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東京オリンピックの社会学

阿部 潔(2020):『東京オリンピックの社会学――危機と祝祭の2020JAPAN』コモンズ,275p.2,200円.

 

突然出版社から送られてきた本書。といっても,もちろん著者から送られてきたのだが。私も東京経済大学の紀要『コミュニケーション科学』に掲載した「日本におけるオリンピック研究」のPDF版が公表されてすぐに,引用させていただいた研究者のうち,eメールアドレスが分かる方たちに,メールで送信していたので,それでご著書を送っていただいたのかと,eメールでお礼を書こうと思ったら,なんと阿部さんのメールアドレスは不明で,送っていませんでした。私は以前からオリンピック研究をしていたわけでもないのになぜ,と思いながらもさっそく読み始めました。

プロローグ 2020オリンピックは「”それ”が見られず,終わり。」となってしまった
第1章 東京にオリンピックがやってくる――なにが問題なのか?
第2章 希望の未来へ――「オリンピック・レガシー」という先物取引
第3章 栄光の過去へ――「1964年」というノスタルジー
第4章 「幻」からの問いかけ――皇紀二千六百年オリムピックの実像
第5章 「現在」からの誘い――ソーシャルメディアという共振
エピローグ オリンピックを迎える〈わたしたち〉――どこへ向かうのか?
おわりに――”それ”はやってこのかったのか?

著者は2016年に所属する大学の紀要に「東京オリンピック研究序説」という文章を書いている。それ以前からオリンピックに関しては継続的に研究をしていたので,2020年大会が東京での開催に決定してから,「東京オリンピック」という具体的な対象に対して舵を切るということは予想でき,またその成果が一冊の本となるということは期待していたことでもある。といいながら,私は著者の文章をそう多く読んできたわけではない。特に単著はこれまで読んでこなかった。本書に関してはきちんと書評を書いてみようと思っているが,この読書日記では,ひとまず他の著書を読んでいない状況での印象にとどめておきたい。
第1章は上述した「東京オリンピック研究序説」を元にしており,第2章,第3章も既出論文を元に加筆・修正した内容となっている。とはいえ,論文を読んだ時の記憶が呼び起されない程度に書き換えられている。ともかく,前半は2020年東京大会についての基礎的な事実と問題が語られ,第3章で2020年大会が過去の東京大会である1964年大会との対比の元で語られることの問題が提起される。そして,本書の書下ろしである第4章では,なんと返上・中止になった戦時中の幻の大会である,1940年東京大会へと検討が進むのだ。

ちょうど同じ時期に,著者より少し年上の社会学者である吉見俊哉氏が『五輪と戦後』を出版した。近代史も専門とする吉見氏に対し,阿部氏はもっぱら現代について語ってきた。そういう意味でも,本書の1/3の分量を占める第4章の考察が1940年大会に向けられるとは意外であった。1940年大会に関してはそこそこ研究の蓄積がある。その上で歴史分析を得意としない著者がそこに挑むにはそれなりの訳がありそうだ。1940年大会は1936年ベルリン大会がナチス・ドイツのプロパガンダに利用されたという一面的な解釈に引きずられて,日独伊同盟を組んでいた日本が国際社会に対してその強さをアピールするためにアジア初のオリンピック開催を目論んでいたが,自国の侵略戦争もあり,開催を辞退,最終的に大会自体が中止となる。そういう,一般化した理解を覆すことが,著者の挑戦のようだ。
第4章では,当時の文芸誌や広告界の雑誌などを丹念にたどることによって,1930年代にもオリンピックに対して多様な意見があったことを知らしめてくれる。ただ,冷静に読むとこれでいいのかな,って思わないこともない。端的にいうと,当時の数あるオリンピックに対する多様な意見を取捨選別はしているのだろうけど,そのまま紹介しているだけのようにも思えるのだ。何かしらの分析や考察があるとはいえない。同じように,雑誌記事を扱うにしても,著者が現代のものを扱う時のように,また歴史資料に慣れた研究者が過去のものを扱うような感じはない。素朴に資料そのものに出会ったときのおどろきがそのまま文章になっている感じ。第4章の後半では,1940年大会を2020年大会に近づけようとし,第5章では2020年大会の時代背景を浮き彫りにするために,著者の専門でもある「ナショナリズムの今日の姿」の解説にページを割く。ここはさすがに説得力を持って論が進められるのだが,今度は逆にオリンピックから徐々に議論が離れていくような印象を受ける。
エピローグではここまでの考察を,2020年東京大会に絞って深めていくかと思いきや,NHKの意識調査に始まり,著者独自に行った意識調査の分析へと移ってしまう。もちろん,この調査は非常に貴重なものだが,読者としてはまた新しい情報,観点になってしまい,本書の総括を仕切れない感じ。当然,この時期に出版されたものとして避けられないが,「おわりに」では新型コロナウイルスの話に乗っとられてしまう。

ということで,一読は本書を手に取った時の期待とは違った印象を私に与える。この印象を払拭するには,著者の過去の著書を読む必要があると痛感する。つまり,2008年の『スポーツの魅惑とメディアの誘惑』と2001年の『彷徨えるナショナリズム』である。オリンピックやスポーツに限定されないナショナリズム論と,オリンピックに限定されないスポーツ論,あるいは東京大会に限定されないオリンピック論を経て,著者は本書の東京オリンピック研究へとたどり着いたわけだから,その軌跡をたどる必要があろう。

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