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五輪と戦後

吉見俊哉(2020):『五輪と戦後――上演としての東京オリンピック』河出書房新社,366p.2,600円.

 

本書の存在を知った時にはいくつかの驚きがあった。まず第一の驚きは,吉見氏の最近の仕事について私はきちんと読んでいなかったが,大学のなかで偉い立場に立つようになり,最近は大学論などもよく書いていた。その一方で,愛知万博に積極的に(?)関与し,社会学者として強調していた「メディア・イベント」に対して一線を引いた立場を取れなくなっていたように感じ,東京オリンピックに関しても広告代理店のお偉いさんとの対談などでも,批判的な態度などみじんも感じさせず,21世紀のこのメガ・イベントをいかに成功させるかを講じていたように思う。そうした態度は下の世代の社会学者からも批判されていた。そういう吉見氏が東京オリンピックに対して,かつての手法で取り組むということが意外だった。一方で,そういう立場でありながら自らの原点回帰のような地道な分析を含むこうした実証研究の大著を仕上げられるというところは敬服するしかない,という意味での驚き。
そう考えれば,私が『経済地理学年報』に掲載した英語圏のオリンピック研究レビュー論文で触れたように,メガ・イベント研究の初期の対象が万国博覧会であり,万博に対して継続的に取り組んできた著者がオリンピックを対象とすることは驚くべきことではない。そして,『都市のドラマトゥルギー』で見せた手法はまさにオリンピックを論じるにはふさわしく,日本の戦後を米国との関係で論じてきたことも本書に動員されるということは想像に難くない。
ちなみに,本書のタイトルを見て,反省することがあった。私は日本のオリンピック研究についてもできる限り網羅的にレビューしたつもりだったが,論文検索のキーワードに「五輪」を入れたことはなかったことを後悔。それだけでなく,本書に引用されている地理学者の松村嘉久さんの北京大会に関する文章を知らなかったことも大きな後悔。

序章 東京五輪という呪縛――シナリオが綻びるとき
第I章 ポスト戦争としてのオリンピック――舞台
第II章 聖火リレーと祭典の舞台――演出
第III章 メダリストたちの日本近代――演技
第IV章 増殖する東京モデル――再演
終章 ドラマトゥルギーの転位――「速く,高く,強く」からの脱却を

それにしても,さすがとしか言いようのない,のが読了後の感想。主張な著書だけでなく,優れた雑誌論文にはしっかり依拠して,それを自分の議論に組み込み,地道なデータの整理,メディア言説の見事な取捨選別とそれを自在に組み込んで自身の論を展開する技。そして,まさに『都市のドラマトゥルギー』の若かりし頃とは違い円熟した形での本書全体の構成をその枠組みで構成し,本書自体が一つの脚本のように読者を引き寄せる。簡単に内容を辿ると,本書の前半は1964年大会に関する考察である。まあ,まさに1964年大会はタイトルにある戦後そのものであり,まずその舞台設定として,戦時期および占領期の軍事施設が元になって,オリンピックに必要な規模のスポーツ施設が作られる。まずは,都市の観点の考察。第II章は主にナショナルな観点から聖火リレーについて語られる。第II章の最後には再び都市の観点で,都市計画としての競技施設配置の問題を論じ,それに関わった建築家,駒沢公園と代々木との対比がなされる。
第III章はいったん地理的な観点から外れ,マラソンランナー,女子バレーボール,オリンピック映画という主題が論じられる。そこにもナショナル・アイデンティティや当時の産業・企業・労働者といった社会学的な考察は忘れません。
第IV章は都市→ナショナル=日本ときて,グローバルなテーマに拡張します。東京大会から始まったオリンピックが冬季札幌大会,名古屋招致,冬季名古屋大会と,1964年大会が複製・増殖し,それと並行して1988年ソウル大会,2008年北京大会と,アジア初のオリンピックモデルが拡張していきます。吉見氏も「地政学」の語を時折使う人ですが,地政学的な考察が第IV章だといえましょう。
実際に愛知万博に関わり,ある意味そうしたイベント開催に際しての国の立場,国際組織の立場,地元行政の立場に翻弄されたのだろう,オリンピックに対しても2020年東京大会を含め,政府や行政に対して厳しい意見が本書には数多く含まれている。本書が後半にいくにつれ,では2020年東京大会に対して,どのような態度を取り,どのような意見が書かれているのか期待は高まる。しかし,1964年東京大会に向けて整備された首都高速道路を一つの事例に,そういうものを作り上げた1964年に対して,2020年は「日本橋周辺の景観を取り戻すために,効果の高速道路を取り払って地下化しようとの計画」を「喜ばしいこと」とし,日本橋近辺だけでなく日本橋川全体に広げればいいとも主張する。最後に来て,やはりこれが最近の吉見氏の考えなのだなと思う。一方で,東京西郊を発展させた1964年大会に対し,2020年大会を契機に東のエリアを盛り上げたいという気持ちもあるようで,それは吉見氏の弟子といっていいのかは分からないが東大出身の社会学者,南後由和に同様の考え方は受け継がれているような気もする。いずれにせよ,オリンピックをめぐる政府や行政の対応を吉見氏は批判しているが,オリンピックそのものについては,中止や廃止を考えることはなく,新しい形で継続していることを望んでいるようだ。

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