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2021年1月

2020年の「文化地理」関連文献10

地理専門書を出版する古今書院の月刊誌『地理』では,「文化地理」をテーマにした特集を2020年にいくつか組んでいる。それを紹介しておこう。

まずは8月号の特集「ランニングを愉しむ」というもので,すでに2014年の『経済地理学年報』特集号でランニングに関する論文を掲載している福田珠己さんが,関戸明子さんとともに巻頭言を書き,それを含めて8編の文章が掲載されている。

関戸明子・福田珠己 (2020). 「ランニングを愉しむ」特集にあたって. 地理, 65 (8), 18-19.
「本特集の執筆者はみな,ランナー/ランニング実践者である。」(p.19)とあり,「ランニングにはさまざまな愉しみがある」といたって楽観的な論調である。前半ではコロナ禍でマラソン大会がエリート部門の実施に縮小されたことを残念がり,オンライン開催となった事例を紹介している。

山西哲郎 (2020). 走る楽しさを求めて:ランニング文化の歴史から学ぶ―人々は「なぜ走り,いかに走ったか」―, 地理 65 (8), 20-27.
こんな人いたんですね。まあ,ランニングやマラソンに関する著書があり,群馬大学では箱根駅伝の監督もしていたようですから,知っている人にとっては有名なのかもしれませんが。関戸さんつながりで寄稿がかなったのでしょうか。まあ,この文章はダイジェスト版ですが,著書を読みたくなるような内容です。内容はタイトル通りですが。

関戸明子 (2020). マラソン・ブームの行方―「全日本マラソンランキング」を読む―, 地理, 65 (8), 28-33.
ここでは,雑誌『ランナーズ』が公開している「全日本マラソンランキング」のデータベースを用いて,2004年度以降に記録されたマラソン完走者のデータを分析している。このデータは1歳毎に,延べ人数と同一人物を同定した数とで記載されているとのこと。雑誌『地理』の限られた紙面でこういうデータ分析には無理があるとも思ったが,単純集計の報告に徹していて,それはそれで面白い。

松岡憲知 (2020). マラソンコースを地形学で読み解く. 地理, 65 (8), 34-42.
山岳研究を専門とする地形学者でランナーということで,一般的なマラソン大会ではなくアップダウンの激しい,公道ではなく登山道をいくようなトレイルランニングが紹介される。著者の研究は日本アルプスだけでなく,欧州アルプス,南極,北極,チベットにまで及ぶそうで,この文章でもスイスの大会も紹介されている。カラーの口絵写真や3Dマップも駆使してコースの地形紹介をしている。

松本 大 (2020). スカイランニング―空と地球が出会う場所へ駆け登る―. 地理, 65 (8), 43-50.
著者は日本スカイランニング協会代表理事という肩書を持つが,群馬大学で地理学を学んだということで,こちらも関戸さん経由で寄稿がかなったのだろう。スカイランニングとは私もはじめて聞いた言葉だが,簡単にいうと登山を徒歩ではなくランニングで行うもの,ということのようだ。当然大会は個人ではなく大勢で同時に走るということになる。最近では都市の高層建築物の階段もコースになるという。著者が協会の理事だということで,後半は日本での大会開催の難しさが指摘されている。

関戸明子 (2020). 明治期の旅をランニング・スタイルで体験する. 地理, 65 (8), 51-56.
冒頭に著者のランニング歴が書かれている。フルマラソンを始めて10年,シーズンには月1回フルマラソンを走り,オフシーズンにはトレイルランニング,スカイランニング,ウルトラマラソンの大会に出場しているという。失礼だが,確か年齢は私よりも10歳弱上で,60歳近かったはずだ。著者の専門は近代期の歴史地理学であり,タイトル通り歴史的人物の記録を基に,その人物が辿った経路をランニングで辿るという試み。

秋房麻理・福田珠己 (2020). マラニックをつくる―明智光秀の足跡をたどって―. 地理, 65 (8), 57-64.
今度はマラニックという概念が登場。広義のランニングに含まれるものとしてマラソン以外にさまざまな概念が今回の特集に登場したが,最後はマラソン×ピクニック=マラニックだとのこと。まあ,地理でいうところの巡検を,徒歩ではなくランニングで移動するというところといえようか。確かに,徒歩だと時間がかかって1日では終わらない行程でも,ランニングにすれば回れるというのはいいかもしれない。第一著者は立命館大学の地理学出身で個人的にマラニックの企画・運営をしていて,それに福田さんが参加した形。NHKの大河ドラマ『麒麟がくる』にちなんだいくつかの企画を立てたということで,その企画段階から実施までの報告。

福田珠己 (2020). 「走る」ことの地理学研究―身体,空間,社会―. 地理, 65 (8), 65-70.
特集の最後にふさわしい,簡潔でまとまったレビュー論文。福田氏は2014年にも『経済地理学年報』にランニングに関する論文を掲載しているが,スポーツ地理学を提唱するジョン・ベールだけでなく,ここでは重要な英語圏の地理学研究を手際よく紹介している。

さすが,関戸さんと福田さんという優れた研究者による特集ということもあり,非常に読み応えのあるものだった。これを全て個別に「学界展望」に紹介するわけにはいかないが,これからこのテーマの地理学研究に臨む研究者にとっては必読の特集となるだろう。ただ,普段は知ることをしない私のような読者からすると,学術研究としてやっていく際にはもう少し負の側面にも踏み込む必要があるように思う。

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【読書日記】金田章裕『和食の地理学』

金田章裕(2020):『和食の地理学――あの美味を生むのはどんな土地なのか』平凡社,222p.860円.

 

著者は日本の地理学会の重鎮の一人だといえる。1946年生まれで,京都大学名誉教授である。にもかかわらず,私は著者の文献をほとんど読んでこなかった。まあ,専門は歴史地理学だから言い訳にはなるかと思うが,私も景観に関する文章を書いているので,あえて避けてきたともいえる。同年代で少しつながりのある上杉和央氏と深いつながりがあるという点では,上杉氏から送られてきた『地図出版の四百年』は2人の共著であるから全く読んだことがないわけでもない。著者の最近の著書としては岩波新書の『景観から読む日本の歴史』(これも2020年刊)であり,立て続けに本書が出たのを知った時,その書名に疑問がわいた。食に関する地理学研究というのは日本でもそこそこ行われていて,「和食の地理学」というテーマの具体的な研究はある程度想像がつく。本書は平凡社新書の一冊なので,近所の書店で手に取って目次を眺めた。やはり私が想像する学術研究とは違ったもので,あくまでも社会一般に地理学を分かりやすく伝えるために,一般読者が興味を持ちやすい「和食」を題材にしたものだとは理解できた。読み終えた今だと目次の構成もよく理解できるが,目次だけ読んだ時点ではよく分からない。とりあえず,学界展望で無視するわけにもいかないので,読むことにした。

はじめに
1.
稲作と農村――奈良盆地・砺波平野と岐阜の棚田,そして酒蔵
2.
寿司飯と調味料――和食のさまざまな味と産地
3.
茶とダシの文化的景観――宇治・焼津,そして北前船
4.
漬物と多様な発酵食品――京都・滋賀と奈良・三重・北陸
5.
干し柿と干物――日本各地の名産品
6.
果物と堅果――日本各地,それぞれの文化的景観
7.
いろいろな畑と養殖――京都・淡路,群馬・滋賀,熊本・金沢,瀬戸内海・有明海
8.
ブドウ園とワイナリーの文化的景観――山梨の日本ワイン,オーストラリア・イタリアの新旧ワイン産地
9.
文化的景観が意味するもの――生活となりわいの物語
おわりに

Amazonに一つレビューが掲載されているが,非常に辛口で「タイトルがミスマッチ」を含めて納得してしまう。本文では「地理学」の語は考察や結論を示す語としては出てこない。もっぱら「景観」を使っている。「風景」も出てこない。目次に書いたように,景観概念の解説は最終章に回されてしまうのだが,冒頭にも登場する。本書では「文化景観」と「文化的景観」を区別して論じているのだが,15ページでは「文化的景観とは,「文化景観のうち,人々の生活や生業と深く結びつき,それらの歴史や伝統の理解に欠くことができないもの」である」とある。9章では,文化景観の概念が日本の景観法に,文化的景観が文化財保護法に関わるもので,2004年に景観法が公布されるのと前後して,文化財保護法が改正され,ユネスコ世界遺産の文化的遺産が組み込まされたという。著者の景観概念をきちんと検討するには2012年の著書『文化的景観』を読まなければならないが,法律と同じ次元で学術的な概念を議論しようとする立場はやはり私とは大きく異なるといわざるを得ない。
それはともかく,本書は半世紀以上学術的な人生を歩んできた著者による,和食についての知識の整理である。そして副題や帯にある「土地は食,食は人である」というコピーに示されているように,目次に登場するような食材,加工食などについて,常にその生産地に関して,その植物が生育され,魚介類が養殖されている,自然を人間が飼い慣らしている文化景観が,そして農家の家屋,加工工場などの施設などが織りなす文化的景観が語られる。本書はまた研究者人生を送ってきた著者の自伝的な側面も多く含んでいる。生まれ育った富山県砺波平野を基礎とし,現在暮らす京都,オーストラリアでの在外研究(恐縮といいながら,和食をテーマにする本書でオーストラリアの思い出やワインについてそれなりのページが割かれている)など,滞在したり調査で訪れた土地が多く登場する。
ともかく本書は和食を総括的に論じるものではなく,各章5つ程度の参考文献にもよりながら,和食の一般的な理解の範疇で,自らの経験を反映した土地や景観と関連した知識が整理された本である。一部,海苔の養殖の話で諫早湾の干拓の問題が指摘されているが,日本で全国的に陥っている農業の人手不足やそれを保管する外国人実習生など,私もいい加減な知識しか持ち合わせていないので偉そうなことはいえないが,社会問題的な話題は登場しない。負の側面ではなく,和食がユネスコの世界無形文化遺産に登録されたことを全面的に悦び,より喜びを分かち合おうとする読者にその理解を深めてもらおうという目的に資する本だといえよう。

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2020年の「文化地理」関連文献09

2020年に発行された『お茶の水地理』第59号には文化地理に関わる論文が多く掲載された。読んだ順に紹介しておく。

辻横真琴 (2020). 地理的側面から見る市民マラソン大会―全国データベースの分析およびランナー調査をもとに―. お茶の水地理, 59, 31-40.
明記はされていないが、著者は㈱ゼンリンの所属となっており、この論文は卒業論文だと思われる。日本全国で開催されている市民マラソン大会を独自の基準でデータベース化し、20191月から12月の亜大に開催された802件の分析をしている。また、8月から11月に開催された7大会については、自ら会場に足を運び、出場ランナーにアンケート調査を行っている。回収数は330というなかなか意欲的な研究である。日本全国のデータベース分析に関して特徴的なのは、コース図を分析して、地形や土地利用に関する分類と、折り返し・周回・ワンウェイというコース形態の分類をしている点であり、それを都道府県別の傾向を考察している。7大会のアンケートについては回収数の330が大会毎の数としては示されていないのが残念だったが、参加者の居住地、交通手段、参加の決め手などの項目による考察がある。宮古島大会に関しては、マラソン大会が宮古島観光の動機の一つであり、参加者は他の観光行為を併せて何泊もの旅行をしているという点が面白い。

水野 勲 (2020). プリンス・エドワード島の「可能世界」―地誌としての『赤毛のアン』―. お茶の水地理, 59, 1-10.
この論文は、数理地理学を専門とする著者が、地理学の教員として長らく教えてきた「地誌学」の授業の際に考えてきたことを改めてモンゴメリ『赤毛のアン』(1908年)を題材に論じたものである。標題にある「可能世界」はクリプキからとられているが、フィクション地誌という以上の意味合いはないように思う。とはいえ、20世紀初頭のフランスの地理学者ヴィダル=ド=ラ=ブラーシュの地誌学、1970年の軽量地理学トブラーの議論、同じ時代のトゥアンの人文主義地理学、フェミニスト地理学のホーム論、バシュラールの想像力論などを駆使し、日本における『赤毛のアン』研究や自然地理学、歴史地理学によるプリンス・エドワード島(『赤毛のアン』の舞台)なども参照しながら自在に作品を解読していくこの論文は非常に刺激的な読書であった。ただ、文学研究にもこうした空想地誌学的研究は少なくなく、私自身も1999年のクンデラ論文でそうした議論を展開しているので、それに参照がないのは寂しい限りである。ただ、『赤毛のアン』の原著タイトル『グリーン・ゲイブルズのアン』に関して、「グリーン・ゲイブルズ」という固有地名がフィクション名でありながら一般名でもあること、『赤毛のアン』というタイトルのおかげで日本でこの作品が世界のなかでも圧倒的な人気を誇っているが、作品中では意外にアン自身の赤毛が話題になることは少なく、むしろ現実の自然地理的特徴としての赤土の方が作品中で際立っていることなど、この作品に関する鋭い指摘は少なくない。

倉光ミナ子 (2020). 「お茶っこ」に関する一考察―岩手県陸前高田市の訪問から―. お茶の水地理, 59, 51-55.
『お茶の水地理』の59号掲載論文を紹介しているが、私が読んだ論文のうち4編はいずれも10ページきっかりで【論文】という種別になっており、そのうち3編はどうやら卒業論文のようだ(1編は明言している)。そして残りが所属教員による執筆で、この論文は5ページの【短報】という種別になっている。形式的には論文的だが、内容的にはフィールドノートといってもよい。短いながらも論旨はしっかりしていて、最後には「「お茶っこ」をめぐる感情の地理学」への発展をにおわせていて興味深いが、いずれにせよ本格的な調査を始める前の準備作業といった内容。内容としては、最後の章の冒頭に書かれている通り、「先行研究と陸前高田への訪問を通して,東北地方には「お茶っこ」という独自の習慣/文化があること,そして,どうもそれが震災直後から支援活動の一部に組み込まれてきたことが明らかになった.」(p.54)という一文に簡潔に示されている。補足すると、「お茶っこ」とは主に女性たちが自宅の縁側などに集い、お茶を飲みながら会話をするというもので、震災を機に変容している。それは女性と男性という性差関係や自宅や集会所といった開催場所に関するもの。ということで、著者は復興研究の対象として考えているようだ。

木村由梨 (2020). 地域アイデンティティの再興―川口鋳物,初午太鼓,サードプレイス―. お茶の水地理, 59, 21-30.
こちらは卒業論文だと明記された論文。埼玉県の川口市といえば、鋳物工業が盛んなのは私でも知っているが、その従事者社会で生まれた「初午太鼓」という郷土芸能の現代までの変容をこの論文は辿っている。卒業論文らしく、丁寧に対象地域の歴史を含む説明が簡潔になされ、この芸能が現代ではコンクールとして活発化していることが示されている。その解釈も分かりやすく、かつては産業従事者の生活と深く結びついていたお祭りだが、その産業自体が衰退し、従事者自体が減少するなかで、この「初午太鼓」という行事は変容し、産業従事者と関りがない人でも参加できるようなコンクール形式に変容したという。それはおそらく日本各地にあるよさこい祭りと同様に、元々ある地縁集団ではなく、さまざまな結びつきの集団が、人前でパフォーマンスをするということにモチベーションを持って取り組むということで、新しい活力を見出したものと思われる。現在では女性の参加者が7割を占め、幼稚園児から高校生まで、子ども・未成年の参加も多いという。アンケートや聞き取り調査も行い、参加者の動機を「サードプレイス」という概念によって考察している。ただ、この概念が孫引きであるのが残念で、家でも職場でもない居場所という理解で終わってしまっている。

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【読書日記】大倉健宏『エンゲージされた空間』

大倉健宏(2020):『エンゲージ(Engage)された空間#ペットフレンドリーなコミュニティの条件』学文社,274p.2,500円.

 

普段は新刊であることに特別な意味を見出さないが,『人文地理』「学界展望」の担当となると,否が応でも発行日が「2020年」か否かに敏感になる。本書は比較的近所の書店で見つけたもの。その場で読むか読まないか,取り上げるべきか否かで悩んだ。しかし,失礼ながらこの手の本だと後回しにすると忘れてしまいそうだ。幸い価格もそれほど高くはなかったので,購入することにした。
「文化地理」で取り上げるべきものは大体決まっていて,私のなかでもこれまで読んできた文献をどういう順序で紹介するか,大まかなストーリーもできつつある。しかし,どこにも位置づかない意外性のある文献というのも面白い。そういう意味で,本書は一つの目玉となる,という印象を持った。

はじめに
1
章 なぜいまペットフレンドリーなコミュニティが求められるのか――先行研究のレビューと本研究の課題
2
章 ドッグパーク利用者の横顔と飼育の実際――米国ドッグパーク利用者調査データ
3
章 飼育実践の違いはどこから――家族規模か,職業か,ペット友人の有無か
4
章 歯周病を伝播してしまった,伝播されてしまった飼い主――飼い犬と飼い主間の歯周病菌共有
5
章 ドッグパークが引き起こすコミュニティでの紛争とその解決――バークレイ市オーロンドッグパーク(Ohlone Dog Park)とオーロンドッグパークアソシエーション(ODPA)の事例
6
章 ペットフレンドリーなコミュニティモデル――こんなコミュニティでペットと暮らしたい
付論 紙媒体調査票とタブレット調査票を利用して――可能性,メリットとデメリット

目次は何度か読んだはずだったが,冒頭の記述でなんとなくその印象が揺らいでいく。本書の著者は社会学者なのだが,本書の骨子は飼い主と飼い犬の歯周病の共有という疫学的課題にある。もちろん,疫学的な地理学研究もあるのだが,なんとなく縁遠い第一印象を受けながら読み始める。しかも,本書のベースとなる調査はなぜか米国なのだ。なぜ米国なのかという疑問はすぐに解消する。1章は研究レビューに充てられているが,飼い犬と飼い主の関係を論じた研究の多くが英語圏(米国やカナダ)によるもので,それは日本に比べると圧倒的に高いペット保有率(4割とか5割)を基礎とするものらしい。しかし,レビューのなかには最近翻訳されたハラウェイ『犬と人が出会うとき』なども含まれており,マイナスの第一印象は払拭され,私になじみのない研究領域への好奇心が勝っていく。
本書は著者による2016年の著書『ペットフレンドリーなコミュニティ――イヌとヒトの親密性・コミュニティ疫学試論』(ハーベスト社)の続編であるという。そこでは,2013年と2014年にニューヨークとサンフランシスコ,バークレイでの調査に基づいた報告がなされ,本書はそれに加えて2017年と2018年に追加調査を行った報告である。前著が総計74件のサンプルだったのに対し,その後の2回の調査で278件のアンケート回答が追加されている。2017年調査からはタブレットによるアンケート調査を始めたということで,効率が上がったようだ。2章はその単純集計,3章はクロス集計となっている。回答者の年齢,性別,職業,学歴,出身地・居住地,年収,住宅様式,家族,飼育経験,犬種,飼育頭数,犬の年齢などが設問項目である。4章が歯周病関連の設問に関する分析で,餌の種類,飼い主と飼い犬の食器共有の有無,散歩の実態,旅行時の預け先,ペット友人の有無,歯周病ケアの有無などであり,それに回答時に採取した唾液から飼い主と飼い犬の歯周病菌保有の有無が分析される。犬の飼育に疎い私にとってはある程度興味深い結果ではあったが,その分析が非常に機械的で決して読み物として工夫されたものではなかった。
そんななかで5章は非常に社会学的で興味深い内容だ。しかし,調査研究の計画からすると付属的な位置を占めるものかもしれない。ともかく,全章までのアンケート分析とはあまり関係がなく,継続的に調査を行っていた調査対象地のドッグパークがその存続をめぐって議論になっていたので,その経緯を詳細に調査したという感じだ。しかし,それでいて前著のタイトルと本書のサブタイトルに用いられている「ペットフレンドリーなコミュニティ」を論じるには最重要な章である。まあ,いわばNIMBY施設ともいえるドッグパークを,いかに利用者が近隣住民に対してそれが迷惑施設ではなくコミュニティ形成にとって有用な施設なのか交渉し,利用者,非利用者,行政との間で合意形成が行われるプロセスを記述している。本書のタイトルを説明する結論部分を引用しよう。「ドッグパークという空間は,契約の空間ではない,エンゲージメント(Engagement)の空間なのである。エンゲージメントは三人称の関係にはそもそも成立しえない。そこには契約が必要だからである。」(p.193)この議論は日本でほとんど紹介されていない米国の社会学者ヘルムリッヒの議論に基づくようで,ここは非常に興味深い。
しかし,6章は一転してまたつまらなくなってしまう。これまでの調査を受け,どんな「社会学モデル」を提示してくれるのかと期待したのだが,ここでいう「モデル」とは「規範」のことであり,要するにアンケートの回答結果の最大公約数の状態を示しているだけなのだ。動態的なモデルではなく,静態的なモデル。6章の最後に「「ペットフレンドリーなコミュニティ」としての自治体」という節が設けられているが,それも1ページで終わってしまう。本書には付論として,タブレットを用いたアンケート調査の経験が記されている。また,調査に参加した学生たちのものも含むフィールドノートがかなりのページ数を割いて掲載されていて,こちらは読み物として楽しい。著者の所属が生命・環境科学部ということで,獣医学部の学生なども調査に参加しているが,米国での調査は特別に訓練された学生というわけでもないらしい。結局,なぜこの調査が米国で行わなければならなかったのかは判然としない。

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【映画評】『ニューヨーク 親切なロシア料理店』『羅小黒戦記(ロシャオヘイセンキ)』

2021年11日(金)

立川シネマシティ 『ニューヨーク 親切なロシア料理店』
元旦も映画サービスデーということで,一人で映画を観に行かせてもらった。移民をテーマにした映画はなるべく観るようにしているということで選んだ作品だが,移民を中心とするものではなかった。『ルビー・スパークス』の印象が強いゾーイ・カザンが主演。監督は『17歳の肖像』のロネ・シェルフィグというデンマーク出身の女性。スタッフ,キャストという点では移民映画といってもいいかもしれない。実際のところは主人公が夫の家庭内暴力から逃れて息子2人を連れてニューヨークにやってくるという物語。ロシアからの移民の祖父が創業したロシア料理店に関わるさまざまな人たちがこの母子をかくまい,支援するという展開。とはいえ,オムニバス的に登場人物たちのさまざまな場面が描かれていて,ほっこりできる作品。
http://www.cetera.co.jp/NY/

 

2021年14日(月)

立川シネマシティ 『羅小黒戦記(ロシャオヘイセンキ)』
妻はこの日が仕事始め。私は翌日からだったので,保育園はお休みして父子3人で過ごすことにした。何か3人で観られる映画を探していたところ,10歳の息子が「これ観たいと思っていた」というのがこちら。中国製のアニメ作品。宮崎 駿作品をはじめとする日本のアニメに影響を受けていると思われる画風とストーリーだが,中国らしさも存分に味わえる,素晴らしい作品だった。人間界で妖精が共存するという設定だが,人間に棲み処を奪われたと思っている妖精たちと,都市化した人間社会の中で,人類の文明を享受しながら共存しようとする妖精たちとの対立を描く。その基礎的な中華思想とカンフーを基本とする戦闘技術が中国的だが,その設定はやはりポケモンなどの日本のアニメと共通する時代の雰囲気がある。2011年から動画サイトで始まった作品だということで,冒頭は展開の速さ(映画的省略)に戸惑いましたが,101分の上映時間を飽きることなく,楽しむことができました。6歳の娘には少し早かった気がしますが,10歳の息子は「続編があったらまた観たい」と満足な様子でした。
https://heicat-movie.com/

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【読書日記】川合泰代『聖地への信仰』

川合泰代(2020):『聖地への信仰――地理学からのアプローチ』古今書院,236p.4,800円.

 

2020年は本書と川合一郎『近代日本の歴史地理学』が相次いで古今書院から発売された。同じ苗字ということでご夫婦である。一郎さんの方は有名企業に勤務しながらだが,夫妻ともに大学では非常勤講師をされており,常勤職にはついていない。しかし,お二人とも継続的に学会誌に論文を掲載するという努力を重ねてきたので,こうしてその成果が書籍となることは他人ながら非常に喜ばしい。なお,お二人とも院生の時代からの知り合いであり,最近再開してから,第一子がうちと同い年ということで,一度家族でわが家に遊びに来ていただいた。一郎さんの本は高価なのでまだ購入していませんが,泰代さんの方は2020年に刊行された「文化地理」の業績であるため,先に読むことにした。なお,本書は著者の博士論文であり,古い方から1997年,1999年,2001年,2003年,2004年,2006年,2010年,2012年,2014年,2015年,2016年と20年間に発表された10編の論文から構成されている。

序章
1部 聖地への信仰における身体と文化
 第1章 聖地的里山室生の景観の構造
 第2章 江戸・東京の富士講による富士山信仰―富士塚から―
 第3章 江戸の富士講と庚申―「道」の陰陽五行思想から―
2部 聖地御蓋山・春日山への多様な信仰
 第4章 近世奈良町の春日講による信仰―春日曼荼羅から―
 第5章 近世春日社神領民による信仰―松苗から―
 第6章 現代人による信仰―世界遺産登録後の春日山練成会から―
終章
補論 「私」がいる地理学―「道」の思想に基づく東洋地理思想の再発見―

本書には掲載されなかったが,著者には1999年に雑誌『地理』に掲載された河瀨直美『萌の朱雀』に関する小論があり,私は翌年の『人文地理』学界展望「文化地理」の担当であり,この小論を批判的に取り上げたことが今でも気になっている。私のような批判的な立場からだと,彼女の非常にナイーヴな語り口にいろいろと突っ込みたくなるのだ。その関係は本書に対しても変わらない。とはいえ,本書は貴重な経験的研究を集大成でもあり,そこをまずは丁寧に紹介しよう。
第1章は「景観の構造」と冠しているが,仏隆寺から目的地の室生寺までの経路を徒歩で移動する際の人間の視点から見える景観を問題としているため,いわゆる「シークエンス景観」を扱っている。少し調べれば同様の研究は少なからずあるため,そういう位置づけが欲しかった。また2005年の翻訳ではあるが,アプルトンの『風景の経験』などを参照すればもっと面白い考察ができたのではないかと思う。第2章は既存の資料ではあるが,関東地方に存在する富士塚に関する資料を整理していて,非常に貴重な研究だと思う。そして,これは著者の足で稼いだ調査であり,他の章にも共通するが,富士講の担い手へのインタビューを行っているのも貴重である。第3章は江戸の富士講を支えた思想的な背景を著者自ら学び,辿ろうという試みである。初出はE-Journal GEOの「解説記事」として掲載されているので,「道」の陰陽五行思想が文献への参照なく丁寧に解説されている。こういう作業は非常に重要だと思うが,それにしてもやはり文献への参照を求めてしまうのは職業病だろうか。
第4章以降の第2部は奈良県春日における信仰を事例としている。第4章では春日講の信仰者が祭事の際に利用する曼荼羅を聖地である御蓋山・春日山の表象と捉え,その図像と行事の詳細な分析をしている。第5章は春日社による神事とそこで用いられた松苗を領民による利用を観察し,そこに信仰における聖地の意味を読み取っている。第6章は春日大社が1998年に「古都奈良の文化財」の一部として世界遺産登録された後に開催されることになった春日山練成会に著者が継続的に参加した記録から,参加者の聖地信仰のありかたを議論している。どの事例研究も信仰社会に入り込み体験し,聴き取った非常に貴重な調査・研究である。
これまで,各章の内容を簡単に説明してきたように,著者は独自の方法で,独特の調査結果を残しており,それだけでも貴重な成果であると同時に,調査内容は多岐にわたるものの,その関心は一貫しており,著者の意志の強さを感じさせる。しかし,いかんせん残念なのが序章と終章だ。雑誌『地理』に掲載されたものを転載した「補論」は自伝的な研究史ということで,意義があるが,序章と終章はやはり論理の飛躍と感じてしまう。そこでは,近年のアイドルやアニメの聖地巡礼について触れられている。それだけでなく,パワースポット観光にも言及しているのはとても良いと思うのだが,ここで必要なのはそれを「聖地」概念の乱用と簡単に済ませてしまうか,その連続性をきちんと議論するかだと思うのだが,著者の議論はそうではない。聖地巡礼やパワースポットは「聖地の実在性」を示す例であり,連続性の根拠でありながら,それらは本書で語られた近世以前の姿とは異なり,そこに宗教性がないというかたちで断絶を論じている。また,地理学の学史的な話にしても,人文主義地理学から新文化地理学と言葉ばかりが先行している大雑把な議論であること。トゥアンに関しては翻訳された文献を全て論じていて丁寧だが,人文主義地理学はそれだけではないし,新しい文化地理学というものも人文主義地理学批判が含まれてはいるがそれがすべてではない。そもそもnew cultural geographyという表現自体がhumanistic geographyほどは一般化していないと思う。もちろん,学史に関してはいろんな整理の仕方があっていいと思うし,本書のような独自な議論もありだとは思う。しかし,やはり私のような読者にとっては違和感が残ってしまうのも事実である。

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2020年の「文化地理」関連文献08

迫田博子 (2020). 葉石濤作品のなかの「日本」―「獄中記」を中心に―. 人間文化創成科学論叢, 22, 77-84.
このお茶の水大学の紀要は、PDFには2019年と書いてあって、年報としては2019年度のものである。しかし、発行年月は20203月であり、これを2020年の成果とするかどうかは判断が難しい。それはともかく、内容的には「文化地理」として扱うことのできるものだと思う。文学地理学は「文化地理」以外に取り上げる分野はない。この論文は1925年生まれの台湾の作家、葉石濤による1966年に発表された作品「獄中記」を対象にしている。日本統治下の台湾に生き、好き嫌いを別として、彼のアイデンティティには日本語と日本文化が染みついているという。「獄中記」の物語は日本統治期に東京帝国大学に学んだ主人公が、後に厦門にわたって抗日組織の工作員になる。しかし、逮捕されて台湾に押送され独房での生活を余儀なくされ、それがタイトルになっている。そこで、彼を取り調べた人物が大学で同期だった人物であった。そんな設定で、作中には日本の地名や和歌が登場し、その表象を分析している。トゥアンの場所概念をナイーヴに用いたり、認知科学の潜在意識と顕在意識などの議論を援用しているが、当時の台湾と日本の関係に関する歴史研究なども参照し、丁寧に作品を読み解いている。

 

水谷由美子・高橋潤一郎・下川まつゑ・田村奈美 (2020). 服飾デザインと地域資源のレジリエンス―スーパーグローバル・ファッションワークショップ2019とアグリアート・フェスティバル2019を事例として―. 山口県立大学学術情報, 13, 27-59.
この紀要論文は国際文化学研究科のゼミ担当教授と院生3人による報告であり、毎年のように報告を出しているようだ。研究科の名前は学術的な印象を受けるが、この教授が各種イベントをプロデュースしていて、参与観察的な学術研究というよりは社会実践を主眼においたゼミだといえる。3章構成となっていて、タイトルにあるように、第2章でスーパーグローバル・ファッションワークショップ(SGFW2019という服飾関係のイベントが、第3章でアグリアート・フェスティバル(AAF2019という2つのイベントが院生の手で紹介され、第1章はそれを第一著者である担当教授が学術的に位置づけるといった内容。レジリエンスという言葉は最近見かけるがちゃんと読んだこともなければ素朴に調べたこともなかった。「しなやかに立ち直る力」と表現する既存研究に基づき、この論文では「再生する力」と定義している。民芸運動などに言及しながら、地方に伝承されながら、後継者不足で廃れていく手仕事や農業などを、外部の手を入れて再発見し、グローバルな市場に配信することで、地域活性化につなげようという試み。この教授の人的ネットワークで、地元の生産者、UIJターンしてきた若い実業家、ゼミの学生・院生、フィンランドの研究者などとの交流のなかからイベントを開催している。ワークショップでは、フランス、フィンランド、中国、韓国、ハワイなどから参加者が集まっている。AAFは長門市のイベントで7年間、SGFWは大学を中心に3年間継続しているイベントで、棚田や手すき和紙、藍染めなどの地場産業を用い、ファッション関係ではモンペをモチーフにしたブランドを立ち上げたりしている。まあ、学術的な知識・思考を織り交ぜて一定の成功を収めた事例だといえる。

 

河合洋尚 (2020). フードスケープ―「食の景観」をめぐる動向研究―. 国立民族学博物館研究報告, 45 (1), 81-114.
タイトル通りの内容であり、中国をフィールドとする人類学者が、フードスケープという概念で語られる研究動向を、概念の検討から始め「食の景観food landscape」として物質的側面に着目して整理している。英語圏を中心に地理学者による貢献にも目配りしながら、フードスケープ研究を潮流Aと名付ける「食のグローバリゼーションと〈空間〉力学」および、潮流Bと名付ける「食の〈場所〉論とエコヘルス」という2つの動向として区分している。要するに、空間論と場所論とを区別して、景観を論じている。この論文でいう「空間」とは「政治的に境界づけられ、特定の意味やイデオロギーが付与される資源領域」と、「場所」を「人間の記憶、感情、社会関係が埋め込まれた生活領域」と定義している(p.85)。前者はアパデュライの『さまよえる近代』における5つのスケープ論に依拠しているとのこと。この論文では、フードスケープ(学問領域での使用は1996年の地理学者によるものだとのこと)という言葉を使う前の研究についても同じような事象を取り上げ、議論を行っている先駆的なものを紹介しているところにも特徴がある。英語圏の地理学者の研究には言及があるものの、残念ながらフードシステム論を展開する荒木一視さんの業績には言及がない。ともかく、食をめぐる地理学的な研究(著者は人類学者だが)が手際よく整理されており、学ぶことは大きい。この論文の意義を著者の言葉でまとめるならば、「「食の景観」というトピックは―これまで正面から注目されることが少なかったが―実際には人類学とその隣接領域に限定しても,すでに研究蓄積が少なくないということである。」(p.105)そして、潮流ABとを結びつけていく仕事が必要なのだという。

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【映画評】『燃ゆる女の肖像』『劇場版ポケットモンスター ココ』

2020年1226日(土)

立川キノシネマ 『燃ゆる女の肖像』
キノシネマで予告編を観た時から観たいと思っていたが,twitterなどでも評判がよかったので,観ることにした。ウェブサイトを見ると設定は18世紀。芸術=絵画という時代の,男性中心的な世界における女性画家を描いた作品としては真っ先に(というより後にも先にも)『アルテミシア』という映画を思い出す。
https://movies.yahoo.co.jp/movie/83928/

24年前の作品ということで,詳細は思い出せないが,ウェブ検索で画像を見る限りでも,かなり壮絶な物語のようだ。それに対し,本作は女性の美しさが先行して,女性画家の葛藤,同性愛者の苦悩はさらっと描かれている。正直言って期待したほどではなかった。ただ,出演者の少なさによるミニマルな雰囲気の良さや,出演者の一人の腋毛(時代の雰囲気を出すのに非常に重要だと思う),当時の絵画の様子を忠実に伝えるために現代の本職アーティストを採用したこと,この時代の秘密裏に子どもをおろす行為など,細部は評価できる点が多い。いい映画には間違いない。
https://gaga.ne.jp/portrait/

 

2020年1227日(日)

府中TOHOシネマズ 『劇場版ポケットモンスター ココ』
3
月だったか5月だったかの公開が延びに延びてクリスマス公開となったポケモン映画。6歳の娘の方がすぐに観たがっていたので,日曜日に親子3人で行くことにした。公開最初の日曜日ですが,混み合うことなくゆっくり観られました。予告編では,ココと彼を育てたポケモン,ザルードが日本語でしゃべっていて,「ん?」と思いましたが,その疑問はすぐに解消されました。脚本もよく作り込まれていて,一部『アバター』のような設定(といいつつ,『アバター』はきちんと観ていませんが)もあったりして。とはいえ,涙もろい子ども2人が号泣するようなシーンはなく落ち着いて最後まで観られる作品でした。
https://www.pokemon-movie.jp/

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