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〈東京オリンピック〉の誕生

浜田幸絵(2018):『〈東京オリンピック〉の誕生――1940年から2020年へ』吉川弘文堂,281p.3,800円.

 

オリンピック関係の文献を探しているときに突如見つかった著者の論文群。しかも、その一本は私が非常勤講師をしている東京経済大学の紀要『コミュニケーション科学』に2010年に掲載されたものだった。どうやら、東経大の博士課程を修了しており、現在は島根大学法文学部に勤めている。彼女の博士論文はミネルヴァ書房から2016年に『日本におけるメディア・オリンピックの誕生:ロサンゼルス・ベルリン・東京』として刊行されている。ただ、彼女の研究はグローバルな視点を有しているが、あくまでも歴史的研究であり、論文は読んだが、この高価な著書はまだ読んでいない。一方、本書は一般の書店でも売っていて、発売当初に中身をみていた。こちらも歴史的研究がメインながらも、やはり2020年大会をにらんでいることが分かったので、読むことにした。本書に著者略歴が書かれており、学部は成城大学を出ており、修士で英国のラフバラ大学に行っているということが分かり、なんとなく納得。失礼な言い方だが、東京経済大学だけでここまでの研究者が育つとは思えない(優秀な研究者はとても多いのですが)。

プロローグ――三つの東京オリンピック
1章 オリンピック招致運動前史――西洋のスポーツ・イベントと日本
2章 「東洋」初のオリンピック開催へ
3章 〈東京オリンピック〉の残像
4章 戦後の国際社会への復帰とスポーツ
5章 〈幻の東京オリンピック〉の実現――「世界の祭典」を開く日本
エピローグ――1964年から2020年へ

実は、本書を読み始めて納得したことがある。何度も書いているが、私は今国内外のオリンピック研究を読み漁っているが、きりがないので、2000年以降に限定して読んでいる。1964年東京大会にまで手を広げると収拾がつかなくなると思ったからだ。しかし、研究というのは継続的に行われるもので、ある時点の研究は過去の研究を参照する。そういう意味でも、過去の重要な研究があればその存在に否が応でも気づかざるを得ないはずだ。しかし、1964年大会後に記された目立った研究にはあまり見当たらない。本書によれば、1964年東京大会に関しては、各論的なものはあるものの、総論的な研究はさほど多くないのだという。そして、1940年の幻の東京大会を含めて、複数の東京でのオリンピックを検討する作業は実はあまり踏み込んでなされていないという。本書はそれをメディア研究の観点から行おうとするものである。
プロローグでは,近年の日本語で読めるオリンピック研究を概観し,国際化とグローバル化について議論している。著者によるオリンピック研究の面白いところは,常に日本のオリンピックとの関りを題材にしながらもそれをしっかりグローバル化の視点でとらえていること。地理学者はそこにこだわってしまうが,彼女は必然的にそこに目が行くというところは,地理学が学ぶことは大きい。第1章は1908年ロンドン大会に初めて日本人記者や文化人が参加し,新聞を通してそれを日本に報道したところから,2012年ストックホルム大会に選手が参加し,1940年大会に東京が立候補するまでの経緯を,歴史的資料を丹念にたどることで明らかにしている。とはいえ,日本は19世紀末にもオリンピックを新聞記事にしたことがあるという事実もしっかり示されている。また,論文ではなかなか紙面を示すことは難しいが,本書は要所で紙面の画像が掲載されていて,当時の雰囲気を知ることができるのも嬉しい。日本人がそもそもオリンピックが何なのかを理解することは容易ではないことが丹念に示される。こういうところはメディア研究の強みだ。本書は単なるメディアの調査だけではなく,それ以外の歴史資料もしっかりと押さえていることに特徴がある。帯に「「国際」と「グローバル」をキーワードに,連続性を読み解く。」とあるように,オリンピックが国内で完結するイベントではもちろんなく,だからこそ国外に向けられた目,国外から向けられた目を常に意識して,常に意識していたことが分析されている。そして,帯の「連続性」というのは冒頭にも書いたように,返上した1940年大会と1964年大会だが,第2章で1940年大会の返上までが整理され,第3章は返上後の動向,第4章は戦後の状況と1964年招致までが整理される。1940年大会の返上後,日本各地で聖火リレーをまねたイベントが行われたことは既に著者の雑誌掲載論文で読んでいたが,それ以外にも国際学童オリンピックなど,国内でも体育大会が盛んになった。また,1936年ベルリン大会の記録映画の日本での上映について語られたり,歴史資料の調査を楽しんでいる著者の様子が伝わるような記述が続き,読者までもがこの時代の疑似体験をしているようだ。戦後についても,さまざまなオリンピック読本や教科書に記載されるオリンピックなど出版物におけるオリンピックが整理される。1964年大会の聖火リレーについてはいくつか研究があり,そこそこ知っていたが,本書には当時作成されていた聖火リレーコースの地図が掲載されたりして,より現実味を持って理解できる。1964年大会時もやはり小中学生向けの教材など,かなり多くの出版物を通してオリンピックが宣伝されていることが分かる。テレビ中継については,著者の別の論文でも別の大会についても詳しく論じられているが,本大会に向けてCMがどうだったとか,現在のように事前の特集番組がどうだったのか,その辺も知りたかった。大会が始まると,こぞって小説家をはじめとする文化人が開会式をはじめとする大会評を新聞を中心に発表していたことがこの時代の特徴でもある。それはもちろん,肯定的なものだけではなく,否定的なものもあった。特に,アジアで開催された初のオリンピック大会であったのに,アジアからの参加国が少なかったという点を指摘する意見は少なくなかったようだ。それはもちろん,戦争の影響によるところが大きい。オリンピックに合わせて数多く制作された音楽作品についても語られる。これは現代も一緒ですね。しかも,1940年大会と1964年大会の大きな違いは戦中と戦後であるにもかかわらず,1940年大会のために制作された,戦時中を強く意識した楽曲が何の反省もなく蘇るなど,いかにも日本らしい。1964年大会でも芸術展示が行われた。
結局,2020年大会についての議論はエピローグまで持ち越されるが,思いのほか著者が熱く語っていることに驚く。最後の言葉を引用しておこう。「2020年東京オリンピックを経て,日本社会とその首都東京,そして19世紀末に人類が編み出したスポーツ・イベントは,一体どこへ向かうのだろうか。」(p.260

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