百年と一日
柴崎友香(2020):『百年と一日』筑摩書房,185p.,1,400円.
ある日,柴崎友香さんが大阪府立大学で地理学を学んでいたという情報を目にしたことがある。どこに掲載されていたどんな情報だか忘れてしまったが,ちょっとネットで調べてみてもその真偽は分からなかった。私は基本的に現代小説はあまり読まないし,特に日本の作家は読まない。しかし,柴崎友香さんはそのデビュー作『きょうもできごと』で知っていた。とはいえ,原作を読んだのではなく,行定 勲監督の映画によってだ。この映画は京都を舞台にしていて,妻夫木聡を始め,今でも活躍する魅力的な男女の俳優が出演していた。何気ない日常という表現ではなく,とりとめのない様子が描かれ,私の好きな映画,愛おしい作品。
しかも,その後結婚することになる妻の書棚に『きょうのできごと』の文庫版(別の作品かもしれないが,新居に移る時に妻の蔵書をかなり処分してしまい,今は見当たらない)があり,読むことになった。まあ,妻と知り合ったきっかけが共通の友人だが,彼は当時は日本映画のマニアで,行定監督の『ロックンロールミシン』や松岡錠司『バタアシ金魚』,山下敦弘『ばかのハコ舟』『どんてん生活』などの話を熱く語られていたので,まあ,そういうつながりができても不思議ではないが。ともかく,そんなこんなで,柴崎友香も『その街の今は』など,地理的要素がありそうな作品を読んだりしていた。とはいえ,コアなファンになったわけではなく,『寝ても覚めても』が映画化された時は観たりしたが,2014年に『春の庭』で芥川賞を受賞していることも知らなかった。まあ,この年は長女が生まれた年なので,その辺の情報に疎かったということにしておきましょう。
最近はtwitterで彼女をフォローしていることもあり,彼女の関心の広さに驚いている。まあ,彼女は1973年生まれで,デビュー作が2000年だから少し遅咲きではあるが,本作が作家生活20年周年ということで,円熟味を増した作家だと考えれば,その博識と感心の広さは驚くべきことではない。ともかく,本作の出版を記念して方々でイベントが開催されているので,きちんと読んで,作者の生声を聴いてみたい(とはいえ,オンラインですが)ということで,読んでみた次第。そのイベントはもう終了していて,リアルタイムで視聴はしなかったので,後で視聴するつもりだが,作家本人の詳しい話を聞く前にこの読書日記は書いておきたい。
- 一年一組一番と二組一番は、長雨の夏に渡り廊下のそばの植え込みできのこを発見し、卒業して二年後に再会したあと、十年経って、二十年経って、まだ会えていない話
- 角のたばこ屋は藤に覆われていて毎年見事な花が咲いたが、よく見るとそれは二本の藤が絡まり合っていて、一つはある日家の前に置かれていたということを、今は誰も知らない
- 逃げて入り江にたどり着いた男は少年と老人に助けられ、戦争が終わってからもその集落に住み続けたが、ほとんど少年としか話さなかった
- 〈娘の話 1〉
- 駅のコンコースに噴水があったころ、男は一日中そこにいて、パーカと呼ばれていて、知らない女にいきなり怒られた
- 大根の穫れない町で暮らす大根が好きなわたしは大根の栽培を試み、近所の人たちに大根料理をふるまうようになって、大根の物語を考えた
- たまたま降りた駅で引っ越し先を決め、商店街の酒屋で働き、配達先の女と知り合い、女がいなくなって引っ越し、別の町に住み着いた男の話
- 小さな駅の近くの小さな家の前で、学校をさぼった中学生が三人、駅のほうを眺めていて、十年が経った
- 〈ファミリーツリー 1〉
- ラーメン屋「未来軒」は、長い間そこにあって、その間に周囲の店がなくなったり、マンションが建ったりして、人が去り、人がやってきた
- 戦争が始まった報せをラジオで知った女のところに、親戚の女と子どもが避難してきていっしょに暮らし、戦争が終わって街へ帰っていき、内戦が始まった
- 埠頭からいくつも行き交っていた大型フェリーはすべて廃止になり、ターミナルは放置されて長い時間が経ったが、一人の裕福な投資家がリゾートホテルを建て、たくさんの人たちが宇宙へ行く新型航空機を眺めた
- 銭湯を営む家の男たちは皆「正」という漢字が名前につけられていてそれを誰がいつ決めたのか誰も知らなかった
- 〈娘の話 2〉
- 二人は毎月名画座に通い、映画館に行く前には必ず近くのラーメン屋でラーメンと餃子とチャーハンを食べ、あるとき映画の中に一人とそっくりな人物が映っているのを観た
- 二階の窓から土手が眺められた川は台風の影響で増水して決壊しそうになったが、その家ができたころにはあたりには田畑しかなく、もっと昔には人間も来なかった
- 「セカンドハンド」というストレートな名前の中古品店で、アビーは日本語の漫画と小説を見つけ、日本語が読める同級生に見せたら小説の最後のページにあるメモ書きはラブレターだと言われた
- アパート一階の住人は暮らし始めて二年経って毎日同じ時間に路地を通る猫に気がつき、行く先を追ってみると、猫が入っていった空き家は、住人が引っ越して来た頃にはまだ空き家ではなかった
- 〈ファミリーツリー 2〉
- 水島は交通事故に遭い、しばらく入院していたが後遺症もなく、事故の記憶も薄れかけてきた七年後に出張先の東京で、事故を起こした車を運転していた横田を見かけた
- 商店街のメニュー図解を並べた古びた喫茶店は、店主が学生時代に通ったジャズ喫茶を理想として開店し、三十年近く営業して閉店した
- 兄弟は仲がいいと言われて育ち、兄は勉強をするために街を出て、弟はギターを弾き始めて有名になり、兄は居酒屋のテレビで弟を見た
- 屋上にある部屋を探して住んだ山本は、また別の屋上やバルコニーの広い部屋に移り住み、また別の部屋に移り、女がいたこともあったし、隣人と話したこともあった
- 〈娘の話 3〉
- 国際空港には出発を待つ女学生たちがいて、子供を連れた夫婦がいて、父親に見送られる娘がいて、国際空港になる前にもそこから飛行機で飛び立った男がいた
- バスに乗って砂漠に行った姉は携帯が通じたので砂漠の写真を妹に送り、妹は以前訪れた砂漠のことを考えた
- 雪が積もらない町にある日大雪が降り続き、家を抜け出した子供は公園で黒い犬を見かけ、その直後に同級生から名前を呼ばれた
- 地下街にはたいてい噴水が数多くあり、その地下の噴水広場は待ち合わせ場所で、何十年前も、数年後も、誰かが誰かを待っていた
- 〈ファミリーツリー 3〉
- 近藤はテレビばかり見ていて、テレビで宇宙飛行士を見て宇宙飛行士になることにして、月へ行った
- 初めて列車が走ったとき、祖母の祖父は羊を飼っていて、彼の妻は毛糸を紡いでいて、ある日からようやく話をするようになった
- 雑居ビルの一階には小さな店がいくつも入っていて、いちばん奥でカフェを始めた女は占い師に輝かしい未来を予言された
- 解体する建物の奥に何十年も手つかずのままの部屋があり、そこに残されていた誰かの原稿を売りに行ったが金にはならなかった。
目次はこんな感じで,短編集というか,面白い形式。元々は「はじめに聞いた話」というタイトルで『ちくま』に連載されていたものだという。
先ほども,私は基本的に日本の現代小説は読まないといったが,私が苦手なのは,そのままドラマ化,映画化できそうな脚本的小説である。第三者的視点で状況が説明され,その場にいる登場人物の会話でほとんどが構成されるような小説。おそらく,日本の現代小説がそういうものばかりではないのだが,なにせ読んでいないのだからよく分からない。まあ,いってしまえば読まず嫌いなんですね。
本書は短編集であり,1つの話が10ページ以内であり,短編につけられたタイトルがやたらと長い。構成からして典型的な日本の現代小説とは異なっている。これが,本書を読もうと思った最大の理由。もちろん,この33編の短編のなかには脚本的なものはある。しかし,いわゆるセリフが一つも出てこないものもある。面白いのは冒頭の話のように,登場人物を名前で呼ばないお話が多いということだ。とはいえ,冒頭の話の「一年一組一番」には青木洋子という名前が与えられているが,もっぱら作品中では「一組一番」なのだ。場所や時代についても特定を拒む設定が多い。最近,地理人を名乗る今和泉隆行なる人物の『「地図感覚」から都市を読み解く』なる本が話題だ。なんとなく,私は読めていないのだが,この本では空想上の都市を想定し,その地図を作成しているとのこと。もちろん,サザエさんやドラえもんのように,読者が再現できるような細かい舞台設定がなされているフィクションは多い。しかし,それなりの機能を備えた都市を,その機能を果たす施設同士の配置をつじつまが合うように行うという作業はなかなか難しい。『百年と一日』に登場する舞台もそんな感じ。しかも,もちろん日本語で書かれ,登場人物は日本語で話すのだが,舞台が日本とは限らない。そして,時代設定も同様なのだ。この作品には戦争が何度か登場する。日本の小説で戦争といえば太平洋戦争のことだが,この作品では違う。今日世界で起こっている内紛のようなものもイメージさせるし,また「この国では」「あの国では」という表現があり,登場人物が国境を超える設定もよく出てくる。ある意味グローバルな作品。とはいえ,実在する国名を想起するようなそれではなく,かといって実在性を捨象した抽象的なお話というわけではない。一つ一つの出来事はまさにその辺で起こっている,かといって実際に目で見たかというとそうではなく,ごく親しい人が目撃したものを伝聞している,そんな感覚なのだ。私たちの世代は経験していないような日本の昭和の懐かしい風景を思い浮かべるような設定も多いが,一方で民間人の宇宙旅行の話があったり,SFチックな設定もある。
ちょっと大げさないいかたをすれば,私は本書を読みながら,ボルヘスを想起した。ボルヘスの短編はそのずばぬけた想像力で世界史スケールの馴染みのなさの中で,抽象的な人間性へと考察が及ぶ作品なので,まあ本作と似ているというわけではないが,性質が違いながら似ているのか,似ていないけど性質が一緒なのか,まあそんな類似性を感じました。一方で,本作の目次を見ると,4編ずつ挟んで,〈娘の話〉と〈ファミリー・ツリー〉が1から3まで続いている。こういう構成はカルヴィーノ『マルコ・ポーロの見えない都市』を思い出す。柴崎さんが評論的な文章を書いているかどうかは知らないが,恐らく世界文学については相当知識があり,本作はそうした影響下にあるのではと思う。本作に散りばめられた短編はそのまま長編へと展開できるようなものも少なくなく,本作はこれから私たちが読むべく作品の素描,作家のネタ本的なものなのかもしれない。私は小説を書いたことはないが,小説と研究論文(ないしは研究書)とは似たところがあり,発想は瞬間的に思い浮かぶが,その骨格を肉付けしていく作業に時間がかかる。色々調べて事柄同士の結びつきに齟齬がないようにする必要がある。そういう意味でも,この作品はそうした発想が詰まっている。とはいえ,短編だからといってその調査=肉付けが簡単に済むというわけでもない。そういう意味でも,この作者の力量に感服する一冊である。
ところで,吉祥寺にある古書店「百年」がある。数年前に系列店「一日」を出店していたのを思い出した。まあ,この二つの言葉の組み合わせは決して突飛なものではないが,作者はこの古書店を知ったら驚くだろうか。


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