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オリンピック,メガイベント関連文献(英語編22)

Ren, X. (2017): “Aspirational Urbanism from Beijing to Rio de Janeiro: Olympic Cities in the Global South and Contradictions,” Journal of Urban Affairs 39 (7): 894-908.
要旨の冒頭から,「メガ・イベントに関する批判地理学的学究のほとんどは,略奪による蓄積の概念を採用している」という。「略奪による蓄積」とはハーヴェイの『ニュー・インペリアリズム』での有名な概念だが,この概念によって開発による立ち退きやジェントリフィケーションという負のレガシーを論じるのが定番であり,その状態を乗り越えようという試みであり,タイトルにある「熱望的アーバニズム」というキーワードを用いている。事例としては2008年北京大会と2016年リオデジャネイロ大会であり,以前に紹介したShin氏の論文と同様にグローバル・サウスの大会(中国は北半球だが)と位置付ける。熱望的アーバニズムはグローバルな熱望(グローバル・シティの一員になること)とローカルな現実(経済的不安定,不法居住の増殖など)のギャップを強調し,分析的視野を広げるものだと定義される。この観点においては,各都市の歴史的背景が重要で,オリンピック招致前後の都市マスタープランの変化とメガ・イベントの位置付けを辿っています。中国とブラジルの比較を通じ,国家の介入の度合いなども比較の対象になります。メイン・スタジアムの建設や開会式などさまざまな違いがあります。リオの場合は,ファベーラという都市における負の側面がありますが,近年においては外国人観光客の訪問地となったり,ファベーラの商品化も進んでいるといいます。北京の場合も城中村というインフォーマルな居住区があり,オリンピック関連開発に伴う立ち退きなどありましたが,それを覆い隠して一党支配の国家が強く介入してきれいな都市をグローバル社会に示す中国と,論文中では「脈動する民主主義」と表現され,負の側面もまるごとその都市の個性として表現するブラジルとで,メガ・イベントをめぐる,都市・国家のありかたの違いが出てくるわけです。

 

Sanchez, F. and Broudehoux, A-M. (2013): “Mega-events and Urban Regeneration in Rio de Janeiro: Planning in a State of Emergency,” International Journal of Urban Sustainable Development 5 (2): 132-153.
この論文はブラジルのフルミネンセ連邦大学の「グローバル化と首都」研究室,リオデジャネイロ連邦大学の「国家,労働,領域,自然」研究室という共同研究の成果の一部とのこと。リオについてはかなり論文を読んできましたが,1992年の環境サミットから,2007年のパンアメリカン大会,2010年世界都市フォーラム,2013年世界ユースデイ,2014FIFAワールドカップ,そして2016年オリンピック大会と数多くのイベントを開催している。そんな中で,再民主化といえる政治的変容や,都市政策のネオリベラル化などを経てきている。なお,この論文ではボイコフは引用されていませんが,クラインの「参事便乗型資本主義」やアガンベンの「例外主義」というボイコフと同じ参照を通じて,メガ・イベントに乗じた都市政策・開発のあり方を論じています。なお,2007年パンアメリカン大会における費用は過去最大で,かつ民間の投資額は20%にすぎなかったという。また,ワールドカップ開催時は,スタジアム周辺ではスポンサー企業以外の飲食物は排除された。読み終えてから少し時間が経過してしまい,長い論文なので,さーっと眺め返してみても,他の論文と違う論点があまり思い出せません。著者の一人Broudehouxはよく見る名前ではありますが,ちょっと残念。読んでいる時はもう少し得るものがあったような気もします。

 

Becerril, H. (2017): “Eviction and Housing Policy Evolution in Rio de Janeiro: An ANT Perspective,” Journal of Urban Affairs 39 (7): 939-952.
続いてリオデジャネイロの論文。こちらはロンドン大学で博士論文を取得したメキシコ大学の研究者によるもので,博士論文をもとにした論文。タイトルにあるように,アクターネットワーク理論(ANT)を援用してリオにおける立ち退きと住宅政策を論じたもの。こちらは,アクターネットワーク理論はともかくとして,住宅政策を政権の変化とともに丁寧にたどっているところに特徴がある。アクターネットワーク理論については,私がまだラトゥールを読んでいないこともあり,よく分からないこともありますが,公共政策文書(うまく訳せませんが,public policy InstrumentsPPIと略されています)の政治社会学にも依拠すると書かれています。セザール・マイア市長時代(1993-1996)にリオデジャネイロ市当局は住宅政策を作成し始めた。その時は新たな住宅建設よりもファベーラの都市化(インフラ整備=近代化ということか)を重視していた。住宅とは単なる住居ではなく,日照やインフラ,交通,教育,健康,余暇を含む都市構造の統合である,と1994年の市の文書に記載されている。ファベーラ対策重視の政策をFavela-Bairroと呼んでいた。このプログラムには建築家協会やファベーラの住民組織,建設会社などが関わり,銀行からの融資も受けていたようです。マイアの同胞であるコンデ市長時代(1997-2000)にもこの方針は継続した。2000年の市長選挙で,再びマイアが当選するが,この時代(2001-2004)に「新しい」住宅局長のアマラルによって,ファベーラの改良よりも住宅建設が重視されるようになった。それが州知事との対立をもたらす。この時期にファベーラにおける暴力や麻薬取引などが問題になり,立ち退きが論争の的になる。マイアの第三政権時代(2005-2008)には住宅局の予算が削減される。連邦政府のルーラ政権時代(2003-2010)の成長加速プログラム(PAC)は以前も紹介したことがありましたが,これが2007年で,リオデジャネイロのパエス市長時代(2009-2012)には,選挙時の公約に都市無秩序に抗する「秩序の衝撃」なるものがあったようで,やはりスラムの改良よりも住宅建設や立ち退きが優先される。2009年には2016年オリンピック大会のレガシー計画として住宅政策が重視された。さまざまな取り組みがなされたようですが,バス・ラピッド・トランジットやケーブルカーなどの建設に伴う立ち退きや移転などもありました。

 

Hiller, H. H. and Wanner, R. A. (2015): “The Psycho-social Impact of the Olympics as Urban Festival: A Leisure Perspective,” Leisure Studies 34 (6): 672-688.
英語圏のオリンピック研究のレビュー論文を『経済地理学年報』に投稿したものはすでに脱稿してしまいました。ヒラーの論文は以前から紹介していますが,この論文は共著者とともに,継続的に行われているもので,2010年バンクーバー大会に関する住民意識調査を論じた2011年の論文はしっかり読みましたが,この論文ともう一本はきちんと読まずに言及してしまった。ようやくきちんと読みました。今回は2010年バンクーバー大会と2012年ロンドン大会の比較ということになっています。バンクーバーでは自らしっかりと設計された調査をしているのに対し,ロンドンでは民間によるいくつかの調査がなされているようで,この論文ではそれらを利用しています。結果的には,開催が近づくにつれて住民の関心が高まり,ネガティブなものからポジティブなものン変化していくという有体のものですね。なので,この論文は調査結果の報告よりも後半の考察に力が入れられている。それは,ヒラーが1990年に書いた1988年カルガリー大会に関する論文で主張されていた,オリンピック大会が開催都市にもたらす正の側面を強調するものである。オリンピック大会は開催都市でのレジャーの時間と空間を拡大し,またその概念をも拡大する。また,ここではいわゆる日本ではパブリックビューイングと呼んでいる「live sites」にも言及している。私のレビュー調査ではオリンピック研究にパブリックビューイングを扱ったものがないと結論したが,どうやら英語圏ではありそうだ。この論文ではオリンピックの都市にもたらす正の側面をフェスティバルという概念でまとめている。この概念もお祭り騒ぎ的な意味では否定的にとられがちだが,賑わいや活性化という点では,やはり重要なんでしょうね。

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