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オリンピック,メガイベント関連文献(日本語編3)

稲葉奈々子(2015):東京オリンピックと都営霞が丘アパート.寄せ場 27: 61-75
国立競技場の南側に約300戸の霞が丘都営アパートがある。戦前からある「旧霞」と1947年に建設された「新霞」とがあり,いずれも1964年東京オリンピックの際に,新しく建て替えられた都営アパートへの住み替えか,建て替え時の移転かをさせられた。2013年にオリンピックの開催地が東京に決まるが,それ以前に2019年ラグビーのワールドカップに向けて,国立競技場の建て替えが決まっていたようで,この霞が丘都営アパートの住民には20127月の時点で移転の通知がなされている。その後,2013年にオリンピックの開催が決定し,住民に対して新宿区内のいくつかの都営アパートが移転先として提示されたが,論文執筆当時当時約230世帯が住んでおり,2013年の早期移転に100世帯が応じたという。201411月には東京都住宅局が移転の説明会や「意向調査」を行った。自治会の合意をもって全住民の合意とし,移転計画が進行する。20152月には移転を希望しない住民有志が都に要望書を提出する。
この論文は,著者が20146月に住民に対して行ったアンケートの結果と,アンケート回答者のうち,インタビューに応じた10名の方のライフストーリーが説明される。アンケートはポストが閉鎖されていたもの以外への全戸に投函され,43世帯の回答を得ており,回答率は24.7%とされている。このアパートは2DKの間取りでほとんどの世帯が高齢の夫婦世帯か一人世帯かである。移転を促された別の都営アパートは1DKが多く,荷物を処分しなくてはならないことや,そもそも高齢で引っ越し作業や新しい土地での生活の不安などが転居をとどまらせる大きな要因であった。また,ライフストーリーの聞き取りからは5080年間その土地で暮らしてきたことから生じるふるさと意識が大きいとされている。この論文で引用されているいくつかのインタビューは「反五輪の会」が行ったもののようだ。そして,都が行った意向調査には「転居しない」という選択肢はなく,また当時の舛添知事の定例記者会見での応答など,不誠実な対応もかれらに怒りと憤りを感じさせたという。なお,現在アパートは取り壊されている。

 

阿部 潔(2001):スポーツ・イベントと「ナショナルなもの」――長野オリンピック開会式における「日本らしさ」の表象.関西学院大学社会学部紀要 9086-97
まず,メディア研究者である著者はオリンピックをメディア・イベントとして捉え,自らの研究テーマの一つであるナショナリズムに関して論じる,というのが大きな目的である。対象は1998年長野大会の開会式であるが,開会式のテレビ放映を詳細に検討するようなメディア研究ではない。開会式はどういうものであったのかという事実を前提とし,それをめぐっての,主催者側の発言,開会式を批判するさまざまな人の意見(それらは各種雑誌などで発言され,メディアであるとはいえる)を検討し,開会式で表現される記号内容を検討するというもの。ある意味,古典的な記号論的メディア分析といえよう。近代オリンピックの始まりからして,世界中の多くの人が参加し,国対抗で競技が行われるという意味で,コスモポリタニズムとナショナリズムが共存しているのがオリンピック。開会式においても,それは新旧大会でいわれてきたことだ。まあ,それを1998年長野大会の各論として,日本のナショナリズムとして例証したのがこの論文。開会式のプロデュース側も,それを批判する論者も,結局日本のナショナリズムを否定するよりも擁護しているところは同じであるということを確認し,グローバル化によってナショナリズムが消滅するというかつての幻想を否定するという,ありがちな結論にはなっていますが,こういう基礎的な研究は必要です。

 

阿部 潔(2016b):先取りされた未来の憂鬱――東京2020年オリンピックとレガシー.小笠原博毅・山本敦久編 『反東京オリンピック宣言』航思社,40-58
阿部は同じ年に所属する大学の紀要に書いた論文タイトルを「東京オリンピック研究序説」としているように,2020年東京オリンピックに関する研究を着実に進めている。この論文では副題にあるように,組織委員会が2016年に公表している「アクション&レガシー・プラン中間報告書」を丹念に分析している。この中間報告書では,1964年東京大会のレガシーだけではなく,返上・中止になった1940年大会にも触れているという。1940年大会については戦時期のことでもあり,研究では批判的に語られ,公的にはあまり言及されていなかったが,ここにきて,戦争の記憶を消し去ったうえで,來田も指摘しているように,3つの大会に共通する「復興」というスローガンのみが,2020年大会との連続性のために利用されている。これを阿部は「歴史認識・解釈の修正主義」と呼ぶ。1964年大会についても,その過度な開発・高度成長に伴って生じた負の遺産である「公害」には全く触れないという。この中間報告には①スポーツ・健康,②街づくり・持続可能性,③文化・教育,④経済・テクノロジー,⑤復興・オールジャパン,世界への発信,の5本柱がある。それらには政策的な目標があり,①医療費の削減,②エネルギー・観光負荷の抑制,③ナショナリズムの高揚,④セキュリティ技術を通じたテクノ・ナショナリズム,⑤総動員体制,日本の観光資源化。当然,こうしたプラン=計画は市民参加的なものではなく,政府主導のものである。とはいえ,スポーツや文化を盾とすることで,戦時下のような国民への政治的強制ではなく,国民が自ら楽しみをもって自主的に参画するものであることが演出されている。しかし,その達成するところは経済的なものが主である。ここにも阿部はやはりナショナリズムの変容を読み取っている。最後にレガシー概念の語源を示す。この語はもともと「宗教的な権威と使命のもとに派遣された人物(特使)が,その赴任地において果たすべき営為(ミッション)であった」(p.55)という。最後に長くなるが,著者なりの本書表題に関わる引用をしておこう。「2020年東京オリンピックに向けて作り上げられるレガシーは,あらかじめ「先取りされた未来」の姿を描き出そうとする。だが,偶有性に満ち,不確実でもある「社会」を自ら引き受ける勇気を持ち続けようとするならば,私たちはレガシーに潜む暴力に抗い,それを断固として拒否する意思と自由を示さねばならない」(p.58)。

 

西山哲郎(2015):範例的メディアイベントとしての2020 東京オリンピック・パラリンピック大会の行方について.マス・コミュニケーション研究 86: 3-17
冒頭でまず,1964年東京大会が,テレビ時代の到来を早め,国民のほぼ全員に同じ映像体験を提供したことに成功したメディアイベントだったとする。そして,2020年までに生じている「長期的な情報空間の変化」(p.4)に目を向けるべきだという。中盤では,2020年東京大会の問題をうんぬん語り,2012年ロンドン大会が模範例になるだろうという。一例として自転車文化の活性化を挙げている。日本選手の障がい者スポーツでの活躍を論じ,「そういう意味で「国威高揚」ができるなら,2020東京オリンピック・パラリンピック大会は,真の意味で豊かな社会を日本に実現する機会として利用できるだろう。」(p.10)と書いているが,その真意が読み取れない。メディアコンテンツの話は「最後に」とされてしまう。メディアイベントにおける歴史的な新聞社の役割を指摘し,テレビ時代には広告代理店が,インターネットとスマートフォンの時代にはどうなるのか。リアルタイム性を議論している途中で,なぜかオリンピックの放映権料の話が挿入され,テレビ以外の多様なメディアで今後どうなるのか,結論がないまま終わってしまう。

 

西村 弥(2018):東京オリンピック開催準備における政府間関係・組織間関係に関する考察.明治大学政経論叢 86 (34): 43-74
2020
年オリンピック・パラリンピック競技大会は20139月に開催都市を東京に決定した。20141月には東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会が設立された(20151月に公益財団法人に移行)。201310月には政府内にも2020年オリンピック・パラリンピック東京大会推進室を設置した。20157月には「平成三十二年東京オリンピック競技大会・東京パラリンピック競技大会特別措置法」が成立し、201510月には文部科学省の外局としてスポーツ省が発足する。著者は政治学で博士を取得し、行政学を専門分野としているようだが、この論文では「集権・分権/融合・分離」モデルを援用するという。
まずはオリンピック憲章から関わる諸組織の権限について確認している。実際の大会開催は開催国のNOCが運営するが、オリンピック競技大会に関するすべての権利はIOCが所有するものとされている。あらゆる側面においてIOCは最高権限を有している。権限の観点からは、オリンピックにおけるIOCJOC、組織委員会の関係は「集権・分離型」と整理される。ここで面白いのが、オリンピック関係組織と開催都市(東京都)という自治体との関係を論じる前に、オリンピックを招致するという行為における民主的正当性の有無を確認している点である。これは「地方自治法等で想定されている自治事務といえるのかどうかという点についても疑問が残る」(p.54)としている。20117月に石原都知事が立候補の意思表明をJOCに提出したとされる。9月には招致委員会が発足するが、東京都議会が正式に決定するのは10月になってからだという。ただ、結論的には手続き上は問題ないとされ、それ以上は論じられていない。東京都内に設けられた「オリンピック・パラリンピック準備局」の定員は265人、一方NPO法人である組織委員会の職員は11,33名だという。それらの多くは他の機関、団体からの出向者でまかなわれ、34%が都職員、民間企業から31.3%、地方自治体から18.4%、国から3.4%、その他12.9%だという。大会時には7000名規模に拡大される予定だという。都と組織委員会との関係は「分権・融合型」だという。上記した国のオリンピック・パラリンピック推進本部は、関係機関や関係団体に対して意見や協力を提供するのみだという。大きな権限は有していない。また、新たに設置されたスポーツ庁に関しては、庁内に「オリンピック・パラリンピック課」があるが、実質的な役割はない。ちなみに、スポーツ庁の定員は120名である。と、ここまで興味深い事実を確認しているが、結論としては「集権・分権/融合・分離」モデルでの分類を確認することで終わってしまっている。

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