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現代のバベルの塔

新教出版社編集部編(2020):『現代のバベルの塔――反オリンピック・反万博』新教出版社,193p.2,000円.

 

私は最近Twitterを始めたが,「反五輪の会」をフォローしているため知った本。キリスト教の出版社ということで,少しうがった目線で見てしまったが,反五輪の会の代表であるいちむらみさこさんや,酒井隆史,田中東子,井谷聡子などといった面々が名を連ねているため,購入することにした。
本書は月刊誌『福音と世界』の2019年8月号特集に3編の新規論考,トークイベントの内容を収録して単行本として出版された。寄稿者の有住さんは1982年生まれの神学校非常勤講師,入江さんも非常勤講師,酒井さんは1981年生まれの大学非常勤講師,白石さんは1961年生まれの大学非常勤講師。いずれも著書をお持ちで,本書の文章も優れたものである。オリンピックの矛盾だけでなく,大学や学術研究の矛盾もはらんだ一冊なのだろうか。とはいえ,研究者は大学教員になるのが好ましいという価値観自体もおかしいので,この書き方もよろしくはないが。ともかく読んでみましょう。

はじめに
混乱の民として生きる――オリンピック・万博に反対する〈解放の神学〉:有住 航
生活againstオリンピック――路上のアーティストの見た景色:いちむらみさこ(インタビュー)
参加しない勇気――大阪万博をめぐる断片的省察:酒井隆史
トークセッション 「バベルの塔」なき世界へ:有住 航×いちむらみさこ×酒井隆史
「「古代の廃墟」としての近代」の廃墟:入江公康
オリンピックとカジノ万博は現代のバベルの塔か?――科学技術とプロテスタンティズムの倫理:塚原東吾
その輝きには要注意!――「参加すること」に意義はあるのか?:田中東子
ひとを線引きする――パラリンピックの歴史的変遷から:坂井めぐみ
Decolonialize This!――オリンピックと植民地主義:井谷聡子
これは私のからだではない――モノとのあたらしい関係について:白石嘉治

バベルの塔とは言わずと知れた『旧約聖書 創世記』に登場する逸話。私も2012年のオースター論文で,それについて論じるデリダやベンヤミン,ボルヘスについて検討した。その後も長谷川三千子『バベルの謎』(中公文庫版)なども読んだりした。有住氏の文章でもこの逸話が検討される。これまで私が読んできた論とは異なる論点が提示されていた。それは考えればすぐに分かることだが,実際にそうした塔を建てるのはエジプトのピラミッド同様,奴隷や戦争捕虜による労働だ。そう考えると,まさにこの隠喩は適切で,今回の2020年東京大会においても,新国立競技場建設に際して,建設作業員の過酷な労働や,また建築資材が国際的な調達基準に準していないものなど,さまざまな問題を引き起こしていた。万博についても同様のことを酒井氏が指摘している。そもそも1970年大阪万博において,その会場を作ったのは釜ヶ崎の日雇い労働者だったという。近年の大阪都構想についても厳しい批判がなされている。
アーティストのいちむらみさこさんは反五輪の会のイベントでお見かけしたことがあるが,どんな作品を作っているのか,野宿生活をしながらのアーティスト活動をしているということは知っていたが,その経緯は知らなかった。そこが語られており,非常に興味深い。彼女は自ら望んで野宿生活を続けているという。本書に一貫して主張されているのは「成長」言説の解体である。都市としても個人としても。そして個人としても都市としても,行政としてもこの成長を掻き立てようとするのが,オリンピックや万博といったメガ・イベントである。そういえば,学術的にも「成長マシーン論」でメガ・イベントを扱う研究があった。アーティストとして,良い作品を作ること。それは多くの人に見られる作品,評論家がよい評価を与える作品,高価で取引される作品,美術館やギャラリーで展示される作品,というのが一般的だが,いちむら氏はそこに疑問を抱いている。それはホームレスについても然りである。社会的にはホームレスは単にお金がないためにその立場に甘んじているのであり,お金があれば住宅に住み,職に就き,お金を稼いでお金を使う。まさに労働が国民の義務であり,納税の義務も労働の義務を果たしたからこそ果たし得る。しかし,極力お金を稼がない,使わない,という生活を自らが選ぶことも基本的人権である。「文化的な最低限度の生活」でいう文化的なとは何を意味しているのだろうか。そんなことを考えさせられる。
田中はオリンピックにおける女性参加についてこれまでも書いてきたが,本書においては2025年大阪万博における女性参加について紹介している。もちろん,現段階でそれが万博会場で実現されるわけではないが,現時点で提案されているものとして,「生理体験シート」「陣痛シミュレーター」「妊娠体験スーツ」を挙げ,その女性を極めて特殊な存在に押し込めようとするありかたを批判している。個人的に感銘を受けたのは坂井氏のパラリンピックに関する検討である。私は膨大な量のオリンピック研究を前にして,とりあえずパラリンピックを除外するしかなかった。オリンピック競技自体も競技者を男性と女性に線引きすることが批判されているが,パラリンピックはまさに何重にも人間を線引きし,表立って主張されている「インクルーシブ社会」とは正反対の道へと進んでいる。井谷氏による植民地主義の話は以前から書かれていた。しかし,本書の文章は13ページと短いながら,重要な論点がしっかり出そろっていて,素晴らしくまとめられている。以前にもオリンピックに対しては,学術研究者でも学術的な厳密さを欠いた感情論的な批判が,特に日本では多いと感じている。しかし,本書はその正当な感情がしっかりと基礎をなしていて,学術研究者として云々ということではなく,市民として,人間として正当なことが語られつつ,メガ・イベントに対する批判がなされていると思う。

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