【読書日記】パオロ・ダンジェロ『風景の哲学』
パオロ・ダンジェロ著,鯖江秀樹訳(2020):『風景の哲学――芸術・環境・共同体』水声社,222p.,860円.
本書のことは現代芸術を専門とする暮沢剛巳さんに紹介してもらった。ちょうど彼の『オリンピックと万博』を読み,それを取り上げた論文を書き上げたところで,連絡をしたら,そのメールの返信で本書に触れていた。彼は本書について『週刊読書人』に書評を書いていたので,いち早く読んでいたようだ。https://dokushojin.com/review.html?id=7184
私は風景に関する論文を書いていて,暮沢さんは『「風景」という虚構』という著書もある人なので,その際にも連絡を取っていた。やはり「文化地理」といえば風景論も入れなければならない。本書の訳者あとがきで日本のことを「風景論大国」と揶揄しているが,2020年の風景論は本書一冊で十分という感じだ。この訳者あとがきと暮沢さんの書評が厄介なことに本書の内容を手際よく紹介しているので,この読書日記が書きにくいが,手短に私らしくやっておこう。
第一章 風景の哲学のために
第二章 地理映画,あるいは風景のために映画に何ができるのか
第三章 イメージ 対 自然
第四章 環境美学の試験台としての風景
第五章 現代環境美学におけるいわゆる科学的認知主義について
第六章 美学とエコロジーの悪しき関係に関する覚書
第七章 イタリア法制度の風景理念――1922年法から「文化財および風景法規」まで
第八章 風景と国家の現在
第九章 農業と風景――耕地から生の自然,生の自然から耕地へ
第一章のタイトルにあるように,本書は哲学からの風景論である。とはいえ,小難しい議論を展開するわけではなく,哲学という分野に固執するわけでもなくさまざまな議論を紹介しながら論を進めている。私も日本語で読めるさまざまな分野の風景・景観論,そして英語圏地理学の風景研究をそれなりに読んできたが,それがいかに狭いものだったのかを痛感する。著者はイタリア人で,イタリアと風景といえば,ドイツの画家デューラーなどが風景画を学ぶために訪れた地であり,いわゆる風景画発祥の一つでもある。そういうお国柄は本書にも存分に反映されているが,著者はイタリア語文献だけでなく,ヨーロッパ各国の風景論を検討している。なお,第一章の最後に「地理哲学」なる語が登場する。この語はイタリアの女性哲学者ルイーザ・ボネージオという人が使っている用語だということで,「領土と風景との「生きた」関係という問いと必然的に対峙する省察」(p.69)と説明される。本書タイトルにおける「哲学」もそうした意味合いだと理解できる。
本書を書店で手に取って,読もうと思ったのが第二章のタイトルである。風景が映画にとって欠かせない要素であることは,撮影時にロケーションにこだわり,製作者たちが事前にロケハン=ロケーション・ハンティングを行うということからも分かる。そうした映画の批評において「文芸批評のいわゆる〈空間論的転回〉」(p.82)なんて言葉をこの本で目にするとは思わなかった。訳者あとがきに書いてあったが,この章で著者は映画に表象される風景を分析するという分かりやすい目的ではなく,この章の副題にあるように,映画そのもの営為が地理や風景に作用するものととらえている。
本書では,ランド・アートや環境アートと呼ばれる,大地をそのまま造形の素材とするような規模の大きな芸術作品についても論じている。それは私の風景論文でも,最後に地理学が芸術を対象にする際の分かりやすい対象として挙げていたが,この論文執筆時に全く理解していなかったのは,風景論と環境論の関係だ。本書はそこに多くの説明を割いている。環境問題(環境保護)の世界的な流行に対して,日本では公害問題が先行し,よりグローバルな問題として考えない偏狭さがあったと思う。また,その一方の景観保全というものも日常語の風景ではなく,工学系の専門用語としての景観を用いていることもあり,保全の対象はあくまでも建築物であった。という背景もあり,環境保護と景観保全を一続きとして考える思考が妨げられたのかもしれない。ともかく,芸術としての風景画の衰退と,環境アートの登場に伴い欧米ではもっぱら風景論よりも環境論が,法規においても風景関連よりも環境関連が進展したといえよう。一方,日本では環境と景観が放棄の対象になるような公式なものとして定義されていたのに対し,定義されがたい「風景」概念が人文・社会科学および論壇で話題になり続けたのかもしれない。ともかく,本書は環境美学という文脈で風景について考えることにかなりのページが割かれている。それは同時に自然について思考することでもあり,また本書ではそれほど明示的に語られているわけではないが,スケールについても思考することでもある。建築物は局所的なものであり,風景画という意味における一人の人間が一望できる範域,そして領土的な意味合いを持つ景観概念に対応する範囲,そして環境という概念は周囲を取り囲むという本来の意味においてスケールを拡張し,最終的にはグローバルに達する。
本書のもう一つの特徴は第七章のタイトルにもあるように,法の検討である。イタリアは憲法に風景の保護を謳った国であり,法律に関しても1922年に遡れるという。そうした風景関連法は時代に応じて制定され,ヨーロッパ全体でも「風景についてのヨーロッパ協定」が2000年に調印されている。そういう中で,第八章は風景とナショナル・アイデンティティという古いテーマを論じている。短い文章ながら非常に説得的で,この問題を改めて考えさせる。そして最終章がまた興味深い。日本のナショナル・アイデンティティと結びつく風景といえば農村風景であるから,風景と農業,耕地との関係は改めて考えたい。
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