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2022年7月

【映画日記】『ナワリヌイ』『ベイビー・ブローカー』『こちらあみ子』

2022年630日(木)

渋谷シネクイント 『ナワリヌイ』
本当に久しぶりに夫婦2人で映画を観に行った。そして,私が51歳だということもあり,「夫婦50割」を使ったのだ。私は顔写真付きで生年月日の入った証明書を持っていないし,妻は外国人でやはり「成瀬」姓ではなく,夫婦を証明できるものはない。ちょっとびくびくして受付に話をしたが,なんと自己申告制とのこと。2人で2,400円でした。投票日前にふさわしいテーマの作品を選んだ。
私はこの映画の存在を知るまで,ナワリヌイという人物については知らなかった。しかし,この映画で描かれるのはロシアがウクライナに侵攻する前の出来事であり,そこそこニュースにもなっていたらしいので,知っている人は知っているという内容。日本でどこまで報じられていたかは分からないが,本当にフィクションのようによく撮られ,編集されたドキュメンタリー映画。ナワリヌイはプーチンに対抗して大統領選挙に出馬すると表明した。SNSを有効に活用した政治運動をしていて,この作品で描かれたいくつかの集会の様子を見るだけでかなりの支持を集めていたことは分かる。そして,ある日ナワリヌイは飛行機で暗殺されかかる。この映画はその暗殺の実行犯を探る過程を記録したものである。実行犯の一人を特定するところまで達するわけだが,それにはブルガリアに住む一市民の功績が大きい。個人的にハッキングのようなデータ収集を趣味でやっていた(かなりの資材をつぎ込む),複数の容疑者を絞り込み,ナワリヌイに接触するのだ。ナワリヌイ側も当初はどういうたくらみで自分たちに接触してきたのかを疑いながらも,徐々に彼に全面的な協力を依頼していく。まあ,ともかく息をのむような展開で進展するわけだが,最終的に意を決してナワリヌイはロシアに帰国し,空港で逮捕され,未だに獄中にいる。しかし,その彼が帰国した飛行機を迎えようと空港に集結した支持者たちがものすごい数になり,警察は次から次へと検挙するという状況も描かれた。
ロシアの政治体制については知らない。ソ連が崩壊し,共産党がどうなっているのかも分からないが,ともかくナワリヌイのような個人が大統領選挙に立候補し,選挙で当選したら国のあり方は180°転回するのだろうか。強権的な独裁政治がそのような形で転覆するのであれば,それはそれで面白いというか脆弱な政治制度だともいえる。例えば,日本で山本太郎が総理大臣になるには,現行の選挙制度の下で国会議員の数を増やし,第一党にまでならなければならない。また,米国のような二大政党制の場合はまず,どちらかの政党内の選挙で代表に選出されなければならない(トランプがどのようにのし上がって代表になったのかもよく知らないが)。ともかく,いろいろ考えさせられる作品。
https://transformer.co.jp/m/Navalny/

 

2022年78日(金)

多摩センターイオンシネマ 『ベイビー・ブローカー』
是枝裕和監督がフランスに続いて,韓国で撮った作品。ぺ・ドゥナはすでに『空気人形』で是枝監督と仕事をしているが,その他のキャストもスゴイ。まあ,フランスで撮った時にもカトリーヌ・ドヌーヴとジュリエット・ビノシュを使っているくらいなので,世界の映画界での信頼がすごいのだと思うが。とはいえ,そのフランス映画『真実』が個人的にはイマイチだったので,本作はどうだろうか。赤ちゃんポストに預けられた子どもを,その職員ととあるクリーニング屋がこっそりと盗み出し,お金を払ってでも自分たちの子どもとして育てたいというお客に売りさばくという商売をしている。『誰も知らない』のように恵まれない子どもを題材とし,『万引き家族』のように犯罪を描く。しかし,それらと比べて,本作は全編を明るい雰囲気が包む。全く血のつながりのない5人が赤ちゃんを引き取ってくれるお客を求め,また警察から追われ,旅する間に絆を深めるという希望のあるストーリー。まあ,いい映画だといっていいのではないでしょうか。
https://gaga.ne.jp/babybroker/

 

2022年79日(土)

立川キノシネマ 『こちらあみ子』
こちらは今村夏子という作家の原作を映画化したもの。タイトル通り「あみ子」という少女の物語。予告編では天真爛漫な感じで描かれていますが,正直言って救いようのないお話し。時代的にはだいぶ前で,広島県の田舎町が舞台になっているようです。多少ネタバレになりますが,尾野真千子と井浦 新演じる夫婦には兄と妹(あみ子)がいて,新しい命が誕生しようとするところから物語は始まる。しかし,この夫婦は再婚であり,上の兄妹は連れ子,そして夫婦の実子が生まれるという設定。しかし,この子は死産してしまい,家族は崩壊していく。そこにはあみ子が引き起こしたちょっとした事件があるのだが,妻はうつになり,兄は非行に走る。夫はそれとなく日常を過ごそうとするが,家族の誰に対しても手を差し延べない。あみ子が最後の方でポツンとつぶやくセリフがある。正確な言葉は忘れてしまったが,「なんでみんないつも教えてくれないのか」というのがある。一番大きいのはあみ子が「弟」だと思っていた死産した子どもが女の子だったこと。それだけでなく,要は周囲が「察しろ」「空気を読め」と諭す。あみ子は察することもできないし,空気を読むこともできない。最終的には父親からも見放され,田舎の祖母の家に置いていかれる。夫(=父親)はその後妻には寄り添うことにはなると思うが。映画としては難しい原作(原作は読んでいない)をそこそこうまく映像化したとは思うが,なんとも歯がゆい感覚を残す作品でした。

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【読書日記】『仕事文脈 vol.20』

『仕事文脈 vol.202022年,タバブックス,121p.800円.

 

タバブックスについては,先日も『反「女性差別カルチャー」読本』を紹介したように,今私が注目している出版社です。しかし,知ったきっかけはこの『仕事文脈』という雑誌であり,私の自宅の隣駅の比較的大きな書店に置いてありました。買ったのは前号のvol.19で特集の一つが「五輪で仕事は」だったのがきっかけ。書店でパラパラめくっていると,特集の巻頭言が武田砂鉄さんだったので,信用できる雑誌かなという印象。オリンピックがらみの雑誌の特集にもいろいろありましたが,この雑誌は,名前を出さないような人々の声が記録されていて,非常に貴重だと思った。大会関係者,ボランティア・スタッフ,聖火リレー記録係,スポンサー不買運動者,などがインタビューに答え,その他にも直接大会には関わらないような一般の人々の声が掲載されていた。
その後,本誌を発行するタバブックス自体に興味を持つようになり,Twitterでフォローすると,さまざまな情報が流れてくることになり,今回の特集を知った。参議院議員選挙を間近に控えているが,「家族×仕事」という特集は買うべきだと思った。ちょうど先の国会で設立が決まった「こども家庭庁」。国会の質疑を見ていたし,名称変更の経緯や怪しげなことを多く含む政策。働き方改革だってもうずいぶん長いことやっている。確かに,いまだにサービス残業をさせるような企業はブラック企業だと名指されるようになったことは大きな前進だが,長時間労働がどれだけ是正されているかということについては疑問である。リモートワークになってサービス残業が復活したなんて声も聞こえる。そんな想いで読み始めた。

特集1 家族×仕事
家族になって,得したい?:小沼 理
文学の中の「オンナ・コドモ」―あるいは家庭―の領域の仕事:小川公代
「家庭料理」について――自分,そして誰かとの”ホーム”を形成するために:白央篤司
シルバニアファミリーから考える:浪花朱音
インタビュー 親/子の影響:丹野未雪
 ZINE,北欧インテリア,警鐘を鳴らす書……モノを通じて生存報告をする
 神棚の下の『ONE PIECE』,家族団欒と『進撃の巨人』子の趣味でアップデートする親
 「自分の好きなことを一生懸命やるのがいい」反面教師の母と書道と
編集部座談会「標準」の外から考える家族と仕事:宮川真紀・小沼 理・浪花朱音

特集2 「会う」が変わった
調査 最近,誰と会った? それぞれの一週間:小沼 理・浪花朱音
会わずに仕事 クラウドソーシング体験談:浪花朱音
 会社に勤める合間にお小遣い稼ぎ 気軽のできるが,報酬額は低め
 サイトの評価制度が自分ではつくれない「信頼」を生み出す
 そもそも「会わない」翻訳業 クラウドソーシングのシステムが手間
インタビュー 会いたくて○○をはじめた:小沼 理・浪花朱音
 オンラインスクール/マッチングアプリ/教会/オンラインデーティング

小説・フェアな関係:兼桝 綾

目次を書くと分かってしまうが,本誌は宮川真紀,小沼 理,浪花朱音,丹野未雪という4人の編集者たちが自ら執筆して成り立っている雑誌だ。自ら執筆し,インタビューをし,取材で聞いた声をまとめる。Vol.19は結局「五輪で仕事は」の特集くらいしか読まなかったが,1冊丸ごと読むと,「仕事文脈」という誌名の意味がひしひしと伝わってくる。日本で一般的に社会人になる,というとそれは学生の期間が終わり,就職して会社人になるということを意味する。会社での仕事が中心となり,そこでの業績が評価される。就職できなかった人,正規社員になれなかった人,正規社員になっても業績が上がらない人(生産性が低い人)は蔑みの対象となる。しかし,労働とは生命を持った,生活のある,個別の人生という「文脈」のなかにあるものだ。そうした仕事の背後にある文脈を探るのがこの雑誌の魅力だと思う。
文芸誌ではなく,学術誌でもない。典型的なジャーナリズムではないが,ジャーナリズムの本来のあり方というか,そういうものを伝えてくれる。特集1「家族×仕事」では,もちろん私が期待した「こども家庭庁」に関わる政治による家族への介入の問題点について考えることができる。最近ケア研究者として注目されている小川公代さんの寄稿もあるし(文学研究者であることは知らなかった),シルバニアファミリーから考える家族って文章も,うちの娘はシルバニアファミリーを好んでいるので,面白く読んだ。インタビューでは本当に,子どもを通じた知り合いのおうちに遊びに行って目撃したような親しみを持って読むことができる。
もう一つの特集「「会う」が変わった」もコロナ以降の人間関係のリアルを垣間見ることができる。実はもともと友達の少ない私にとってはコロナは人間関係にあまり影響を与えていない。毎日行っていた会社でもコロナ以前から同僚と会話をする機会はほとんどなかったし,プライベートな話に関しては皆無に近い。なので,一般的に言われている人間関係に対するコロナの悪影響だけではなく,「他人と会う」というさまざまなあり方とその変化の一端が分かる。
てなことで,前号も「五輪で仕事は」以外の記事もきちんと読んでみようと思う。

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【読書日記】『Over vol.03 特集:サヨナラ反知性主義』

Over vol.03 特集:サヨナラ反知性主義』2021年,オーバーマガジン社,183p.1,540円.

 

念願だった,下北沢のB&Bという書店で購入したもの。この書店,小田急線の地下化による再開発地区にできたお店だったんですね。この雑誌は知りませんでしたが,「肉屋を支持するブタにならないためのクィア・マガジン」と名付けられた雑誌。最近,この手の雑誌に出会うのが楽しい。そして,小ぶりで,余計な広告が入っていない。巻頭から巻末まで,普通の書籍のように読んでも違和感なく読める。それだけ編集がしっかりしていながら,他方で多様な書き手が書いていて飽きさせない。

特集 サヨナラ反知性主義
「憲法二四条同性婚違憲論」に完全終止符を打つ:鈴木 賢
結婚の自由はすべての人に:皆川洋美
森氏の女性蔑視発言,「わきまえる」から浮かび上がる日本の構造――キッチンも変わらない,古いシステムの先:笹川かおり
ハッテン場論はどこへ向かうのか――排除,参加,包摂のはざまで:石田 仁
クンタ・キンテとアンクル・トムと。――「トランプ支持派黒人」の根深さはどれくらい?:丸屋久兵衛
トランプという災難,トランスの受難:北丸雄二
LGBTと病理の歴史・性同一性障害が無くなるまで:畑野とまと
「アンチ」征伐よりも,自分で自分を幸せにする活動をやりましょう:永易至文

記事・コラム・インタビュー
them:鎌村和貴
QUUER KOREA《インタビュー》キム・サンウ:野間易通,ジン・ヒョア,キム・サンウ
《インタビュー》壱タカシ「愛を歌うために」
新宿二丁目でハンナ・アーレント『活動的生』を読む:ティーヌ
かみつけぬのくにとはずがたり へんちょこ独立宣言・BAKU
マドンナの「Girlie Show」を聴きながら:土屋ゆき
後厄とコロナ禍と中年の危機:塚本堅一
都合の悪い”大阪のおばちゃん”表現について:キム・ミョンファ
新世代のクィアと音楽,その鮮やかな自由:木津 毅
ハッテン場について僕が語ろう:サムソン高橋
《ロングインタビュー》香山リカ”肉屋を支持するブタ”の心理学
FORGET ME NOT:藤元啓二
執筆者紹介
編集後記

反知性主義とは,森本あんりという人の新潮選書『反知性主義――アメリカが生んだ「熱病」の正体』(2015年)ではじめて知った言葉。結局,買って読むことはなかったが,なんとなく心に残る言葉で,何となく自分の過去に照らし合わせて,最近すっきり来るようになった。とはいえ,この本も含めてその概念自体をまだ理解していないのだが。ともかく,真面目だったり,多少勉強ができることを茶化してバカにするという,周囲の雰囲気が幼いころからずーっとあって,私はその標的にされてきたのです。皆,それぞれ知性を持っていて,考える力を持っているのに,それをひた隠しにしたり,特定の分野については分かろうともしない,そういう社会で生きてきた。両親もとても理知的な二人だと思うのだが,子どもと込み入った話はしてこなかった。そして,私は遅まきながら30歳を過ぎてから政治の問題に関心を持ち始めたのだが,日本の政治の状況を考えるにつれ,理解できないことが多くなった。普通の理性をもってこの国の現状を考えれば,自民党に票を投じることなんて考えられない。また,それでも自民党が公明党と併せて過半数を獲得してしまうような状態で投票に行かないという選択肢は全く理解できない。この状況を理解するにはこの「反知性主義」という概念なしには不可能なのかもしれないと思いいたったのである。例えば,私はお風呂ではシャワーを使わず,湯船にためたお湯で体を洗う。湯船の水は翌朝の選択で用いる,などとエコなんて手垢のついた言葉を使いたくはないが,単なるケチなのだが,節制をしている。そういう私の側面は妻は忌み嫌っていて,かつてはジャージャーシャワーを使うことを戒めたりしたのだが,そうすると「もったいないと思わなきゃダメなの?」と逆ギレされた。確かに,グローバルな気候危機という問題の解決にそういうケチケチなことが効くとは私も思わない。だからといって,無尽蔵にそういう些細な無駄を続ける必要はないと思う。
前置きが長くなったが,そんな期待を込めて本誌を読み始めた。しかし,実は「反知性主義」という概念にきちんと触れているのは,巻末の香山リカ氏とのインタビューくらいであって,直接的なこの概念への言及はない。冒頭は,日本でなぜ同性婚が認められないのか,という点をめぐって,明治大学の教授が解説している。私もこの件に関しては国会答弁等もYoutubeで見たことがあるが,一般的には政府側が憲法二四条の条文「婚姻は,両性の合意のみに基づいて成立」とされていることを根拠に,同性婚は認められないとされている。しかし,日本では歴史的に本人の(特に女性の)合意なく行われた婚姻が多かったことの反省としての条文であり,この条文が同性婚を排除するものではないことなどが示される。続いて,北海道で起こされた訴訟の弁護団から,同性婚を認めないのは違憲であるとした判決の詳しい解説がなされる。
本誌では「ハッテン場」に関する記事も複数ある。ハッテン場についてちゃんと理解したのは『わたしの身体はままならない』を読んでからだが,こちらが当事者の方向だったのに対し,本誌では当事者の報告もあるし,ハッテン場をめぐる議論の言説分析もあり,理解が深まる。米国前大統領のトランプ氏に関する記事も2編掲載されていて,この辺りは「反知性主義」ど真ん中の議論だと思う。先に挙げた森本あんりさんの著書の副題にもあるが,やはり反知性主義は米国が中心となるもので,息子のブッシュ大統領も含まれるのではないだろうか。LGBTに関する記事は当然多い。「性同一性障害」という言葉は確かに最近あまり聞かなくなったと思いましたが,もう医学的にはなくなった用語だそうです。知りませんでした。反省します。
記事・コラム・インタビューは,この手の他誌と同様に,形式も多様で面白い。絵画作品もあれば,写真作品もある。写真作品に対する批評もあれば,文学批評もある。そして,なんと翻訳もある韓国文学『大都会の愛し方』を批評しているジン・ヒョアさんは奈良女子大学の大学院生で人文地理学を専攻しているとのこと。他にも,壱タカシさんというミュージシャンへのインタビューもあるし,立憲民主党のポスターに描いた「大阪のおばちゃん」が大炎上したというキム・ミョンファさんの寄稿もある。
ともかく,今後も注目の雑誌。とりあえず,遡ってvol.1とvol.2を読んでみたい。

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【読書日記】フェザーストン, M.・スリフト, N.・アーリ, J.編著,近森高明訳『自動車と移動の社会学』

フェザーストン, M.・スリフト, N.・アーリ, J.編著,近森高明訳(2010):『自動車と移動の社会学――オートモビリティーズ』法政大学出版局,455+77p.5,900円.

 

本書のことは出版当時から知っていた。編者のフェザーストンやアーリは社会学者だが,テーマ的にも非常に地理学寄りで,スリフトは地理学者。とはいえ,価格が高いことと,編者いずれも少しは文章を読んできていて,何となく分かっていた気がしていたので,すぐには手を出さなかった。しかし,寄稿者のなかには,私が芸術系の地理学研究者として知っていたメリマンや,地理学仲間の山口 晋君が冬季オリンピック研究の文脈でよく紹介していたエデンサーもいるということで,彼らの研究を日本語で読めるということもあり,そのうち読みたいなとは思っていた。
で,実際に読んでみると,収穫の非常に多い読書だった。訳者の近森さんも一度メールのやりとりをしたことがあるが,さまざまな著者による本書を一人で訳すことには大きな労力があったと思うが,素晴らしい翻訳で,このような仕事は本当にありがたいと思う。

イントロダクション:マイク・フェザーストン
自動車移動の「システム」:ジョン・アーリ
都市をドライブする:ナイジェル・スリフト
運転者-自動車:ティム・ダント
移動性と安全性:イェルタ・ベックマン
自動車移動とナショナル・アイデンティティ――表象,地理,運転の実践:ティム・エデンサー
自動車とネーション――戦間期におけるイギリスとドイツの自動車移動観:ルディ・コーシャ
ドライブの場所――マルク・オジェ,非-場所,イギリスのM1高速道路の地理:ピーター・メリマン
自動車の三つの時代――自動車の文化的論理:デイヴィッド・ガートマン
オート・クチュール――戦後フランスの自動車を考える:デイヴィッド・イングリス
自動車が動かす感情――自動車を感じること:ミミ・シェラー
自動車移動とサウンドの力:マイケル・ブル
高速道路でオフィスワークをする:エリック・ロリエ
〔解説〕移動研究のフロンティア――非線形的思考の可能性:吉原直樹
訳者あとがき

本書にも登場するが,地理学でもエドワード・レルフなどは社会における自動車の出現が都市の風景にもたらした影響を1970年代から論じていたし,より広い意味では,郊外化やその後のロードサイドショップ,ショッピングモールなどの展開に自動車の存在が大きいことは多くの都市社会学や都市地理学でも論じられてきた。しかし,本書で多くの寄稿者が指摘しているように,自動車のよる移動そのものの文化的な側面に関する社会学的な議論は意外にないという。
まだアーリの『モビリティーズ』は読んでいないが,先日こちらで紹介した『都市社会学』の著者吉原直樹さんが本書の解説を書いていて,本書もアーリ流の移動論的転回に位置づけている。しかし,移動性のなかでも自動車というものに特化した本書の議論は,移動論的転回と重なる部分も多いが,そこからはみ出す魅力的な主題も多く,また移動論的転回の本質的な部分も有する充実した読書だった。
冒頭から読んでいって,そして本書が雑誌『理論・文化・社会』の特集号が元になっているということもあり,各章は長すぎもせず,論文としてもまとまりもあり,多様なテーマを論じていることから,編者3人の文章の印象はあまり記憶に残っていない。ただ,ペラペラと見返すと,スリフトはド・セルトーの『日常的実践のポイエティーク』における都市を歩くという議論を自動車でのドライブに援用しようとしている。
ダントの「運転者-自動車」はJ.J.ギブソンのアフォーダンス理論を援用している。本書では多くの論者がアセンブリッジという概念を使っていますが,自動車はもちろん運転手がいなくては成り立たない存在であり,運転手も自動車を単なる移動の道具として使用しているわけではない。そうした行為を成立させる部分は機能的に結びつくのではなく有機的に結びつくのであるというような議論をする。そして,アフォーダンス理論はそれだけではなく,運転手が自動車を運転しながら得る環境に関する知覚とともにさまざまな事柄を判断し,行動にうつす。本書にはアクターネットワーク理論も頻出するが,その辺りの類似性というか関連性というか,さらにいうと中動態の議論などとも結びつくような魅力的な議論が繰り広げられる。
続くベックマンの「移動性と安全性」でも「自動車-運転者ハイブリッド」について論じる。ヴィリリオも本書にはよく登場します。細かいところでは,多くの社会思想家たちが自動車に関する論考を遺しているようです。この章の主題である安全性といっても,自動車事故が起こった時の議論がとても刺激的である。衝突事故によって,自動車と運転手はバラバラの残骸となる。それらを集めて解析して原因を究明し,またさまざまな調査,手続きによって加害者と被害者,保険会社云々が関わっていくんですよね。そういうことを細かく説明しているわけではなく,そういうところに読者の想像力を導いていきます。
エデンサー「自動車移動とナショナル・アイデンティティ」はありそうな発想だが,実際に論じられると面白い。要はヨーロッパでも各国によっていくつか代表的な自動車メーカーがあり,各社がそれぞれのターゲット階層にむけて商品を作っている。そのなかでも,なんとなくお国柄というものがあるという議論。もちろん,その歴史的過程にはアメリカ車が対抗馬としてあり,また映画などに登場してイメージが定着したりもする。続く,コーシャの「自動車とネーション」も同様の主題だが,より限定的に,イギリスとドイツについて,戦間期という期間について,『オートカー』というイギリスの雑誌記者がベルリンで開催された自動車展示会を取材に行くという話。
メリマン「ドライブの場所」は翻訳もされたフランスの人類学者オジェの『非-場所』をこてんぱに批判していて気持ちいい。私も場所研究者ですが,随分有名になった『非-場所』ですが,翻訳されていも懐疑心がはたらいてまだ読んでいなかったのです。地理学でも1970年代から「没場所性」という概念があり,その概念にも批判がありという歴史があるので,いまさら非-場所?という感覚があったのですが,間違ってはいなかったようです。そして,理論的な批判だけでなく,非-場所の典型とさえた高速道路を,メリマンは博士論文で徹底的に調査したようで,そのエッセンスを使って,高速道路がいかに無味乾燥な場所ではないということを論証しています。
ガートマン「自動車の三つの時代」は本書が全般的に抽象的ではっきりしないことを議論することが一つの魅力である一方で,この章はそうした多様な議論の基礎となるような自動化をめぐる歴史をわかりやすく三つの時代に整理している。自動車がアメリカ社会に登場した19世紀を「階級的差異化の時代」と題し,ブルデューの階級的差異化のモデルで議論する(準えるだけではなく,疑義も呈する)。1920年代以降を「大衆的個性の時代」と題し,フランクフルト学派の議論で論じる。1960年代以降は「サブカルチャー的差異の時代」と題し,ポストモダニズム思想で論じる。このように,単に類型的な整理ではなく,社会思想と関連付けて論じるのが面白い。
イングリス「オート・クチュール」はフランスファッション界の用語をもじったもので,副題は「戦後フランスの自動車を考える」ということで,シトロエンを論じたロラン・バルトを含む,フランス車をめぐるフランス思想家の言説を分析している。バルトの他,ボードリヤールやドゥボール,ルフェーヴルなどが登場する。ルノー,シトロエン,プジョーは日本でもよく知られているが,他にもシムカやパナールという小さな自動車メーカーがあるそうです。本書のいろんな章を読んでいると,冒頭で自動車を本格的に思想的に論じたものは少ないと書きましたが,社会思想家の多くの思想に自動車の存在が根付いていることは分かってきます。それを解きほぐしていく本書の作業は本当に面白い。
シェラー「自動車が動かす感情」は,私たちが翻訳した『アルコールと酔っぱらいの地理学』にも「感情と身体」という章があったように,感情と情動とかいった概念は地理学に限らず流行っているようで,本書にもこうした章が設けられています。ただ,車酔いというのは出てこないな。ブル「自動車移動とサウンドの力」の「サウンドの力」ってのはサイモン・フリスの書名から借りているのであろうか。私は車に乗らないが,自動車というものが,プライベートな音響空間になることはよく理解できる。この章では一般の運転者に対するインタビューからその実態を明らかにしている。最終章のロリエ「高速道路でオフィスワークをする」も独自の調査に基づくもので興味深い。なんと,自分の車での移動が多いビジネスパーソンに密着調査をし,運転中の車内でいかに仕事をこなしているのかの実態を示しているのだ。とはいえ,後半はこの人の運転志向に話が移る。この人は高速道路で以下に速く走るかということに固執しているという話で,そういう運転志向を持った運転者は多いと思うが,それ単体としては本書であまり議論されていなかった。
ともかく,本書は自動車をめぐるさまざまな側面にスポットを当てつつ,それらをアクターネットワーク理論やアセンブリッジという概念によって,切り離されたものとしてではなく,さまざまな側面が有機的に結びついていわゆる「自動車社会」を形作っており,そういう社会で私たちの人間性も変容しているのだということが分かる。

 

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