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「不法」なる空間にいきる

本岡拓哉(2019):『「不法」なる空間にいきる――占拠と立ち退きをめぐる戦後都市史』大月書店,238p.3,200円.

 

著者の本岡拓哉氏は1979年生まれ,関西大学で地理学を専攻し,大学院は大阪市立大学へと進学し,博士を取得している。こういう経路を取る人は関東に住み,大学に所属していないような私にもその存在は知られることになるが,なかなか接点はなかった。とある研究会で顔を合わせる機会もあったが,直接接する機会は,彼の学会発表で私が質問して以降のものだった。私自身も名前は知っているものの,彼の論文を読んだことはなく,その学会発表で初めてその研究に触れたが,その頃はすでに河川敷居住者を対象とした研究に移行していた。質問後,丁寧なメールをいただき,それ以降はなぜか私はそんなに頻繁に学会に顔を出す人間ではないが,学会に行けば顔を合わせるようになった。彼の奥さんも地理学者だが,彼女とは以前から面識があったことも,お互いに親しみを感じさせるきっかけだったかもしれない。ともかく,そういう次第で,出版早々に送っていただいた本書をようやく読むことができた。以下に本書の構成を示す(カッコ内は初出の出版年)

第1章 「不法」なる空間のすがた(2015年)
第2章 「不法」なる空間の消滅過程(2007年)
第3章 「バタヤ街」を問いなおす(2019年)
第4章 河川敷居住への行政対応(2018年)
第5章 立ち退きをめぐる空間の政治(2006年)
第6章 河川敷に住まう人々の連帯(2015年)
第7章 集団移住に向けた戦略と戦術(2016年)

私自身も本書のような研究を読むのにちょうどよい時期なのかもしれない。オリンピック関係の文献をよむなかで,evictionという言葉が「立ち退き」を意味し,オリンピックのようなメガ・イベントではかつてから立ち退きが行われ,最近でこそ強制立ち退きというのが行われにくくなってきたが(とはいえ,最近でも日本は新国立競技場建設に関連する立ち退きを行っている),それがオリンピック研究の一環としてかなり取り組まれているのだ。
一方で,本書で著者が取り組むのは副題にあるように,歴史的に行われた立ち退きである。容易に想像はつくが,冒頭でこの種の研究の少なさが指摘され,また本書で明らかにしたいことも明記されているのだが,それを解明するための史料の少なさに苦しめられている様子がよく分かる本である。第1章はそんななかでも,1957年に東京で行われたまとまった調査である『東京都地区環境調査』を丁寧に整理している。まずは入手可能な貴重なデータに関しては十分に活用するという態度は重要ですね。きれいな地図も作成されています。また,個々の不法占拠地区の土地利用の変化については,過去の住宅地図から地図上で確認する作業もしています。ただ,この作業はあまり実りが多くなかったように思える。図版として掲載されたものが明確に立ち退きを表現していないからだ。一方で,いくつか掲載されている空中写真は見事に立ち退きの実態を示している。私も2008年北京オリンピックに関するShin氏の研究を確かめるために,GoogleEarthなどで過去の空中写真を辿ってみたが,それは驚きだった。第2章は著者の出身地である神戸に舞台が移る。神戸市は著者の出身地というだけでなく,戦後バラックが街の規模が最大であり,またその対策でもその実績が高く評価されていたという。この章では,各行政資料に加え,市議会議事録や新聞記事なども活用されている。本書では後半に広島市の事例があるが,比較的広い河川敷をもつ広島市の太田川に比べ,神戸市の都市河川の不法占拠は,新聞記事の文章を読むだけで,衝撃的だ。自然堤防を挟んで緩やかな高低差を想像する一般的な河川(うちの近所の多摩川など)と比べ,人口堤防を挟んで,住宅地のはるか下を流れる都市河川。そんな縁に住宅を建て,糞尿などを宙に浮いた住宅部分から河川側に落とす,そんな図を勝手に想像してしまった。ともかく,神戸市では,周辺住民の匂いと不衛生状態の訴えの解消として,バラック撤去の政策が急務になったことがうかがえる。第3章では,再び『東京都地区環境調査』に立ち戻り,舞台は東京へ。一般的に用いられる「バタヤ」という概念を考察する。不法占拠の人々がどんな生業で生計を立てていたのか,バタヤの言葉はもの拾いと結びつく。宮内洋平氏の南アフリカ研究でもそうした下層の人々の生活は一般的だが,当時の日本でも一定の割合の労働者がいたということは知っている。私と同年代の社会学者である,下村恭広氏もそんな研究をしていた。この章では新聞記事の分析もあり,また別の資料を用いて,特定のバタヤ部落の消滅過程も辿っている。
第4章からは河川敷居住に焦点を合わせていき,まず全国的な傾向をつかみ,先行研究のある代表的な河川(熊本県の白川,静岡県の安部川,横浜市の鶴見川)などの状況が確認される。そして,第5章で再び神戸に戻る。特にここでは,どの不法占拠地区でも一定数存在していた朝鮮人部落について詳細な考察がなされる。この辺りからは元住民へのインタビューなども含まれている。章のタイトルには「空間の政治」とあるが,この詳細な事例研究を踏まえた何かしらの考察が欲しかった。第6章,第7章は広島市の事例に移る。広島市全体が太田川の扇状地だが,海に流れ出す河川流を人工的に処理すべき戦前から国の直轄事業として放水路の事業が始まる。しかし,周知のごとく広島は爆心地であり,事業の中断と,不法居住者の増大が生じた。本書の終盤ではその経緯と最終的にかれらが立ち退かされる過程を詳細に描いている。正直,これまでの読書はもどかしい気持ちにさせられてきた。史料に基づく誠実な分析であることが本書の特徴でもあるが,確実に書けないことは書けないという態度でもあるので,本書のタイトル「空間のいきる」という不法住宅に住む人のなまの生活がありありと描かれるわけではないのだ。もちろん,そういう人たちが積極的に記録を残すわけではなく,また行政側も撤去のために調査をする必要はあっても,それを積極的に保管するわけでもない。だから,復元するのは難しいことは分かる。第7章では,行政側の不良住宅地区の移転という政策に対して,そこに住む住民のために交渉を行った活動家たちの姿が丁寧に描かれている。残念ながら,住民の姿は最後まで断片的な写真でしか見ることはできないが,この読書は,戦後日本の都市を必死に生き抜いた人たちの姿に少なくとも地理空間というスケールで思いを馳せることができる経験だったと思う。
本書は「序論」の最後にドリーン・マッシーの『空間のために』における空間論を踏まえての考察とされているが,ここはちょっと気になる。マッシーはこの著作以前に「場所は静的で固定的なものではない」という場所論を展開していたが,『空間のために』はさらにそれを超えていく著作だと私は理解しているからだ。確かに,本書は場所論ではなく,空間論を軸にしていて,そういう意味では『空間のために』を踏まえるの正しいと思うが,もう少し丁寧な考察が必要だと思うし,序論で述べるだけでなく,結論でどのように「踏まえた」のかを最後に記してほしい。また,ド・セルトーの「戦略と戦術」を本書の後半で利用しているが,これに関しても文献にあるように,森 正人氏の議論の受け売り感が否めない。今更この形骸化した議論を繰り返すのではなく,原著に立ち戻った深い議論を展開して欲しかった。とはいえ,本書を読んで,学術書であろうとも著者の人柄がこんなにも溢れるものであるのだと強く感じた。

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