFAワールドカップ、2016年にオリンピック夏季大会を開催しているが、それ以前から歴史的な経緯をたどっているのが、この論文の特徴。前半は若林幹夫の「スポーツ空間」と同じような議論をしていて面白い。オリンピック都市という表現はゴールド夫妻の著書名もあり一般化しているが、Gaffneyは「オリンピック地理」という表現や「スポーツ的星座」という表現をしている。都市内に散在するスポーツ施設は普段は別々に運営され、集客があるが、オリンピックのような場合は観客が施設間を移動する必要があり、それらを結ぶ公共交通が必要となる。点と点が線で結ばれ、という意味で星座なのだ。そして、国際的レベル、国家、都市、ローカルといった多様な空間スケールにおいて、設置主体、管理主体、イベント運営主体、観客などさまざまな主体が関わるなか、こうしたスタジアムは空間的な階層に埋め込まれるという。
さて、リオデジャネイロは1919年に南米サッカー選手権を開催し、初めてメガ・イベント開催都市となる。5チームのトーナメント戦という規模だが、決勝戦でウルグアイを破って優勝したブラジル・チーム。大統領は政府機関や銀行を休業させ、企業も休み、多くの公共空間に民衆たちが放送を聞くために殺到した。18,000人収容のスタジアムに25,000人が集まったという。この南米サッカー選手権は再び1922年にリオデジャネイロに戻ってきて、ブラジル百周年博覧会の一部として開催された。ともかく、1930年代から1940年代にかけて政府はスポーツが国民アイデンティティを高揚させる手段として認識するようになった。ブラジルではこの頃サッカーは民衆のものであり、スタジアムも安価で入場できるものであった。FIFAが戦後初めてのワールドカップをブラジルで開催することを決め、新しいスタジアムを建設し、1950年に開催される。スタジアムは民衆にとって象徴的な存在になる。1958年と1952年のワールドカップでのブラジルの優勝によって、1970年代の軍事政権はサッカーを積極的に国民統合に利用する。しかし、1990年代に入るとFIFAIOCはスタジアムに一定の要件を課すようになり、VIP席の設置や駐車場の確保、報道席や、チケットを持った人に個別の席をあてがう方法などであり、スタジアムが欧米方式になっていく。
リオデジャネイロのメイン・スタジアムであるマラカナンは1998年以降に段階的な改修を始める。プラスチック製のシート、民衆から離れたところにVIP席を設置、収容人数は減り、近年では監視カメラの設置など、先日紹介したベイルの著書で述べられていたような、スタジアム内の階層分化が明確になる。1950年から2007年まで、リオデジャネイロは国際的なスポーツ・イベントを開催していないが、2007年にパンアメリカン大会を開催する。サッカーはブラジル国民にとって、貧困から脱する数少ない手段となり、プロ選手を目指す若者が増える。パンアメリカン大会の開催が決定した2002年以降、政府はスタジアム建設、改修、交通、通信インフラの整備に巨額をつぎ込む。ワールドカップ開催に際し、会場となる12の都市にスタジアムが作られていくが、かつてのマラカナンとは異なり、民衆に開かれたものではなくなっていく。また、そうした開発によって警察が介入するような形での貧者の追い出しが常態化する。スタジアムのような公共財を民間企業に売却するようなネオリベラルなモデルで開発は進んでいく。この論文は、2016年オリンピック大会の開催がリオデジャネイロに決まって間もない頃に書かれているので、詳細については検討されていないが、オリンピック関連開発はオリンピック公共局(APO)といわれる団体が実行することとなり、それはまさしくネオリベラルな計画だったという。なお、この論文ではかなりネオリベラリズムが強調されているが、ボイコフと同様にクライン『ショック・ドクトリン』も引用されていて、オリンピックという特別な状態が一時的な民主主義の停止をもたらし、軍事化された排他的空間を生産し、住民の移転や環境の荒廃をもたらしたという。メガ・イベントを目的とした都市改変は、公民連携(PPP)によるコンセッション方式で行われるが、大会後は組織委員会をはじめとした組織は解体され、残されるのはネオリベラルな形式をした政治経済的レガシーである。

 

Shin, H. B. (2009): “Life in the Shadow of Mega-events: Beijing Summer Olympiad and Its Impact on Housing,” Journal of Asian Public Policy 2 (2): 122-141.
著者は英国で地理学を教える韓国人であり、昨年2度ほど来日して、1度目の際、国立競技場の建設現場やオリンピック施設の建設が予定されているベイゾーンなどを一緒に巡検した。この論文も、彼に会う前に急いで読んだが、傍線もつけずに読んだため、今となっては中身を忘れてしまっているため、再読した。彼の研究関心はおそらく住宅にあり、ジェントリフィケーションを専門分野としている。そんななか、2008年北京オリンピックに関していくつも論文を書いていて、この論文はその1つ。韓国人なので、1988年ソウル大会についても詳しく、この論文でも、2008年北京大会は、1968年メキシコ大会、ソウル大会に次いで3番目の途上国でのオリンピック開催だと表現している。北京は2000年大会にも立候補しており、わずか2票差でシドニーに敗れたとされているが、1993年段階では、まだ中国は人権問題などIOCが求める開催国の要件を満たしていなかったともされる。北京は1990年にアジア大会を開催し、その後年平均10%近いGDP成長を遂げる。1998年にソウルがオリンピック夏季大会開催が決定したのは、韓国で大統領が軍事クーデターを通じて政権を掌握した2年後だと指摘している。そういうこともあり、2008年大会の開催都市決定時においても、中国には人権の問題や環境への配慮の問題などいくつか懸念事項があったが、IOCは希望的観測を含めて(韓国はオリンピック後に急速に民主化した)、北京に決定したという。とはいえ、ソウルでは非常に暴力的な立ち退きが行われ(1980年代には日本でも地上げとかいってやってましたね)、21世紀に入った中国でも多くの貧者が住居を追われた。この論文では、中国でこの期間の経済成長において、不動産への直接投資が割合を増していくことが示されている。多くの者が投機目的で住み替えをし、住宅価格は高騰する。一方で貧者たちは住処を失っていく。高度成長期の日本も同様だが、農村から都市へと移住し、一方では都市の拡張に伴い、都市外縁部の農村が都市化する。移住者はそうした都市縁辺部の民間の安い住宅に住み、かつて農村だったそうした郊外ではかつての農民が住居を賃貸して移住者を住まわせる。そうして多くの「都市的農村urban village」が登場する。かれらは教育レベルが低く、低賃金労働者となり、都市の社会サービスも制限される「新しい都市貧困者」を形成する。オリンピック開催時にあって、世界的な注目が集まるなか、これら「都市的農村」は「目障りなものeyescore」とされ、競技施設の建設用地内に居住するという直接的な理由でなくても、排除の対象となる。時には、麻薬やギャンブル、売春といったものと関連させてメディアが描くことで、社会的な排除の対象とみなされる。しかし、一方で安価な労働者として、そうした農村からの移民は高度成長を遂げる中国都市において重要な存在であり、またかれらを住まわす住居のオーナーにとっても顧客として重要な存在である。その辺りのジレンマを抱えつつも、貧者の排除は進んでいく。とはいえ、対象の立ち退きにあった人たちが実際にどこに行って、どのような生活をしているのか、素朴な疑問を抱いてしまう。

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オリンピック,メガイベント関連文献(英語編15)

Randeree, K. (2011): Islam and the Olympics: Seeking a Host City in the Muslim World,International Journal of Islamic Middle Eastern Finance and Management 4 (3): 211-226.
イスラーム世界でのオリンピック大会開催は可能かを検討する論文。とはいえ,招致ということであれば既に実績がある。2020年を東京と争ったトルコのイスタンブール,カタールのドーハ,他にも冬季大会への立候補の実績はある。漠然とイスラーム世界といっても,この論文ではイスラーム協力機構(OIC)に加盟している56か国を対象としている。それは近東・中東だけでなく,アフリカから東南アジア,東ヨーロッパや旧ソ連の中央アジアまでが含まれている。まず,1960年以降の夏季大会開催国のデータを2008年時点のもので整理し,1人当たりGDP3,000米ドル以上(中国の3,259が最低),GDP3,500億ドル以上(ギリシアの3,575億ドルが最低)を大体の基準と定め,56か国で将来的に開催国となる可能性を見極めている。もちろん,そこからはIOCが求める要件を満たさない国は除外される。政治的安定,宗教の自由を含む社会的安定,人種の平等,人権,女性の平等,近年のセキュリティ,既存のスポーツ,交通,歓待のインフラ,メガ・イベント開催実績,公共財政の保障。OICに加盟している56か国から,明らかに政治的不安定や,宗教に伴う女性への圧力や,テロ発生,それから明らかにオリンピックが開催できない国土の狭さなど,条件に当てはまらない国を除いた14か国について,10の項目を詳細に記した6ページにわたる表が示され,オリンピック開催の可能性を検討している。結果として可能性があるのは10か国で,その中でも特に5都市の可能性は高いとしている。まずはイスタンブールであるが,懸案としてはテロやキプロスとの関係,EUへの加盟などがある。次にドーハ。こちらは夏季に50℃を超える気温が懸念。ただ,1964年東京大会など,10月での実施も過去にはあったので,IOC次第。そして,ドバイ。こちらは空調が完備された室内競技場という約束をしているらしいが,マラソンのような競技はどうにもならない。最後に,クアラルンプールとカイロ。しかし,最近は2032年の夏季大会にインドネシアのジャカルタが立候補したというニュースもありましたね。さて,どうなるか。

Van Wynsberghe, R., Surborg, B. and Wyly, E. (2013): "When the Games Come to Town: Neoliberalism, Mega-Events and Social Inclusion in the Vancouver 2010 Winter Olympic Games," International Journal of Urban and Regional Research 37 (6): 2074-2093.
2008
年の論文で、同じ3人の著者は、2010年バンクーバー大会を成長マシーン論と都市レジーム理論の枠組みを用いて分析している。この論文では、ネオリベラリズムの観点を用い、さらに「社会的包摂social inclusion」の観点を取り込んでいる。カナダのメガ・イベント招致および開催の歴史において、人権や居住権が問われ続けてきて、さまざまな市民団体の運動が盛んに行われてきたことはこれまでに紹介してきた論文でも多く語られてきた。著者たちはそうした団体の一つ、「コミュニティへのインパクトに関する連合(IOCC)」という団体に属しているようで、2010年大会の招致段階から活動してきて、いわゆる参与観察という手法で調査が行われている。他にも、「ビジネスのための建設機会(BOB)」というプログラムなどが取り上げられる。この論文は参与観察だけではなく、文書の分析、関係者へのインタビューなども含まれる。
オリンピックをネオリベラリズムの観点から論じるものは少なくないが、この論文では、まずもってクーベルタンの思想自体にフランス貴族のリベラル思想が反映されているという。国大会というナショナリスティックな側面がありながらも、結局は個人の勝敗の方が強く称賛されるというのはその思想の故である。その後、IOCの進展によって、そのオリンピズムはネオリベラリズムのグローバル化の影響下で、近年ではスポーツと文化に機軸を置いた持続可能性の採用に現れている。IOCはスポーツと文化に続く第三の基軸として「環境」を謳うことになる。そんな観点から2010年バンクーバー大会を検討するわけだが、バンクーバーという都市自体も1960年代から1970年代にかけて都市政策としてネオリベラリズムの影響下にあった。その上で、2001年にバンクーバーでの開催が決まってからの動向が詳細に説明されているが、複雑でこの英文論文を一読しただけではきちんと中身はつかめない。バンクーバーの組織委員会(VANOC)は「インナーシティ包摂への関与に関する声明(ICICS)」に従って、特にビジネスの発展、雇用と訓練とに配慮した開発計画を進める。しかし、そこでいう「社会的包摂」はネオリベラリズム的な読み替えが行われ、ホームレスの救済などの観点ではなく、あくまでも地域経済の発展という観点での雇用創出となる。バンクーバー協定なるものが締結され、そのなかで2005年に「ビジネスのための建設機会(BOB)」というプログラムが始まる。オリンピック村の開発地区である、サウスイースト・フォールス・クリークは1986年万博以降に再開発されてきた周辺の未開発工業用地の最後の敷地であった。開発に際し、さまざまな団体が資金を集め、その一部がBOBにも流れ、11名のスタッフによって運営が行われ、最終的に114名のインナーシティ住民の雇用を斡旋している。そのうち、60名が職業訓練の卒業生で、45名が雇用候補者からの採用である。この論文は、さまざまな団体の想いとは裏腹に、実際に実行されたのはネオリベラル化されたものであったが、それでも一定の成果があったことを強調している。持続可能性とはネオリベラル・イデオロギーの一部であるという認識を持ちつつ、現実を評価することが学術研究者には求められる。

Roult, R. Adjizian, J-M. and Auger, D. (2016): "Tourism Conversion and Place Branding: The Case of the Olympic Park in Montreal," International Journal of Tourism Cities 2 (1): 77-93.
この論文は、オリンピックで開発された施設の大会後の利用として、観光拠点にする方策を探るもの。冒頭は「場所のブランド化」の議論を整理していて、そんな文脈に位置づけようとしています。1976年にモントリオールはオリンピック夏季大会を開催しました。この大会は多額の負債をモントリオール市に残したことで知られますが、かなり斬新なデザインのオリンピック・スタジアムを要するオリンピック公園が今も健在のようです。この論文ではウェブ・アンケートによる5,553の回答と、地元関係者に対する36名のインタビューからなるものです。アンケート調査は世界規模で行われたものだというが、アメリカ人2,542人、フランス人1,004人、英国人1,002人、ドイツ人1,005人とかなり偏りがある。基礎的な社会属性に関するものから、モントリオールを訪れたことがあるか、3年以内に訪れる予定があるかなどの質問が続く。次に、オリンピック・パーク(回答者405)やスタジアム(198)に訪れた際の行動についてもたずねている。次に、カナダの諸都市のどこを訪れようとしているのかを尋ねていて、全体的にはモントリオールが一番、バンクーバーは2番、トロント、ケベック、カルガリーと続く。ケベックはダントツにフランス人が多く、モントリオールも多い。バンクーバーはフランス人は少なくドイツ人が多い。続いて、モントリオールの象徴的な場所やモニュメント、魅力を尋ねていて、一番はホッケー関係、二番目がオリンピック・スタジアム、メープル、自然と風景、冬、ナイアガラの滝などが続き、これも国別によって順位が異なる。モントリオールの国際観光目的地についても尋ねていて、オリンピック・スタジアムは一番。上位には私の知らないものが多いが、ホテル、植生、カジノ、教会、ジャズ・フェスティバル、F1グランプリ、ゲイ村などが挙げられている。こうした結果を受け、モントリオールは他のカナダの諸都市と比べ、スポーツ施設の優位性があるため、都市間競争において戦略的にそれらを活用することができるという。ただ、トップ・アスリートのためだけではなく、アマチュアや生徒、レクリエーションなども視野に入れる必要がある。アンケートの分析結果の考察にあたっては、インタビュー結果が活用されている。オリンピック公園の諸施設は近代化と再開発が必要であり、スタジアムは建築的な価値はあるものの、年に数か月しか利用がなく、改良が求められている。改良案についても細かく議論されています。1970年代に開発されたオリンピック公園ですが、今日においてはセキュリティなどには注意を払わなくてはならないし、内部空間についても空調や照明、音響、座席の心地よさなどが必要だし、公園全体としては、緑化や標識設計、建築の概観、日照を遮る施設など健康への気遣いなどもあります。財政的な点も論じられ、スポンサーなど積極的に民間部門を導入する必要があるといい、公園全体としてはスポーツ的な雰囲気を高め、スポーツ・バーやスポーツグッズ販売などを導入する。しかし一方で、オリンピック・レガシーとしての公的・市民的な性質から公的資金の活用も大切だという。特に、公共公園として、緑化は休息や安らぎなどを与える役割が必要である。オリンピック・スタジアムのような巨大なスポーツ施設は、いまだに魅力的な存在であり、財政的な問題は伴うが、それを多機能的に改修し、他に分散する様々な施設と有機的に結びつける計画が実施されれば、スポーツと観光における魅力的な都市へと再生が可能になる。

Richmond, M. A. and Garmany, J. (2016): "'Post-Third World City' or Neoliberal "City of Exception'?," International Journal of Urban and Regional Research 40 (3): 621-639.
ブラジルと英国の地理学者によるリオデジャネイロに関する論文。リオデジャネイロは2014年サッカー・ワールドカップと2016年オリンピック夏季大会を開催したが、これらメガ・イベントを利用した都市(再)開発をめぐっては研究も多い。この論文では、そうした開発を巡る批判的な研究が、ネオリベラリズムに基づく「例外の都市」として論じる傾向に対し、当然開発を推し進める政府や民間開発業者は、希望的観測により、開発によって「第三世界都市を脱する」ことができると論じる。この関係を少し引いた目で見て、学術研究による論調を相対化し、またその弱点を指摘するのが目的。グローバル・ノース(≒先進諸国)を背景に論じられるネオリベラリズム的都市政策は、グローバル・サウス(≒開発諸国)には簡単に当てはまらないというのがその主たる主張である。ブラジルという国家の特異性やリオデジャネイロという都市の複雑な事情などを考慮する必要があるという。
ブラジルで有名はファベーラと呼ばれる非公式な住居の集合体は、元々は1897年のカヌードス戦争の退役軍人によって占拠された地区を地元民たちが「ファベーラ(貧民街)の丘」と読んだことから始まるようだ。1920年代にはこの呼称が一般化し、1950年代をピークとした急速な都市化の時代に、農村から都市への流入人口が増え、そうした人たちがファベーラに住み着くようになり、その頃から学術研究者はその社会・文化的に「周縁化された」住民を問題視し、1960年代から1970年代にかけて、ファベーラ除去政策が展開されるようになった。その後、1980年代から1990年代にかけて経済的な混乱が生じ、公共インフラや工業地区の荒廃が起こり、ホームレスや失業者が増える。そして、リオデジャネイロで有名な麻薬取引などのギャングたちが問題視され、警察は軍隊化し、規制を強める。2008年に登場し、ファベーラなどを取りしまるUPPPolice Pacification Units)という組織は日本語では「治安維持部隊」と訳されているようです。ワールドカップとオリンピックに向けて、都市政策が展開されるようになり、住宅やインフラ、交通や警備が取り組まれる。市街中心と港を結ぶBRTが都市西部に整備され、地下鉄も西方に延伸される。PACMCMVと呼ばれる住宅政策も大規模に行われ、ワールドカップのためにマラカナン・スタジアムが再開発される。こうした計画は「シティ・プロジェクト」と呼ばれる。こうした政府主導の開発によって、第三世界都市であるリオデジャネイロがそこから脱することができるというのが、「脱再三世界都市」言説である。インフォーマルなファベーラにテコ入れをして、フォーマルな地域との統合を図るというのが、その主張である。公共交通で都市の各地区が結び付けられて「オリンピック・シティ」となり、持続可能で生産的な社会的包摂が行われるという。
これに対して、マルクス主義的な研究者たちが、その言説を批判する語りが、ネオリベラルな「例外都市」であり、ハーヴェイの「略奪による蓄積」やスミスの「報復としてのジェントリフィケーション」、アガンベンの「例外状態」などに依拠した議論である。この論文の興味深いところは、こうした議論にもいくつか弱点があるといい、3つほど検討している。1つめがブラジル国家の複雑さと連続性である。これは、すでに書いたがグローバル・ノースで鍛え上げられた理論であるネオリベラリズム論をグローバル・サウスの都市に適応する場合には注意が必要だということ。ブラジル政府の政策は、もちろんネオリベラルなものもあるが、住宅政策などではネオ・ケインズ主義的なものであったり、ネオ開発主義的なものであったりする。2つ目はいかにも地理学者的だが、リオデジャネイロの都市政策は一様ではないということ。それは不均等な開発であり、同じファベーラ政策でも、一概に立ち退きなどの被害だけではなく、改良された地区もある。また、メガ・イベント関連でも、どういう開発に関わるものなのか、また代替的な住宅が近くに設けられるのか、られないのか、など都市内でも大きな違いがある。3つ目にあてられた分量は少ないが、「シティ・プロジェクト」が与える影響は、その後の社会変化とともに見極める必要があるということ。いずれにせよ、このメガ・イベントに伴う都市改変によって、ジェントリフィケーションと郊外化、周辺地域の多様化が起こったという。この論文を通じて、著者たちは、「都市化と資本主義的開発、ネオリベラルな政策、グローバル化の仮定の間の結びつきを明らかにするような批判的な視野を提供する助けになれば」(p.637)という。

Otamendi, J. and Doncel, L. M. (2014): "Medal Shares in Winter Olympic Games by Sport: Socioeconomic Analysis After Vancouver 2010," Social Science Quarterly 95 (2): 598-614.
この論文は、1992年から2010年までのオリンピック冬季大会のメダル数を再現・予測するモデルを構築するもの。特に、2010年バンクーバー大会の結果を推計している。著者たちはスペインの応用経済学者ということだが、どれだけ真面目にやっているのか、計量経済学的なモデルで、国別、競技別のメダル数を計算しようとしている。経済学的モデルといえども、指標とされているのはその国の人口と一人当たりGDP。その他、開催国指標、過去の大会のメダル獲得数、ソビエト・ダミー、スカンジナビア指標、アルプス指標、北米指標、ドイツ指標という、ダミー変数がやたらと多い。本当にこんなんでいいのかと素人目に思ってしまう。だけど、モデルでは離散的な数値の推計はできないので、メダルの割合(MS)という連続数を推計し、メダル獲得数(MC)に変換するといい、その変換が技術的に難しいという。国別のメダル数の推計はこれまで行われていたが、競技別の推計が新しいという。ともかく大真面目に数式を示して技術的な議論を展開しているが、あまり真面目に読む気もしない。最終的には、将来的なメダルの獲得に向けたスポーツ政策に対する提言が目的のようだが、冬季大会の特別な事情があり、雪のある国かそうでないか、特定の競技に力を入れている国、継続的にメダルを獲得している国と新しく出てくる国。政策としては、若い才能を訓練するとか、雪のない国は雪国でのトレーニングを積ませるとか、最後には優秀な選手を帰化させるとかそんな話まで、真面目に書いている。そんなことを書くためにこんな数学モデルが必要なのだろうか?ちなみに、2010年大会については、日本がフィギュアスケートで2つ、スピードスケートで3つのメダルを獲得している。ちなみに、このモデルによる推計値はフィギュアスケートの1つだけ。

Yan,H., Tian, C. and Meng, Z. (2010): "Utilization Pattern of Olympic Parks and Its Application in Beijing," Chinese Geographical Science 20 (5): 414-422.
中国の地理学者による、2008年北京大会後のオリンピック公園の活用に関する論文。観光客へのアンケート送付、政府関係者へのインタビュー、インターネットや文献によるオリンピック公園に関する情報収集に基づくもの。北京のオリンピック公園は11.59km2あり、オリンピック村、プレス・センター、ナショナル・スタジアム、Olympic Common DomainOCD)、森林公園などを含む。アンケートは2009年にオリンピック公園を訪れた観光客に291枚配布され、90%以上がその場での回答によって得られたという。インタビューは公園や競技施設の職員に対して行われた。インターネットによる調査は、計画や投資、現状、特徴、管理などを含むもので、2008年に収集された。ウェブと文献調査によって、アテネ、シドニー、アトランタ、ミュンヘン、北京、ソウル、モントリオール、バルセロナのオリンピック公園について整理されている。一般的に、会議や展示、スポーツ産業、文化創造施設などの活用が語られる。具体的には、多機能公園(ソウル)、貿易センター(モントリオール)、市民公園・テレビ局(ミュンヘン)、文化イベント施設(シドニー)、アミューズメントパーク・美術館(バルセロナ)などがある。それらの多くは政府や企業体によって運営されている。北京の調査では、オリンピック公園訪問者の63%が観光、40%がオリンピックの雰囲気を楽しむため、12%がスタジアムでのイベントの鑑賞だった。住民の65%が政府がこの地域に投資し続け、産業センターとして整備することを考えている。一方で、観光客の多くはエンターテイメントやレジャーとしての利用を考えている。オリンピック公園に関わる主体としては、計画者、経営者、訪問者を想定し、長期における各期間での関りを論じている。その議論は、都市レジーム理論を基にしている。政府と市場と社会とが、都市の空間的発展=開発の方向性を決める。これまでのオリンピック公園の活用がそうであったように、機能を多様化し、文化や日常生活、経済との関連が必要となる。
大会後の活用に関しては、準備-利用-管理という三段階を想定している。後半になると急に具体的な話になる。オリンピック公園は北京の中心から北に10kmのところに位置するが、ダウンタウンと緑地帯の間に位置し、地下鉄が直結している。オリンピック公園は北京北部の新しい中心になるという。多様な産業を育てる必要はあるが、観光客にとってはオリンピックの雰囲気を楽しめる場所である必要があり、またほかのスポーツやイベントが楽しめる場所になるとよい。これまでの北京観光の日帰りルートにオリンピック公園も加わるという。管理については、政府と企業と、その独立と協同と4種類が想定される。その上で、政府が主たる管理者となり、地区や機能によって多様な管理形態が望ましいとしている。また、空間的な次元としては、点と線と平面の管理を提言している。点はスタジアムなどの施設、線は歩道、平面波緑地でそれを組み合わせる。オリンピック公園は大会後に開放されており、大会後初めての国民の休日には、7日間に242万人以上が訪れたという。オリンピック公園は潜在的な魅力と資源を持っているが、的確に政府によって管理されていないという。イベントを開催するには賃料が高いという。
この論文でも中国語の論文はいくつか引かれており、この雑誌のように、地理学の英文雑誌もあるようだ。中国人の研究者が日本に留学していて、かれらが書いた日本語でいくつかのオリンピック論文を読んだ。2008年北京大会に対しては、欧米の研究者が一貫して否定的な論調なのに対して、そうした日本語で読める中国人の論文はそれに対抗するように肯定的な側面を強調する。この論文のテーマに関しても、例えば、「鳥の巣」と呼ばれるオリンピック・スタジアムが大会後に数回しか利用されていないなど、否定的なニュースが届くが、この論文ではそうした側面は明確には触れていない。しかし、いたって冷静に分析して提言しているのは地理学者らしいともいえるか。

Freeman, J. (2014): "Raising the Flag Over Rio de Janeiro's Favelas: Citizenship and Social Control in the Olympic City," Journal of Latin American Geography 13 (1): 7-38.
この論文は、副題に「オリンピック都市」とあるが、全般的にリオデジャネイロのファベーラ政策を詳細に論じたもの。2014年ワールドカップと2016年オリンピックの主要施設となったマラカナン・スタジアムの話は少し出てくるが、オリンピックは全面的には出てこない。ファベーラの起源については紹介したばかりの論文でも触れていたが、この論文では19世紀後半の奴隷から解放された自由民や退役軍人、北東ブラジルからの貧しい移民などによる不法占拠だとされている。一般的にファベーラには国家の介入がない不法地帯と語られることが多いが、そうではない複雑な事情がこの論文では語られる。前の論文でも登場したが、2008年から一部のファベーラは治安維持部隊(UPP)が管理している。また、2007年から始められる「経済成長加速化計画(PAC)」という連邦政府による計画がベースにある(これに関しては、JETROの説明資料がある)。リオデジャネイロでは、パリの大改造で知られるオスマンの教え子なる人物ペレイラ・パソス(Wikipedia日本語あり)による道路拡張などがなされたという。ともかく、この論文ではフーコーを時折引用しながら、政府によってファベーラが徐々に近代化されていく過程が辿られていく。まずは住所。ファベーラ内には公式な住所がなく、郵便局員は困るという。2010年あたりから軍隊を使ったファベーラへの介入が始まるが、それに伴い、ファベーラ内に通りの名前や郵便番号が導入されていく。それは複雑なものを単純化して理解・把握しやすくする近代化のプロジェクトだという。この過程には電力会社も介入し、番地の表示を付けていく。次に地図。地図を作成するというのも、政府がその土地を管理・支配する常套手段だが、ファベーラ内でも徐々に地図作成が行われる。警察や軍隊が関わり、地図化された情報を基にファベーラの撤去や移転が決定される。時にはハザードマップのように、危険地区が示されることで撤去の理由とされる。写真や絵画(?落書き含む)も同じようなもので、ファベーラも外国人の観光資源となっており、写真撮影可能スポットに標識がつけられたり、自治体の住宅管理局が取り壊す家に番号を振ったりする。先ほどのパソスの思想に基づき、現代でも道路拡張などの計画が実施される。当然、その対象となった家屋は立ち退きの対象となる。また、リオデジャネイロではケーブルカーが公共交通として整備されるが、それは、上空からファベーラを見下ろすことができ、監視する役割も果たす。とはいえ、否定的な側面だけではない。これらの改良事業によって、実際に恩恵を受けるファベーラ住民もいる。この論文では、ファベーラの近代化を政府による植民地化とも表現しているが、かつて日本がアイヌに行った政策と同様、やはりファベーラの生活には独特の共同体的文化があり、それが移転先の近代的な生活で失われ、世代間の断絶が起こるということも指摘されている。

Kassens-Noor, E. and Lauermann, J. (2017): "How to Bid Better for the Olympics: A Participatory Mega-Event Planning Strategy for Local Legacies," Journal of the American Planning Association 83 (4): 335-345.
Kassens-Noor
は注目すべきオリンピック研究者。米国のボストンは2024年夏季大会に立候補していたが、最終的に合衆国オリンピック委員会(USOC)はボストンを立候補都市に選出しながら、立候補を取り下げている。この招致計画は、当初のものから計画を変更している。その内容について精査するのがこの論文の目的。著者たちは公的な会合に出席して観察し、招致委員会スタッフや招致反対運動家にインタビューをし、IOCへのコンサルタントへの質問状を送ったりして情報収集をしている。その計画変更は、エリート主導から多くの利害関係者を含むものへ、オリンピック大会のために建設される施設のレガシーから開催都市のマスタープランと協働して地元の具体的な利益を生み出す方向へ、開催費用収支の透明化へ、という3つの変更だった。しかし、その変更に都市計画者が関わることはなかった。
ボストンの招致活動は2013年に特別委員会によって開始されるが、20141月にボストン市長が関わる民間の非営利団体「ボストン2024」に移行する。この団体は32名のスタッフを雇用した。当書の招致計画はボストンが米国の立候補都市に決まった20151月にできる(Bid 1.0)。それは、これまでの米国の開催都市同様、地元の大学などを利用した、公的資金を最小化するモデルであった。ここで、二つの反対運動が起きる。「No Boston 2024」と「No Boston Olympic」である。それは、透明性の欠如と、開催費が超過した場合の納税者へのリスクに関してであった。改訂版であるBid 2.020156月に発表される。この期間にボストン2024は公的な会合を9回、州との会合を20回開催するが、形式的な質問しか許さず、Bid 2.0は南ボストンの経済発展にオリンピックがテコ入れをすることを強調していた。ボストン2024はこれを改定しBid
2.1
としてIOCに提出したとのことだが、ボストン市長がIOCとの契約を拒み、USOCはボストンを取り下げ、最終的には20159月にロサンゼルスを立候補都市とする。
著者たちは201312月の招致当初から、20158月の最後までを追っている。Kassens-Noorはボストン2024の常駐スタッフとして働きながら民族誌的な調査を行っている。Lauermannはさまざまな団体が開催した15の公的な会合に参加しながら観察をし、参加者との非公式な会話をしている。当初の計画Bid 1.0は公的な会合はなく、委員会が他の多数の利害関係者から意見を聴取した根拠もない。建設会社のCEOとマサチューセッツ州の前知事とが主導したとされる。Bid 1.0時のスタッフのほとんどがこの建設会社の雇用者であった。そして、数人は前知事の下で働いていた人であったという。この計画は、有体にも、経済発展への刺激、雇用の創出、交通投資の加速、スタジアムに新しい近隣をもたらすなどが語られていた。オリンピック関連施設は既存施設や公的施設、大学が所有する敷地などを用いた半径5km内が選択された。それは大会の実施能力や地元民の必要などに応えるものではなく、既存の教育的・医療的財産を強調するものであった。資金提供者もこの計画には疑問を呈し、活動家やジャーナリストも計画の詳細を求める。いずれにせよ、内密に進められた当初計画は、米国内の競合都市との関係のなかでの機密などを理由としたものであった。活動家たちはこの計画にロバート・モーゼス的戦略を感じ取り、公的会合を要求し、主にそこでは収支リスクが議論される。20151月にUSOCがボストンを選んだことは、ボストン2024、住民、活動家誰もが驚くべきものだった。
ボストン市長は地元の利害関係者の要望に応えるように、招致計画の改定を準備する。ボストン2024もエリート主導の計画から、民衆を取り込んだ3区分の計画過程をつくる。まず、民衆の信頼を得ること、市長による公的な会合の開催、スタッフの一新。しかし、組織がそう簡単に変わるわけではなく、運動家から批判を受け、ボストン2024201611月に住民投票をすることを合意する。Bid 2.0もボストンの継続中のマスタープランと関連付けることで、漠然とした約束ではなく地元の要望に沿ったものに変更される。ボストン2024内にも都市計画家が採用されるが、その専門的な技術が生かされることはなかった。財政収支についてもより明確なものが提示されるが、なんと経済学者のジンバリストを含む活動家たちがテレビ討論でこれを批判したという。最終的には住民の賛同を得られずに、ボストンの招致活動は終了する。いずれにせよ、ボストンの招致が異例であったわけではない。東京も含め、これまではBid 1.0のようなものであり、政治的風潮が変化したのであって、それに伴って多くの国でも招致に後ろ向きになってきている。これからメガ・イベントを招致する都市には、住民参加、地元への便益、透明な計画が求められる。それを可能にするのは都市計画者の能力だという。そして、多くの利害関係者との開かれた対話が必要である。

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オリンピック,メガイベント関連文献(英語編14)

Pitts, A. and Liao, H. (2013): An Assessment Technique for the Evaluation and Proportion of Sustainable Olympic Design and Urban Development,Building Research & Information 41 (6): 722-734.
この論文は、近年オリンピック大会開催に要求されている持続可能性に関して、その計画と都市開発における持続可能性を評価する手法を開発しようとしたものである。持続可能性というのは環境とセットであり、留意すべき項目が列記されている。1.大気汚染とオゾン層破壊、2.水資源、3.廃棄物と下水の取り扱い、4.騒音、5.都市の緑化空間、6.交通渋滞、7.都市のスプロール、8.遺棄された都市区域。一方で、評価に関わる項目については、上記8項目とは異なります。1.戦略的な開発の目標、2.マスター・プランと配置選択、3.エネルギー消費、4.水の管理、5.材料と構造、6.交通、7.大会開催後の利用、8.機能性、9.環境へのインパクト。この論文では、具体的な大会を評価したりはしていませんし、ここで提示されているのは、確かに定性的な内容を定量的に評価できるようなものですが、これですぐに何かに点数をつけるようなツールとして開発されているわけではない。むしろ、将来的な計画において留意すべき点という意味合いかもしれない。

Maenning, W. and Vierhaus, C. (2017): "Winning the Olympic Host City Election: Key Success Factors," Applied Economics 49 (31): 3086-3099.
やはりこういう論文あるんですね。オリンピックの開催都市はIOC委員の投票で決まることは知られていますが、そのプロセスではなく、結果的にどのような条件の都市が開催都市として決定するのかという研究。この論文以前にも似たようなものはあるようです。この論文では147の項目を用い、それらは以下の6つのグループに分けられます。1.経済決定要因、2.社会的・政治的・生態学的決定要因、3.観光・イメージ要因、4.インフラストラクチャー、5.オリンピック・スポーツ、6.招致のコンセプト。経済的なものとしては、GDP関係、輸出額、海外直接投資額、人口などが含まれます。社会的・政治的な側面として、IOCが好むのは自由、民主主義、市民権、グローバル化を推進する国家であるという。ということで、それらを指標化している団体や研究者の成果を利用している。また、この分類には生態学的なものも含まれるため、二酸化炭素排出量などの指標も含まれる。観光に関しては、外国人観光客数やホテルの客室数、観光客の消費額など。インフラについては、土木・運輸・通信といった指標。オリンピック・スポーツに関しては、オリンピック大会が都市持ち回りという性質から、近い過去の開催地が近くにある場合は不利であるということをダミーで入れたり、FIFAワールドカップなど他の国際大会は親和性を持つ。また、継続的な招致活動も有意にはたらく。招致のコンセプトについては、オリンピック村と競技施設との距離や、開催都市の8月平均気温や湿度なども含まれる。この論文では、この147項目に対して、59の都市についてデータを収集し、分析している。対象としているのは1992年から2020年までの夏季大会。なんと、このモデルは、8大会の開催都市を100%で的中している。特に効いていたのは、都市人口、中期のGDP成長率、政治的権利の発展、過去10年間で国際競技大会の開催などであり、一般的にいわれているように、都市圏の人口とオリンピック開催に対する支持率が大きく効いているという。しかし、将来的な開催都市の予想に関しては限界があると書いている。その一つには、最近IOCが作成した「アジェンダ2020」があり、それは持続可能性などを強調しており、これまで通り人口が多く経済規模も大きい都市がその条件を満たすとは限らないからだ。

Fyffe, I. and Wister, A. V. (2016): "Age Differences in Olympic Volunteering Experiences: An Examination of Generativity and Meaning in Life," Leisure Studies 5 (5): 638-561.
この論文は2010年バンクーバー大会を事例に、中年および高齢者ボランティアの経験を調査している。この論文では、「次世代を確立し、指導する関心」としての次世代育成能力generativity概念を参照している。そして、この概念は「人生の意味理論」と結びつく。この概念は元々エリクソンの心理社会発展の段階理論で登場したもので、コミュニティへの参加に対する動機を理解するために用いられた。オリンピックのようなメガ・イベントにおけるボランティアの経験は、固有な世代的経験を含む。
2010
年バンクーバー大会では、約2万人のボランティアが参加したが、この調査では45歳以上のボランティアを募り、結果的に255人の回答を得、46-59歳までが127人、60歳以上が128人、性別や未婚/既婚の別、健康、教育、就業の有無などの基礎データとともに、既存の研究によって指標化されている「人生の意味」「人生の目的」「命の尊厳」「自己評価」など項目が組み込まれている。結果としては、大会前と大会後で、高齢者(60歳以上)は所属感覚と人生の意味の関係が増し、中年(46-59歳)は自己評価と人生の意味との関係が増すという結果が得られている。その理由としては、中年世代は職場や子育て、高齢の親の介護などでコミュニティに関わることが多いのに対し、高齢世代は社会との結びつきが失われてきていることもあり、メガ・イベントが達成感や所属感覚、それに加えてナショナリズム的魂を高齢世代に提供するのだ。

Dyreson, M. (2013): "The Republic of Consumption at the Olympic Games: Globalization, Americanization, and Californization," Journal of Global History 8: 256-278.
これだけオリンピック関係論文を読んできても、まだまだ知らない優れたオリンピック研究者がいますね。彼はいくつかの著書と多くの論文を持っているオリンピック研究者のようです。専門は「運動学Kinesiology」となっていますが、ロサンゼルス大会を中心とした社会・文化・政治的研究です。冒頭では、ビーチバレーボールやマウンテンバイク(オリンピックの競技になったのは1996年から。以下同様)、スノーボード(1998)、トライアスロン(2000年)、BMX2008年)のようなカリフォルニア生まれの、ある意味見た目重視の新しいスポーツが、オリンピックを通じて世界中に拡散することを、世界のカリフォルニア化のような形で表現しています。読み始めは、そういう視点もあるのか、と面白いなと思いましたが、かなり歴史をしっかりと辿っていて、読み応えのある論文でした。米国で初めてオリンピックが開催されるのは1904年のセントルイス大会で、万博での開催でした。その次が1932年のロサンゼルス大会なわけですが、それまで、米国の文化的な中心といえばニューヨークであり、東海岸であったわけですが、1920年代、1930年代とカリフォルニアが「消費の共和国」のような形で台頭してくるといいます。それにはハリウッドの影響も大きく、またオリンピックで活躍する水泳選手が1920年代の大会で金メダルを獲得し、その後ハリウッド映画に出演する(『ターザン』のワイズミュラーは有名)というような感じです。米国のスポーツといえば、野球にバスケットボール、アメリカン・フットボールがあり、当初米国はこれらをオリンピックに売り込むことをしていたわけですが、これは成功しません。水泳は米国発祥ではありませんが、カリフォルニア州が水泳や陸上競技の拠点となっていきます。また、米国のオリンピック開催は、公的資金を投入せず、民間資本が基礎となっているのもよく知られていますが、そもそも組織委員会自体が政治ではなく、経済的有力者を中心に組織されるというところが米国らしいです。ですから、メディアや場所の売り込み、商品開発などが常に付きまとい、だからこそカリフォルニアがその中心になったといえます。ロサンゼルスはなんと1952年大会からずっと招致活動をし続け、ようやく1984年に開催が決まったとのことですが、メディアからは「ゴールド州」と呼ばれるほど米国のオリンピックがカリフォルニアに集中し、1988年のソウル大会ではかなりのメダルをカリフォルニア勢が獲得したといいます。ともかく、その後はビキニ姿で競技をするようなビーチバレーボールが、各国の開催国で披露され、カリフォルニア的なものが、アメリカ的なものを代表し、グローバルに展開していくことになった、というわけです。

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