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オリンピック,メガイベント関連文献(日本語編2)

金子史弥(2018):2012 年ロンドンオリンピック・パラリンピックの<スポーツ的レガシー>とは?──評価報告書の検討を中心に.広島経済大学研究論集 41 (3): 3-21
2014
年の論文に引き続き、2012年ロンドン大会を事例とした「スポーツ・レガシー」の検討。2014年の論文以降、関係機関によってレガシーに関する評価報告書が20132016年にかけて刊行されたということで、それらを検討している。英国がロンドン大会以降にスポーツに対して払った助成金などをデータで示し、2012年以降も一定の水準で推移していることが示される。英国の夏季オリンピック大会におけるメダルの獲得数に関しても、2016年リオデジャネイロ大会でも合計数はロンドン大会よりも多い。一方、市民のスポーツ参加率は2012年以降減少しているという。後半はレガシー評価報告書の検討だが、いくつかの機関によって報告書が出されているため、それぞれの立場によって主張が異なっている。総じていえば、それらは「スポーツ参加の実態や人びとの行動様式に対して具体的にどのような長期的変化(=<レガシー>)をもたらしたのかについてはほとんど論じていない」(p.17)と結論する。これを受けて2020年東京大会だが、著者は「日本のスポーツ政策研究者の真価が問われている」(p.18)と述べるが、英国ですらこうなのだから、いくら研究者が頑張ったって日本で実りあるスポーツ政策が生まれるとは到底思えない。

 

佐伯年詩雄(2015):2020東京オリンピック競技会――レガシー戦略の虚像と実像.スポーツ社会学研究 23 (2): 25-44
しっかり読み直すと,2014年の『現代スポーツ評論』の文章はオリンピック総論をしているのに対し,こちらは2020年東京大会の各論でした。まず,2016年大会の招致から,石原都知事の力が大きかったわけですが,まず著者はそれが長年にわたってと財政を苦しめてきた東京湾岸の臨海開発事業をどうにかしようという動機があると指摘する。石原は東京マラソンの計画・実施して成功させた実績もある。なお,この論文はやはり学術論文への参照はなく,事実関係もほぼ報道記事やWikipediaなどによる。2016年大会への招致は,都市改造を正直に打ち出していたために失敗し,2020年大会ではそれを「復興五輪」に置き換えた。ともかく,石原の人脈を使った「オールジャパン」で勝ち取った開催は,まさに「アベノミクス」にも乗っかったもの。この論文で面白いのは,広島と長崎の招致活動を論じているところ。これが成功すれば,まさにグローバルな招致活動として,上からのというよりは下からの動機によって,また複数都市での開催という初めての試みでもある。そういう貴重な招致活動は結局,国内でその首都が,国策も絡んだ招致活動につぶされる,というのがまさに今日の日本の政治状況を反映しているといわざるをえません。

 

小澤考人(2016):「虚構の時代」のオリンピック再考.現代思想 44 (1): 268-278
著者は東海大学で教鞭をとる観光学系の研究者で,2012年ロンドン大会を中心にオリンピック研究を手掛けている。『現代思想』のこの号は「見田宗介=真木悠介」の特集号。見田宗介は著名な社会学者だが,私は真木悠介名義の『時間の比較社会学』しか読んだことがない。ただ,この本はとても素晴らしかった。なぜ,別名義で書いているのかなど基本的な知識はないが,ともかく前の世代の優れた社会学者であることは間違いない。この論文を読むと,どうやら見田の有名なテーゼで,戦後から現在までの日本社会を,理想の時代⇒夢の時代⇒虚構の時代のようにとらえているようだ。1964年の東京大会は夢の時代のものであり,2020年大会は虚構の時代のものである,という前提を批判するというのがこの論文の趣旨のようだ。まあ,虚構のという表現は当時はやりのポストモダンと類似したもので,今日の状況をポストモダン論で論じる学術研究者はもういないように,1990年代に提示された「虚構の時代」というモチーフをまともに議論する人はいないかもしれない。ともかく,この論文の著者は現代日本は虚構どころか「現実的」なモードが顕在化しているという。例として,ディズニーランドでも今日では夢の世界,あるいは現実味のない虚構の世界ではなく,キャストのサービスの現実を客も話題にするなど,現実的なのだという。まあ,ともかく1964年という夢の時代にオリンピックにさまざまなものを託したのに対し,2020年は託す夢もなく,オリンピックに悲観的な論調が学術研究者の間で蔓延している状況を小澤氏はなんとか打破したいと考えているようだ。彼にとってオリンピックは「「現実(戦略)的」な視点から望ましい社会のあり方を構築していく貴重な機会として活用することが需要になる。」(p.276)という。もちろん,その根拠となるのが2012年ロンドン大会である。もちろん,この大会を成功とみなす研究者も多いが,負の側面も多く指摘されているのも確かだ。

 

來田享子(2014):東京オリンピックが世界に発信できること――内向きと外向きのスローガンを重ね合わせるために.現代スポーツ評論 30: 52-68
この論文の著者はかなり以前からオリンピック研究を手掛けていて,特にオリンピック大会の女性の参加に関する地道な歴史的研究がある。『現代スポーツ評論』の特集号「東京オリンピックがやってくる」に彼女が寄せたのはオリンピック総論であり,佐伯氏のネガティブな論調ではなく,ポジティブに捉えようとしたものである。東京が招致に成功した3度のオリンピック大会時の世界向けのスローガンを検討する。返上した上に中止になった1940年大会は,関東大震災からの復興を謳っていた。当然,1964年大会では戦後の復興であった。いずれも,今日のような都市間競争の中での招致運動とは異なるので,どちらかというと世界に向けたスローガンではなく,国内に向けられた内向きなものであった。そして,2016年大会は招致に失敗し,それを教訓に2020年大会では東日本大震災からの復興五輪を謳い,招致に成功する。つまり,東京大会は3回とも「復興」をスローガンとしており,特に2020年大会は「選手たちは常に,観る者としての日本人を勇気づける存在であ」(p.57)るという。次に議論は,オリンピック運動と開発分野との関りへと移り,IOC1992年から国際労働機関(ILO)とかかわりを持っているという。ILO史料の研究論文に依拠して,ILOとクーベルタンとの関りを示し,「両者に共通する意図は,大衆/労働者の教育と労働者の余暇ないしレクリエーション,そして現在でいうところのスポーツ・フォー・オールという3点に集約される」(p.61)という。次に話はオリンピックと国際機関との連携に移り,以前にも別の論文で紹介した,オリンピック・ソリダリティ(OS)の説明があり,UNOSDP(国連平和と開発のためのスポーツ事務局)を紹介している。最後に,オリンピック運動と被災地復興支援との関連をみることで,東京オリンピックのスローガンがあながち的外れなものではないことを示す。独立した復興支援のNGOが,IOCを含むさまざまな組織から支援を受け,スポーツを中心とした復興支援活動をしているというのだ。ただ,課題としては,この十分に可能性を持った2020年東京大会のスローガンである「復興」を,国内向けのものだけで終わらせるのではなく,グローバル社会に向けた外向けのものに実質的にしていくことができるかどうかにかかっている。この論文は既に5年前に書かれたものだが,今日の状況が著者の目にどう映っているのか,知りたいところである。

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