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2021年8月

【読書日記】田中東子編『ガールズ・メディア・スタディーズ』

田中東子編(2021):『ガールズ・メディア・スタディーズ』北樹出版,183p.1,900円.

 

Twitterで編者を含む出版記念トークショーがあると知った。開催する書店がトークショーのオンラインチケットと本書を抱き合わせ販売していたので購入。結局,トークショーに参加はできなかったが,読んでよかったと思える一冊だった。田中東子さんの存在は,カルチュラル・タイフーンというイベントなど,日本におけるカルチュラル・スタディーズ導入期に若手として活躍していた人で,知っていた。

パート1 表象と解釈
1章 どんな女の子でもどこだって行ける:ハリウッド映画における女性表象(竹田恵子)
2章 広告の“もうひとつ”の光景:多様化する女性表象とオーディエンス(上村陽子)
3章 ジェンダーの視点からポピュラー音楽を読み解く(中條千晴)
4章 メイドカフェ店員のSNSブランディング:アイデンティティの維持管理という時間外労働(中村香住)
5章 女子高生ブームと理解による支配:援助交際する〈美少女〉(東 園子)
パート2 交渉と実践
6章 メディアをまとい闘うBガール(有國明弘)
7章 ファッションとInstagram(渡辺明日香)
8章 ジェンダー・トラブル・イン・アートワールド:日本アート界におけるジェンダーをめぐる問題(竹田恵子)
9章 ジンというメディア=運動とフェミニズムの実践:作るだけではないその多様な可能性(村上 潔)
10章 「フェミニズム」と交渉する新しい運動(梁・永山聡子)
11章 女の子による,女の子のためのメディア研究に向けて(田中東子)

構成は一応カルチュラル・スタディーズ(のメディア研究)の研究史に沿って,テクスト分析からオーディエンス研究,作品から運動へというような流れになっている。パート1でもオーソドックスな映画,広告,音楽といった古くて世界的に共通するものから,日本特有の最新のものへと構成されている。
しかし,この第1章が少しくせものだと思う。フェミニズムについては私も断片的に文献を読んできた。しかし,それを歴史に沿って系統的に学んだことはなかったため,第1章でいきなり「ポストフェミニズム」や「第二波フェミニズム」,「第三波フェミニズム」と当然のように出てきてもよく分からない。本書は研究対象として女性を吸えているだけでなく,読者としても女性を,しかも大学で学び始めた者を意識していると思われるだけに持ったなく感じた。とはいえ,大学でフェミニズムの概論くらいは受けているという前提なのかもしれない。それから,私のような読者の不満としては,本書には文献表がない。「文献・語句解説関連情報」とページの下になんとQRコードが印刷されているのだ。スマホ片手に読み,各章の扉ページでQRコードにかざし,情報を得るのだという。果たして,その臨時的な知識で,参考文献の書誌情報から原文を当たるようなことをするだろうか?ともかく,QRコードを読み込めない私のような読者には入手できない情報だ。また,取り上げられる映画作品は米国のものが中心だったが(映画作品こそ映像が見られるリンクをつけるべきではないか),想定された読者にとって取り上げられた作品は馴染みのあるものなのだろうか?少しは日本の馴染みのある作品を取り上げてもよかったと思う。ともかく,あまり親切な章ではなかった。
それに比べて第2章は少し親切だ。私がメディア研究を始めた頃。ジュディス・ウィリアムスンの『広告の記号論』はとても大きな存在だった。広告の解読法について学ぶだけでなく,フェミニズムの考え方もそこには含まれていたからだ。そして,日本には広告研究の蓄積があり,女性研究者が手掛けるものも多く,また女性表象の典型が広告ということもあった。ということで,第2章ではその歴史も概観でき,また今日的な日本の状況を基礎にして,グローバル化についても論じ,「規範への抵抗」,SNSからポストフェミニズムへ議論が進展する。
本書は大学出の教科書を意識していて「読んでみよう」というコーナーで日本語の文献案内をしたり,「調べてみよう」「書いてみよう」と演習めいた課題も提示されている。第3章はかなりディープな感じで英語圏の音楽研究が「表象文化的アプローチ」「文化産業論的アプローチ」「音楽史・音楽社会学的アプローチ」「聴くことの能動性」という流れで説明される。後半は日本の事例だが,「あっこゴリラ」と「CHAI」というアーティストが事例なので私にはよく分からない。
4章はメイドカフェを扱っているが,メイドカフェに勤める女性にインタビューをした調査である。メイドを演じる女性店員は,疑似的に常連客と主従関係にあるため,店内での接客以外でもSNSを用いた常連客とのコミュニケーションが欠かせないというが,それは通常の勤務外労働でもある。そういう事実を知らしめる意味では面白い調査だが,結果としてはそれ以上は想定できるものだった。
5章が個人的には面白かった。援助交際を扱ったものだが,そのものではなくそれをめぐる知識人の言説を扱っている。1994年に社会学者の宮台真司が『制服少女たちの選択』を出版し,一躍有名になり,その後テレビなどにもたびたび登場するようになった。本章では,その顛末について詳細に分析し,その後の社会の変化,そして男性知識人たちによる議論(その中には宮台に対する反論も含む)が分析されていてとても興味深い。
6章からパート2に入るが,結局この章を読んでもタイトルにある「Bガール」のBの意味が分からなかった。若い女性のダンス・バトルが対象なので,バトルのBなのだろうか。確かに,街中でもなんとなく自分の姿が映るガラスなどがあるところでストリート・ダンスの練習をする少女たちの姿を見かけることがあるが,そんなものを扱っている。そして,なぜかこの章でフーコーの「まなざし」概念や,ホールの「エンコーディング/デコーディング」概念の解説がある。
7章はファッションとInstagramという分かりやすいテーマ。正直言ってあまり深掘りできるものでもないので,ファッション雑誌からSNSまでの系譜を辿ったり,後半では若者を対象としたSNS利用に関する調査などを紹介している。
8章はアートがテーマということで,ジェンダーのとの関連は奥深い。ここでは芸術界における労働者としての女性の現状について検討していて興味深い。近年の日本におけるジェンダー関連の美術展やこの章の著者が発起人の団体の紹介など学ぶことは多い。第8章の著者は第1章と同じと知って,少し納得。
9章は「ジン」を扱う。かなり前に,地理学者仲間と,若者文化をテーマにした地理学論文集『Cool Places』の翻訳をしていたことがあったが,そこでもZinesを扱った章があり,皆でそれがどういうものなのか困惑した。雑誌(マガジン)であることは間違いないのだが,ミニコミ誌みたいなものか。ということで,この章でそのもやもやはかなり改善されました。「Zineは企業の雑誌(マガジン)に対する対抗手段であって,その代替品ではない」(p.132)と強く主張する団体があるとのこと。本章ではその歴史が整理され,ジンの発展にフェミニズムが大きく寄与したという。さらに現代におけるフェミニズムの新しい流れにもジンは大きな役割を果たし,SNSの時代になっても固有の役割があるという。確かに,吉祥寺の古書店「百年」に行くと,新刊の小さな冊子が複数平置きされている(奇しくも,本書を読んでいる途中で百年のTwitterに「本店はジンを多く扱っています」的な書き込みを見つけた)。日本語でもジンに関する文献がいくつかあるようなので,読んでみたい。
本書で私が最も関心を引いたのは第10章で,日本で現代展開されているフェミニズム運動の具体的な説明があった。実際,著者の梁・永山聡子さんは「ゆる・ふぇみカフェ」の主宰者であり,その活動を本章で説明している。確かにフェミニズム運動というと戦う女というイメージがあるが,それをもっと緩やかに,ソフトに,多くの人が当時者意識を持つように,フェミニズムを普及させたいという想いがあるのはよく分かる。詳しくは分からないが,著者は朝鮮半島についての研究もある社会学者であり,名前から朝鮮との結びつきを想起させる。近年,日本の出版界でも韓国発のフェミニスト作品がさまざまな形で流入してきている。この日韓関係のなかでフェミニズムは勢いを増しているように感じる。そういうなかで,この運動はとても興味深く,私も機会があれば参加してみたいと思う。
終章は編者によるまとめだが,個人的にはこの文章は先に読んでおきたかったようにも思う。とにかく,最近メディア研究とは離れてしまっていたので,改めて最新の事情を勉強し直す必要性を感じた。とはいえ,新しいメディアそのものに参入するつもりはあまりないので,ほどほどに。

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【読書日記】『わたしの身体はままならない』

石田祐貴・いちむらみさこ・伊藤亜紗・今井出雲・大島真理佳・笠嶋 敏・桐島優太・熊谷晋一郎・坂爪真吾・高木佑透・玉木幸則・野澤和弘・馬場拓也・haru・樋口直美(2020):『わたしの身体はままならない――〈障害者のリアルに迫るゼミ〉特別講義』河出書房新社,251p.1,800円.

 

反五輪の会で活躍するいちむらみさこさんが寄稿しているということで,購入することにした本。最近多くの著書を出して注目されている伊藤亜紗さんも関わっているということで,しっかりと読みました。

1 わたしの旅
性と生のあわいで:今井出雲
液状化した世界の歩き方:熊谷晋一郎
パーフェクト:桐島優太
障害者と家族の幸福について:野澤和弘
リアルゼミと私(1)弟を撮る,自分を見つめる:高木佑透
2
 イバラの道にもバラは咲く
砂袋を浮き袋に:haru
仮面の下の「性のリアル」:坂爪真吾
一緒に症状を面白がってほしい:樋口直美
信頼の風土:伊藤亜紗
対談「相模原事件」と私たち:玉木幸則×熊谷晋一郎
リアルゼミと私(2)ある隣人として:大島真理佳
3
 明日もサバイバル
薬物なしの新しい生き方:笠嶋 敏
僕がこの世界にいる意味を探し続ける:石田祐貴
どうぞご自由に:馬場拓也
路上生活から見えること2009年・2020年:いちむらみさこ

少し残念だったのは,この本に収録されたいちむらさんの文章は2009年に発表されたものに,2020年の状況を若干加筆したものだったこと。とはいえ,2009年のエッセイは今から入手できるような書誌情報は含まれていないので,再録でもありがたい。
副題にあるように,本書は2014年に東京大学駒場キャンパスの自主銭として始まった「障害者のリアルに迫るゼミ」が元であり,2019年秋には全国8大学のプロジェクトに拡大,延べ60人を超える登壇者による対話型の講義が行われたという。大学の正式なゼミではないので,登壇者は研究者とは限らない。障害を持つ当事者が自分の言葉で語るというのがこのプロジェクト,そして本書の特徴だ。その語りはあまりにリアルなので,その著者名は本名とは限らない。
「性と生のあわいで」の今井出雲はトランスジェンダーを公表している人物。現在は社会福祉法人でソーシャルワーカーとして働いているという。女性として生まれ,育てられ,その身体に違和感を抱く。新しい世界で男性として生きる決心をして東京大学に入学するが,そこでも思ったようにはいかない。辛うじてそこで出会った社会学と活動家によって新しい道を見出すが,そこにもある種の違和感を抱く。性的マイノリティは少数派でも多様なはずだが,少数が連帯するために一定の方向に向かわざるを得ないというのがその違和の原因だ。
「液状化した世界の歩き方」の熊谷晋一郎は生まれつき脳性まひを持って生まれ,現在は医師をしている。個人的な社会化の過程を,同時代的に進行した障害者研究の推移とともに説明している。いわゆる精神障害だが,かつては施設内に隔離し,治療する(正常化する,医学モデル)ものが,患者を社会に出していく(脱施設化=社会モデル)という過程を丁寧に解説している。その他にもスティグマやナラティブについてカテゴリー化して解説している。
「パーフェクト」の桐島優太は性的マイノリティ。端的に同性愛者の男性。この章の記述が私には非常に衝撃的だった。ゲイの人たちが集まって,即席な性交渉のパートナーを見つけるという話はどこかの外国の話としては認識していたが,私の住む京王沿線の八幡山駅からほど近い公園がそういう場なのだという。そして,この著者はHIV陽性者なのだという。ゲイとして不特定多数との性交渉をするということはHIV感染のリスクを背負わなくてはならないが,この著者は自身が陽性者となったことで,さまざまなことでモヤモヤとしていた精神状態が解放され,パーフェクトな状態になったのだという。
「障害者と家族の幸福について」の野澤和弘はジャーナリストとして活躍し,現在は大学の教授をしている。子どもが自閉症として生まれ,記者としての人生は大きく変更を迫られる。家庭での時間を増やし,記者としての仕事についても当時あまり知られていなかった自閉症に関する取材と報道に精力を捧げ,医学モデルから社会モデルという学術界の移行を,家族を含む当事者たちの運動とともに世間に啓蒙する役割を果たした。
「リアルゼミと私(1)弟を撮る,自分を見つめる」の高木佑透は知的障害のある弟を持つ京都大学院生。ドキュメンタリー映画に関心があり,今回弟を被写体に,自身と弟との関係,家族との関係を見直す。私の家族も腹を割って話すような間柄ではない。なんとなくお互いのことを分かったつもりでいて全く分かっていない。分かるための努力をすることが今の関係を壊すかもしれないという不安と,自分のことをきちんとわかってもらうことはできないという諦めとがある。ビデオカメラという媒介物を利用して,徐々にその間柄を近づけようとする著者の立場に私も見習わなければならない。
「砂袋を浮き袋に」のharuは,性同一障害,発達障害,解離性同一性障害があるという,女性に生まれ男性として生きる人。ここでは主に解離性同一性障害,簡単にいうところの多重人格について語っている。私はある意味で誰もが多重人格だとは思っている。生活者としての私について妻はよく知っているが,職場の私のことはあまり知らないし,研究者としての私のアイデンティティについてはあまり理解できないようだ。私の過去を知るのは親と兄弟だが,現在の私を知ることはない。ただ,haruさんとの決定的な違いは,私は自分をコントロールし,あえていえば自分の意志で属する社会の中で違う自分を演じ分けているともいえる。それがコントロールできなくなることを想像すると恐ろしい。
「仮面の下の「性のリアル」」の坂爪真吾は,男性重度身体障害者に対する射精介助サービスを行う会社の代表。自分で性の処理をできない人への介助。食事や排せつはイメージしやすいが,性の処理というとオープンにはしにくい。そこに踏み込む文章である。社会の理解と介助を受ける本人とその家族。難しい問題が多いことは想像できるが,具体的にそれを記述する言葉の力強さを感じる。
「一緒に症状を面白がってほしい」の樋口直美は50歳で「レビー小体型認知症」を患うが,自身のことを『誤作動する脳』などの著書で伝える執筆活動をしている。30歳代から「幻視」が始まったが,うつ病などと診断され治療を受けていたとのこと。その診断自体がうつ状態を悪化させるが,この認知症の一種はあまり知られていないという。診断されてからは自分に起こる症状を後ろ向きではなく前向きにとらえることができ,「幻視」の特徴を把握し,同じ患者のものと比較し,この障害について研究を進めている。
「信頼の風土」の伊藤亜紗は『どもる体』『記憶する体』などの著書がある大学教員。大学のゼミでの学生との信頼関係から話を始め,ところどころ既存の研究を取り上げながら,そして本書のテーマである障害者を含めながら,日常的な人間関係の「信頼」について解説している。
「対談「相模原事件」と私たち」の玉木幸則は自身が脳性まひがあり,現在は支援団体の理事をしている。熊谷晋一郎は先ほども書いた医師。前半は熊谷氏の子ども時代から医師になるまでの軌跡が語られる。後半は「相模原事件」を中心に「生産性」の話を「必要性」という概念との対比で論じている。必要が多い時に効率的にその必要に応える「生産性」が求められるのであり,必要がないところで生産性を高めても仕方がない。そんな当たり前の話を気づかせてくれて,そこに人間存在の意義を論じている。
「リアルゼミと私(2)ある隣人として」の大島真理佳は典型的な健常者の学生で,このゼミに参加することで障害者にどうせっするかということを素朴に語っている。こういう語りも必要。
「薬物なしの新しい生き方」の笠嶋 敏はその手の映画で見るような人生を送っている人で,大学生の頃から薬物中毒になり,「東京ダルク」という施設に入って,いったん薬物依存からは脱しながらもまた戻っていき,最終的にはこの施設のスタッフとして働いている。ただ,この人の場合はいわゆる違法ドラッグではなく,咳止めシロップの大量摂取でハイになるということだ。多い時には11000円程度のシロップを1日に10本飲んでいたというからそれなりにお金もかかる。
「僕がこの世界にいる意味を探し続ける」の石田祐貴はトリーチャー・コリンズ症候群に生まれた,現在筑波大学の大学院生。この障害は特徴的な顔になる。外見的には非常に分かりやすい障害であるが故の問題を解説している。また,この症候群は顔の異形から聴覚障害と発音障害が生じるという。見た目と言葉によるコミュニケーションという初対面の人間関係において重要なところに難点があることになる。後半では,障害者をめぐる社会の問題を当事者の個人の視点からいかに変えていけるかの提言をしている。
「どうぞご自由に」の馬場拓也は双子の赤ちゃんを産まれて間もなく亡くす,という経験をした人で,その経緯を丁寧に描いている。そして,その後再び双子を授かり,無事出産するという喜ばしい話で終わっている。
「路上生活から見えること2009年・2020年」のいちむらみさこは冒頭に書いたように,現在「反五輪の会」で活動しているアーティスト。『現代のバベルの塔――反オリンピック・反万博』という著書のなかのインタビューでも自身について語っているが,芸術家でありながらも自ら好んでホームレス生活を長らくしている。かつては比較的大規模な形であったテント村は権力によって解体され,住人たちは散り散りになった。ホームレスでもある程度の規模のコミュニティがある場合とそうでない場合との違いは大きく,また女性としてのリスクが高まる。そんななかでもつつましく,そして力強く生きる彼女たちの生きざまを語っている。かれらはいわゆる障害者ではないが(もちろん,障害を持った人もいる),マイノリティであり弱者であり,法的にはある程度支援がある障害者に対して,逆に行政からは抑圧される側になる。

長い読書日記になりました。ともかく,簡単に読めながらも考えさせられることの多い貴重な読書でした。

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【映画日記】『映画おしりたんてい』『パンケーキを毒見する』『東京オリンピック2017 都営霞ヶ丘アパート』

2021年814日(土)

府中TOHOシネマズ 『映画おしりたんてい スフーレ島のひみつ』
ここ数年,「東映まんがまつり」のメインとして上映されてきたおしりたんてい。今回はまんがまつりの看板は外して,おしりたんていメインでの上映。上映時間も長めのようです。父子3人で観に行きました。とはいえ,おしりたんてい単独ではなく,サバイバルシリーズの「深海のサバイバル」との同時上映。また,冒頭や途中で「リサイクルズー」も登場します。おしりたんていが後かと思いきや,先の上映でした。やはりおしりたんていとサバイバルシリーズとでは客層が微妙に違うため,幼い子連れの親子が先に退出できるようにしたのかもしれません。
さて,おしりたんていの今回は離れ小島で自給自足的な生活をするスフーレ島が舞台。生まれて島から出たことのない少女を中心に,今回も「かいとうU」が登場します。かいとうUものということで,事件のからくりを詳細に描く必要もなく,この少女の葛藤に焦点を合わせていて,なかなかいい脚本でした。
https://www.toei-mangamatsuri.jp/

 

2021年815日(土)

新宿ピカデリー 『パンケーキを毒見する』
息子を連れて,ミッドタウンで開催されていた「北斎づくし」展を観に行った。帰りにたまには大人の映画を観させたいと思い,菅首相を批判的に映画くドキュメンタリーを観に行った。まだ実写映画もほとんど観たことのない息子のドキュメンタリーデビューです。かなり話題になっていたこの映画ですが,個人的には記録映像以外の演出がイマイチだったと思う。菅首相のこれまでの政策を「博打」として解釈するところはいいとは思うのですが,女優さんが「半か丁か」とするシーンが何度も登場し,少し白けてしまう。
菅首相に関しては,横浜市議会議員からその政治家人生をスタートさせるなど,知ることができたことは多い。また,新聞『赤旗』についての箇所はとても勉強になった。まあ,残念な箇所もあったが,総じて今観るべき作品だとは思う。
https://www.pancake-movie.com/

 

2021年821日(土)

吉祥寺アップリンク 『東京オリンピック2017 都営霞ヶ丘アパート』
続いてドキュメンタリー映画。子どもたちを児童館に行かせて,吉祥寺まで観に行きました。後で小学一年生の娘に聞いたら,その日は同年代の子どもが少なく,蔵書の漫画も大体読んでしまって飽きたとのこと。悪いことをしてしまったが,この作品は観ておかなくてはいけないので,すみません。
本作は純粋な記録映画といえるでしょう。東京2020五輪大会の開催が2013年に決定し,それ以前から2019年ラグビーワールドカップに合わせるように国立競技場の建て替えは決まっていたので,その近隣に建つ都営霞ヶ丘アパートの取り壊しは決まっていたようだ。この団地の敷地は実際に拡張される国立競技場の敷地になるわけではない。しかし,多くの外国人やメディアが集まるこのスポーツ一等地に古ぼけた公共住宅があるということが,主催者側には許容できないのだろう。もちろん,監督はそういう権力による弱者いじめを告発するためにこの映画を制作したのだと思う。しかし,映画自体は立ち退きを強いられる高齢者たちの生活,引っ越しの大変さ(片手がなく,もう片方の手にも障害がある高齢男性が本作の主要人物の一人だが,彼がリアカーで私物を新居に運ぶシーンで,一瞬「ちょっと手伝ってよ」という目をカメラに向けるが,映画制作者は手出しはしない)などを淡々と描く。途中で,住民たちが都に対して要望書を提出するために開いた会見の様子も登場するが,転居した住民のその後もほとんど描かないし,作品のウェブサイトにはある団地の解体作業に関しても本編には含まれていない。
映画にも社会学者の稲葉奈々子さんが登場し,パンフレットにも文章を寄せているが,正直言ってこの映画によって,稲葉さんの論文に書かれている以上の知見を得ることは少ない。しかし,文字や図表だらけの学術論文からは得ることのできない,住民の姿,肉声を私たちは心に刻み込むことができる。この国のあり方は間違っている。新しくなった国立競技場の近くにも,こうした古ぼけた集合住宅を終の棲家として必死に生きている単身高齢者の姿を全世界に誇らしげに見せればいいのだ。この公共住宅を存続させることは素晴らしい政策ではないか。
http://www.tokyo2017film.com/

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【映画日記】『竜とそばかすの姫』

2021年88日(日)

府中TOHOシネマズ 『竜とそばかすの姫』
細田 守監督作品。細田作品は必ず観ようとは決めていない。本作も予告編を観る限りでは観たいと思わなかったが,子どもたちは観たいといっていた。たまたま6歳娘を母親が連れ出すということで,私が10歳息子と過ごすことになり,2人で観ることにした。娘も観たいとは言っていたが,上映時間が長くて難しいと言い聞かせた。実は,観る前に少しネットでの評判を見てしまった。あまりよろしくない評判。それも多少あるが,やはり突っ込みどころの多い作品だった。ネタバレを含み,高評価でもないので,このブログを読むことはお勧めしません。まず,半仮想現実として設定されている「U」の存在だが,ユーザーがワイヤレスイヤホンを装着すると生体情報を読み取って,Uのなかでのアバター(?)を自動生成する。ここにすでに外見重視の差別的表現がある。現実の外見通りにならないというのはいいが,主人公の「すず」はその内に秘めた才能のようなものをアバターに反映させ,そばかすはそのままフェイスペインティングのようなものになるものの,まさに歌姫てきな外見を手に入れる。他のユーザーのアバター(アズと呼ばれる)はそれこそ人間ですらないものも多い。多様性を表現してそこに優劣をつけないという手はあるが,明らかにそうではない。そして,世界50億のユーザーがいることになっているが,映画表現上,使用言語は日本語である。画面上には世界の諸言語の文字が行き交うが,翻訳の問題をどうしているのかは分からない。すずのアズである「Bell」はディズニーのプリンセス風である。そう,この作品は『美女と野獣』へのリスペクトを隠さないが,それにしてもやりすぎ。そこで,竜のオリジン探しで意外性を持たせようというのか。特定された親子(父と兄弟)は一見外国風だが,なんと日本人だった。表層的にはグローバル社会を描いているが,結局は狭い日本でのお話に収まってしまっていた。そうでないと,現実のすずが竜のオリジンに会いに行くことはできないわけだが,あまりにも狭すぎる。この結末を見てしまうと,翻訳に関する設定の甘さが手抜きのようにも思えてくる。すずは幼い頃に母親を亡くしたことを心の傷としているが,じゃあ,父親はどうなのか。最後の方に少しお涙頂戴の設定があるが,メールでのやりとり。人間臭さを感じさせる登場人物が少なく,感情移入できない。この手の映画では,やはりその楽曲の存在が重要だが,そこだけは称賛できる。すずを演じる中村佳穂というシンガーソングライターはなかなかいい。しかし,やはり映画用に演出されている点をどう差し引いて,一人のミュージシャンの楽曲として聴けるかは今後難しいと思う。
https://ryu-to-sobakasu-no-hime.jp/

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【映画日記】『映画大好きポンポさん』『サイダーのように言葉が沸き上がる』『映画クレヨンしんちゃん 謎メキ!花の天カス学園』

2021年723日(金)

池袋シネマ・ロサ 『映画大好きポンポさん』
これは10歳の息子がどうしても観たいというので,辛うじて日中に上映していた池袋まで来た。6歳娘も観たいというので3人で。映画だけのために娘を池袋まで行かせるのも気が引けたので,サンシャイン水族館とセットで楽しむ。久しぶりのシネマ・ロサ。武蔵野館もだいぶ前にリニューアルして全席指定,ネット予約が前提になってしまった今日。ネット予約ができないなんて素敵すぎるじゃないか!前に来たのはおそらくまだ20世紀だったと思う。記憶は違っているかもしれないが,シャルロット・ゲンズブールが母親のジェーン・バーキンと共演した『カンフー・マスター』をこの映画館で観たような気がする。1990年の公開作品だ。しかも,監督がアニエス・ヴァルダだったという。まだ20歳の私にとっては期待外れの印象しか残っていないが,隠れた名作だったのかも。
まあ,昔の話はよしとして,四半世紀ぶりに行くので,事前に場所を確認する予定だったが忘れてしまった。しかし,駅前の案内図であっさりと見つかり安堵。映画の半券で隣のゲームセンターのメダルがもらえるというので,ちょうどよい時間つぶし。さて,映画ですが,舞台は「ニャリウッド」と名付けられていて,登場人物もポンポさんの名前がポンポネット,主人公(?)の映画監督がジーンなど,見た目は日本アニメ風でもちろんセリフは日本語だが,どこかの国の映画街がモデル。私も曲がりなりにも映画ファンなので,映画制作現場を描くこの映画は非常に楽しめた。まあ,こんな風にうまくいくことはなかなかないのだろうが。予告編ではあまり観たいと思わなかった作品を観させてくれた息子に感謝したい。
https://pompo-the-cinephile.com/

 

2021年81日(日)

橋本MOVIX 『サイダーのように言葉が沸き上がる』
10
歳の息子がどうしても観たいというので(またかよ!),都合の良い時間で上映していた橋本まで親子3人で出かける。こちらも息子に聞くまではよく知らなかった作品。ちょっとした田舎町の巨大なショッピングモールを舞台にした話。高尾のショッピングモール「イーアス」と外見がよく似ている。まあ,高尾の方は周囲が田んぼではないが。風景の描写はイラストレータ永井 博の影響を受けた感じのさわやか系。こちらもあまり期待はしていなかったが,人間関係が苦手な主人公(最近,これも子どもたちの影響で『古見さんはコミュ障です』というコミックを読んでいるが,こういう主人公,流行りなんだろうか)が俳句を詠むというところがなかなかいい。といいながら,運命的な男女の出会いってのはやはりいくらリアリティがないといっても恋愛コメディの不変的なものなのだろうか。それにしても,このショッピングモールがなかなか興味深い。一昔前は田舎町のコミュニティや地元の商店を破壊する存在のように描かれることが多かったが,この作品では高齢者のデイサービスから,さまざまな業種の店が一つ屋根の下に集積することによって,いわば老若男女のニーズを満たす文化・経済的な自給自足的な村社会となっているような描き方だった。夏には屋上を使って大規模な夏まつりも開催するというのだから,まさにユートピアのような社会だった。
http://cider-kotoba.jp/

 

2021年87日(土)

府中TOHOシネマズ 『映画クレヨンしんちゃん 謎メキ!花の天カス学園』
『映画クレヨンしんちゃん』は通称「多摩映画祭」のファミリーコーナーで『名探偵コナン』と同時上映で観てから,映画館で観るようになった。子どもたちは過去の作品もNETFLIXでかなり観ている。原作者が亡くなって,ドラえもんやアンパンマンの映画版は妙にスケールが大きくなる傾向にあるが,本作はしんちゃんたちが体験入学する学園という狭い社会で完結するストーリーになっていて,コンパクトでよい。
https://shinchan-movie.com/

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