« 2019年12月 | トップページ | 2020年2月 »

2020年1月

2020年もよろしくお願いします

2019年12月22日(日)
府中TOHOシネマズ『映画 妖怪ウォッチJam 妖怪学園Y 猫はHEROになれるか』
子どもたちに観に行くと約束していたものの,いつの間にか公開されていて,急遽観に行った。うちの長男はけっこう怖がり屋で,「妖怪ウォッチ」は幼い頃にアニメを1話観ている途中で怖くて観られなくなり,その後積極的には観ていなかった。ようやく最近になって新しいテレビシリーズを動画サイトで1週間遅れで妹と一緒に観るようになった。私も当初はやはり水木しげるの「ゲゲゲの鬼太郎」が民俗学にも貢献しているのに対し,「妖怪ウォッチ」は妖怪をキャラ化しすぎていると食わず嫌いだったが,観てみるとやはり面白い。ということで,「妖怪学園Y」は本編とは少し違いますが,初の映画版を観に行くことになりました。
今やっているテレビアニメは25分の1話をオムニバス形式で放映していますが,映画となると当然長編です。脚本もしっかりしているし,なんといっても最近のアニメは絵がきれい。私の時代にも「北斗の拳」などが映画化されていましたが,原作の絵が丁寧すぎるために,アニメになると雑に見えて仕方がなく,子どもながら(まあ,もう中高生ですが)にその辺が残念で仕方がありませんでした。ともかく,本作も大人も十分に楽しめるものでした。
https://www.eiga-yokai.jp/


2019年12月31日(火)
冬休みに入り,子どもたちと毎日3人で過ごしている。妻の仕事も前日で仕事納めだったので,この日は少しは気が抜けると思いきや,仕事仲間と忘年会とやらで朝帰り(未就学生を含む2児の母が朝帰りってすごいですね。しかも,年に数回はあります)。ということで,急遽映画で時間つぶし。幸い,この日はTOHOシネマズが会員サービスデーをしていて,1400円で観られるということで,子どもたちに作品を決めてもらう。
府中TOHOシネマズ『ルパン三世 THE FIRST』
ついに,ルパンもフルCGになりました。ルパンの映画は宮崎 駿の『カリオストロの城』などもあり,その世代の人々は理想形がある。声優に関しても,やはりドラえもんが大山のぶ代でなければならないように,ルパンは山田康雄でなければならない。ただ,日本の技術も向上してきたCG作品ならば,別物として楽しめるのではないかということで観ることにした。5歳の娘が渋っていたのだけが気がかりだが。
「THE FIRST」とタイトルにあるように,ストーリーはルパン三世のおじいさん,アルセーヌ・ルパンとの関連が組み込まれている。なんと,ヒトラーがブラジルで生きていた!かもしれない,という設定の下,古代遺跡にとてつもない破壊兵器か巨大なエネルギー発生装置かといった,壮大な物語です。まあ,そこそこ楽しめました。娘も怖がる場面もありましたが,なんとか最後まで観てくれました。
https://www.lupin-3rd-movie.com/


2020年1月1日(水)
この日は妻が子ども2人連れて,栃木に住む自分の母親に1泊で会いに行く。以前は私も同行していましたが,その家のわが家用の寝具が不足していて,寝心地が悪いというのを最大の理由として数年前から私は行かなくなった。そんなことで,約2日間,1人で過ごせるということで,元日はとりあえず映画。行きは遅いということで私も映画の時間を合わせ,一緒に新宿へ。早めのランチを家族4人そろって食べて,私は映画館へ。
新宿シネマカリテ『家族を想うとき』
ケン・ローチ監督最新作。私はきちんと認識していなかったが,ローチ監督は前作で引退を表明していたという。なんといっても私の母と同い年の83歳というから驚くしかない。ともかく,作品を観るだけではその衰えはみじんも感じられない。キャストの紹介を読むと,その多くが映画初出演。4人の家族をリアリティを感じさせながら,それ以上の希望溢れる姿として描く手腕は感服するしかない。
主人公の男性は50歳になって新しい仕事を始める。中学生(高校生?)の息子と小学校高学年の娘がおり,妻は訪問介護の仕事をしている。これまで職を転々としていた主人公は,宅急便の会社と契約を結び,個人事業主として働く。とはいえ,仕事内容はほぼ会社に支配され,ノルマをこなせないと制裁が科される,そんな仕事。一方で,かつては成績優秀だった息子がグラフィティに目覚め,学校をさぼり,問題を起こす。毎日かつかつで生活しながら,バラバラになりつつある家族を何とかつなぎとめようとする物語。優等生の娘が家族のつなぎ目として頑張るが,ハッピーエンドとはいえない結末。前作『わたしはダニエル・ブレイク』では,単身の高齢者で生活保護を受けるかどうかというような状況だったが,本作は働き盛りで未成年の子どもが複数人いる家族の物語。特定の状況の人の生活だけでなく,多くの人がそれぞれの事情で生活に苦しんでいる現代社会を見事に描いている。なお,原題は「Sorry We Missed You」となっている。Weが誰で,Youが誰かを考えさせられる。
https://longride.jp/kazoku/


2020年1月2日(木)
年末に献血がしたかったが,かなわず,この日の予約はもう締め切られていたが,ダメもとで立川に来てみた。だめだったら映画にする予定。自宅を出るのが少し遅くなってしまい,映画を先に観ることにした。そういう予定なので,作品にあまり選択肢がなく,何となく選んだ作品。
立川キノシネマ 『テッド・バンディ』
実在した米国の連続殺人鬼を描いた作品。1970年代が中心である。予告編では主人公が殺人犯であるような描き方だが,本編はそうではない。以下はネタバレを含みます。主人公は法学校に通っていた過去があり,裁判では最終的に弁護士を解任し,自らが弁護を買って出る。警察の証拠はすべて状況証拠であり,この頃から激しくなってきた過熱報道を逆手に取り,全米各地の未解決事件を全て自分と結び付けようとしていると,視聴者に訴える。米国で初めて彼の裁判で法廷にテレビカメラが入る。観る者は,犯人は彼かもしれないけど,そうではないかもしれない,と思い(私だけか),後半で「唯一殺されなかった女」とされる恋人が「初めに彼を通報したのは私だ」と後悔の念にさいなまれるシーンがあるが,それによってさらに彼は冤罪だとの思いを強くさせられる。しかし,死刑施行前の彼女の面会での彼女のセリフですべてが解決する。彼女の存在がフィクションかどうかは分からないが,よくできた脚本である。とはいえ,彼女が当初から確信をもって主人公のことを信じていなかったかどうか,もしそうだとしたらなぜなのか,その辺は丁寧に語られない。
http://www.phantom-film.com/tedbundy/

| | コメント (0)

自治体の姉妹都市交流

佐藤智子(2011):『自治体の姉妹都市交流』明石書店,273p.5,500円.

 

オリンピック研究の文献調査がひと段落し、具体的に2020年東京大会を事例に何を調べていくか、ということを考え、ホストタウンについて概観する研究目標を立てている。ホストタウンというのは日本独自の事業のように思われる。その用語自体がいかにも日本語的英語だが、事前合宿というのは多くのスポーツの国際大会でありうることだと思う。実際に、陸上の選手たち(特に長距離走)が標高の高い土地で合宿を行うというのはよく聞く話だし、実際に文献調査のなかでも医学的に効果的なのかを実際の選手の例で研究したものがあった。しかし、日本のホストタウン事業はそうしたアスリート側の需要だけではないようだ。
2020
年東京大会では、政府の首相官邸が音頭を取って、ホストタウンの推進を行っている。単なる推進ではなく、実施する自治体はその計画を政府に提出し、登録をする必要がある。その登録数は現在300を優に超え、400に迫ろうとしている。下記ウェブサイトに公表されているそのリストによれば、既に姉妹都市提携を結んでいるものが少なくない。そもそも、この姉妹都市にせよ、ホストタウンにせよ、日本の地方の小さな町村が、世界の途上国の小さな国と関係を結んでいることもあるのだから、なぜその2箇所が結ばれるのか、という単純な疑問が生じる。オリンピック総論に結びつけるのは難しいかもしれないが、そんな素朴な地理学的関心を抱く対象でもある。そういう意味でも、姉妹都市に関する研究をひとまず調べたところ、日本では地理学者が執筆している論文がいくつかあったし、米国でも一昔前の著名な文化地理学者であるゼリンスキーが1991年に米国地理学協会の雑誌に掲載した論文があった。ただ、日本の地理学者の論文は、いい方は悪いが片手間にやっているような感じであり、本格的に姉妹都市研究者というのはやはり多くはないようだ。そんな中、複数の論文を書いている人物がいて、その人物について調べたら本書を刊行していることが分かり、早速購入していただいた次第。しかも、われわれの翻訳を出版してくれた明石書店が発行元である。
https://www.kantei.go.jp/jp/singi/tokyo2020_suishin_honbu/hosttown_suisin/

序章 自治体の姉妹都市交流に関する研究の必要性
1章 姉妹都市交流の概観
2章 研究の目的と対象
3章 姉妹都市交流に関する先行研究
4章 岩手県の自治体における姉妹都市交流
5章 姉妹都市交流に関する事例研究――姉妹都市交流が休止している事例
6章 姉妹都市交流に関する事例研究――姉妹都市交流が活発な事例
終章 自治体の姉妹都市交流――継続的交流を可能ならしめる要因

本書は著者の博士論文とのこと。とはいえ、巻末の著者略歴を見てみると、1980年に米国の大学院を修了しており、エミリー・ディッキンソンに関する英文著書を1999年に出版している。どうやら文学研究者として一定の実績を積んだ後、2009年に東北大学で行政学に分類できるのかは分からないが地方自治体の研究を手掛けて博士を取得し、本書出版時には岩手県立大学の教授をしている。本書における事例研究も岩手県内の市町村に関するものである。あとがきを読むと、著者の略歴と本書に至る経緯がよく分かる。著者は自らの関心に導かれ、米文学畑から行政学へと移ったわけではないようだ。1988年に新潟大学から岩手県立大学に移ったのを機に、そして最近とみに叫ばれるようになった大学の地域貢献の一環として、岩手県を中心とした、そして通訳として関わりのあったという姉妹都市交流に関する調査を他の2人の研究者と共同で始め、その後他人の推薦で大学院に編入学し、博士論文としてまとめることを決めたという。
ここまでの方向転換は簡単にできることではなく、またほとんど未踏の領域に取り組むのは大変だったと思う。本書にまとめられた調査結果は私の素朴な疑問に答えてくれる、詳細で丁寧なものであり、重要な価値があると思う。しかし、残念なのはやはり学術的な位置づけが、少なくとも地理学を学ぶ私にとっては不十分に思われたことだ。文献表にある著者が発表した2002年から2008年にかけての12編の論文は全て所属する大学の紀要に執筆されているが、あとがきでは日本国際政治学会の国際交流分科会での報告をしているという。しかし、国際政治学分野での位置づけがなされているわけではないし、またあとがきで社会学の先生に指導を受けたとあるが、社会学的に位置づけられているかというとそうでもない。姉妹都市交流を一般的な社会変容に位置づけることにとどまっている。とはいえ、私が漠然と考えていたように、この姉妹都市交流は1980年代の「国際化」という風潮の下で拡大し、さらに竹下政権下で行われた1989年のふるさと創生政策による1億円の地方交付金が制度・財政的な面を後押しし、民間でもその時期に設立された国際交流協会がその主たる担い手になっているという位置づけから学ぶことは大きい。
後半の実証編ではまず、岩手県の当該市町村へのアンケート(16件で回答率100%)を行い、全体的な傾向を整理している。ブール代数アプローチについての詳しい説明がないのは残念だが、要はこの調査では、従属変数を4つの説明変数によって理解するというもののようだ。その4つの変数とは、①姉妹都市提携の申し入れは岩手県側か、外国側か、②公的資金の利用の有無、③役所の担当者が連絡を取る際の言語の障害の有無、④都市間の訪問者数、である。従属変数としては、姉妹都市交流が活発に行われているか否かであり、上記4つの説明変数はいずれも活発に行われるための条件ととらえることができる。しかし、実際には4つの条件全てが満たされなくても交流が継続している自治体もあれば、条件を満たしているのに交流活動が休止中の自治体もある。それらを個別に説明するのが第5章以降になる。第5章は交流が休止に至ってしまった自治体の事例、第6章は交流が継続している自治体の事例となっている。
本書の事例研究を読むと,姉妹都市の研究がこれまでほとんどなされていなかったかが理解できる。姉妹都市とは国内の自治体と海外の自治体との締結によるものである。すなわち,国内の調査と海外の調査を含むのだ。本書がもっぱら岩手県に限定されるのは,ただでさえ国内の姉妹都市締結数は多いのに,それぞれの相手先が世界中に散らばっているので,ある程度一般性を持たせようとしたときに選ぶ事例も限定される。著者はそれをとりあえず岩手県だけでも網羅しようとしているのだ。とはいえ,著者の言語能力の制約から,近年日本で姉妹都市締結が増加している中国に関しては,調査から外している。とはいえ,中国以外については一通りの調査をしており,岩手県に限定されてはいるが,姉妹都市交流に関する一般的な状況と個別の状況については本書でかなり把握できるのではないだろうか。姉妹都市交流がそもそも,日本が高度成長後の余裕のあった時期に始まった国際化ブームに乗る形で,「異文化交流」のような言葉を使ってもいいが,安易にお互いの町を訪問しあうという活動に終わったものが多いようだ。その訪問についても,ホームステイというのは必ず組み込まれるものの,現地での行動は観光ツアーのような詰め込み式の旅行であり,本当の意味での人的交流や深い異文化理解があったわけではない。そもそも,姉妹都市の関係自体が形骸化し,象徴化されているという。一方で,古くから締結関係にあったものでも市長の想いが強い場合や,連絡を取り合う職員の存在,そして地元の民間団体の努力などによって,交流活動が継続的に行われた事例はいくつか本書で紹介されている。著者はこの交流活動を,それを行う主体と同じ目線に立ち,良好な交流が行われた場合,その小さな試み積み重ねが世界平和へとつながっていくと信じている。政治的,もしくは経済的な二国間関係では産まれえない,本来の人間関係のあり方に基づく国際関係がそこにはある。とはいえ,著者も形だけの姉妹都市交流の姿をいくつも目の当たりにしており,そうした自治体に向けられた視線は厳しい。
本書の著者だったら,オリンピックのホストタウンのあり方に対して,何を想うのだろうか。この作業がひと段落したら,連絡を取ってみたい。

| | コメント (0)

« 2019年12月 | トップページ | 2020年2月 »