« 日本映画3本 | トップページ | オリンピック,メガイベント関連文献(英語編20) »

オリンピック,メガイベント関連文献(英語編19)

Brown, L. A. and Cresciani, M. (201): "Adaptable Design in Olympic Construction," International Journal of Building Pathology and Adaptation 35 (4): 397-416.
オリンピック競技施設の大会後の利用を論じたものはそこそこあるが、この論文は建築物のスケールで、持続可能性や適応性(adaptability)の観点から論じている。最後の方で、あくまでもヨーロッパで開催された大会に限定すると書いているが、事例としては2012年ロンドン大会の水泳競技施設(ロンドン・アクアティクス・センター)と室内自転車競技施設(リー・バレー・ヴェロドローム)、および1960年ローマ大会のパラツェット・デロ・スポルトとパラッツォ・デロ・スポルト(名前が似ていて区別がつかない)の合計4施設。2012年ロンドン大会では、新設する施設であっても、オリンピックに必要な座席は仮設にし、大会終了後は取り外して収容人数を減らすということをやっていた。この水泳競技施設も、最大は17,500人を収容したが、仮設撤去後は2,500人となっている。各競技について、いつからオリンピックの種目になったのかという詳しい説明があり、自転車に関しても、いつからどのような理由で室内施設となったのかが説明される。その一方で、大会後どのように適応性を高める工夫がなされたのかについては分かりやすくは説明されていない。この自転車施設に関しては、建築構造的に、室内空間が48のコラムに分割できるということで市民の要求にあった形での利用がされるようだ。しかし、その改修には総額1億ポンドかかるとかかれていたりする。1960年ローマ大会は57年前の大会だが、掲載された施設内部の写真を見る限り、美しい建築物である。オリンピック村の近くに建設されたパラツェット・デロ・スポルトは、選手たちのトレーニング・ジムとして利用された。採光に関して難点もあった建築のようだが、現代建築の遺産と位置付けられる。パラッツォ・デロ・スポルトは現在はポップやロックの音楽コンサートとしても利用されるような多目的施設となっている。こちらも夏場の室内気温が問題であり、ガラス張りのファサードに赤外線防止シートが貼られた。ヨーロッパでは2014年に「ヨーロッパ・アリーナ協会」なる組織が作られ、おそらく全ヨーロッパ・ツアーを行うようなアーティストのために各国で会場を提供するようなものだと思うが、この施設もそこに属しているとのこと。最後に、さらなる研究として、ヨーロッパで開催されたオリンピック大会のデータを収集するような計画が書かれています。

 

Chappelet, J-L. (2008): "Olympic Environmental Concerns as a Legacy of the Winter Games," The International Journal of History of Sport 25 (4): 1884-1902.
著者はスイスの行政学の研究者で、フランス語のオリンピック本も何冊か出している。この論文は環境の観点から、オリンピック冬季大会の歴史を概観したもの。第1回の冬季大会は1924年のフランス、シャモニーで開催された。はじめの40年間は1932年の米国レイクプラシッドでの開催はあるが、スイスやドイツ、いずれもヨーロッパ・アルプスで行われている。持続可能性という点では、現代の見本になるようなもので、今日では迷惑施設になりつつある、ボブスレーやルージュなどの競技は氷を固めただけのコースで行われていた。米国レイププラシッドで開催された1932年大会は初めて環境問題が生じた大会だとされている。国立公園内を開発するための法律を整備し、地元の活動団体が建設反対運動を行った。1936年の夏季大会は悪名高きベルリン大会だが、同年に同国で開催された1936年ガルミッシュ=パルテンキルヒェン大会も巨大な施設をつくったという。1928年のサンモリッツは、1948年大会も開催しており、既存の施設を利用している。ただ、その後は徐々に山岳リゾート地から、都市での開催が出てくる。それは冬季大会もが規模を拡大してきたことによるものであり、IOCも規模の大きな都市を選ぶようになってくる。この時期の最後の大会である、1968年グルノーブル大会では、施設上の問題がいくつか生じてくる。ボブスレー会場が日照の問題で、競技が夜間に行われたり、ジャンプ会場が強風にさらされ、トレーニングが中止になったり。その他いくつかの施設では標高が低いために、氷や雪が確保できなかったりした。
1970
年代から1980年代は政治生態学的な問題が生じる。1970年代には日本も公害問題が深刻化したが、ローマ・クラブによる1972年の『成長の限界』が出された。ちょうどその都市の1972年札幌大会は、招致活動の主要人物がボブスレー選手であり、Hokkaidou Comprehensive Development Instituteなる組織の長だった人物だという。札幌はさまざまなインフラ整備で利益を得ていたといい、選手村から35km圏内に施設を収めたコンパクトな大会だった。この頃からボブスレー施設は人工物となり,「白い巨象」となりつつあります。1980年レイクプラシッド大会では,ジャーナリストによる環境に関する明晰な分析なども発表され,オリンピックと環境の関係について,関心が高まります。1984年サラエボ大会は冬季大会の社会主義国初の開催になりますが,政治的問題も加わってきます。1990年代になると,IOC自体が持続可能性などを主張するようになり,大会開催都市に環境への配慮を求めるようになる。そういった意味でも1994年のリレハンメル大会はグリーンな大会をめざした最初のものになります。1998年長野大会の記述もあります。子どもの参加(動員?),平和,友好のプロモーションが前面に押し出された。ボランティアの制服などでリサイクル材が用いられた。2000年以降の大会では,より環境の主張が強くなる。2006年トリノ大会では委員会がISO14001を取得するなど,環境基準が進展しますが,2014年ソチ大会では後退したといいます。

 

Chen, Y. Qu, L. and Spaans, M. (2013) :"Framing the Long-Term Impact of Mega-Event Strategies on the Development of Olympic Host Cities," Planning, Practice & Research 28 (3): 340-359.
オランダの建築分野の研究者によるもの。けっこうオーソドックスなオリンピックの都市へのインパクト研究。そして、批判的な視点というよりは成功事例を選んでいるところが、社会学や地理学の研究者とは異なるのかもしれない。ということで、1992年バルセロナ大会と2000年シドニー大会が対象。標題に長期的インパクトとあるように、メガイベントによる社会へのインパクトをいくつかの軸で捉えています。一時的-永続的、直接-関節、短期-長期、単一の結果-多元的な結果。バルセロナは開催が決まった当時、経済的な危機に陥っていたという。危機からの回復のために、オリンピック開催を活用し、都市イメージも改善するという目標を立てている。結果的に、1992年バルセロナ大会は、後に「バルセロナ・モデル」といわれるように、成功事例として捉えられ、もう27年が経過していますが、国際的な観光都市として、近年の京都のように、観光客であふれていることが問題視されているくらいである。バルセロナではよく知られるように、市内に競技施設を4箇所に分散させた。オリンピック村の建設は荒廃した湾岸の工業地帯を活用したものだった。公共と民間の提携により開発は行われ、1980年代後半には東京の湾岸でもよくやられましたが、ポストモダンのこじゃれた建築物がウォーターフロント再開発の象徴になっています。もちろん負のインパクトについても記されていて、特にそれは住宅であり、貧しい人向けの住宅が不足したということ。また、この時代にはまだ環境への配慮という点では足りないところが多く、またそうした少数の反対意見を吸い上げるようなことはなかった。

 

Smith, C. J. and Himmelfard, K. M. G. (2007): “Restructuring Beijing’s Social Space: Observations on the Olympic Games in 2008,” Eurasian Geography and Economics 48 (5): 543-554.
この論文は2008年北京大会を取り上げていますが,どうやらこの雑誌での特集のようです。同じ号に掲載されたFeng, Jian, Yixing, Logan and Wu4人による「北京の社会空間の再構築」というタイトルの論文に対する「アメリカ人地理学者によるコメント」といっています。この4人は表記から見るに中国人かそれに近い人々です。読んでいないのにいい加減なことはかけませんが,日本語で読んだオリンピック論文でも,中国人が北京大会について書いたものは,やはり中国以外のメディアがこぞって北京大会を批判するのに対し,それを擁護するようなものが多い印象がありました。なかには,近代ヨーロッパを基礎とする近代オリンピック思想に対し,そろそろそれとは違ったし思想を加えて転回させる必要があるというもっともな主張もあった。おそらく,Feng, Jian, Yixing, Logan and Wuによる論文は北京大会の成功と北京という都市にもたらした恩恵を強調していたと思われ,Smith and Himmelfardによるこの論文は北京大会の負の側面を強調しようとするものだと思われる。とはいえ,住民の移転や立ち退きに関してはCOHREによる調査に依拠していたり,この2人は本格的にオリンピック研究をしているわけでもなさそうです。ともかく,大気汚染をはじめとする環境問題,公共交通を含めたインフラストラクチュア,そして移転と立ち退きという3点から,北京大会がもたらした負の側面を論じています。

|

« 日本映画3本 | トップページ | オリンピック,メガイベント関連文献(英語編20) »

学問・資格」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 日本映画3本 | トップページ | オリンピック,メガイベント関連文献(英語編20) »