« 2020年9月 | トップページ | 2020年11月 »

2020年10月

久しぶり映画二本立て

2020年1017日(土)

新宿シネマカリテ 『エマ,愛の罠』
こちらも立川のキノシネマで予告編を観て衝動的に前売り券を買った作品。最近の映画館はネットで予約が主流になってきてしまい,特定の映画館でネット予約に使えないムビチケとか今回のような紙の前売り券は少し困る。安いから不便でいいというのも少しおかしい気もする。結婚・出産以前はかなり自由に映画を観られたので,とりあえず新宿や渋谷など都心の街に行って,事前に調べておいた観たい作品の前売り券をチケット屋で購入する。映画館に行って席が空いていれば観て,混んでいれば別の作品を選び,その前売り券は別の日に利用する,という感じだったが,今は特定の作品を特定の時間帯でしか観られないという感じなので,困ります。
それはともかく,この映画はなんとチリの映画らしい。久しぶりにスクリーンで観る,ガエル・ガルシア・ベルナル。改めてプロフィールを見ると,1978年のメキシコ生まれ。スペイン語を話すということで,スペイン映画にもよく出ていたと思う。英語圏にも進出し,ミシェル・ゴンドリーの『恋愛睡眠のすすめ』(2006年)ではフランス女優のシャルロット・ゲンズブールとも共演している。この頃はグローバル化していた映画業界だが,やはり最近は各国の保護主義的政策の影響があるのだろうか。とはいえ,この作品はチリ出身の女優に,メキシコ出身のガエル,ベネズエラ出身の俳優も出演している,というスペイン語圏ラテンアメリカ無国籍ムービーという感じ。予告編では無法者の女性主人公という感じで,ハチャメチャな雰囲気だったが,ラストは衝撃的だがほっこりする。「私の計画を知ったら世界中が驚く」なんてセリフがあったけど,確かに驚きました。しかもある意味でこじんまりとした計画の到達点に。こういう映画好きです。
http://synca.jp/ema/

 

新宿武蔵野館 『鵞鳥湖の夜』
先ほど書いたように,基本的に家事・育児の合間を縫って映画を観るしかないが,『エマ,愛の罠』については既に多くの劇場で夜の回しかやっておらず,昼間の回のある新宿で観させてもらった。ちょうどこの日は『鬼滅の刃』映画版を観に,妻と子ども二人が出かけるということで,1人で新宿に行った次第。シネマカリテで座席予約をして外に出ようとすると「NOW SHOWING」と書かれた一枚の映画ポスターにくぎ付けになる。『藍色夏恋』出演の台湾女優グイ・ルンメイの出演作だという。私の妻が台湾人だということもあり,グイ・ルンメイの作品は結婚後も過去作品の再映も含め(台湾映画特集上映などで)けっこう観てきた。しかも,『エマ,愛の罠』が終わった1時間後に始まり,観終わって帰宅しても遅い時間にならないということで,こんなラッキーはない,ということで,妻に連絡をして観ることにした。
本作の監督ディアオ・イーナンは前作『薄氷の殺人』にもグイ・ルンメイを起用していた。両作とも雨の降りしきる暗い雰囲気で,本作も「フィルム・ノワール」などと表現されていた。しかし,観始めると確かにヤクザの抗争を描いた血なまぐさい作品ではあるのだが,どこかコミカルな作風がなんとも面白い。鵞鳥湖というのは架空の地名のようだが,「中国北部の地方都市」とあるが,湖畔のリゾート地とされる一方でいろんな意味で無法地帯とされている地理的セッティングが面白い作品。グイ・ルンメイ演じる女性は「水浴嬢」と呼ばれる娼婦である。バイクを盗んで生計を立てるヤクザ集団という設定も併せて時代錯誤感があるが,中国の知らない世界はいくらでもありそうだと思ったり。ともかく,この日観た映画はいずれも外国映画だったが,それぞれに現代世界を映し出す特徴を持った良質な映画に出会えて満足でした。
http://wildgoose-movie.com/

| | コメント (0)

未完のオリンピック

石坂友司・井上洋一編(2020):『未完のオリンピック――変わるスポーツと変わらない日本社会』かもがわ出版,286p.2,000円.

 

東京オリンピックの本来の開催年に入って,7月に出版されたオリンピック論文集2冊目。先日紹介した『2020東京オリンピック・パラリンピックを社会学する』と同様に,新型コロナウイルス騒動の前に編集され,それについて大きく編集方針が変更されないまま出版された1冊。編者の石坂氏の単著も読んでいたが,最近論文集の寄稿論文を読むにつれて,今,日本でオリンピック研究をけん引する第一人者との印象を深めている。以下,目次を見ても分かるように,広く浅くではなく,しっかりと編集企画を立てた上で,3部構成,各部3章構成として,各テーマを深掘りする文章が収録されている。

序章 オリンピックに託された震災復興とは何か(石坂友司)
第1部 オリンピックを迎える日本社会
 1 復興オリンピック――なぜ,相反するものは一つになったのか(山下祐介)
 2 復興オリンピックの変容と政治の本性(内山田 康)
 3 オリンピックボランティア批判の様態と起動条件――「やりがい搾取」をめぐって(仁平典宏)
第2部 オリンピックがもたらす近代スポーツの変化
 1 エンハンスメントから見たスポーツ(美馬達哉)
 2 デジタル化する社会とオリンピック――ランニングと腕時計の大衆化に注目して(新倉貴仁)
 3 脳が科学するオリンピック
第3部 現代スポーツの行方
 1 スポーツイベントにおけるボランティアとは――全日本トライアスロン皆生大会を事例に(浜田雄介)
 2 競技スポーツ文化の行方を競技ルールから考える(西山哲郎)
 3 「単独性」のある〈つながり〉の創発へ――オリンピック・パラリンピックの式典に関する人類学的試論から(岩瀬裕子)
終章 オリンピック,スポーツそして未来(井上洋一)
あとがき(石坂友司・井上洋一)

2020年東京大会は安倍元首相の「アンダー・コントロール」発言をめぐって,復興五輪のスローガンとともに,この問題は既に多く論じられていると私は感じていた。しかし,本書では今一度この問題を徹底的に議論する。序章で編者が語り,第1部として3人の研究者がさらに検討している。復興五輪というスローガンは,よくいわれるように,2016年の招致に失敗し,2020年の招致活動を始めるが,招致に失敗した2016年大会の開催計画に中心となるスローガンがなかったこともあり,2011年の東日本大震災はオリンピック東京大会の新しいスローガン「復興五輪」になってしまった。ここまでは多くのものが知っていることだが,新聞記事における「復興五輪」の登場回数の年次推移をみると,2015年まではさほど多くないことが分かる。朝日新聞で10回強であり,月に1回しか話題とされていない。ようやく本腰を入れて準備が進んだ2016年になると増えてくるという始末。そういう序章での導入に続いて,本書前半では今一度「復興五輪」の意味を深掘りしている。
第1部1章の著者である山下氏は東日本大震災の震災研究をしてきた社会学者。復興政策の推移を,2020年東京大会の準備が進む経緯と並行してどう変化していったか,そもそも相いれないこの2つの大きな懸案事項を政府がどのように折り合いをつけようとしたのかを丁寧に論じている。結論としては,復興政策もオリンピック招致も政府・行政としては,はじめてしまったものはしょうがないから,深く考えることもなく状況に応じて方向転換し,なんとか無事終わらせることだけを考えているということだ。本書のタイトルはハーバーマスの『未完の近代』からきていると思われるが,この章で「未完のオリンピック」や「未完の復興」の言わんとすることが分かる。2章の著者である内山田氏は『原子力の人類学』という著書を持っている。こちらは新聞記事の詳細な分析を通じ,月単位,日単位で推移する福島原発対応とオリンピックに関する政府の発言の対応関係を辿っている。一つがIOC総会での安倍首相のアンダーコントロール発言から遡り,もう一つは開催延期をめぐる動き。
第1部の3章はボランティアの話で第1部の他の2章が復興をテーマにしていたので,少し異質だが,ボランティアはオリンピックのようなイベントよりもむしろ災害時の方が一般的なので,連続している。今回の東京五輪のボランティアについては既に「やりがい搾取」などの一般からの批判があるが,その動向を災害時ボランティアへの扱いと比較する。著者ははなから批判の立場に立つわけでなく,そもそも「やりがい搾取」などの批判がどのような論理でなされているのかを検討しており,私自身ちょっと反省するところがあった。また,ボランティアという言葉自体が根付いていなかった1964年大会についても考察している。著者は2011年に知識社会学からのボランティア論を著書で展開している。
第2部1章は,オリンピックでいえばドーピング問題という各論を,「エンハンスメント」という概念による総論とともに展開する。「エンハンスメント」は医学的な治療を意味する「トリートメント」との対比で用いられる。人間身体に施す処理が同じでも,それが患者か否かによって,社会的倫理も異なってくる。そして,両者の境界はきわめてあいまいであり,ドーピング問題を考えることは非常に複雑なことだと教えてくれる。第2部2章はスポーツにおけるテクノロジーという総論を念頭に,腕時計の技術開発をオリンピックという各論に限定せずに展開している。細川修平のウォークマンの記号論を思い出すような面白さがある。第2部3章はこれまで用語しか知らなかった「脳ドーピング」の詳しい解説。どうやら脳に電波を与えるという「脳ドーピング」は他の薬物とは異なり,人間身体に明確な痕跡を残さないということで,WADA(世界アンチドーピング機構)も禁止していないということで,今後拡がりを見せる可能性があり,早急な研究が必要とされているとのこと。
第3部1章は再びボランティアの話になる。ボランティア批判の論理を徹底的に論じた第1部3章とは一転し,ここでは鳥取県で1981年から続けられている「全日本トライアスロン皆生大会」について,大会を支えているボランティア・スタッフを中心に論じられる。これはスポーツ・イベントにおけるボランティアのありうべき姿である。しかし,毎年継続的に培ってきたこの大会の「レガシー」は不定期に訪れる災害や,オリンピックのような一度きりのものとは異なり,PTAなどのあり方に参考になるような話である。第3部2章はオリンピックに関しても多様な文章を書いている社会学者西山氏による論考である。彼には2006年に『近代スポーツ文化とは何か』という著作があることを知る。この章はスポーツ競技におけるルールというテーマを中心に置きながら,スポーツにおける性差や健常者/障がい者,体重別などの同一競技におけるクラス分けについて論じている。第3部3章の著者である岩瀬氏はなかなか面白い経歴の持ち主。今回の東京の招致活動のなかで,IOC総会の場に招致委員会スタッフとして,スペイン語担当として参加していたという。その経験のみが活かされているだけでなく,テレビ局での勤務経験,学歴としてはメディア研究を経由して人類学で博士号を取得している。章のタイトルからは,これまでの研究と同様に開会式や閉会式の分析かと思いきや,より広い観点で式典をとらえている。特に,開会式を競技場で観覧することとテレビで観ることという単純な図式だけではない「ウチ/ソト」の関係を検討し,多様性を批判的に論じている。
終章はオリンピックをめぐる法的な問題を整理していてとても勉強になる。こうした観点は私の非常に弱いところであり,オリンピック競技大会が政府による公式な行事ではなく,あくまでも非営利団体が主宰するイベントであるかぎりにおいて,それを実際に規定することができるのは最終的には法であるからだ。

| | コメント (0)

有島武郎

荒木優太(2020):『有島武郎――地人論の最果てへ』岩波書店,268p.880円.

 

著者の荒木優太氏は,『在野研究ビギナーズ』の編者である。有島武郎は私にとってなじみにある作家ではないが,『在野研究ビギナーズ』を興味を持って読んだことと,副題の「地人論」にちょっと驚いて手に取った次第。目次を見ると,第二章の第一節に「修士論文と二つの地人論」とあり,該当ページを書店でペラペラとめくってみる。すると,有島は札幌農学校の出身だという(そんなことすら知りませんでした)。そうすると,ある程度予想したように,ここでいう地人論は内村鑑三のことだと分かる。内村鑑三のことは一時期関連図書を少し読んだことがあり,『地人論』も読んでいた。改題された『地人論』の元のタイトルが「地理学考」であり,また地理学者にとって「地人論」という書名はフランスの地理学者エリゼ・ルクリュの翻訳書でもあることを知っているので,地理学者が興味を持ってしまうのだ。ということで,購入して読んでみた。

序 世界はやがて一つのミリウへ
第一章 二つの地/血から未開地へ
第二章 地球と人種
第三章 愛と伝統主義
第四章 海と資本主義
第五章 生きにくい女たちの群像
第六章 個性以前のもの
第七章 継承されてしまう財産
終章 土くれどもの空

結論からいうと,前半は単なる興味以上に,引き込まれて読んだ。この本は多くの地理学者にも読んでもらう価値がある,そう思い,地理学雑誌に書評を書くつもりで読み進めた。しかし,それは私の甘い妄想だったようだ。そもそもが有島武郎の存在を何も分かっていない。それどころか明治から大正に生きた作家のことを云々できる時代的・文学的知識もない。そう,後半は徐々に作者のペースに置いていかれてしまったのだ。
さて,それはともかく,本書は在野研究者荒木優太氏の独白でもある。私も在野研究者(私の場合,独立研究者という表記を好むが)だが,正当に大学院博士課程まで修了し,大学教員の職を求めて未だにあがいている。しかし,荒木氏はそもそも大学にすら行く気はなかったのだという。高校生の時の有島作品との衝撃的な出会いから,「有島武郎研究をする」という人生の目標を立て,その手段として大学に進学したのだという。1987年生まれだというから,現時点で通常の大学卒業の歳から10年程度しかたっていないことになる。にもかかわらず,少なくとも既に4冊の著書があり(本書含まず),1冊の編著がある。やはり研究に対するモチベーションが違うようだ。私はどうしても生計を立てるという限界を自分に課すことで,本来やるべきことを先延ばしにしてしまう。有島武郎については,本書を通してその一部を知ったわけだが,45歳で自殺して亡くなるまで身を削るように作品を残していったこの作家の生きざま自体に著者は自分の姿を重ねているのかもしれない。
まあ,それはともかく,私の関心のある個所だけでも本書の内容をまとめておこう。有島は新渡戸稲造の尽力のもと,札幌農学校に進学する。よって,当然農学は彼の考え方の基礎となる。農学が対象とする農業とは,大地で行うものであり,その他の自然条件の理解のもと,そのダイナミックな変化に適応しながら大地を改変するのだ。卒業論文は「鎌倉幕府初代の農政」というもので,農業だけでなく,政府や国家についても若い頃から思考していた。札幌農学校の多くの卒業生と同様,有島もアメリカに留学する。この頃に森本厚吉という人物との共著で『リビングストン伝』なる本を書く。リビングストンとはアフリカ探検で知られるあのリヴィングストンであり,探検家であり宣教師であるが,当時の英国の王立地理学協会からも支援を受けていたというから,ここにも有島と地理学の関係がある。留学先の大学に提出した修士論文は「日本文明の発展――神話時代から徳川幕府の滅亡まで」というらしい。そしてその文明論(文化論でないところがこの時代らしいが)は内村鑑三『地人論』を想起させるだけでなく,内村もその書で大きな影響を受けているアーノルド・ギヨーの『地球と人間』にまで遡って読むことで,その考察を深めているという。ギヨーにも内村にもその地理学理論はキリスト教的教理が基礎にあるわけだが,本書ではギヨーのそれがその師であるカール・リッターの神学的目的論にも見られるものだとしている。アメリカでは社会主義者との付き合いもあり,ヨーロッパ旅行ではなんとあのクロポトキンにも会っているという。クロポトキンとは『相互扶助論』で知られるアナーキストだが,地理学者でもある。この辺りの事実確認から,本書は実際の有島作品を地人論的観点(地理学的観点)から読んでいくのだ。人種の問題,日本の問題,そうしたものが論じられる中で,有島は「ミリウ」という概念を用いる。これはフランス語で「環境」を意味する語であり,現代の風土論などでも好んで使われる。本書冒頭には有島の評論的立場について書かれている。有島は自分の育ってきた環境,農学校や米国の大学で学んだ農学・地理学など,さまざまな影響下で,作品の鑑賞はその作品の本来ありうべき場所で行うのが最善だと考えていたという。その考え方は私も若干賛同するが,全面的には賛成できない。有島自身もそれを絶対的なものとして捉えるわけではなく,自分自身の作品生産においては環境決定論に埋没させるわけにはいかず,「個性」という目標,あるいは芸術性を主張する。私が分かったように書けるのはここまでです。
著者はあとがきで,「本書はテストをパスできるような知性で書かれていません。そして私はそのことを恥ずかしいと思っていない,というよりも,むしろ誇らしいとさえ感じている始末です。」(p.249)と書く。また,「踏みならされた王道の歩きやすさが入門の親切にふさわしいとは必ずしもいえないように思えた」(同)とも書きます。

| | コメント (0)

地図で読み解く東京五輪

竹内正浩(2014):『地図で読み解く東京五輪――1940年・1964年・2020年』KKベストセラーズ,191p.1,000円.

 

Amazonでオリンピック本を検索していたら見つかったのが本書。2014年の出版だから,これまで気づかなあったのはなぜか。ともかく,1964年オリンピックに関して,米国の占領下にあったワシントンハイツが返還されて選手村ができた。また丹下健三の設計で知られる代々木体育館の一帯もその返還地にあたり,そこにNHKが新しい放送局を建設して,って話がそれなりに知っている土地なのにイマイチ全体の関係が理解できずに,そういうところをきちんと地図を使って解説してくれないかなと思っていた次第(地理学者なんだからその位自分でやれよって感じですが)。小田急線の参宮橋駅前に今でも国立オリンピック記念青少年総合センターってのがありますが,実は以前宿泊したことがある。大学受験の時なので,1988年。ラジオ講座のスクーリングがここで開催されて,参加したのだ。当時,この場所は中国残留孤児が来日して肉親を捜している間宿泊する場所として知られていた。私たちが宿泊したその集合住宅(?)が今まだ存続しているかは分からないが,それはコンクリートの部屋にベッドが2つ置いてあるだけの監獄のような印象を与えるものだった。本書によれば,1964年東京大会の選手村は「ほとんどの建物が,そこにあったワシントンハイツ時代のアメリカ軍将兵宿舎の建物をそのまま転用したものだった。内訳は294棟543戸の木造住宅と鉄筋四階建てアパート14棟。男子村と女子村とに分けられ,女子の宿舎には鉄筋アパート4棟が使用された」(pp.107-108)とある。この鉄筋四階建てアパートなるものが私の宿泊したものらしい。そういうことで,参宮橋駅から原宿駅,渋谷駅を結ぶ一帯を今一度きちんと整理しておきたい,というのが本書を入手し,読もうと思った理由である。

序章 メインスタジアムの変遷
第一章 2020年オリンピックで何が変わるのか
第二章 1940年オリンピックと戦火
第三章 1964年オリンピックへの道
第四章 新幹線とオリンピック道路

結論からいうと,私の期待したような地図の使い方ではなかった。本書の著者は旅行雑誌の編集に携わっていたといい,『空から見る…』というシリーズものがあって,『地図で読み解く…』シリーズもあるのだが,地図と同程度に航空写真も活用している人物らしい。また,鉄道に関する著書もあり,本書の第四章で新幹線の話が必要以上に長いことも納得できる。本書でも空中写真が多く使われ,1940年と1964年を地図で比較することは少なくないものの,現在との対比という観点は薄い。
とはいえ,得るものがなかったわけではない。私はこれまでのオリンピック研究の文献調査で,返上・中止となった1940年東京大会から1964年東京大会までに関する文献はあまり読んでこなかった。本書は新書なので,一次資料に基づいた歴史研究ではないが,先行研究に基づいて話が構成されていて,きちんと文献表が掲載されている。そのなかで,高嶋 航という人の論文が2編利用されていて,その内容が興味深い。1964年大会の招致の段階で,アジア大会の実績が重要だったということは,その後のアジアにおけるオリンピック夏季大会である1988年ソウル大会,2008年北京大会でも同じだが,1940年大会でも同様のようなのだ。
この時代にまだアジア大会はなく,極東選手権競技大会というものがあった。主な参加国は日本と中華民国,米領フィリピンの参加国。その後,満州国が建国され,この競技大会に満州国が参加しようとする。もちろん,それを画策したのは日本で,中華民国がそれに反対する。満州国は1932年ロサンゼルス・オリンピックにも参加しようとしたとか。ともかく,日本の戦略戦争のおかげでこの国際スポーツ大会も紆余曲折があって,戦後のアジア大会に収束していく。1964年大会の聖火リレーについても,吉見俊哉『五輪と戦後』では得られなかった情報も記載されている。新幹線のついてはかなりのページを割いていて,出発駅の複数の選択肢についても解説されていて,そのうちの一つに新宿淀橋浄水場跡地があり,その移転に関わる水対策についても説明されている。そんな感じで,期待したものは得られなかったが,そこそこ収穫はあった。

| | コメント (0)

立川キノシネマは全席利用し始めました

2020年920日(日)

渋谷シネクイント 『人数の町』
立川のキノシネマで予告編を観て,その他にも魅力的な作品があったが,思わず前売り券を買ってしまった。しかし,当のキノシネマはムビチケが使えず,直接劇場に行かなくてはいけないという。座席数も少ないうえに一席ずつ空けているので,公開当初はとても直接劇場に行って席を取れるような状況ではなく,観るのを先延ばしにしていた。結局,渋谷まで行って鑑賞。
監督の荒木伸二とは,なんと東大の表象文化論出身だという。本作が長編初監督で,オリジナルストーリーとのこと。その設定が素晴らしい。このタイトル「人数の町」は後半のシーンでその町の女性スタッフがポツリと「黙って人数やっていればいいのに」と漏らす言葉にしか出てこないが,それが衝撃的なのだ。そう,この映画には何度も統計データが示される。一番典型的なのは,闇業者がある町の投票整理券をポストから盗んできて,高額で取引している。購入するのはこの「人数の町」。この町は借金に追われて逃げ場のない人,犯罪者,家庭内暴力の被害者。ともかく,何かから逃げていてこの社会に居場所がない人を連れてきて,衣食住不自由のない生活をさせるのだ。ただ,本人たちがそれとは分からない活動をさせ,その重要なのが先ほど入手した投票整理券を持って投票所へ行き,特定の候補者に投票するということ。すなわち,この町の住人は,数を売っているのだ。一つ一つは覚えていないが,望まれずして生まれる子どもの数とか,そういった社会問題を解決する方法をこの町はいくつも見出している。ある意味でのユートピアだといえる。
この監督,次回作も期待したい。また,柳英理沙ちゃんが出ていたのも嬉しい。
https://www.ninzunomachi.jp/

 

2020年103日(土)

立川キノシネマ 『ミッドナイトスワン』
草彅剛主演で話題だった作品を観た。特に解説は要らないと思うが,本当に草彅氏の演技に感嘆する作品。華やかなバレーのシーンを唯一の救いとして,ダークサイド一辺倒の作品だが,そのなかで田口トモロヲの存在は安らぎである。ヒロインの服部樹咲のバレーが素晴らしくて,どういうことかと思ったが,俳優は今回初めてで,世界でも通用するバレリーナとのこと。詰め込みすぎ感はあるが,さまざまな問題を示唆していて,そこにグローバルスケールまで達する地理的な要素を含んでいる作品。
https://midnightswan-movie.com/

 

2020年1010日(土)

調布シアタス 『2分の1の魔法』
雨で息子の野球が中止になり,以前から子ども2人が観たいといっていた映画を観ようと思い,席の予約をした。翌朝,子どもたちは小学校や保育園から体温の記録を求められていて,いつも通り娘が検温すると,「37.6℃」という。10:50からの回だったので,少し下がることを期待しながら自宅で過ごしていたが,下がる気配はなく,38℃超えに。市でやっている無料のがん検診から妻が帰宅できそうだというので,娘は置いて,息子と二人で観に行くことにした。
実は私はあまり乗り気でなかった作品。そもそもディズニーが嫌いなので,この手の映画は妻に一緒に行ってもらっている。予告編を観てもあまり観たいと思わせるものはなかったが,実際に観始めると,冒頭簿設定がかなり丁寧で,かつて人々が魔法を日常生活で使っていた社会に,さまざまな発明品が登場し,わざわざ魔法を習得するよりもその発明品に頼っていって,皆が魔法を忘れてしまったという展開。学校になじめない弟と,この町の史実に基づくというカードゲームに夢中になりすぎてつまはじきの兄という対比も面白く,魔法の能力をわずかに持っていた弟とカードゲームで得た知識でその弟の能力を兄が引き出すという展開がいい。
https://www.disney.co.jp/movie/onehalf-magic.html

| | コメント (0)

2020東京オリンピック・パラリンピックを社会学する

日本スポーツ社会学会編集企画委員会編(2020):『2020東京オリンピック・パラリンピックを社会学する――日本のスポーツ文化は変わるのか』創文企画,265p.2,400円.

 

ここでは何度か宣伝したが,今年「日本におけるオリンピック研究」(『コミュニケーション科学』51号)という大それたレビュー論文を書いた。大抵はネットで無料で入手できるので雑誌論文を優先させていたので,いくつかそこで取り上げていなかった論文集があった。それらは未だに入手していないのだが,さすがに今年出版されたものは無視できず,購入し読むこととなった。
上記論文でもかなりの掲載論文を紹介した『スポーツ社会学研究』の発行元である日本スポーツ社会学会が発行した論文集が本書。しかも,私の論文では学会側の功績としてこの学会を挙げ,それと対比できるような存在として,商業誌の『現代スポーツ評論』を位置づけていた。しかも,前者は社会学系,後者は体育系(筑波大学を中心とする)という図式が私のなかでできていた。しかし,本書はなんと,その『現代スポーツ評論』の発行元である創文企画から出版された。両者はやはりそれなりの結びつきを持っていたようです。
目次は以下の通りです。私の論文でも取り上げた研究者(石坂,浜田,小林,西山,金子,小澤)が名前を連ねるが,それでも残り半分は今回初めて読む人たちです。意外にも研究者層の厚さに驚きます。

序章 日本人にとってオリンピックとは:その物語を読み解く(杉本厚夫)
第1部 オリンピック・パラリンピックが変える社会
 第1章 オリンピック・レガシー研究の隘路と可能性:ポスト・オリンピック研究に向けて(石坂友司)
 第2章 メディア・イベントとしてのオリンピック・パラリンピックの歩みとこれから(浜田幸絵)
 第3章 日本のユーススポーツ:これからの運動部活動をどう構想するか(中澤篤史)
 第4章 スポーツによる国際貢献への熱狂が造り出すもの(小林 勉)
第2部 オリンピック・パラリンピックが変える日本のスポーツ参加
 第5章 日本におけるスポーツ参加の現状と課題(西山哲郎)
 第6章 東京2020オリンピック開催に向けたスポーツ政策における女性アスリートの身体:「女性特有の課題」としての生殖機能の保護と管理(高峰 修)
 第7章 障がい者スポーツにもたらされるべき変化とは(渡 正)
 第8章 オリンピックとボランティア政策(金子史弥)
第3部 オリンピック・パラリンピックが変える地域
 第9章 地域スポーツの行方:地域のスポーツプロモーションはどのような人々が担うのか(水上博司)
 第10章 東京2020オリパラ大会で東京はどう変わるか:東京五輪の開催と都市TOKYOの変容(小澤考人)
 第11章 学校体育のこれからと地域(原 祐一)
 第12章 被災地から見た「復興五輪」:地方紙の記事分析から(笹生心太)
おわりに(大沼義彦)

序章を執筆するのが,本書の編者である編集企画委員会の委員長となっている。杉本氏の専門はスポーツと教育に軸足を置く社会学のようだ。序章らしく,オリンピックの社会学的なテーマを列記して,詳細は各章にゆだねている。そして第1章は,現在の日本のオリンピック研究をけん引しているといえる石坂友司氏が執筆している。第8章の著者である金子氏をはじめとして,日本でもオリンピックのレガシーに関しては複数の研究者が論じるようになっているが,その上で石坂氏が論じることの意義は大きい。彼の他の編著も読まなくてはと痛感する。
第2章の浜田氏はすでにオリンピックに関して2冊の単著を有するメディア研究者であり,本章は前半がその概要,後半はインターネットという近年のメディアの動向,そしておそらくこれまで著者があまり本格的に論じていなかったパラリンピックについても論じ,今後の彼女のオリンピック研究の方向性を示唆している。
第3章は直接オリンピックに関わっていない,日本の運動部活動についての論考である。本書の特徴は,直接オリンピック・パラリンピックに関わらないが,オリンピック・パラリンピックをより広い視野で理解するための補助線を用意しているところにその重要さがある。中学校・高校における部活動の問題は近年時折報道を賑わせている。顧問教員の労働時間問題やいじめや指導者による暴力,パワハラ・セクハラの問題である。それをしっかりとデータに基づいて,また報道では見えてこない生徒の目線にまで目配りした重要な論考。なお,当然ではありますが,この章の著者にはこのテーマに関する研究蓄積がかなりあります。
第4章の著者は私のレビュー論文でも取り上げたが,途上国におけるスポーツの問題,またホストタウンを扱った共著論文に名を連ねている。いずれも,オリンピックを国際関係に関する事象と捉える視点を有しており,本章も同様の視点で,日本政府がオリンピックに関連させて進めているスポーツによる国際支援のあり方を海外の研究動向を踏まえて厳しく考察している。
第5章の著者は,浜田氏とはちょっと違った観点からメディアに関するオリンピック研究がある。歴史的視点ではなく,将来をにらんだ現代最先端の視点だといえる。ただ,この章ではそうしたテーマではなく,「スポーツ参加」というテーマでジェンダー,障がい者,ボランティアについて,広く論じている。
第6章はジェンダーがテーマだが,これまであったようなオリンピックの歴史における女性の立場という議論ではなく,これもオリンピックに関連した日本政府のスポーツ政策における女性の身体の問題が詳細に検討されている。
第7章は障がい者スポーツに関する論考だが,こちらもパラリンピックに限定されない幅広い視野で議論がなされている。パラリンピックは障がい者スポーツを社会に広く知らしめる貴重な機会ではあるが,それ以外の機会が少ないため,障がい者スポーツがその一部の競技だけの国際大会であるパラリンピックによって矮小化されるという。後半ではオリンピックの様々なデータを示しながら,そのジェンダー格差や国際格差を論じている。
第8章は,これまで2012年ロンドン大会を中心にレガシー概念などを論じてきた金子氏が,ボランティア政策について論じている。もちろん,ボランティアも無形のレガシーであり,オリンピックを契機に市民の間でボランティア意識が高まり,災害時などにもそれが発揮されることは日本社会にとって望ましい。
第9章はまた,オリンピックとは直接関係ないテーマの論考である。オリンピックのようなスポーツ・イベントは地域社会に,スポーツを見る人,する人,支える人を育成するきっかけになると考えられている。2012年ロンドン大会ではその方面での無形のレガシーはそれほど残されなかったという論考もある。この章では,それを担うアクターに注目している。その無形のレガシーを社会関係資本の概念でとらえ,それを担うアクターとしてここでは総合型スポーツクラブのクラブマネージャーの調査をしている。クラブマネージャーとは公益財団法人日本スポーツ協会(JSPO)が公式に認定する資格となっている。かれらが何をするのか,どのようにスポーツをプロモーションしていくのかが論じられる。
第10章は小澤氏がオリンピックによる都市開発について論じたものだ。今更な感じのテーマであり,後半では日本橋上の高速道路の地下化や品川や渋谷の再開発事業,観光政策などあまり目新しい議論ではない。
第11章は運動部活動ではない,通常の学校教育でのオリンピック教育の意義を議論し,また第4章のテーマとも共通する,日本の学校体育を途上国に輸出しようという政策を批判的に紹介している。
第12章は復興とオリンピックというテーマだが,実はのちほど紹介する予定の『未完のオリンピック』という論文集の方が復興に関するテーマを中心に据えている。本章の著者はそちらには寄稿していないが,地方紙を分析対象とすることで復興側の視点を明らかにしようとしている。また,一時期宮城県の登米市がカヌー・ボートの会場として議論されていたが,その顛末についても論じられている。
本書はしっかりと準備されたものだと思われ,出版年月日は2020年4月20日だが,新型コロナウイルスに関する記述は全くない。これはオリンピック大会の開催をも左右する大きな出来事だが,それによって本書の編集方針を多少なりとも変更しようとしていない潔さが素晴らしい。

| | コメント (0)

ホストタウン関連文献02

関根正敏・小林 勉・布目靖則・野口京子・岸 卓巨・小山さなえ・今村貴幸(2016)「「日本全体」の祭典としての東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会――ホストタウン構想を通じた地方都市の活性化策のアウトラインについて」中央大学保健体育研究所紀要 34: 31-55
この論文の冒頭では、都市開催を基本とするオリンピック・パラリンピック競技大会だが、実際に招致都市として決定した後の、大会組織委員会の言説では、「オールジャパン」などと全国民を巻き込んだイベントとして成功させるような意図が読み取れる。それはもちろん、非営利団体のはずの日本オリンピック委員会および大会組織委員会が開催主体でありながら、そこに東京都という地方自治体のみならず、日本政府までもが介入する事実があるわけだが、具体的にも「地方へのベネフィットの供与」(p.33)というベクトルがあるという。その具体的なところを2015年に組織委員会が策定した「東京2020大会開催基本計画」のなかに探る。それによれば、このイベントをスポーツだけでなく、教育や文化など「分野的な広がり」をもたせ、一過性の効果だけでなく「時間的な広がり」、そして東京だけでなく「地域的な広がり」を期待した「オールジャパン体制」を目指しているという。
続いて、東京都が2014年に策定した「東京と長期ビジョン」における東京2020の位置づけが検討されている。そこでも「「東京に」「日本へ」「そして世界に向けて」と表現された「3 つの視点」」(p.40)が謳われているという。最後に日本政府の閣議決定が検討されるが、ここでも「日本全体の祭典」が強調されるという。いずれも理念的なものであることは否めないが、「被災地の復興・地域活性化」が示され、その具体例として「ホストタウン構想」が登場するという。ちなみに、当初は「ホストシティ・タウン構想」だったらしいが、「ホストシティ=東京」を想起する場合が多いことから、「シティ」を除いたという。この構想は内閣主導で、総理大臣の諮問機関である「経済財政諮問会議」による議論を通じて打ち出された。この構想はビジット・ジャパン戦略への接続を期待されていた。ホストタウン構想の当初の資料を検討し、「そうした交流事業等を実施するための経費については,対象経費の一般財源合計額の半額に対し,特別交付税措置を図ることで政府がホストタウンをフォローするとされた.また,東京2020の事前合宿に活用する既存のスポーツ施設を各競技の国際競技連盟基準に適合させるために必要不可欠な改修事業については,ホストタウンによる地方債(充当率90%,交付税措置率30%)の発行が認められた.」(pp.49-50)と記されている。この論文はホストタウンを副題にしていることからも、既存の資料を丁寧に見ることで、ホストタウンを2020年東京大会におけるナショナルレベルの方策のなかで位置付けることができていると思う。この論文では、ホストタウン構想を「これまでの日本のスポーツ政策史になかった局面である.」(p.52)と評価している。政府は金を出すだけで、そこで何をするかは地域にゆだねられているという点で、地方主導的な事業の可能性を有する一方で、「単なるつじつま合わせの事業を実施していく主体も顕在化してくる」(p.52)という問題点も指摘している。

 

一般財団法人自治体国際化協会(CLAIR/クレア)が発行する機関誌『自治体国際化フォーラム』は201410月(300号)に「スポーツを活用した地域活性化の取り組み」という特集を組んだ。

太田正治「スポーツイベントを活用した地域活性化の取り組み」(pp.3-4)の著者は日本イベント産業振興協会の専務理事だという。スポーツによる地域への波及効果を上げるためにスポーツコミッションの設置を提言している。一般財団法人日本スポーツコミッションなる団体があるようだが、それによれば、スポーツコミッションの役割は①スポーツイベント誘致のプロモート、②スポーツイベント受け入れのコーディネート、③スポーツイベントの観光資源化のサポート、であるそうだ。自らの団体では「スポーツイベント検定」なるものも実施しているという。

森 知洋「2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会の招致成功と開催に向けた今後の取り組み」(pp.5-7)の著者は東京都オリンピック・パラリンピック準備局の職員である。2020年大会に関して、20122月にIOCに申請ファイルの提出してからの経緯が記されている。

湊 慎一郎「2012年ロンドンオリンピック・パラリンピック競技大会における事前合宿誘致の取り組み」(pp.7-9)の著者は石川県から自治体国際化協会ロンドン事務所に派遣された人物。2012年ロンドン大会では英国全土266か所で事前合宿の受け入れが行われたとのこと。ロンドンオリンピック・パラリンピック組織委員会は2008年に事前合宿候補地リスト(600施設)を作成して各国のオリンピック委員会に配布したとのこと。組織委員会は参加国のオリンピック委員会に約400蔓延を支給したという。著者は当事者に話を聞いている。ロンドンでは、事前合宿に関して自治体間の競争が過熱したという。

さいたまスポーツコミッション「さいたまスポーツコミッション(SSC)の取り組み」(pp.9-12)は先述したスポーツコミッションの実践を行う団体による報告。フィルムコミッションのスポーツ版と自称する。埼玉県ではなく、さいたま市の市長が会長を務める。事務局は観光国際協会にある。サッカーが盛んな地域ということを活かし、スポーツ大会・イベントの誘致・支援に特化し、「聖地(メッカ)」づくりも推進する。現在では年間20大会以上の誘致を目安としている。

田中義明「山があるから人が来る~地勢を生かしスポーツ愛好家を誘客~」(pp.12-14)の著者は奈良県から自治体国際化協会パリ事務所に派遣された人物。ツール・ド・フランスの山岳コースに位置するスイスのユエズ村への取材に基づく記事。

愛媛県経済労働部管理局観光物産課瀬戸内しま博覧会グループ「瀬戸内しまなみ海道・国際サイクリング大会「サイクリングしまなみ」の開催」(pp.14-16)は、タイトル通り。国内外から8千人のサイクリストを迎えて開催される大会。2013年のプレ大会があり、20141026日の本大会開催前の記事。

自治体国際化協会ニューヨーク事務所「プロスポーツチームを誘致して再開発を促進」(pp.17-18)まず、ニューヨークでは大きな再開発は必ず市民から大きな反対意見があがるという。この報告では、ロングアイランドの鉄道車両基地の再開発に際し、プロバスケットボールチームのニュージャージーネッツを誘致し、スポーツアリーナ「バークレイズセンター」を中心にしたという。

迫田明巳「「One Community」のラグビーチーム」(pp.19-20)の著者は北海道鹿追町から自治体国際化協会シドニー事務所に派遣された人物。シドニーでは、プロスポーツチームが身近な存在で、チームも地方自治体(カウンシル)に共同意識を持っているという。プロラグビーチームを使った地域活動がいくつか紹介されている。

 

阿部征大・清宮孝文・松澤隼斗・日比野幹生(2019)「2020年東京大会における関心と期待――行政の取り組みやホストタウンの視点から」『オリンピックスポーツ文化研究』4: 1-18
この雑誌は日本体育大学の紀要的な扱いであり、著者らは基本的に同大学の教員・学生であり、またオリンピック推進派であるといえる。前半では開催側の主張を並べ、オリンピック・パラリンピック競技大会の開催が日本社会に多大な効果をもたらすことを主張している。この論文では同大学が所在する東京都世田谷区で、米国とのホストタウン登録という名目をつけて、スポーツ施設の利用者にアンケート調査を行ったものである。そのスポーツ施設は米国のキャンプ施設であると説明されているが、具体的な施設については書かれていない。20189月の8日間で実施されたアンケートは、質問配布数は891で、630の回答が得られたという。米国ホストタウンについての認知度は6割強が知っていると回答している。このアンケートは内閣府が2015年に行ったものを基礎としており、その結果を比較している。回答者がスポーツ施設利用者であり、より積極的な回答が多いという。ボランティアに関する設問もあり、ホストタウン関連の考察よりも重視されているように思う。

 

北島信哉(2020)「2020年東京オリンピック・パラリンピックに向けたホストタウン事業に対する問題解決学習(PBL)の実践報告」『大学体育研究』42: 15-21
著者は長野オリンピック時のボランティアと大学の関係についての論文を有するが、大学教育が専門なのかもしれない。著者が所属する徳山大学では、著者のゼミ(地域ゼミ)が山口県防府市のセルビア・バレーボールチームのホストタウン事業と連携した活動を行っているという。防府市では日本で開催されたバレーボールの国際大会で事前キャンプが行われているとのこと。すでに、パブリックビューイングが行われ、来場者へのアンケートをゼミ生が行ったとのこと。この活動は大学での教育の一環であり、問題解決学習というテーマを持っているため、活動の報告として、市のホストタウン推進室へのプレゼンを行ったという。その他、この活動はインターンシップも兼ねているようで、西京銀行やミズノ株式会社でも活動を行っている。さらには、山口県下松市のベトナム・バトミントンチームのホストタウン事業にもインターンシップ参加をしているという。

 

Komine, T.(2018)「Musashino City, Tokyo, Romanian Host Town Project: Current Efforts and Future Prospects」『山梨英知大学紀要』17: 74-84
この論文は2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会のホストタウンとして登録している東京都武蔵野市で、ルーマニアのホストタウン事業を調査・報告するものである。著者は武蔵野市の使節団とともに20189月にルーマニアのブラソフを訪れている。著者は武蔵野国際協会に属していて、出発前にルーマニアの言語と文化に関する2回の講義を行っている。使節団は、1.現地コンサートで歌うコーラス隊、2.茶道と華道を行うグループ、3.折り紙を教えるワークショップ、4.着物の着付けを行う人、5.プロモーション部隊の5つから成る。現地では、ルーマニアのパラリンピック選手に日本への渡航費を渡すことも行われた。ブラソフには1999年に設立した日本武蔵野センターがあり、そこでは多くの学生が日本語と日本文化を学んでいる。武蔵野市とルーマニアとの関係は1989年にさかのぼる。かつて武蔵野市に住んでいたソガダイスケ氏はブラソフのオーケストラの指揮者として働いていた。1989年のルーマニア革命時にオーケストラの60人の全メンバーが演奏しに日本に来た。立川市、府中市、昭島市にわたる支援団体ができた。それ以降音楽を通じた交流が続く。2005年から2006年にかけて市と市民とがルーマニアとの文化交流について議論をしている。その後も草の根レベルの文化交流が続いている。
武蔵野市は、韓国ソウルの江東区、韓国の忠州市、米国テキサス州のラボック、中国の北京、ロシアのハバロフスク、そしてルーマニアのブラソフと6つの友好都市交流を持っている。そのなかで、2020年東京大会のホストタウンに関しては、20161月にルーマニアで登録した。武蔵野市のホストタウン事業はスポーツ、文化、経済、教育と多岐にわたる。ルーマニアとのホストタウンに登録しているのは武蔵野市の他、大分県大分市、千葉県松戸市という2つの自治体がある。これらは2016年リオデジャネイロ大会以降にルーマニア競技連盟との関係を気付いたが、武蔵野市は継続して文化・教育の結びつきがあることを強調している。20191月にはルーマニアのパラリンピック選手を武蔵野市に招いたイベントが開催されたという。武蔵野市は毎年市民意識調査を行っている。2017年の調査では10,032の回答があり、この論文では、市民活動に関する設問に注視している。自治体の政策のうち優先的なものを回答する設問があるが、災害に強いまちづくりが38%あり、高齢者福祉24%などで、東京オリパラ事業は5.3%、ホストタウン事業は2.3%の回答だったという。今まで通り、ホストタウン事業についても草の根レベルでより広い認知を図っていきたいとする。武蔵野市とルーマニアとの関係は2020年がゴールではなく、市民と行政、NPO、民間企業や学校が引き続き多文化社会の創造を目指して活動していく必要がある。

| | コメント (0)

« 2020年9月 | トップページ | 2020年11月 »