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2020年8月

ドラえもん・サバイバル!・おしりたんてい

2020年86日(木)

立川キノシネマ 『グレース・オブ・ゴッド』
コロナ騒動になる前は,一人の時間を作って映画を観に行くときは,まず吉祥寺のアップリンクをチェックしていたが,さらに私の行動範囲は縮まり,最近は立川が多くなった。しかも,シネマシティよりもキノシネマを利用するようになってきた。いくつか候補作品はあったが,フランスの監督フランソワ・オゾンの最新作を選んだ。
オゾン監督がゲイであることはよく知られている。また,教会の聖職者が幼い男児に手を出すというありがちな主題だが,事実を基にした映画ということで,この主題を今のオゾン監督が同映像化するのか,興味を持った。前半の中心人物を演じるのはメルヴィル・プボー。彼の作品はけっこう観ているが,最近スクリーン上で見ていなかったので40歳台で子どもを持つ父親役を演じる彼の姿は非常に平凡に見えた。本作の面白さは,中心人物が変わっていくところだ。教会で起こりがちな児童への性的虐待,そのものを訴えていくことにはならず,本作においては結局,特定の一人の人物の罪を追及するということだが,プボー演じる男が,遠い過去の記憶を掘り起こす。かつて自分に性的虐待をしていた神父が今も健在であるという事実を知り,行動を起こす。なかなか周囲はその件を認めようとしないが,さまざまな事実を集め,警察に告発する。そこまでで一旦彼の役割は終わる。しかし,その後の警察の捜査で幾人もの被害者がやはり遠い過去の記憶を呼び起こす過程で少しずつ運動が広がり,またプボー演じる男にまでたどり着く。
そういう,時間が経過するなかで,一つ一つの過去が,現在の人間の関係へとつながっていき,古い社会の体制を変えていくというダイナミクスを目の当たりにすることのできる素晴らしい作品。
https://graceofgod-movie.com

 

2020年811日(火)

府中TOHOシネマズ 『のび太の新恐竜』
コロナ騒動で公開日が延期する前に前売り券を購入していた。いつかいつかと待ち続けて,ようやくですね。土日は混み合うことが予想されたので,息子の夏休み期間だったので,私と娘の保育園を休みにして観てきました。映画館も一席ずつ空けているので,家族で行くときは不便。ポップコーンは一人前でも親子三人でちょうどよいのに,一席ずつ離れたら難しいです。ジュースもいつもはケチって子ども2人で1つなのですが,11つにし,ポップコーンは持参したビニール袋に分ける。
さて,今回も川村元気さんの脚本だったので,あまり期待はしていませんが,恐竜者というドラえもん映画の原点に立ち返るテーマなので,一方では期待したりして。ということで,今回はかなり良かったと思います。いわゆる敵だと思われた存在がすぐにそうではないと分かり,人間同士で争うシーンがなかったのがよかったのかもしれません。しかも,大胆な進化の仮設(学問的にはありえないが)がオチだったりして,むやみにドラえもんの道具に頼っていない所もいいですね。
https://doraeiga.com/2020/index_pc.html

 

2020年820(木)

渋谷東映 『人体のサバイバル!/がんばれいわ!!ロボコン』
息子の小学校は夏休みを16日に短縮しているので,なるべく一緒にいられる時間を作りたいと思った。この日は夕方から研究者のZoom会合があったので,午前中は息子と出かける。博物館などいろいろ提案したが,好きで読んでいるサバイバルシリーズの映画がやっていたので,渋谷まで出かけた。
こちらも数日後に観ることになる『東映まんがまつり』と同様,短編集。タイトルにあるように,ロボコンが1本目,2本目は「スプリンパン」という娘が喜びそうな乙女チックなCGアニメでとても短い。ロボコンはもちろんオリジナルは私の世代ですが,どんな内容だったかは全く覚えていない。よって,今回のがオリジナルに似ているのかいないのか,まったく分かりませんが,とにかくハチャメチャくだらない。幼い子どもはこういうので喜ぶのだろうか。
とりあえず,他の2作品に対して,「人体のサバイバル!」に割かれた時間が長かったのはよかった。とはいえ,原作を読んでいた息子によればかなり詳細な部分がカットされているとのこと。また,原作とは違う展開もいくつかあったという。小さくなって人の体のなかで旅をするという展開はかいけつゾロリでもあったが,こちらではなんと脳の中まで行ってしまうところがすごい。なかなか楽しめる作品でした。
https://survival-robocon.jp/

映画の後は昼食がてら,息子を連れて渋谷の街を少し散策。まずは渋谷東映からほど近いところにオープンしたばかりの宮下公園。私が渋谷に来るようになった30年前。そのころから渋谷東映はあったはずだが(ビルに入っていたのがビックカメラだったかどうかは覚えていない),まだタワーレコードもなく,この方面に足を延ばすことは少なかった。ただ,宮下公園の近くに大盛堂書店があり,当時としては珍しく,複数階に及ぶ書店で, 25千分の1地形図を揃えていることもあり,大学生の頃にはよく利用していた。その手前に山手線の線路をくぐる小さなトンネルがあり,そこを抜けると宮下公園だったが,当時からホームレスが住んでいて,近寄りがたい雰囲気があった(実際にその先の公園に足を踏み入れたことはなかった)。それからずいぶん経って,タワーレコード(私がかつて利用していた頃のタワーレコードは東急ハンズの近くにあったが)ができ,その先を右折して山手線をくぐった先にはcocotiというビルができ,その上階にシネアミューズという映画館(現在はヒューマントラストシネマ)ができ,またさらに青山通りまで行くとイメージフォーラムがあり,よく通うようになった。ということで,明治通り側からは宮下公園の近くを頻繁に通るようになり,時には歩道橋から公園に足を踏み入れることもあった。こちら側は開放的なので,近寄りがたい雰囲気はなかった(時代も少し経過していますが)。大学院生になって本格的に社会科学に首を突っ込むようになり,それ以前は多少敬遠していた現実社会の社会問題や政治的な側面にも関心を持つようになり,宮下公園で起こっている問題も知るようになった。先ほど書いたタワーレコードの先の山手線をくぐる道の北側が先にフットサルコートになったようだ(なお,この場所は公園だった認識はない)。
長くなってきたので,宮下公園の歴史は割愛します。とにかく,最近はこの新しくオープンした商業施設をめぐって,twitter上でいろんな情報を目にしていたので,行ってみたかった場所。なお,私がtwitterでフォローしているのは「反五輪の会」だが,宮下公園の動向についてリツイートしている。それによれば,この商業施設は屋上を今まで通りの渋谷区立宮下公園と称している。しかし,オープン当時は入り口に警備員を常駐させ,いかがわしい人を立ち入れないようにしていたという。「いかがわしい人」とはひどい表現だが,つまりホームレスの人々やかれらを支援する社会運動家,そういう人たちのことだ。そもそも,ここ宮下公園は渋谷をデモ行進して代々木公園に集まり,さまざまな政治集会を行っている人々の集結する場所となっていたという。
私たちが行った時は警備員が2人いましたが,特に威圧的な雰囲気はありませんでした。商業施設内のカフェを併設した書店で息子と2人で昼食を取り,その後息子が書店で立ち読みをしている間に一人で屋上に上ってみました。
屋上はまあ,最近の商業施設の屋上によくある感じのベンチが置いてあります。そして,一番南側にスケートボード場が,次にビーチバレーコート,それに隣接してボルダリング施設がありました。いずれもフェンスがあり,鍵が閉まっていました。どういう場面で使うものか分かりませんが,いずれにせよ公的な公園とはとても呼べないものになっていました。北の方に移動すると管理事務所があり,その室内でも何かできるようになっているようです。

 

2020年823日(日)

府中TOHOシネマズ 『東映まんがまつり』
息子は昨年から野球を始めた。今年の前半は活動自粛で,大会も延期されたので,最近は毎週末野球の予定で埋められている。この日は午後からの練習ということで,朝一に観たがっていた映画を観に行った。昨年から復活した「東映まんがまつり」。「おしりたんてい」がメインで,昨年から引き続きの「りさいくるずー」に加え,今年は「仮面ライダー電王」「ふしぎ駄菓子屋銭天堂」という4本立て。冒頭の「ふしぎ駄菓子屋銭天堂」は非常に正統派の漫画で面白い。原作を読んでみたい。続いては「まんがまつり」というのに実写の仮面ライダー。まあ,元祖は石ノ森章太郎の漫画だからいいか。もうすっかりギャグになっていて面白い。着ぐるみ(?)の気持ち悪さはもう敵味方の区別がつきません。「りさいくるずー」は仮面ライダーを受けてのものになっていて,これがまた面白かった。そして,最後の「おしりたんてい」も安定した面白さを維持していますね。テレビアニメの回数もかなり重ねていると思いますが,アニメーションのクオリティが高いです。とはいえ,最近のアニメはすごく丁寧で,ある意味では「北斗の拳」とか,回を重ねる度にアニメの質が落ちていくような時代ではないんですね。
https://www.toei-mangamatsuri.jp/

 

2020年828日(金)

立川キノシネマ 『海辺の映画館:キネマの玉手箱』
またまた一人で観るときはキノシネマを選択。いくつか観たい作品はありましたが,今年になってなくなった大林亘彦最新作を観に行く。20年ぶりに監督が尾道に帰って来た,と謳っているが,実のところは空想的すぎて戦時期の尾道は少し想像できるものの,現実感はあまりない。晩年の彼の作品は独自の表現に達していて,横尾忠則的フォトモンタージュならぬシネモンタージュというべき手法。映画の最新技術的にはもっとこなれた滑らかな画面を作れるのだろうけど,あえてゴツゴツした画面で観る者に訴えかける。そして,なによりも本作の出演者の豪華さ。個人的には成海璃子さんと,TOHOシネマズの冒頭でしかなかなかお見かけしない山崎紘菜の出演が嬉しい。ちょい役では,中江有里や寺島 咲などの登場も嬉しいですね。3時間近い大長編でしたが,大林監督の最後の作品を観られて良かった。
https://umibenoeigakan.jp/

 

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バルセロナ・パリ母娘旅

銀色夏生(2015):『バルセロナ・パリ母娘旅』KADOKAWA142p.760円.

 

銀色夏生の文章を読むのは初めて。それでなく,いわゆる文学の部類に入る書籍を読むのは久しぶりで,とても面白かった。ちょうど,久しぶりの通勤電車のなかで読んだのだが,なんだか至福の時間を味わった。まさに,この作品のなかに,旅行の準備をしている時に,見に貼り付いた日常的なものが少しずつはがれていき,行きの飛行機のなかで完全にはがれる,という話がある。通勤というのは同じように,1時間の電車のなかで,距離的にも自宅からどんどん離れていく過程で,私生活なるものを忘れていく行為なのだなと思う。在宅勤務も半年が経とうとしているが,だんだん本当に自分は仕事をしているのか,よく分からなくなってきている。誰にも邪魔されずに作品世界に没頭し,作者の親子旅行を追体験する,そういう時間がいかに貴重かを思い知らされた読書だった。

さて,本書はまさに旅行記でありますので,目次はありません。この作家についてはよく知りませんが,男っぽい名前でありながら女性であることは知っていた。本書はちょうど大学を中退しようかといっていた21歳の長女とのヨーロッパ旅行の記録である。
きちんと日付が書いてあります。「1日目 2014年9月24日(水)」。そして「この旅のテーマ「とにかく自由に」」と冒頭にある。6日目の9月29日(月)にバルセロナからパリに移動する。そして,10日目の10月3日(金)が帰国する便への搭乗,という日程。行き先がヨーロッパであるという点と,10日間の日程であるという点は,前回紹介した太田篤子『母とヨーロッパへ行く』と共通している。そして,太田さんの本が娘の視点であるのに対し,本書は母親の視点である。太田さんの母娘の年齢差は20歳程度だったが,こちらはもう少しありそうだ。また,太田さんの旅も旅行先でゆっくりするという点では共通しているが,かなり十全に準備した旅であったのに対し,こちらの旅はかなり行き当たりばったりなもので,その対照性も面白い。
文章ページは142ページありますが,同程度のページ番号なし写真ページもあります。本書は角川文庫の一冊ですが,カラー写真でコメント付き。太田さんの『母とヨーロッパへ行く』や村田さんの『旅育BOOK』では,子どもや高齢者の当事者感覚を高めるための工夫があったが,銀色さんの母娘旅ではそういう配慮はなし。あくまでも自然体で,旅の主導権は母親が握っているが(おそらく財布の紐も),娘もただついていっているというわけでもない。若者らしくスマホを駆使して,その場で行きたい店をチェックするのだ。娘さんは21歳ではありますが,本書で読み見る限りでは,自立した大人で,むしろ作家という職業柄もありますが,自由奔放なところもある母親との面白い関係。親元を離れた子どもとの関係はやはり希薄なものになりがちですが,旅育と同じように,旅行というのはそういう家族の間柄を取り持つ特殊なシチュエーションとして機能するともいえる。

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母とヨーロッパへ行く

太田篤子(2018):『母とヨーロッパへ行く 母+娘=100歳~の旅』講談社,143p.1,400円.

 

著者は太田哲也という1959年生まれのレーシングドライバーの妻。1990年に結婚しているが,1998年に太田が生死をさまよう事故に遭い,社会復帰まで看病に明け暮れたという。それは同時に子育ての時期でもあり,夫の社会復帰,子育てのひと段落,そんな時期から始まったのが自身の母親とのヨーロッパ旅行であり,2009年から毎年10日間ほどの旅を続けて約10年間の記録が本書だという。

ヨーロッパ5つの旅:イギリス・フランス・スペイン・ドイツ・イギリス
PART 1 プランを立てる
PART 2 旅の決め手はホテル
PART 3 交通手段を手配する
PART 4 旅の過ごし方
PART 5 装いと持ち物

前回紹介した本とは違い,本書はいわゆるノウハウ本ではない(古い表現ですみません。いわゆる指南書を一時期know howと呼んでいたことがありました)。また,次回紹介する本とは違い,本書は旅行記ではない。その中間にあたるものかもしれない。あくまでも自身の旅の経験に基づくものではあるが,そのなかでも読者にも役立つ情報を提供しているような本。
前にも書いたように,私は本書を「観光における世代」を地理学的に考える素材として読んでいる。そのきっかけは,近所の図書館のリサイクル本として出ていた雑誌『旅』の特集「親子で行く旅」に私の好きな親子,島尾伸三・潮田登久子・しまおまほが表紙を飾っていたので,いただいて帰ったことにある。また,この特集に限らず,メディアでは母娘の旅というのがたびたび登場するような印象を持っていて,Amazonで検索したら本書がヒットしたという次第。
本書はサブタイトルにもあるように,娘が40歳台,母親が60歳台から始まった旅ということで,本書出版時点ではすでに合計120歳近くになっている。著者が娘であり,次回紹介するものは母親が著者であるため,対比もできる。コンセプトは高齢の母親にやさしい旅,である。高齢の親に旅を提供するというのは親孝行ともいえるが,意外にも前回紹介した「旅育」との共通点がある。何よりも旅は楽しいもので,そのために頑張れるということ。計画段階から意見交換をし,当事者意識を持たせ,親子のコミュニケーションを円滑にするということ。身体的・精神的な弱者である高齢者・子どもに配慮する旅であること。
そういう意味で,本書は構成が工夫されている。冒頭で,著者母娘がどんな旅をしてきたのかが概観され,計画から旅行の各段階にまとめて説明がなされ,そこに旅の詳しいエピソードなどが挿入される。ヨーロッパは日本から遠いため,高齢者を伴う旅行においては,往復の飛行機が非常に重要であり,また現地ではいろいろ見て回るのではなく,滞在することに重点を置く。その際の航空券の予約の仕方,ホテルの予約の仕方,その順番や手順が,著者の旅のこだわりを条件とした上で丁寧に解説される。タイトルに「ヨーロッパ」とあるように,この旅行のスタイルはヨーロッパ特有のものかもしれない。
本書はおそらく著者の性格が大きく反映していて,非常に穏やかに丁寧に,細かいところまで意識が行き届いた旅行案内書である。前回の紹介の最後に批判っぽく書いたことは本書にはあまり当てはまらない。確かに,大人2人が毎年ヨーロッパで10日間を過ごすというのは,それなりの年収がなければ成立しない。しかし,本書は可能な限り費用的な面を公表しており,使うところは使う,節約するところは節約するという点が強調されている点は好感が持てる。

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旅育BOOK

村田和子(2018):『家族旅行で子どもの心と脳がぐんぐん育つ 旅育BOOK』日本実業出版社,190p.1,400円.

 

著者は「家族deたびいく代表」を自称する旅行ジャーナリスト。その実践は「息子が9歳になるまでに,親子で47都道府県へ訪れました」(はじめに)というように,元々旅行ジャーナリストが高じて自身の子どもを旅に連れまわしたのか,私的な家族旅行を執筆等の活動の素材に使うようになったのかは分からないが,ともかく自身の親子旅行の実践がベースとなっている。
最近,さまざまなものを育児に活用しようというこの種の「○○育」というものの代表は「食育」だが,この言葉と実践は古くからあるものらしい。最近の流行りの言葉を探してみたが,実は意外に「○○活」のようには定着しているようなものはないようだ。まあ,ともかく本書と著者の実践は,子どもが幼い頃の家族旅行は単なる思い出作りやレクリエーションということだけでなく,学びや育ちの面で大きな効果があるということです。まあ,「かわいい子には旅をさせよ」といいますから,旅行と人格形成というのは昔から結び付けられているものではありますが。

第1章 子どもと「旅」をする理由:世界の広さを体感し,家族の絆を育もう
第2章 村田流 親子の旅育メソッド:5つの方法で子どもの心と脳がぐんぐん育つ!
第3章 いつもの旅を学びに変える25のコツ:「家族deたびいく」実践編
第4章 企業も応援!旅育&家族旅行の役立つサービス
第5章 ぜひ行きたい!厳選 旅育スポット:実際に旅してわかった旅のテーマと旅育のポイントつき

冒頭でいきなり,著者と星野リゾート代表の対談が掲載されている。本書のなかでも星野リゾートが経営する宿泊施設がいくつも登場するが,いわゆる観光地だけでなく,特定のレジャー施設や宿泊施設,また交通機関である航空会社などの広告まがいの記述もあるのが本書の特徴。中立な立場でそうした施設や企業を評価するというよりはお互いに協力関係にある。
旅が人間に良いことをもたらすという神話,イデオロギーは根強い。文学,映画,音楽,あらゆる文化形式を通して旅行はよいということが語られる。今回の新型コロナウイルスでは珍しく私用で長距離移動をするものが悪者扱いされているが,基本的に旅は素晴らしいものとして語られ,またそれが万人に強要される。
まあ,それはそれとして,本書ではまず,当たり前の世界から飛び出すことが学びにとって重要だという。既に知っていることで満たされている生活世界から飛び出すと,知らないことがたくさん待ち受けていて,それらとの出会いが脳を刺激する。これまであったことのない場面に遭遇すると,それに対処する能力が身につく,大雑把に旅がもたらす教育的効果はそういうことだ。私はこういう考え方は本書でも強調されている「多様性」を矮小化していると思う。私は基本的に違いの大小はない,あるいは図りようがないものだと思っている。例えば,男女の違いをうんぬんすることはよくあるが,その違いを私も否定はしない。しかし,抽象的な男女の差というのは,標準的なとか一般的な,生物学的にといった抽象的なレベルでしか議論できず,具体的な個人同士の違いとなるとそれが性別(性差)によるものかどうかを判断できる人は少ないと思う。
もちろん,具体的には旅の計画,準備にも積極的に子どもを関わらせ,親についていく旅ではなく,当事者意識を持たせる機会になるという。確かに,この当事者意識というのは育児上とても重要なのはよく分かります。また,そうした旅の計画や準備は幼い子どもが一人でできるものではないので,必然的に親子のコミュニケーションがそこに生まれる,というのも重要です。そして,実際の旅では親子が四六時中一緒にいることになり,また家庭にいるときは同じ屋根の下にいるにもかかわらず,親は家事などで子どもの相手ができない時間が一日の一定程度を占める,という意味では,旅という特別なシチュエーションがもたらす効果もあるだろう。ただ,著者は家族旅行であろうとも,可能であれば,親と子が別行動をとれる時間があると良いという。著者の提言はいずれも至極当然である。私自身も決して裕福な家庭に育った子どもではないが,毎年のように出かけていた家族旅行の思い出は深く記憶に刻まれている。しかし,一方で親になった身としては家族旅行は家計の観点からも難しく,まだ本格的なものは一泊の普通列車によるものしか実行していない。今年10歳になる息子はいまだ急行列車も飛行機も載ったことはない。
ただ,この本の大きな欠陥が一つある。それは具体的な施設に関する情報以外,値段が書かれていないのだ。旅行にはお金がかかる。それによって家族旅行を諦める世帯,何とか工面してなるべく安くしようとする者,一定の経済階層以下の人々にとって旅行とお金は切っても切れないものだが,本書では湯水のようにまではいかないが,子どものためにはいくらかけても損はない,そんな風潮でもある。まあ,本書はあくまでも育児や教育に役立つ家族旅行のあり方を提言しているだけで,家族旅行の実態を考慮したり,子どもを持つあらゆる家庭を想定しなければならないわけでもない。

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彷徨えるナショナリズム

阿部 潔(2001):『彷徨えるナショナリズム――オリエンタリズム/ジャパン/グローバリゼーション』世界思想社,234p.2,300円.

 

以前,著者の『スポーツの魅惑とメディアの誘惑』を紹介する時に,一つ間違いを犯しました。モーレーとロビンスの「テクノ・オリエンタリズム」についてかなりページを割いて解説しているのは本書でした。その時には,阿部さんの研究全般について少し批判的なことを書いてしまいましたが,本書には研究者としての立場もの含めて学ぶことが多かった。

プロローグ――「ナショナルなもの」への違和感
第1章 「ナショナルなもの」の台頭――90年代の気分
第2章 戦後における「ナショナルなもの」――ディレンマの屈光
第3章 「日本」にとっての二つの「他者」――脱亜入欧イデオロギーの呪縛
第4章 テクノ・オリエンタリズムと「ナショナルなもの」――同一化すべき「他者」からの眼差し
第5章 アジア・オリエンタリズムと「ナショナルなもの」――差異化すべき「他者」への眼差し
第6章 「日本らしさ」をめぐるポリティクス――キッチュなノスタルジー
エピローグ――「ナショナルなもの」のゆくえ

本書を読み終えて,数ある著者の著作の3冊を読んだだけだが,著者は日本の社会学者のなかで独特な立ち位置にいると感じた。とはいえ,日本の社会学全般について詳しいわけでもないが,なんとなく日本の地理学のあり方とも重ね合わせながらそう思った。先にそんなことを書いてみよう。
学術研究の発表媒体はさまざまである。まず,大きく分けて雑誌と書籍とがある。雑誌は学会が発行する学会誌と,大学が発行する紀要,そして出版社が発行する商業誌がある。学会誌に掲載するにはかなり手間が必要で,投稿し,審査され,審査に通ったものだけが掲載される。時間もかかるし労力もかかるが,掲載されたということだけで一定の評価がつく。紀要はまあ人それぞれだが,個人的には学術的なレベルは学会誌と同等だと思っているが,審査がない分,出来はピンからキリまであるともいえる。また,当該大学に所属する研究者であれば,毎号載せなくてはいけないというのがあったり,いつでも載せてくれる,というのがあったりするのかもしれない。商業誌の場合は投稿ではなく執筆依頼なので,書きたいといって書けるわけではない。これも個人的な印象だが,テレビドラマで起用される俳優のように,人気のある人に集中する傾向がある。書籍には単著と編著がある。単著を出すのは大変だが,編著というのはある意味雑誌と似た側面がある。それは一人の著者にあてられた分量が雑誌論文程度であることが多いこと。しかし違っているのは,共通するテーマがないと編著=論文集にはならない。こちらも依頼されることが多く,書きたいからといって書けるわけではない。
長ったらしい説明だったが,著者が学会誌に掲載した論文を私はあまり読んでいない。ご自身が所属する大学の紀要に掲載したものはいくつか読んだが,他人が編集した編著=論文集に寄せることも多いようだ。単著が多いが,そのいくつかはそうした紀要や論文集に載せた文章を寄せ集めて加筆・修正して一冊にまとめていることもある。
一方私は50歳になっていまだ単著はない。論文集への寄稿も数えるほどしかなく,商業誌からの依頼も3回しかない。紀要にはいくつか書かせていただいているが,私が書いた論文の多くは学会誌に掲載された。そういう意味でも,私と著者は,研究成果をどういう媒体で発表するかという観点ではかなり異なっている。いろいろと制約の多い中そうするしかない私にとっては,著者のような立場は羨ましく感じる。もちろん,発表媒体が違ければ,文章のスタイルも違ってくる。そんなことを考えながら,『スポーツの魅惑とメディアの誘惑』の読書日記の後半を書いていた。
本書もやはり文章のスタイル,また研究のスタイルは共通している。本書を読んで,こういうスタイルの必要性を強く痛感した。ナショナリズムというテーマはかなり難しいと思っている。例えば,オリンピックやサッカーのワールドカップをナショナリズムの観点で論じるのは比較的簡単だが,これを浅はかな議論ではなく,深く意義があるものにすることは難しい。一方で,ナショナリズム論というと(これまた数多く読んでいるわけではないが),歴史的なアプローチと哲学的なアプローチがあるという印象がある。これらはある程度の蓄積があるが,著者のナショナリズム研究はそのいずれでもない。簡単にいうと,現代の社会評論的なものでもなく,歴史的でも哲学的でもない,ある種これまで私が読んだことがないものであるともいえる。
本書冒頭の告白は,その研究立場とも通底する著者の実直さが現われている。ある研究会で,著者が何気なく「日本人院生の方」とミーティングへの参加を呼び掛けたところ,外国人留学生から自分に参加資格があるのかを問いかけられたというエピソードを紹介している。カルチュラル・スタディーズという,権力関係を伴う人間属性に敏感でなければならない研究集会の場でのその失態は著者に深い痕跡を残し,そのことが数十年日本で生活をしている者として,研究者として頭ではわかっていることが身についた生活態度としては分かっていなかったという,非常に根の深いナショナリズムという問題に研究者として向かい合うことを決意し,本書に結実する一連の研究へと著者を向かわせたという。
そういう自分の研究者である前に日本で生活する者として染みついた意識であるナショナリズムに立ち向かう著者は,まず基本的な歴史的事実として,第2章以降に日本の戦後の状況を確認する。1964年生まれの著者にとって,1945年の終戦は体験していない過去だが,彼の親世代の時代でもあり,研究者としても正当だと思う。その前の第1章に本書が出版される過去10年の日本におけるナショナリズムの高まり確認される。これは多くの論者が指摘していたことだが,1998年冬季長野オリンピック大会を含んでおり,著者の現在の仕事にもつながっている。戦後に関しては,米国の影響の大きさを指摘しているのは比較的近いところで仕事をしている吉見俊哉とも共通する。米国におけるジャパン・バッシングの解釈に納得させられる。戦後の日本が憧れる「同一化すべき他者」が米国であり,承認を求める日本に対し,歪んだ形での承認がジャパン・バッシングであり,この学術的議論としてテクノ・オリエンタリズムが詳細に検討される。単に,モーレーとロビンスを紹介するだけでなく,欧米人として日本人の声を聞く機会もなく,その必要もなく展開されるその議論の限界が指摘され,しかしその限界は批判ではなく,この問題の深さを指摘する議論は興味深い。そして,日本を米国とアジアとの関係のなかで論じる観点は非常に地理学的である。
本書でもメディア研究者としての力量がいかんなく発揮されている。一つが北野 武の映画の分析であり,まあある意味目新しい議論ではないが,北野作品をしっかりと論じたものを読んだことはない。また,『スポーツの魅惑とメディアの誘惑』でもドキュメンタリー番組の分析がなされていたが,本書でもNHKの『電子立国 日本の自叙伝』(1991年)やその継続番組でもある『プロジェクトX 挑戦者たち』(2000年~)を分析している。また,第5章でアジアについて論じるときは,当時のアジア・ブームを取り上げ,雑誌の分析が行われ,この辺りは私の研究に近い。
という感じで,著者に対する研究者としての印象はあまり変わらなかったが,私のなかでのその評価はかなり高まった。研究対象に立ち向かう態度が私と近いことを見出したのだ。彼にとって研究とは自身の日常に根付いたもので,その対象は研究者として改めて設定するものではなく,日常生活のなかで身近にあるものであり,研究成果はまずもって自分の意識改革という目標に向けられていることが理解できたような気がする。

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団塊ツアー

太田正美(2009):『団塊ツアー』東京図書出版会,178p.1,400円.

 

観光地理学の教科書の執筆依頼がきた。担当する章は「ジェネレーション」とのこと。実のところ,観光地理学の文脈で文章を書いたことがあるが,いわゆる観光研究に含まれるような論文は東京の英文シティガイドの分析くらいだ。ましてや,ジェネレーション=世代をテーマにしたこともない。しかし,少し文献調査をして分かったことだが,観光研究で世代をテーマにした日本語の文献はほとんどない。
とりあえず,教科書なので,地理学で観光をめぐるさまざまなアプローチが必要だということで,私はメディア分析を含むものにすることにする。手っ取り早くAmazonでそれらしい書籍を検索すると,いくつか出てきたので,それらを素材に書くことにした。ということで,当分そんな感じの読書日記が続きます。本書の内容をそんなに詳しく説明する気はないので,詳細目次までつけましょう。

第1章 団塊世代を取り巻く状況
 1 二分する見方
 2 団塊世代の取り込み
 3 2007年問題の背景
 4 団塊世代は何を考えているか
第2章 団塊世代はこんな旅をする
 1 ノスタルジー
 2 スローライフ
 3 学習するツアー
 4 夫婦単位
 5 健康力向上
 6 景観・まち並みを楽しむ
 7 アクティブ
 8 社会貢献意識
 9 ロングステイ
 10 Quality of Life
 11 本物志向
 12 インターネット
 13 環境問題
 14 田舎を見直す
 15 明確なツアーテーマ
 16 新しいもの好き
 17 蘊蓄の旅
 18 感動を味わう
 19 アンチエイジング
 20 ガイドを楽しむ
 21 贅沢を楽しむ
 22 ロマンを求めて
 23 セカンドライフ
 24 不都合な真実を見る
 25 こだわりの旅
 26 大都会を満喫する
 27 一筋縄では行かない
あとがき

著者は1948年生まれの航空会社に勤務して定年退職した男性。本書で団塊の世代を1947~1949年生まれとしているので,まさしく団塊の世代である。上記目次を見ると,著者が団塊の世代をどのように考えているかが分かるが,まさに勤勉で学習好きであると自認するように,本書は自分がどういう人間かを,団塊の世代というアイデンティティに求め,それについて調査した結果をまとめたようなもの。27に一筋縄ではいかないといいながらも26の特徴で説明できる程度には単純化している。さまざまな資料を根拠として客観的な特徴を整理しているようでいて,自らが身をもって実感できる特徴を主観的にまとめている。
そして,あくまでも旅行という観点から団塊の世代について整理している書であり,職業柄得た経験に基づいて,団塊の世代を特徴づける一つ一つの項目に対して,そうした人間を満足させる旅のあり方や事例を紹介する,そんな本。帯の言葉を載せておきましょう。「団塊世代はこんな旅をする!まだまだ元気でプライドも高い団塊世代は旅も一筋縄では行かない」

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