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オリンピック教育

ナウル, R.著,筑波大学オリンピック教育プラットフォーム・つくば国際スポーツアカデミー監訳(2016):『オリンピック教育』大修館書店,285p.,円.Naul, R. (2008): Olympic Education. Aachen: Meyer & Meyer Verlag und Buchhandel GmbH.

 

読んでも読んでも出てくるオリンピック文献。筑波大学は体育系というのを東京師範学校の時代から持っていて、現在でもオリンピック研究者を輩出している。実際に2010年から監訳者となっている組織が付属学校でのオリンピック教育の実践を行っているとのこと。そんなことでドイツの研究者による英語の研究書が翻訳されていた。オリンピック教育はけっこう重要だが、地理学的観点からはちょっと遠いのでどこまで首を突っ込むか悩んでいたが、英語論文をあまりフォローしていないこともあり、日本語になっているものは読むことにした。

序論
I部 オリンピック競技大会-オリンピック教育-オリンピック教育学
 第1章 オリンピックとオリンピック教育
 第2章 オリンピック教育とオリンピック教育学
 第3章 国際オリンピック委員会によるオリンピック教育推進のための5つの段階
II部 オリンピック教育の歴史
 第4章 オリンピック教育の父と祖父――19世紀
 第5章 オリンピック教育の父と子たち――20世紀
III部 オリンピック教育の推進
 第6章 国際オリンピック委員会
 第7章 国際オリンピック・アカデミー
 第8章 国内オリンピック・アカデミー
 第9章 高等教育委機関とオリンピック研究センター
IV部 オリンピック教育の教育学的概念と教授法
 第10章 各国の体育カリキュラム
 第11章 オリンピック教育の教育学的概念
 第12章 オリンピック教育を行うための教授学的アプローチ
V部 オリンピック教育の評価研究
 第13章 オリンピック教育と教師・生徒のオリンピックに関する知識の評価
 第14章 オリンピックの理念とスポーツ活動での達成動機の評価
 第15章 オリンピック教育の普及プログラムと教授法の評価
結論

II部で分かるように、オリンピック教育とはクーベルタンが発案したオリンピズム(オリンピック理念)と深く関係しており、文化プログラムと同様に、スポーツ競技大会の付属物ではない。むしろ、クーベルタンはスポーツ競技を手段として、目的は教育的な側面にあった、ということは事前に知っていた。本書の前半では、そのことの詳細を知ることができる。まず、そういう訳で、クーベルタン自身は「オリンピック教育」という言葉はほとんど使わなかったという。むしろ、教育(education)ではなく、教育学(pedagogy)という語は使われていたようだ。第II部ではその歴史として、クーベルタンが英国のパブリックスクール、特にアーノルドの教育に影響を受けていたというのは、本書でも言及されているマカルーンの『オリンピックと近代』に詳細が書かれているし、有名な話である。本書では、それをさらに深堀し、またドイツの研究者であるという利点を活かし、ドイツのグーツムーツという人物が18世紀末に発表していた考え方にさかのぼることができるという。とはいえ、本書の探求はその起源探しではない。アーノルド流のスポーツを使った教育法というのは英国の独占物でもなければ、19世紀の発明品でもないということが示されている。そして、第5章では、クーベルタン以降の人たちが、その考えを現代に伝えている様子が、またドイツも含め辿られる。
III部では、オリンピック教育に関わる組織に関する説明となっている。本書の冒頭では、一般の人々にはあまりなじみのない「オリンピック教育」という言葉が、招致をめぐる賄賂やドーピング問題などと関連付けられる悪いイメージがあると書かれている。ということもあり、関連する組織としてアンチ・ドーピング機構(WADA)が挙げられ、その他にオリンピック・ミュージアムと重要なのが、国際オリンピック・アカデミー(IOA)である。この組織も歴史的には前身となる組織がいろいろあるが、この組織は1961年の開設とされている。その役割は、オリンピック研究や教育の国際センター、国際フォーラムの場、各国のオリンピック・アカデミー(NOA)との協力、などとされる。ということで、第8章は各国のオリンピック・アカデミーが説明される。1978年に設立された日本オリンピック・アカデミーは初期の設立である。日本については、開設後あまり活動が活発でなかったが、1998年の長野冬季大会以降、活動が活発になり、特に「一校一国」運動が有名になった。NOAはアジア、アフリカにも存在する。第9章では、オリンピックに関する学術研究を行う大学のオリンピック研究センターが示される。日本では筑波大学と高知大学が挙げられている。高知大学は知らなかった。前田という名の研究者がいることになっているが、特定できず。主要な研究者の名前が掲載されているが、私が読んできたオリンピック研究者の名はない。各大学のオリンピック研究センターが発行している雑誌などの情報も得られなかった。
IV部では、各国での体育カリキュラムが議論され、それとオリンピック教育との関連が論じられる。オリンピックの理念は全人教育であり、本書の言葉を用いれば、オリンピック教育とは人生哲学である。ということで、突き詰めればオリンピック教育は学校における体育という教科に限定されるものではないが、実際には限定されるのは仕方がない。p.193には興味深い表が掲載されている。オリンピズムに関わる教科領域には、スポーツでの努力、社会的行動、道徳的行動、オリンピックの知識という4つの領域があり、それぞれについて、性質・行為・態度という項目に対して、規範と価値観が示されている。オリンピック教育は体育・スポーツ教育とも関連し、やはり体を動かすこと、ゲームのルールを学ぶことを通して、規範を身につける。それを社会的行動や道徳的行動につなげる。オリンピック教育=スポーツ教育ではないから、オリンピックに関しては、クーベルタンに関すること、オリンピック憲章に関すること、また過去の大会に関することや開催都市に関することを知識として学ぶことも要求される。第V部は資料として興味深い。オリンピック教育を実施しているヨーロッパでは各国で、日本では中学生にあたる年齢の男女に対して、オリンピックの基礎的な知識に関するアンケートを実施している。その国別差異や、年齢、性別の差異について結果が報告されている。他にも、好きなオリンピアンや嫌いな選手、オリンピック・チャンピオンになりたいかなど、面白い質問がある。どうやら日本でも、岡出(おそらく岡出美則という研究者)という研究者が国際的なシンポジウムで長野でのアンケート結果を報告しているようだが、日本での報告は見つからない。
ともかく、本書を通じてオリンピック教育に関する幅広い知識を得ることができる。しかし、Lenskyjのような批判的な議論は全く参照されておらず、また体育・スポーツ、とにかく体を動かすことに抵抗がある人、また身体的な問題から体育・スポーツに関われない人、そういう人はあらかじめ除外されていることは否めない。

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