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2020年東京オリンピックの研究

中村祐司(2018):『2020年東京オリンピックの研究―メガ・スポーツイベントの虚と実―』成文堂,177p.3,800円.

 

著者の論文はいくつか読んでいたが、非常勤先の大学図書館でそれらをまとめたものが著作化していることを知り、入手して読むことにした。装丁が非常に地味でアカデミック色が強いと思いきや、読み始めるとそうではないことに気づく。まあ、ともかく政治学専攻の著者による、観点としては他の文献とは異なるので、読み進めることにしよう。

1章 2020年東京五輪招致とスポーツ・ガバナンスの変容
2章 復興五輪事業をめぐるスポーツ行政の役割
3章 東京五輪とスポーツグローバル公共圏の形成
4章 東京五輪と日中韓スポーツ・ガバナンスの特質
5章 スポーツ・ガバナンスの新展開――スポーツ庁の設置と東京五輪
6章 新国立競技場建設における意思決定の歪み
7章 東京五輪施設のコスト分担をめぐる摩擦と調整
8章 五輪研究における知見と事例の接合
9章 東京五輪の説明責任――批判とコスト負担のあり方
10章 国家による東京五輪の管理と統制

著者の専門は政治学で、第1章でも私が読んだ2018年の論文でも「ガバナンス」という言葉が強調されている。第1章ではガバナンスを「組織統治」とし、オリンピックに関連するものを、日常的なスポーツ・ガバナンスとは一定の関係にありながら、かなり特殊な状況における非日常的なスポーツ・ガバナンスとしている。オリンピック・パラリンピック競技大会の開催にあたっては、さまざまな組織が関わっており、その理解は欠かせない。そういう意味でも、本書から学ぶことは多い。そして、営利団体ではないそうした組織は政府から独立しているものの、公的資金によって成立している。そうした資金の流れも把握したい。第1章は序章的なもので、全体を概観している。第2章はオリンピックそのものとは直接関係しないと思われるが、東日本大震災後の復興事業にスポーツが関連するものを列記している。第3章はアレント=ハーバーマス的な概念(とはいえ、引用は全くなし)「公共圏」を使って、オリンピックのようなスポーツイベントは特定の人々を対象にしたものだが、公的資金が投入されると同時に、スポーツ施設だけではなく、それに関連するインフラ整備がハード面・ソフト面においてなされるため、公共的な意味合いが強いと主張する。この章は後の章の各論に対する総論的な意味合いがある。第4章は今となっては、悪化の一途をたどっているが、執筆当時の2016年においては、2018年平昌大会、2020年東京大会、2022年北京冬季大会と続くアジアでのオリンピック開催に期待を込めている。第5章は政府組織の話。最終的にスポーツ庁は設立したが、著者はスポーツ省の設立を提案している。文部科学省内のスポーツ省ではなく、各章を横断する内容を含むため、内部組織ではなく、独立組織とすることに期待を込めていた。第6章ではタイトル通り、新国立競技場建設をめぐる顛末が整理されている。第7章もタイトル通りで,開催決定時の猪瀬氏から舛添氏,そして20168月から小池氏へと次々と都知事が代わり,選挙時にさまざまなパフォーマンスを行った小池氏は,オリンピックの開催計画に対し,さまざまな変更を行った。その変更による費用の増減を丁寧にたどっている。
ここまでは学術研究への参照はほとんどなく,ほとんどの情報源が新聞記事という形で論が展開してきたが,第8章の前半では「五輪研究における知見」ということで,英語圏の文献がいくつか紹介される。多岐にわたる研究を紹介した上で,話はまた第7章の続きで,2020年東京大会の費用分担に戻る。知見がどう事例に接合されているのかは不明。第9章では第7章,第8章の東京大会の計画・費用の説明を受けて,ようやく自身の専門分野(政治学,ガバナンス)の話に展開することが期待される。しかし,この章でも前半には英語圏の文献の紹介がある。今度はオリンピック批判と反オリンピック運動に関するもので,小笠原・山本編『反東京オリンピック宣言』の各章も丁寧に紹介される。この本で紹介される英語文献は,私が読んできたものはわずかしかなく,論文を読んだことがある研究者の著作が数冊あるほかは,ほとんどが論文集に収録されているもので,学術誌を中心に読んでいる私とは重複しない。この章では,そうした学術的なオリンピック批判を受けて,2020年東京大会について,復興五輪,IOC,日本国内の費用負担,大会関連経費,それに対する東京都の説明責任という議論が展開される。ここはなかなか説得的だが,でもやはり政治学の専門的研究への言及はない。第10章は総括として,2020年東京大会が抱える問題群を,中枢(コア)問題群,中位(ミドル)問題群,周縁(マージナル)問題群と分け,それぞれに国家が果たす役割を論じている。
一部を除き,参考文献がないことを学術的な価値がないと決めつける必要はないが,私が看につけた価値観からは高く評価はできない。ただ,評価したいのは行政の説明責任を一方的に問うだけでなく,自らを含む研究者の説明責任についても言及しているところだ。とはいえ,小笠原・山本両氏が岩波書店のブックレットという形で反オリンピックをさらに広めようとしているのに対し,いかにも流通の悪そうな想定と価格で訴える本書はどれだけの人に読まれるのだろうか。それはともかく,学術研究者の意見も学術雑誌ではなく新聞記事から引用しているのも含め,これだけ2020年東京オリンピックに関する国内の新聞記事を集めているものは他にみていないので,そういう意味での資料的価値が本書にはある。ただ,本書自体がメディア研究になっていないので,本書を資料として用いたメディア分析が期待できる。

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