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地図がつくったタイ

トンチャイ・ウィニッチャクン著,石井米雄訳 2003. 『地図がつくったタイ――国民国家誕生の歴史』明石書店,414p.3,980円.

 

ベネディクト・アンダーソンの有名な『想像の共同体』のなかに,本書著者の博士論文への言及がある。地図をテーマにしながら,国民国家形成に関わる論考ということと,ウィニッチャクンという欧米系ではない名前が記憶に残り,その後翻訳本としての本書の存在を知った。気づいたころは絶版で,Amazon古書でも高値で取引されていたので読むのを諦めていたが,2014年に増刷りされていることを知り,明石書店の人に直接お願いして取り寄せてもらった。

序論 国民という観念の存在
第一章 民俗知空間と古代の地図
第二章 新地理学の登場
第三章 国境線
第四章 主権
第五章 周縁
第六章 地図作成――空間の新技術
第七章 地理的身体
第八章 地理的身体と歴史
結論 地理的身体・歴史・国家という観念

第七章のタイトル「地理的身体」にはルビがふってあり,「ジオボディ」が原著で使われている造語。日本の地理学文献でも最近本書に言及するものがあり,この概念を強調していた。しかし,目次を見れば分かるように,本書は地理学そのものを主題においており,簡単にいうと前近代の「民俗知空間」が,西欧がもたらした新地理学によって,特にその表現手段の一つである地図が導入され,自らのクニが図的に表現されることによって,前近代の「シャム」というクニが,まとまりのある「身体」を持った国家として理解されるようになり,その国家タイを自らの所属するものとして認識する人間主体が「国民という観念(ネーションフッド)」を獲得するということだ。私が『想像の共同体』で理解していたタイの近代史は,周囲が次々と西欧の植民地となっていくなか,シャム王国は東のフランス,西の英国と交渉をしつつ,領土を少しずつ分け与えながら,自らが近代化を遂げることによって,植民地化からなんとか逃れたというものだ。しかし,それは本書の詳細な内容を形骸化しており,また『想像の共同体』の記述内容も私の記憶の中で単純化されたのだと思う。ともかく,その理解を正すべく,本書をしっかりと読まねばならない。ちなみに,本書の文献表に注意書きがあり,タイでは人名を姓によって表記するのではなく,ファースト・ネームで表記するのが通例らしく,文献表にはトンチャイ, W.とするのだろうか。
さて,本書についてはこの読書日記でもしっかりとまとめておきたいと考えていたが,一読では詳細まできちんと説明する自信がない。『想像の共同体』も読むたびに新しい発見があり,全体像を理解するまで時間がかかったが,本書も何度か読む必要がありそうだ。今回の読書日記は簡潔に済ますことにしよう。本書は地図製作を主題の一つとしているが,いわゆる地図関連書籍のように,その製作の歴史的な経緯の詳細を辿ったり,その技術の伝達などをしっかりまとめているわけではない。巻頭には15枚の地図がカラーで掲載されているが,個別の地図についても製作過程の詳細よりも,その活用や社会的意義の解説にページが費やされている。同様に,新地理学についても地理学史研究のように,そのタイでの導入過程について詳細が分かるような説明はない。ただ,私にとって最も興味深いのが国境の設定である。当時タイはシャム王国といったわけだが,現在の国名でいうところの東がベトナム,北がラオス,西がミャンマー,南がマレーシアと接している。植民地支配前の東南アジア諸国は当然前近代的社会で,一本の線で両国の領土を分割するという発想はなく,王宮のある中心から離れるにつれ権力の強度は薄まっていく,という支配体制だったと想像される。なので,国境はボーダーではなく,フロンティア=辺境に近いものだった。それは明治維新以前の日本と似通っていたとも思える。しかし,海で隣国と隔てられた(蝦夷は除く)日本の状況とは異なり,陸続きであった東南アジアは,隣国の植民地化によって違った状況が生じる。つまり,西は英国,東はフランスという,国境概念,国土概念を有する近代国家による支配がなされていた。当然,この地を植民地化する際に,英国,フランスは国土の画定を行うためにシャム王国に接触し,国境画定の交渉を始める。しかし,近代国家的な国境が何たるかを分からない人がその交渉をできるはずもない。しかも,そこには当時のアジア特有の朝貢関係が存在し,英国やフランスが考えているシャム王国の統一性と,シャム側のそれとがまた一致していない。国境付近にある社会はバンコクにある王宮と朝貢関係にはあっても支配関係にはない。近代的にいうところの国内関係と国際関係とがあいまいなのだ。ただ,シャムも独自に徐々に近代化を遂げていく。本書でも前近代的な民俗知空間と近代的な国家という観念(ネーションフッド)とを便宜的に分けて分かりやすく論じているが,その一方で,本書がタイの近代化の過程を説明するものではないと注釈している。この社会は前近代のシャム王国から近代のタイへと単純に移行したわけではないのだ。よって,新地理学についても西欧からの輸入学問として導入されたという分かりやすい説明はしておらず,独自の民俗知と融合しながら,徐々に変容したものなのかもしれない。

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