【読書日記】中澤高志『経済地理学とは何か』
中澤高志(2021)『経済地理学とは何か――批判的立地論入門』旬報社,219p.,1,800円.
同世代の日本の地理学者で何人かはかなわないなと思う人がいる。中澤さんはその一人。彼とは以前少し関わることがあった。私にしては珍しく複数の研究者たちと密に関わる機会があった。関東都市学会という,非常に小さな学会に若手研究者の会みたいなのがあって,たまたま知り合った文学研究者に誘われて学会員でもないのに参加したのだ。何年か活動して,そのうち1,2年は会員にもなったのだが,そろそろ新しいメンバーも欲しいよね,的なことで紹介したのが私と共著論文もある香川雄一氏だった。彼は大学院を東京大学で学び,この研究会に入って間もなく就職が決まり,東京を離れることになった。そこで,彼が紹介したのが同じ東京大学の中澤さんだった,ということだったように記憶している。
ということで,私はその頃からこの研究会からはなんとなく抜けていったので,中澤さんと直接話をする機会は決して多くはなかったが,とても研究に対するエネルギーに溢れていて,何よりも正直な人間であるという印象が強かった。実は彼の文章はこれまであまり読んでいなかったのだが,彼の研究テーマ自体には関心があった。最近の私の非常勤先の授業では,日本の地理学者の実証研究を利用させてもらっていることが多く,本書も経済地理学全般について利用できるかと思い,軽い気持ちで購入した。しかし,副題から分かるように,本書で扱われるのは主に立地論であり,実際には授業で使うことはなかった。しかし,それ以上に私自身が地理学について考えさせられる内容だった。
はしがき
第1章 経済地理学の自分探し
第2章 立地論の導入――演繹的に考えるということ
第3章 チューネンの農業立地論――A=√apへの歩み
第4章 ウェーバーの工業立地論――ある挫折の記録
第5章 クリスタラーの中心地理論――逸脱の軌跡
第6章 空間的相互作用と人口移動――アナロジーについて
第7章 立地論を超えて
あとがき
目次を見れば分かりますが,経済地理学全般に関する教科書ではなく,古典的な立地論の批判的な検討を通じて,経済地理学の本質を考えるという内容。はしがきやあとがきに顕著に表れているが,著者の実直な語り口は本書全般に貫かれている。地理学専攻の学部時代には一通り習う,チューネン,ウェーバー,クリスタラーですが,著者も言うように教科書的には習うが,それを実際の研究で応用するようなものは今日ではほとんどない。単に古い理論だから使えないということで終わらせず,それがなぜなのか,使えないものを習う意味があるのか,そんな問いかけが本書にはある。そして,驚くのが本書のきっかけの一つに,おそらく彼は集中講義で受けたのだと思う杉浦芳夫氏の授業があるのだという。著者は私よりもいくつか年下だと思うが,私はその杉浦芳夫氏の在籍していた東京都立大学で学部から大学院まで過ごしているので,同じような授業を受けていたことになる。杉浦氏は私が入学した1989年に『立地と空間的行動』という教科書を出版しており,それに基づく講義が都立大学だけでなく,杉浦氏が集中講義で教えに行っていた各大学でなされていたようだ。しかし,やはり後に経済地理学を志すことになる中澤氏と,文化地理学を志した私とでは受け取り方が違かったようだ。
それはともかく,本書はその古典たる立地論テキストに立ち戻るだけでなく,それが日本でどのように受容されたのか,日本ではどんな経済地理学の教科書が出版されてきたのかというところもしっかり押さえている。確かに,日本の人文地理学ではやはり経済地理学の層が一番厚く,教科書も各時代で各種出ている。そして,著者の論じ方はそれら歴代の経済地理学の教科書を網羅的に整理するのではなく,それを自身の関心に貫かれた本質を議論することで論理的に展開しており,論じられている各論は経済地理学に関することだが,総論的には地理学自体の本質を考えることを読者に要請する。なかなか,こうした地理学本質論的なものを議論できる人は多くないので非常に刺激される。そして,チューネン,ウェーバー,クリスタラーについても教科書で取り上げられるようなものだけでなく,彼らの個人史を含めてその古典的テキスト全体がどのようなものであるのか,彼らの研究者人生のなかでそのテキストがどのような位置づけであるのか,そのような周囲を固めた上で,教科書に載るような学説がどのような意味があるのか,特にその現代的意義を見据えて議論している。とはいえ,そのような詳細な議論になると古典的テキストの原典にあたって,原語で議論するような研究の方向性もあるが,著者はそこには踏み込まず,とはいえ特定の概念については原語と訳語のニュアンスの違いにも気を配るが,学説そのものに,学生が議論できるレベルで,しかし議論のレベルは低いところに合わせるわけではなく,解説し,問いかける。なかなかこういう教科書は書けないし,そういう授業を受けている学生を羨ましく思う。


最近のコメント