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現代スポーツの社会学

コークリー, J.・ドネリー, P.著,石岡丈昇・伊藤恵造・大沼義彦・甲斐健人・鈴木文明・長津詩織・橋本政晴・前田和司・松村和則・村田周祐・吉田 毅・鷲谷洋輔訳(2013):『増補 現代スポーツの社会学―課題と共生への道のり―』南窓社,318p.3,600円.

 

日本スポーツ社会学会の学会誌『スポーツ社会学研究』にも何度か寄稿しているドネリーによるスポーツ社会学の入門書が翻訳されていたので読むことにした。とはいえ、本書はもともとアメリカの社会学者コークリーによる単著で1978年に出版されたものがあり、それは『反オリンピック宣言』(1981年)の編者である、影山 健らによって『現代のスポーツ:その神話と現実』として1982年に翻訳されていたらしい。それをカナダの社会学者ドネリーとの共著として2004年に本書が出版され、この翻訳は2009年に出版されたその第2版である。また、この訳書は抄訳であり、訳出された11章のほかに、「過去を研究する」、「スポーツと子ども」、「高校と大学におけるスポーツ」、「将来のスポーツ」という章も含まれていたという。翻訳は2011年に出されたが、その後、そこには訳出されていなかった第11章「スポーツにおける暴力」を新たに訳出して、増補版として2013年に出版されている。

1章 スポーツの社会学――それは何か?何を学ぶのか?
2章 社会理論を使う――社会の中のスポーツを理解するために
3章 スポーツと社会化――誰がプレーし、彼らに何が起こっているのか?
4章 スポーツにおける「逸脱」――抑制することはできるのか?
5章 ジェンダーとスポーツ――公正にはイデオロギー変化が必要か?
6章 人種と民族――それはスポーツにおいて重要なのか?
7章 社会階層――スポーツにおいて金銭と権力は重要か?
8章 スポーツと経済――商業スポーツの特徴とは何か?
9章 スポーツとメディア――お互いの存在抜きに生き残ることはできるのか?
10章 スポーツと政治――政府とグローバル・プロセスは、スポーツにいかなる影響を与えるのか?
11章 スポーツにおける暴力――それは私たちの生活を脅かすのか?

訳書もそうだが、本書は大学でスポーツ社会学を学ぶ学生のための教科書として書かれたものである。第1章で問題提起がなされ、第2章ではどんな社会理論に基づいてスポーツを考えるのか、その道筋が示される。第2章の節タイトルを示すことで、ここで紹介されている理論を列記しておこう。「機能主義論:スポーツは現状を維持する」、「コンフリクト論:スポーツは金持ちの道具」、「批判理論:スポーツは文化や社会関係が生み出され変化する場である」、「フェミニズム理論:スポーツはジェンダーを反映した活動である」、「相互作用論:どのように人々はスポーツを経験するのか?」、と5つの理論が示されており、それぞれの理論に対して、スポーツ研究との関連、日常生活での使用、弱点が提示される。本書は特に批判理論とフェミニズム理論に依拠するという。とはいえ、コンフリクト論、すなわちマルクス主義的な観点から、第7章、第8章、第10章などは論じられる。相互作用論についても、第3章、第4章などはそれに関わっているといえる。著者はいずれも男性だが、訳者の解説においても本書がかなりジェンダー理論を重視していることは分かる。というのも、近代スポーツが全般的に男性中心的なものとして発展してきたことが大きく、第11章の暴力の問題も、単なる社会の中で暴力が禁じられているという意味だけでなく、スポーツが男らしさの表現であるがゆえに、身体的なものに限定されない暴力が許容されるという論点が強調される。
本書は批判理論に依拠することから、社会構築主義的な立場も表明している。何をスポーツとみなすか、スポーツにおいて人種や民族がいかに定義されるのか、またスポーツのオーセンティシティがあるとすると、それは経済や政治との関りによっていかに低められるのか、ということは絶対的に決められることではなく、社会的な相互作用のなかで決められるということを繰り返し強調している。本書はある程度明確な理論的立場を表明していながらも、教科書の体裁をとっていることで、多少堅苦しくて読みにくい部分も少なくない。また、おそらく原著としては、巻末に「将来のスポーツ」という章を置くことで、展望を示すようなまとめになっていると思うが、訳書ではそれが訳出されていないので、尻切れトンボの印象は否めない。
オリンピックに関しては、第10章の2節「スポーツとグローバルな政治過程」でかなり中心的に論じられる。その前に、政治=政府とスポーツがどう関わりあうのか、という点をかなり説得的に論じている。「グローバルな移動労働者としての選手」という項もあり、本文にはイチローの名前も出てきたりする。近年では、日本でも大阪なおみや八村塁など、「日本人初」と騒がれながら同時に見た目が日本人とは思えないというジレンマ(メディアではそういう言い方はタブーとされているのだろうが)があり、またマラソンでオリンピックに出場するためにカンボジア国籍を取得した猫ひろしなど、そろそろ国籍でスポーツを論じることの無意味さを日本人も感じてきたのではないだろうか。

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