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スポーツの魅惑とメディアの誘惑

阿部 潔(2008):『スポーツの魅惑とメディアの誘惑――身体/国家のカルチュラル・スタディーズ』世界思想社,281p.2,300円.

 

阿部氏の著作を遡って読むことにしました。オリンピックものに続いてスポーツもの。阿部さんは自身がテーマとしているものについての個人体なきっかけを書いてくれる人である。本書の「あとがき」にも「子供のときから,スポーツとメディアが好きだった」(p.275)とある。具体的にどのスポーツをやっていたかについては書かれていない。私は小学校3年生から野球を始め,中学校の部活まで続けていた。高校に入って野球はやめてしまうが,より自主的なスポーツを,ということでバドミントン愛好会に所属した。
果たして私はスポーツが好きだったのだろうか?私の父はスポーツが好きだったのだと思う。自身はテニスをし,ゴルフも人並みにたしなんだ。平日も早めに帰宅し,野球のナイター中継を見ながら家族で夕食を取った。相撲の場所が始まれば見ていたし,高校野球も然り。テニスの大会,ゴルフ,バレーボールのワールドカップ。サッカーはまだJリーグ設立前でテレビで放映される機会は少なかったが,ラグビーも見ていた気がする。ともかく,テレビで中継のあるスポーツはほとんど見て,それ以外にも囲碁や将棋といったNHKのチャンネルもよく見ていたうちの父親。それが標準かどうかは分からないが,そんななかで育った私は好き嫌いとは無関係にスポーツとメディアに囲まれる日々だった。確かに,私もメディア研究を志したが,スポーツを研究するなどほとんど思いついたことはない。体が小さいだけで,水泳以外,学校で行われる競技のほとんどで並み以上の成績をおさめていた私だが,おそらく今日の私を知る多くの人は私のことを文科系の運動音痴と思っていることだろう。
かなり私的なわき道にそれました。読書に入りましょう。

プロローグ
第I部 「身体」をめぐるナラティブとしてのスポーツ/メディア
 イントロダクション
 第1章 「スポーツする身体」への眼差し
 第2章 アスリートを語る「声」の攻防
 第3章 ホモソーシャルな関係の魅惑
 第4章 感動を喚起する「物語」の文法
第II部 「国家」をめぐるポリティクスとしてのスポーツ/メディア
 イントロダクション
 第5章 スポーツにおける「ナショナルなもの」の表象/代表
 第6章 「日本らしさ」の自己遂行
 第7章 「民族」のリアリティと「歴史」の現在
 第8章 オリンピック・スペクタクルの過去/現在
 第9章 グローバルな祝祭とセキュリティへの不安
 エピローグ

本書の存在は知っていたが,思った以上にオリンピックを扱った部分が多いことに今更ながら気づき,日本のオリンピック研究のレビュー論文で取り上げなかったことを後悔。本書に収録された既出論文が,ジェンダー関係の論文集やテレビ視聴に関する論文集に掲載されたものもあるように,本書のなかにジェンダーを論じた割合は大きい。またテレビ番組の解読もよく登場する。著者としては,カルチュラル・スタディーズを強く意識して編んだ本でもあり,表象や言説といった概念についても丁寧な説明が加えられている。
第2章では1996年アトランタ大会の女子マラソンで,金銀銅に輝いた3選手,ロバ,エゴロワ,有森裕子を取り上げたNHKスペシャル『女子マラソンメダリストの証言』を見事に分析する。ジェンダー論にメディア論,ナショナリズム論にグローバル論も含めた手堅い分析。第3章はよく思うことではあるが,学術界できちんと論じていることに安心する,スポーツ界での男同士の絆,ホモソーシャルな関係を,特に日本のプロレス界を事例に,こちらもドキュメンタリー番組の分析によって論じている。これらを通して,第4章ではドキュメンタリーの語りの手法について検討し,2000年シドニー大会の女子マラソンに出場した(しなかった)日本選手のドキュメンタリー番組を事例にしている。ここでは,番組を制作したプロデューサーへのインタビューも行い,分析に深みを与えている。
後半は前著(『彷徨えるナショナリズム』)でテーマとしたナショナリズムへと移行する。第6章の1998年長野大会の開会式についての分析は既出論文で読んでいた。こちらは開会式のテレビ放映を元にした分析だとは思うけど,ここでのメディア演出に関しては問われない。ここでは,開会式後に発表されたさまざまな人のメディアを媒体とした反応を分析している。まあ,ある種の受容分析といえるか。第7章では2000年シドニー大会の開会式を事例にするが,ここでは南北朝鮮の合同行進を取り上げている。こちらも,その物自体やその表現ではなく,日本のテレビにおけるコメンテイターの意見,そして大学生・大学院生を使ったグループディスカッションを行ったその結果の分析である。表題にあるように,「民族」と「歴史」がテーマとなる。日本国内の問題から,東アジア,そして第8章では,世界を対象とし,1964年東京大会,1984年ロサンゼルス大会,2004年アテネ大会の開会式の分析を通し,世界がどのように表象されるかを分析する。
こうして本書を通読して,本書は著者の研究者としての資質が非常に良い形でつぎ込まれているように思う。阿部氏は文献派ではない。本書では,モーレーとロビンスの翻訳されていない著書についてページを割いて説明しているが,それは珍しい例であり,大抵は○○の言うところの「△△」みたいな感じで,有名な論者の学説のエッセンスのみを使う感じ。また,事例研究のなかでも他人が行った研究を活用するような場面は少なく,自身によるメディア視聴,それに加えた調査を行い,分析をする。分析についても意識調査の集計程度の数値化はあるが,何か特別な技法を使った分析は少ない。字数の限られた学術雑誌では難しい,文字による丁寧な説明が特徴といえるかもしれない。事例研究を利用して難解な理論へと接続するような志向ではなく,むしろ難解な理論のエッセンスを利用して事例研究を通して現実社会を理解する,そういう研究者だと思う。最後に,オリンピックに関して本書の多くの部分が語られていたが,いずれも事後的な研究である。先日紹介した『東京オリンピックの社会学』は開催前の研究であり,そういう意味では決定的に異なる,ということに注意しなければならないだろう。

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