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2019年12月

TOKYO 1/4と考えるオリンピック文化プログラム

東京文化資源会議編(2016):『TOKYO 1/4と考えるオリンピック文化プログラム――2016から未来へ』勉誠出版,255p.2,500円.

 

2016年の出版ながら、今更見つかった本。とはいえ、来年3月に発行になる『経済地理学年報』では、オリンピック関係の特集を組んでもらい、私も執筆したのだが、この執筆陣に入っている太下義之氏は、本書の「編集参与」とのこと。結局1度しかお会いしていないので、本書の存在は教えてくれなかったな。本書の編者である「東京文化資源会議」とはそのウェブサイトによれば、2014年6月から活動を始めた「東京文化資源区構想策定調査委員会」の発展した組織であり、委員会としては内閣府や国土交通省、文化庁を中心とした政府内委員会だったようです。当然、2020年オリンピック・パラリンピック競技大会が東京での開催に決定した2013年以降に動き出した委員会ですから、それを前提としているのは間違いありません。しかし、当時は2012年ロンドン大会の後であり、2016年リオデジャネイロ大会はまだでした。日本ではあまり知られていませんが、オリンピック・パラリンピックはスポーツ競技だけでなく、文化プログラムの実施が開催都市に義務付けられています。一つは、前回の大会終了後から4年間を文化オリンピアードと名付け、開催国での文化事業を行うことになっています。これはオリンピック憲章に明記されているものではありませんが、開催年のオリンピック村の開村から閉村までは文化イベントを行うこととなっており、その計画は国際オリンピック委員会(IOC)の承認を必要としている。そして、太下氏の文章でも詳しく書かれていますが、2012年ロンドン大会が、文化オリンピアードから2012年の文化プログラムまで、非常に充実したイベントが開催されたことが知られていて、本書を読むと東京でも一部の人たちの中では、「東京でも!」という強い意気込みが感じられます。
https://tcha.jp/

はじめに(柳与志夫)
I
 オリンピック文化プログラムとは何か
 「オリンピック文化プログラム」序論――東京五輪の文化プログラムは2016年夏に始まる(太下義之)
 対談 オリンピックが「戦後」を終わらせる(青柳正規×御厨貴)
II
 フロントランナー,4人が語る!
 回帰する都市リノベーションする都市(隈研吾)
 熱狂の中心を作り出すために(猪子寿之)
 みんな乗りこめキャラバン隊が行く(野田秀樹)
 2020年にTURNする(日比野克彦)
III
 文化プログラムのトリガー・文化資源
 2020年へのレガシー2020年からのレガシー(吉見俊哉)
 東京の文化資源の多様性と東京文化資源区構想の意義(柳与志夫)
 「東京ビエンナーレ」が日本の地域を変える(中村政人)
IV
 全国に展開する文化プログラム
 個都・東京――東京文化資源区構想と東京オリンピック2020をめぐって(南後由和)
 水と土に育まれた「創造交流都市にいがた」(篠田昭)
 過去・現在・未来に求められる地域活動――台東区谷中界隈の事例にもとづく考察(手嶋尚人)
 英国から,ふじのくに静岡へ――新たなレガシーが生まれる(岩瀬智久)
 文化が開く京都の未来~創造,育成,交流~(平竹耕三)
 地方から発信するBEPPU PROJECT(山出淳也)
 沖縄文化を世界へ――2020年東京五輪を契機とした地域文化発信の可能性(杉浦幹夫)
資料編
 オリンピック憲章(2014年版 第五章三十九条)
 東京文化ビジョン(文化戦略・主要プロジェクト2015年策定)
 参考資料リスト
コラム(桝本直文)
 ①2008年北京大会のギリシャ芸術展示館
 ②2012年ロンドン大会大英博物館が文化プログラム会場に
 ③アテネの地下鉄ミニミュージアム
 ④ナショナルハウス

さて、本書にはいくつかのインタビュー記事が掲載されています。もちろん、2020年東京オリンピックに関わる人たちです。文化庁長官(青柳正規)、新国立競技場設計者(隈研吾)、文化プログラムを先導するプロジェクト監督(野田秀樹・日比野克彦)などです。野田秀樹が本書で語っている「東京キャラバン」は実際に2015年から実践されているようです。
https://tokyocaravan.jp/about
そして、上記にある「東京文化資源区」と名付けられたものは、北は谷根千から南へ、上野、本郷、湯島、秋葉原、神田、神保町のエリアとなっています。本書ではまず吉見俊哉がこの地域の重要性を訴えます。文化研究者らしく、文化概念の定義を説明していますが、それは批判的な立場ではありません。耕作するという本来の意味から教養という意味に展開してきたのがcultureですが、その隠喩を元に戻し、人の成長(教育)にも土壌が必要なんだみたいな言い方で、本郷は今でも東大を中心とする文京エリアですが、神保町エリアを江戸時代の参勤交代から明治期の中国人留学生、その後の東京大学(本号より前に神保町で創立されたそうです)、学習院大学、一橋大学、東京外国語大学などの立地場所として、現在の書店街(出版社も)として位置付けています。ある意味、吉見氏の門下生ともいえる、南後由和も話を合わせるように、東京の江戸時代の姿まで遡り、「の」の字を描くように、1964年オリンピックで欧米文化の下で開発された青山・六本木・渋谷からぐるっとまわって、今は東京の北から東の方がホットなスポットだと論じています。ほとんどが日本語で読める多様な分野の書籍を用いて、言葉巧みにこの東京文化資源区の魅力を伝えています。
後半では、日本各地の取り組みが紹介されます。東京からはまさに東京文化資源区に入っている谷根千の仕掛人ともいえる手嶋氏によって、谷中が墓地のおかげで暗いイメージを持っていた時代からの転身が語られます。新潟市は市長が執筆し、創造都市ネットワークの先進都市ともいえる新潟市の魅力がこれでもか、と列記されます。静岡県からは行政の担当者が同様にPRをします。京都からも京都市の行政担当者が、沖縄県からも行政担当者による宣伝がなされています。これらを読んでいると、本書の執筆時(2015年末から2016年初頭にかけて)には、まだ日本政府や組織委員会から文化オリンピアードの地方への働きかけはないようです。しかし一方で、静岡県の行政担当者はロンドンにも視察に行っているくらい、ロンドン大会の文化プログラムを目の当たりにし、それと類似したものが日本でも2016年以降展開することを期待し、地方活性化の起爆剤とするべく準備をしていることが分かります。少なくとも現時点では、組織委員会のウェブサイトを見ても、文化オリンピアードについての詳細な情報は得られず、かれらが期待したような展開をしているようには思えません。一度、本書への寄稿者に対して、その後どうだったかを聞いてみたいものです。

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オリンピックは変わるか

チェルナシェンコ, D.著,小椋 博・松村和則編訳(1999):『オリンピックは変わるか――Green Sportsへの道』道和書院,278p.2,500円.Chernushenko, D. : Greening Our Games: The Environmental Guide for Sports & Recreation Decision-makers.

 

オリンピック関連書籍をさまざまな方法で探しているが,少し間を置くと,同じ方法でもこれまで見つからなかった本が見つかることがある。本書もそんな感じで見つかったが,原著の書誌情報が著者名と書名しか分からなかったので,ウェブで調べてみた。しかし,タイトルそのものの書名は出てこなかった。著者はWikipediaに項目があり,そこには以下の著書があった。邦訳が1999年だから,やはりこれのことか。
Chernushenko, David (1994). Greening our games: running sports events and facilities that won't cost the Earth. Ottawa: Centurion Publishing & Marketing. ISBN 0-9697571-5-8.

序文
セクションA スポーツのグリーン化――なぜそれが必要か?
序章 スポーツのグリーン化――なぜそれが必要か?
 第1章 健康な身体,健康な地球:そのつながりをつくること
 第2章 政治的圧力の増大と経済的影響力
 第3章 グリーンスポーツ倫理の必要性
 第4章 持続可能なスポーツの原則を定義する
 第5章 全てのレベルで持続可能なスポーツを促進する
セクションB スポーツのグリーン化――いかにすればそれは可能か?
 第6章 施設の建設と運営
 第7章 大会の遺産:自然環境/社会/経済
 第8章 環境評価基準の開発:招致活動をグリーン化する
 第9章 グリーントラベルとグリーンツーリズムの促進
 第10章 全てのレベルでスポーツのグリーン化を――実践的ガイド
 第11章 核施設に関する提言
付録A ケーススタディ:彼らの物語を語る
付録B 事実と数値:経済効果の数量化
付録C 行動規準

著者は学術研究者ではなく,編訳者あとがきによれば,「スポーツと環境のコンサルタントをしている」(p.273)とのこと。訳者たちは「グリーンスポーツ研究会」という団体のメンバーであり,この団体の創設時にカナダの活動団体をウェブで見つけ,その代表者が著者であったという。東欧やロシアっぽい名前だが,カナダ人らしい。厳密な学術書ではないが,居住権と立ち退きに関するCOHREのレポートのように,本書から学ぶことは大きい。
原著タイトルの「Games」は,一般的にオリンピック競技大会を指すことがあると思うが,言葉自体にオリンピックを含意する所以はないと思う。目次にも一切オリンピックの語はなく,また書名は「Gamesのグリーン化」であるのに対し,目次では「スポーツのグリーン化」となっている。まあ,「ゲームのグリーン化」では分からないから「スポーツ」にしたのかもしれないが。ともかく,前半ではあまりオリンピックの話は登場しない。まず,私たちが普段行うスポーツ(まあ,大人になると普段スポーツはしないが,高校までで普通に行われる体育館での体育や部活などを想定すればよいか)でも,室内で行われるものは少なからず健康被害が考えられるというところから始まる。確かに,個人の住宅建設でも薄い板を張り合わせた合板とか,細かい板をつなぎ合わせた集成材でも,それらを接着させる接着剤の健康被害がいわれることがある。体育館の床などは当然,合板か集成材だし,そこに分厚くワックスが塗られている。まあ,そんなことだろうか。もちろん,スポーツの多くの起源は自然でのものであり,それが徐々に木を取り除き,地面を平らにし,石を取り除き,同じ大きさの砂を敷き詰めたり,土を固めたり,芝生を敷いたりするようになる。芝生の管理は大変で,伸びた芝を刈るだけでなく,雑草が生えないように,枯れないように管理をする。冬季スポーツであれば,雪の量,氷の厚さを管理する。トラックの形状,長さなどが規格化され,その管理や規格化がやりやすいように,徐々に室内化されていく。自然環境への負荷が増え,競技者の身体の健康への影響が増していく。既に近代化されたスポーツを標準としてしまっている私たちがあたり前としてしまっていることが,この時代に根本的に問われるようになった。
2章はよくある,オリンピックなどのメガ・スポーツ・イベントに典型的に表れる商業化や政治利用の話がなされるが,それもやはりスポーツによる環境破壊を促進する要素であると論じられる。そして,第5章のタイトルにあるように,「全てのレベル」で考えていることに本書の特徴があり,メガ・イベントだけを問題視するのではなく,私たちに身近なスポーツ環境を見直すことの意義を訴えている。持続可能性というのはメガ・イベントのことを議論するだけでは不十分で(極端な話,イベントはなくなっても,民衆のスポーツは継続する),一般の市民が持続的に環境と自らの健康を守りながらスポーツをし続けられる,というのが本書の目指すところのように感じた。とはいえ,おそらく原著が書かれた時期の直近のオリンピック大会である,1994年リレハンメル冬季オリンピック大会の説明は多い。
訳者あとがきによれば,この訳書は原著の2/3の分量だそうだが,2つのセクションに分かれ,半分が実践編に充てられている。非常に具体的な話が多く,オリンピック研究で指摘されていたさまざまな問題のなかでも環境への配慮という分野はもうかなりのレベルで行うべき対策は明白で(これも時代によって変化はするのだろうが),本書はそれがかなり網羅的にまとめられていると思う。日本オリンピック委員会,あるいは2020年東京大会の組織委員会は本書を知っているのだろうか。本書に限らず,COHREの報告書とか,そうした文書を調査し,整理し,計画に反映するようなことはやらないのであろうか。私自身が学術分野に身を置こうとする人間であるから根本的な考え方が運営側の人間とは違うのかもしれないが,そうした先人の知恵を取り込んでさまざまなものに配慮するオリンピック大会,それを推し進めることに何の抵抗があるのだろうか。やはりIOCの要求に応えるので精一杯なのだろうか。ともかく,新しいオリンピック運営を主張するのであれば,これまで問題となっていたことに真摯に立ち向かい,開催都市の住民の声を聞きながら,学術研究の成果を活かして作り上げればいいだけだと思うのだが,難しいのだろうか。素朴な疑問を抱く。

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子どもと映画を観る楽しみを覚えました

2019年1124日(日)

パルテノン多摩小ホール 多摩シネマフォーラム「ファミリー・デー」
翌日は,多摩シネマフォーラムの子ども映画2本立てに子ども2人を連れて行った。
『映画クレヨンしんちゃん 新婚旅行ハリケーン 失われたひろし』
午前中はクレヨンしんちゃん。以前はあまり興味を示さなかったクレヨンしんちゃんですが,保育園の運動会か何かで映画のエンディング曲が使われたようで,急に興味を示し,行くことになった。私も映画版を観るのは初めて。これまでもいくつか予告編は観ていたが,とりあえず本作に関してはなかなかよくできていて,大人が観ても十分に楽しめました。もちろん,子ども2人も大満足。子ども映画は通常の映画館でもまあ,それほど周りを気にするわけではありませんが,こういう映画祭でかつ映画館ではない場所での上映だと,わが家に限らず子どもたちも思う存分笑って,楽しめます
『名探偵コナン 紺青の拳(こんじょうのフィスト)』
昼休みはあまり時間がなく,しかしいい天気だったので,パルテノン多摩の階段状になっているところで,事前に買っておいたおにぎりでお昼ご飯。同じような考えの人が多かったです。
さて,午後は名探偵コナン。こちらも映画は初めて。というか,怖がりの長男は一度アニメを観た時,残忍な殺人シーンを目の当たりにして以来,コナンを見ることはなかった。9歳になった今回は克服できるでしょうか。そして,5歳になった長女は全編観られるでしょうか。シンガポールを舞台にした今回の映画。なんと,前半の多くが字幕でした。これはちょっと予想外。コナンって対象年齢は小学生だと思うけど,小学生で字幕ってどうなんでしょう?ともかく,文字を読めるようになってきたばかりの長女には厳しいですね。しかし,なんとか最後まで席には座ってられました。長男もそれなりに楽しんだ様子。私もシンガポールに言った気分で楽しみました。
https://www.tamaeiga.org/

2019年121日(日)

調布シアタス 『映画すみっコぐらし とびだす絵本とひみつのコ』
そして,翌週も映画サービスデーということで,話題になっていたすみっコぐらしの映画をまた子ども2人を連れて観に行きました。長女もキャラクターとしてのすみっコぐらしはかなり好きなようです。さて,映画がネットで話題になっていたのはもっぱら大人が観て癒されたという感じのもの。観てみてちょっと納得。なかなか脚本が凝っていて,ちょっと幼い子ではその内容のちゃんとしたところまで理解できないかも。とはいえ,ストーリーは理路整然としているわけではなく,子どもらしい訳の分からなさもあり,私は少し眠気を催す感じでもありました。なので,意外にも長男が一番楽しめたようす。でも,最後の最後で私が楽しみました。エンディングが流れ,どこかで聞いた歌声。原田知世さんだ~と思いながらもじっくり聞くとそうでもないような。でも,やはり原田知世さんでした。そして作曲は伊藤ゴローさん。そうそう,私が10年以上前にライブ通いをしていた頃,知世さんはあの辺の人たちと一緒に音楽をしていたんですよね。私の手元にも『music & me』なるアルバムがあります。参加ミュージシャン情報は詳しくエンドクレジットに出てこなかったけど,きっとチェロは徳澤青弦さんだ,なんて思いながら聴いていました。
https://eigakan.org/theaterpage/schedule.php?t=sumikkogurashi

2019年125日(木)

今年度は息子の小学校の保護者会に出席していなかったので,この日は有給休暇をとって,行くことにした。午前中は映画。
立川シネマシティ『ドクター・スリープ』
何を観ようかと悩んだ結果,なんとなく骨がある映画を観たいなと思い,こちらを選択。なんと,スタンリー・キューブリック監督作品『シャイニング』の続編。原作はスティーブン・キングで,『シャイニング』の40年後を描くという。主演は私の好きなユアン・マクレガー。『シャイニング』はよく覚えていないが,劇場では観ていない。大学生の頃によくある感じで,みんなで誰かのうちに集まり,お酒を飲みながらビデオで観る,そんな感じだったと思う。もともとホラーなどは好んで観る方ではないが,本作はともかく怖かったことだけ覚えている。なので,『シャイニング』ファンが喜ぶような細部の登場という仕掛けはあまり楽しめなかったが,単独でも十分楽しめる作品。それほど筋を複雑にしていないところがいいですね。観た後にすっきりとさせてくれる作品で,この時の私にちょうど良かったです。
http://wwws.warnerbros.co.jp/doctor-sleep/index.html

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文明の衝突

ハンチントン, S.著,鈴木主税訳(1998):『文明の衝突』集英社,554p.2,800円.

 

非常勤先の授業で,前期は日本地理を,後期は世界地理を教えている。今年度からは教科書はなくし,日本史・世界史の復習を地理的観点から行い,現代の問題へとつなげるような内容をオリジナルで考えている。とはいえ,前期・後期ともに中心となる参考図書を決めていて,後期はラコストの『地図で見る国際関係』(原書房)を使っている。今度,この図書とは関係ないが,世界の宗教について論じ,世界で起こる紛争の原因は宗教ではない,と語るつもり。宗教による対立を主張する著名な著作ということで,本書を読んでおこうと思った。フランシス・フクヤマ『歴史の終わり』などと並んで,冷戦終結以降の世界を論じた代表的な著作だが,読んだことはなかった。フクヤマの本も同様だが,ハンチントンの文明の衝突論は,はじめに1993年に『Foreign Affairs』に掲載された論文が話題となり,本書自体は1996年に発行されている。

第一部 さまざまな文明からなる世界
 第一章 世界政治の新時代
 第二章 歴史上の文明と今日の文明
 第三章 普遍的な文明? 近代化と西欧化
第二部 文明間のバランスのシフト
 第四章 西欧の落日:力,文化,地域主義
 第五章 経済,人口動態,そして挑戦する文明圏
第三部 文明の秩序の出現
 第六章 文化による世界政治の構造変化
 第七章 中核国家と同心円と文明の秩序
第四部 文明の衝突
 第八章 西欧とその他の国々:異文化間の問題点
 第九章 諸文明のグローバル・ポリティックス
 第十章 転機となる戦争から断層線の戦争まで
 第十一章 フォルト・ライン戦争の原動力
第五部 文明の未来
 第十二章 西欧とさまざまな文明と単数形の文明

文明や文化という概念を世界区分の基準としたり,紛争の原因とみなす考え方に私は強く違和感を抱く。しかし,やはりこれだけ世界的に話題になった本であることもあり,論旨はしっかりしているという印象。そもそも著者によれば,この議論が冷戦終結直後に構想されたこともあり,その頃は政治体制などが紛争の原因であるという考え方が一般的であり,文明という観点で世界のあり方を捉える考え方はある意味で新しかった。また,サイード『オリエンタリズム』も言及されているが,世界を二分法で論じるのはそれはそれで有効であるものの,世界の多様性を捨象した上で成り立つ議論である。また,国家単位で紛争や秩序を論じるものは,現実を反映するものだが,極端に言って世界を184ヶ国で論じるものであり,一般論にはなりえない。ハンチントンは文明という観点から世界を8つに区分している(アフリカ文明が存在するとした場合,そして掲載されている世界地図には「仏教」の区分があり,これを入れれば9つになる)。この考え方は,私が都道府県名の研究で構想している考えに近い。日本の多様性を論じる場合に,日本を国単位で論じる日本論や日本人論は強引な一方で,市区町村単位で論じることは,そもそも地名の認知度からして無理がある。47都道府県という数は日本の多様性を考慮しているという点でちょうどよいのではないか,という考えだ。とはいえ,これを私が積極的に推し進めるのではなく,批判的に都道府県の意味を脱構築しようと考えているということだが。
ともかく,そういう世界の捉え方において,著者の戦略は一般読者にうまくなじむのだと思う。しかも,世界を文化や文明という観点で区分した人は歴史的に多いことを示す。トインビーは23区分。シュペングラーは八大文明,マクニールは9つの文明,バグビーは日本と東方正教会を別にするのであれば11,ブローデルは7つの主要文明,という具合だ(p.58)。ウォーラーステインの『地政学と地政文化』の文明論にも言及しているし,当然文明概念の単数形と複数形も議論されている。さすがに,世界的に話題になった著者であるから,一つ一つの事実は,過去のものは研究文献を,現在のものは報道文献などを適宜参照していて抜け目ない。また,サッセン『グローバル・シティ』(2001年)などとの傾向にも近いのか,統計データに基づく図表が数多く掲載されているのも特徴である。かつての文明論のようなものとは異なり,定量的な論拠も示す説得性を有している。文化や文明を強調してはいるが,政治はもちろんのこと,経済や人口動態にも目配せをしている。特に人口動態は本書において重要な要素であり,欧米の先進国が人口減少に陥っている一歩で,経済発展を遂げている中国やインドでは人口が増え,また非欧米圏のイスラームやアフリカではそれ以上に人口が増えている。英語やキリスト教は今後影響を増していくことはありえず,中国語やイスラーム教の影響が増しているのだ。
そこまでを踏まえた第四部から,衝突の内容に入っていく。その前の第三部で論じられているが,「引き裂かれた国家:文明の再定義の失敗」と題し,文明の境界線(本文では断層線(フォルト・ライン)という言葉がよく使われる)にある国家は,歴史上難しい選択を迫られるといい,ロシア,トルコ,メキシコ,オーストラリアという国々の状況が議論される。第四部ではよりミクロな事件へと焦点を合わせていくが,徐々にイスラームに注視していく。データを示しながら,戦後の衝突で文明間のもの,文明内のものを列記しながら,いかにイスラームが関わるものが多いか,しかも文明内ではなく,文明間の衝突の多くがイスラームに関わるものであることを繰り返し強調するのだ。もちろん,数値はハンチントン自身がつくったものではないが,この辺りの記述が批判的な論点になったように思う。イスラームは好戦的だという根拠のない一般的なイメージを本書は補強している。学術的な根拠をつけるから,多くの人は,やっぱりイメージ通りだ,となり考えを改めることをしない。
本文では,本書の最大のキーワード,文明を文化と置き換え可能な形で用いている。文明概念の検討ではウォーラーステインの『ポスト・アメリカ(原題:地政学と地政文化)』にも言及して,文明概念の単数形と複数形の議論も踏まえて,本書では主に複数形で用いられているが,文明と文化の違いには意外にも無頓着だ。また,過去の植民地支配のこともかなり事細かに検討されており,ヨーロッパ文明のその影響(キリスト教や言語など)も論じている。文化・文明は静態的ではなく動態的に変化するものだと認識しているはずなのに,文明を政治経済の原因・理由とする場合には静態的に捉えられる。それは長期間変わらないものであり,その土地固有で変えられないものであるかのように語っている。そもそも初期のカルチュラル・スタディーズの論者や,西川長夫『国境の越え方』で国民国家批判を展開する際に,文化概念を根底から問い直すような作業は本書にはない。著者はあくまでも本書を学術書ではなく,エッセイのようなものだと書いていた気がするが,影響力の大きさからいうと,学術的か否かということはあまり関係ない気がする。
最近,フランシス・フクヤマも新著を発表したようだ。改めてこの時代に出された話題になった著書を読んでおく作業は必要かもしれない。

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体調不良で久しぶりに3日間ゆっくり過ごしました

タイトルと内容は関係ありません。

2019年116日(水)

立川キノシネマ 『真実』
立川の高島屋にいつの間にやらできていた映画館。10月にオープンしましたが,ちょうどオープンしたての頃,同じ階にある室内遊び場に娘を連れてきたので知った。この日,いつも観る立川シネマシティに観たい作品がなかったので,こちらの映画館をウェブで改めて確認すると,なんと配給会社(制作会社?)のキノ・フィルムズがやっている映画館だとのこと。しかも,水曜日はサービスデイ1,200円。観ようか観まいか迷っていた是枝作品を観ることにした。まず,タイトル。ストレートすぎて観たいなという気分にさせない。フランスでの撮影ですが,カトリーヌ・ドヌーヴ主演ということだけでおなかいっぱいだが,それにジュリエット・ビノシュ,さらにイーサン・ホークまでついてくる。日本人の監督がどう演出するのだろうか。興味よりも懐疑心の方が先にくる。河瀨直美監督の『ヴィジョン』を思い出してしまう。こちらもジュリエット・ビノシュを起用したが,私的にはイマイチだった。
だが,結果的にはとても良い作品だった。かつての栄光を持続したい大女優という設定はちょっと古臭く感じるが,その古臭い設定をドヌーヴは見事に演じ,その陰の素材としての娘を演じるビノシュは私がフランス映画で観てきた普通の人間を自然体で演じている。そのアメリカ人配偶者としてホークは,これまたステレオタイプ的な役どころだが,その娘を演じる子役とともに,いい味を出している。ドヌーヴの共演者である若き女優を演じるマノン・クラヴェルという女優がまた魅力的で,その劇中作品にはなんとリュディヴィール・サニエ(『焼け石に水』以来のフランソワ・オゾン作品のミューズ)まで出ている。こちらは残念ながら加齢に伴いその魅力を半減させているが,役どころとしてはぴったり。「真実」というタイトルについても一定の方向性が示されている脚本であり,またフランスの映画制作の現場を感じさせてくれる。その真実とは映画に象徴される人間社会の役割論的なあいまいな存在として設定されている。
https://gaga.ne.jp/shinjitsu/

 

2019年1123日(土)

この日は子どもを妻に見てもらって,久しぶりに多摩シネマフォーラムに行った。この映画祭は今回で29回目ということだが,始まったばかりの時に行ったことがある。その時は不便な場所にある多摩市役所に隣接する市民ホールのような場所を会場にしていた。その時観たのは,一般公開のないような作品群だった記憶がある。その後も多摩センターにあるパルテノン多摩小ホールで上映される,一般公開後の作品を何度か観ているが,それはこの映画祭のものだったかどうかは記憶が定かでない。今回は永山駅近くにあるベルブホールという会場に初めて行った。図書館も併設された公民館でなかなかいい施設だ。これまで多摩地域に30年住んでいるが,訪れなかったことを公開するくらい。

永山ベルブホール 多摩シネマフォーラム「地方で映画を創造する」
今回私が選んだのは,トークゲストに柳 英里紗さんが登場するセッション。26分の短編から67分の中編までが4本。午前中から昼過ぎまでの長丁場だ。
YEAH』(2018年,45分,鈴木洋平監督,柳英里紗主演)
水戸市の若宮団地というところで撮影された意味不明な作品。トークショーを聴いていなければ「なにこれ?」で終わってしまう作品だった。監督等の話を聴いてみると,茨城県出身で今でも水戸市在住の監督が幼い頃から電車で水戸に出る際に沿線に気になっていた団地だとのこと。その後,仲良くなった変な友達の出身がことごとくその団地だったりして,ともかくおかしな雰囲気を醸し出す団地だとのこと。柳英里紗さんの話でも,ほとんど人気のない団地だが,出会う人がことごとく奇妙な人なのだという。英里紗さんは,『ローリング』の撮影地が水戸であったことから,水戸を好きになり,頻繁に訪れていたという。そんななかで,鈴木監督と出会い,本作にいたったとのこと。
VERY FANCY』(2018年,30分,柳英里紗監督)
このセッションは「地方」と銘打っておきながら,本作の舞台は代官山に表参道,世田谷区をロケ地に選んで「めちゃくちゃ東京らしい風景を選んだ」と監督はいう。監督自身が本人役で主演し,監督して映画を作るというそのまんまの設定。しかし,レズビアンで5人の女性たちをたぶらかすという設定はフィクション(?)。とはいえ,同性愛とかがテーマではなく,ともかくコンセプトとして監督が好きなもの,美しい思うものをこれでもかと集めてフィルムに収めたという作品。こちらも,トークショーの内容で,より見方が多元的になる。このトークショーには鈴木氏と柳氏の他に,後半2本のプロデューサーである杉原永純氏が参加した。この人がまたおしゃべり好きで,それでいて本質的な発言が多かった。3本目は俳優の染谷将太が監督をしているが,俳優が監督をするときの視点について語ったり,東京を舞台にしていたって列記とした地方映画だと思うなどと発言する。彼が着目するには,この柳映画はいくつか斬新な試みがあり,その一つが,映画のなかの自分に対して,他の女優さんがアフレコでセリフを入れているという点だったりする。ともかく,柳氏の映画愛の詰まった作品である。
『ブランク』(2017年,26分,染谷将太監督)
プロデューサーの杉原氏はこの時期山口氏のYCAMというアートセンターに勤めていて,そこはもちろん映画に特化した施設ではないが,年に1本映画を制作するという計画で撮られたもの。本作はそのYCAMの施設を利用して撮影されたもので,なんと脚本は染谷氏の妻である菊地凛子が担当している。そして主演はなんと山本剛史。といわれてもピンとこないだろうが,山下敦弘監督の初期作品の常連俳優である。と偉そうに書きましたが,私が彼の作品を観始めたのは『』(年)からです。ただ,当時から彼の作品が好きな友人がいて,山下監督,山本剛史主演の『その男狂棒に突き』という2003年の作品を観たことがあった。その作品はなんと主演の役どころが汁男優というハチャメチャな映画。この山本剛史という俳優はその印象が強すぎて,本作でその顔を見た瞬間に思い出して笑ってしまった。ストーリーはうだつの上がらない中年警備員が夜のアートセンターでの警備の一夜を描いたもの。「ブランク」というタイトルはフランス語の白を意味するblancのことか。主人公は白い全身タイツの男に付きまとわれるが,その存在を知覚するわけではない。そして,それは他者でもなく最終的にはそれに同一化してしまう。という哲学的な内容。
『ワイルドツアー』(2018年,67分,三宅 唱監督)
実際にこのYCAMというアートセンターで青少年向けに行われているプログラムを追ったドキュメンタリー風の作品。はじめから完全なドキュメンタリーではないなと思いながらも,フィクションとも言い切れない雰囲気のなか作品は進んでいく。途中で,色恋沙汰が表に出てきて明らかなフィクションだと気づくという設定。この作品がどのあたりを狙っているのか,プロデューサーの口から聞きたかった。トークショーでは唯一話題にならなかった作品。
https://www.tamaeiga.org/

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